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28.初めての旅行

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 ブリティッシュ・エアウェイズから出ているヒースロー空港発の直行便に乗り、約2時間のフライトを経てウィーン・シュヴェヒャート空港に着いたのは夕方だった。

「疲れていませんか?」
「いえ、あっという間でしたわ」

 寮を引き払ってステファンのマンションへと引っ越してからずっと、ステファンはサラを気遣い、一緒にいてくれた。そのお陰でサラは恐ろしい記憶を遠ざけ、安心した気持ちで過ごすことができた。

 ステファンに愛され過ぎて寝不足ではあったものの、二人きりで旅行という初めての状況、そして彼がずっと隣にいてくれることが嬉しくて気分が高揚し、疲れさえも感じることはなかった。

 飛行機を降りてブリッジを渡り、パスポートコントロール(入国審査)へと向かうと、パスポートを見せて通り抜ける。

 バッゲージクレームではスーツケースを指定後ポーターに運ばせ、宿泊先であるホテルに送ってもらうことにした。ポーターとのやり取りは当然ながらステファンがドイツ語で対応してくれ、サラは頼もしさと同時に自分の無力さも思い知らされることとなった。

 税関を通り抜けるとすぐに到着ロビーになっていた。あちらこちらでクリスマスの飾り付けが見られ、クリスマス間近の独特の雰囲気に包まれている。なんとなく、道行く人達の足取りも浮き立っているように感じた。

 そこからタクシー乗り場へと向かった。ステファンが窓越しにタクシーの運転手に目で合図をしてから、扉を開けてサラをエスコートしてくれた。ステファンがドイツ語で運転手に目的地を告げると、車は緩やかに発進した。

 日が暮れかけているウィーンの街全体はクリスマスムードに包まれ、ライトアップされて華やいだ表情を見せていた。街灯や立ち並ぶ街路樹にはクリスマス用の飾り付けがほどこされ、店の軒先や家々に飾られた電飾やクリスマスツリー、リース、庭に置かれたサンタクロースやトナカイの人形に目を奪われ、見ているだけで楽しくて、小さい子供のようにサラはワクワクしていた。

「あれが、ウィーン市庁舎ですよ」

 ステファンに言われて車窓から外を眺めると、ライトアップされて金色に輝く五つの尖塔が聳える市庁舎が目に入った。中心の尖塔だけが突出して高く聳え立ち、時計塔の役割も果たしていた。市庁舎前の広場には大勢の人々が集まって賑わっており、たくさんの店や屋台が立ち並んでいるのが見える。

「今の時期はここで、クリスマスマーケットが開かれるのですよ。せっかくだから、寄ってみますか?」
「はい、ぜひ見てみたいです!」

 夕闇に包まれた市庁舎広場は既に大勢の人で賑わっていた。

 市庁舎前の樹齢120年、高さ32メートルの松の木のクリスマスツリーが一際目を引く。広場の巨大なボンボンや輝くハートのアドヴェント・クランツ(ツリーにつける飾り)には灯りがともされ、幻想的な雰囲気を演出していた。

「サラ、市庁舎の窓を見て下さい。各窓に数字が書かれているのが分かりますか? あれはクリスマスカレンダーになっていて、アドヴェントの期間、毎日ひとつずつ窓が開かれ、イヴに一番大きな24の窓が開かれるのですよ」
「ふふ……メルヘンチックですね。なんだか、おとぎの国に迷い込んだみたい……」

 広場中央にはたくさんの屋台が並び、ハンドメイドのクリスマス飾り、クリッペの人形、スパイスの花束、ガラス細工、陶器、テキスタイル、皮革製品、アクセサリー、木製玩具、手工芸品などが売られていた。食べ物の屋台からは食欲をそそる匂いや甘い香りが風に乗って運ばれてきた。

 ひとつひとつの物を眺めながら、ステファンと言葉と視線を交わしながら過ごす時間は、時が経つのも忘れるほど至福のひとときだった。

 日が落ちてから急激に気温が下がり、寒くなってきた。ステファンが周りをぐるりと見渡し、サラを連れてある屋台で飲み物を買った。クリスマスらしいデザインのカップからは湯気が立っていて、手に持っているだけでも温まる。

「これはグリューワインといって、赤ワインを温めてシナモンの香りづけがされたもので、甘みのあるホットワインですよ」

 飲むと直ぐに喉から胃まで温められ、それが手足にまで浸透していくようだった。口内に強い甘みの中に僅かな苦味、シナモンのスパイスの香りが鼻に抜けてフワッと広がった。

 それから、ハンガリー生まれの揚げパンであるランゴシュも買った。小麦粉にマッシュしたじゃがいもを入れて、丸ごと油で揚げたもので、ニンニクたっぷりのサワークリームを塗って食べる。

「あ、あつっっ!!」

 サラは思わず口に入れたランゴシュを熱さのあまり、吹き出しそうになった。

「そんなに一気に頬張るからですよ、ふふっ。ほら、サワークリームがついてますよ……」

 ステファンがサラの口の端についたサワークリームを拭い取り、艶かしい仕草で舐めてみせた。

「す、すみません……」

 サラは真っ赤になって、ステファンを見上げた。

 その後、蜂蜜とスパイス、オレンジ、レモンの皮やナッツを使って作ったハート型のクッキー風ケーキのようなレープクーヘンを食べると、サラはお腹がいっぱいになった。

 ガラス細工が気になったが、割れてしまうと怖いので、ハンドメイドの小さなクリスマスリースと市庁舎内で子供達が売っていたハート形のクッキーを購入し、ふたりはクリスマスマーケットを後にすることにした。
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