688 / 1,014
修復できない関係
6
しおりを挟む
その頃、美姫は解熱剤に含まれる睡眠作用と心身の疲れから、死んだように眠っていた。
夢を、見ていた。遠い記憶を呼び起こした夢を。
ベッドに眠る美姫は、まだ幼い。おそらく、幼稚舎か小等部低学年だろう。
熱で顔を真っ赤にし、苦しそうに呼吸をしている。
部屋の扉が開き、家政婦の佐和が入ってきた。おでこのタオルを新しいものに取り替え、心配そうに見つめている。
「お嬢様。おかゆを作りましたので、食べますか」
佐和は持ってきたお盆を手にして尋ねたが、美姫はふるふると首を振った。
「いら、ない......」
佐和は困ったように眉を下げ、小さく息を吐いた。
その時、玄関のインターホンが鳴った。佐和が立ち上がり、部屋を出て行く。
美姫は落ち着きなくそわそわしていたが、我慢できずに半身を起こしてベッドから下りた。おでこのタオルが布団の上に落ちる。
熱でふらふらとする躰を壁に押し付けながらも、美姫は部屋を出て、玄関までゆっくりと歩いていた。廊下で美姫の姿を見つけた佐和が、大きな声を上げる。
「まぁ、美姫様! 何をされてるんですか!!」
その後ろから、更に声が聞こえた。
「美姫。ちゃんと寝ていないと、風邪が治りませんよ」
その声を聞き、ボォーっとした表情だった美姫に生気が戻った。
やっぱりしゅうちゃんだった!
しゅうちゃんが、きてくれた!
フラつきながらもトットットッ......と駆けていき、秀一にボフッと抱きついた。
秀一は学生服を着ていた。高校が終わってから、直接来てくれたのだろう。美姫の頬を撫でる手が、冷たくて気持ち良かった。
「さ、部屋に戻りますよ」
秀一が美姫を抱きかかえ、部屋へと運ぶ。大好きな腕に抱かれ、安心しきった顔で美姫は秀一を見上げた。
しゅうちゃんは、やっぱりみきのおーじさまだ。
美姫は、先ほど抜け出したベッドへと戻された。
「しゅーちゃん、ありがとう」
反省の色など全く見せず、無邪気な笑顔を秀一に向ける美姫に、佐和は呆れたように大きく溜息を吐いた。
「美姫様は、秀一様のこととなると、いつも無理するんですから」
秀一はベッドの脇のテーブルの上に置かれた、まだ何も手がつけられていないおかゆに気が付いた。
「美姫、食欲がないのですか」
「先ほど、おかゆを持ってきたんですけど、一口も手をつけようとなさらなくて」
困ったように説明する佐和に、美姫は顔を背けた。
「たべたく、ないの......」
そう言った美姫に、佐和は名案とばかりに秀一に頼んだ。
「秀一様、お嬢様におかゆを食べさせていただけませんか。美姫様は秀一様の言うことなら、素直に聞きますから」
え、しゅうちゃんが!?
驚いたように振り向く美姫に、秀一がにっこりと微笑んだ。
「分かりました。美姫、食べてくれますね?」
「う、うん……」
秀一が小さな鍋に入ったおかゆを子供用の小さなれんげで掬い、それを口元に持っていくと口を窄めて息を何度か吹き掛け、おかゆを冷ます。そんな仕草さえも綺麗で、美姫はドキドキしながらそれを見つめた。
十分冷めたことを確認すると、秀一がれんげを美姫の口元へと運んだ。美姫は口を開き、それを飲み込んだ。
「美味しい......」
ほんとは味なんて分からなかったが、秀一が自分の為に食べさせてくれたことが嬉しくて、思わず美姫はそう言っていた。
秀一は眼鏡の奥の切れ長のライトグレーの瞳を細めた。
「それはよかったです」
目が覚めた美姫の目尻からは、涙が流れ落ちていた。
懐かしい、夢だった。
そんなことがあったことすら、ずっと忘れていたのに......熱で浮かされて、記憶が呼び戻されたのかもしれない。
ザルツブルク音楽祭は、8月30日まで開催している。
まだ秀一さんは、ザルツブルクにいるだろう。大勢の聴衆を虜にしてるに違いない。
美姫は急に、置き去りにされた子供のような気持ちになった。
寂しくて......心細くて......孤独、だった。
美姫は、今頃上海へと向かっている大和を想った。
大和、ここにいて。あなたに、ここにいて欲しい。
寂しい。
寂しいよ......
