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19.嘘
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「サラ、忘れ物はありません?」
「えぇ、大丈夫です、お母様」
まともに母の顔が見られず、サラは僅かに俯いて返事をすると、その言葉を合図にナタリーがアクセルを軽く踏みこんだ。
一点の汚れもない真っ青なジャガーが軽快に走り出す。車窓に映り込んでは流れていく景色をサラはぼぉーっと眺めていた。木々に反射する太陽の光が今日はやけに眩しく感じて、瞼を閉じた途端に瞼裏に真っ赤な色が広がった。
昨夜は、なかなか寝付けなかった。夜というものは、人を暗い思考の泥沼へと引きずりこんでいく。
ステファンから深夜、メッセージが送られてきた。
『私は何に代えても、何を犠牲にしようとも、私の全てをかけて貴女を愛し、守っていきます。もう私たちは、引き返すことは出来ません……どうか迷わないで下さい』
スマホを鞄から取り出し、もう何度読んだか分からないその文字をまた始めから追った。今までであれば、ただ嬉しくて幸せな気持ちだけで満たされていたのに、今はそれと共に感じる胸の痛み……罪悪感が幸せな気持ちに影を落とす。
そう、もう引き返すことなど出来ない。ステファンの想いを知らなかった頃の私になど戻れません。
分かってる、分かっているけれど……
私は、どうしたらいいのでしょう? 誰も不幸にしたくない。皆が幸せになる道は、ないのでしょうか。
スマホをしっかりと握り締め、繰り返し脳裏に流される昨日の映像と自分の思いがぐるぐると回っていく。
ラジオからはニュースが流れていた。ナタリーは秘書として、英国のみではなく欧州主要国や米国の主要新聞を数種類チェックし、車の中では常にニュースを聞いている。
お父様は、本当に公私共にお母様に支えられていますわね……
サラはそんな母を尊敬し、誇りに思っていた。そして、いつか自分も両親のような夫婦になりたいと憧れていた……ステファンと。
そんな幼く純粋だった頃の自分に思いを馳せ、流れる景色に向かってそっと溜息を吐いた。ラジオから流れる低くよく通る男の声が、今年は例年より冷え込む恐れがある、と伝えていた。
「ねぇ、サラ……」
徐にナタリーが口を開いた。
「なんですか、お母様……」
つい気持ちが滲み出てしまい、いつもより幾分固い口調になってしまう。
「……顔色が良くないようですけど、大丈夫ですか?」
「え……」
鼓動が速まり、躰中の血液の温度が下がっていく。
「サラ、先程から貴女……思い詰めたような表情をしていますよ」
心配そうな顔がサラを覗き込む。
お母様に、怪しまれないようにしなくては……
「あ……いえ、せっかくお母様とお父様にお会いできたのに、また離れてしまうのかと思ったら、寂しくて……」
こうして嘘をこれからも重ねていくことになるのかと思うと、サラの心は重く沈んだ。
「ごめんなさいね、いつも……」
申し訳なさそうに謝る母に、サラの胸はキリキリと痛んだ。
「あ、そんなつもりはなかったんですの。もう私、大学生ですし……心配なさらないで」
車がこれから講義の行われるビルの入口の前へとつけられた。
「ではお母様、行って参ります……お仕事、頑張って下さいね」
「ありがとう、サラ」
サラは車を降りて扉を締めた後、母に手を振り、ビルの階段の途中まで駆け上がった。
そこでもう一度振り返ると、まだ車の中からナタリーがサラを見送っていた。
再度手を振りながらサラはナタリーに向かって精一杯の笑顔を見せると前に向き直り、残りの階段を上がって入口へ入っていった。
ナタリーは扉の向こうにサラの姿が消えてしまってからも、暫くじっとその先を見つめていた。
そしてようやく車のハンドルを握ると、小さく溜息を吐いた。
「えぇ、大丈夫です、お母様」
まともに母の顔が見られず、サラは僅かに俯いて返事をすると、その言葉を合図にナタリーがアクセルを軽く踏みこんだ。
一点の汚れもない真っ青なジャガーが軽快に走り出す。車窓に映り込んでは流れていく景色をサラはぼぉーっと眺めていた。木々に反射する太陽の光が今日はやけに眩しく感じて、瞼を閉じた途端に瞼裏に真っ赤な色が広がった。
昨夜は、なかなか寝付けなかった。夜というものは、人を暗い思考の泥沼へと引きずりこんでいく。
ステファンから深夜、メッセージが送られてきた。
『私は何に代えても、何を犠牲にしようとも、私の全てをかけて貴女を愛し、守っていきます。もう私たちは、引き返すことは出来ません……どうか迷わないで下さい』
スマホを鞄から取り出し、もう何度読んだか分からないその文字をまた始めから追った。今までであれば、ただ嬉しくて幸せな気持ちだけで満たされていたのに、今はそれと共に感じる胸の痛み……罪悪感が幸せな気持ちに影を落とす。
そう、もう引き返すことなど出来ない。ステファンの想いを知らなかった頃の私になど戻れません。
分かってる、分かっているけれど……
私は、どうしたらいいのでしょう? 誰も不幸にしたくない。皆が幸せになる道は、ないのでしょうか。
スマホをしっかりと握り締め、繰り返し脳裏に流される昨日の映像と自分の思いがぐるぐると回っていく。
ラジオからはニュースが流れていた。ナタリーは秘書として、英国のみではなく欧州主要国や米国の主要新聞を数種類チェックし、車の中では常にニュースを聞いている。
お父様は、本当に公私共にお母様に支えられていますわね……
サラはそんな母を尊敬し、誇りに思っていた。そして、いつか自分も両親のような夫婦になりたいと憧れていた……ステファンと。
そんな幼く純粋だった頃の自分に思いを馳せ、流れる景色に向かってそっと溜息を吐いた。ラジオから流れる低くよく通る男の声が、今年は例年より冷え込む恐れがある、と伝えていた。
「ねぇ、サラ……」
徐にナタリーが口を開いた。
「なんですか、お母様……」
つい気持ちが滲み出てしまい、いつもより幾分固い口調になってしまう。
「……顔色が良くないようですけど、大丈夫ですか?」
「え……」
鼓動が速まり、躰中の血液の温度が下がっていく。
「サラ、先程から貴女……思い詰めたような表情をしていますよ」
心配そうな顔がサラを覗き込む。
お母様に、怪しまれないようにしなくては……
「あ……いえ、せっかくお母様とお父様にお会いできたのに、また離れてしまうのかと思ったら、寂しくて……」
こうして嘘をこれからも重ねていくことになるのかと思うと、サラの心は重く沈んだ。
「ごめんなさいね、いつも……」
申し訳なさそうに謝る母に、サラの胸はキリキリと痛んだ。
「あ、そんなつもりはなかったんですの。もう私、大学生ですし……心配なさらないで」
車がこれから講義の行われるビルの入口の前へとつけられた。
「ではお母様、行って参ります……お仕事、頑張って下さいね」
「ありがとう、サラ」
サラは車を降りて扉を締めた後、母に手を振り、ビルの階段の途中まで駆け上がった。
そこでもう一度振り返ると、まだ車の中からナタリーがサラを見送っていた。
再度手を振りながらサラはナタリーに向かって精一杯の笑顔を見せると前に向き直り、残りの階段を上がって入口へ入っていった。
ナタリーは扉の向こうにサラの姿が消えてしまってからも、暫くじっとその先を見つめていた。
そしてようやく車のハンドルを握ると、小さく溜息を吐いた。
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