夢を、見ていた。遠い記憶を呼び起こした夢を。
ベッドに眠る美姫は、まだ幼い。おそらく、幼稚舎か小等部低学年だろう。
熱で顔を真っ赤にし、苦しそうに呼吸をしている。
部屋の扉が開き、家政婦の佐和が入ってきた。おでこのタオルを新しいものに取り替え、心配そうに見つめている。
「お嬢様。おかゆを作りましたので、食べますか」
佐和は持ってきたお盆を手にして尋ねたが、美姫はふるふると首を振った。
「いら、ない......」
佐和は困ったように眉を下げ、小さく息を吐いた。
その時、玄関のインターホンが鳴った。佐和が立ち上がり、部屋を出て行く。
美姫は落ち着きなくそわそわしていたが、我慢できずに半身を起こしてベッドから下りた。おでこのタオルが布団の上に落ちる。
熱でふらふらとする躰を壁に押し付けながらも、美姫は部屋を出て、玄関までゆっくりと歩いていた。廊下で美姫の姿を見つけた佐和が、大きな声を上げる。
「まぁ、美姫様! 何をされてるんですか!!」
その後ろから、更に声が聞こえた。
「美姫。ちゃんと寝ていないと、風邪が治りませんよ」
その声を聞き、ボォーっとした表情だった美姫に生気が戻った。
やっぱりしゅうちゃんだった!
しゅうちゃんが、きてくれた!
フラつきながらもトットットッ......と駆けていき、秀一にボフッと抱きついた。
秀一は学生服を着ていた。高校が終わってから、直接来てくれたのだろう。美姫の頬を撫でる手が、冷たくて気持ち良かった。
「さ、部屋に戻りますよ」
秀一が美姫を抱きかかえ、部屋へと運ぶ。大好きな腕に抱かれ、安心しきった顔で美姫は秀一を見上げた。
しゅうちゃんは、やっぱりみきのおーじさまだ。
美姫は、先ほど抜け出したベッドへと戻された。
「しゅーちゃん、ありがとう」
反省の色など全く見せず、無邪気な笑顔を秀一に向ける美姫に、佐和は呆れたように大きく溜息を吐いた。
「美姫様は、秀一様のこととなると、いつも無理するんですから」
秀一はベッドの脇のテーブルの上に置かれた、まだ何も手がつけられていないおかゆに気が付いた。
「美姫、食欲がないのですか」
「先ほど、おかゆを持ってきたんですけど、一口も手をつけようとなさらなくて」
困ったように説明する佐和に、美姫は顔を背けた。
「たべたく、ないの......」
そう言った美姫に、佐和は名案とばかりに秀一に頼んだ。
「秀一様、お嬢様におかゆを食べさせていただけませんか。美姫様は秀一様の言うことなら、素直に聞きますから」
え、しゅうちゃんが!?
驚いたように振り向く美姫に、秀一がにっこりと微笑んだ。
「分かりました。美姫、食べてくれますね?」
「う、うん……」
秀一が小さな鍋に入ったおかゆを子供用の小さなれんげで掬い、それを口元に持っていくと口を窄めて息を何度か吹き掛け、おかゆを冷ます。そんな仕草さえも綺麗で、美姫はドキドキしながらそれを見つめた。
十分冷めたことを確認すると、秀一がれんげを美姫の口元へと運んだ。美姫は口を開き、それを飲み込んだ。
「美味しい......」
ほんとは味なんて分からなかったが、秀一が自分の為に食べさせてくれたことが嬉しくて、思わず美姫はそう言っていた。
秀一は眼鏡の奥の切れ長のライトグレーの瞳を細めた。
「それはよかったです」
目が覚めた美姫の目尻からは、涙が流れ落ちていた。
懐かしい、夢だった。
そんなことがあったことすら、ずっと忘れていたのに......熱で浮かされて、記憶が呼び戻されたのかもしれない。
ザルツブルク音楽祭は、8月30日まで開催している。
まだ秀一さんは、ザルツブルクにいるだろう。大勢の聴衆を虜にしてるに違いない。
美姫は急に、置き去りにされた子供のような気持ちになった。
寂しくて......心細くて......孤独、だった。
美姫は、今頃上海へと向かっている大和を想った。
大和、ここにいて。あなたに、ここにいて欲しい。
寂しい。
寂しいよ......
0
お気に入りに追加
338
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
完結【R―18】様々な情事 短編集
秋刀魚妹子
恋愛
本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。
タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。
好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。
基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。
同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。
※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。
※ 更新は不定期です。
それでは、楽しんで頂けたら幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる