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第一章

第二十三話 魔王、喰われる

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「興味深いのう。なぜオリヴィス殿は聖女を信じないのじゃ?」

 エリスが、不意に質問を投げかける。

「なんだ?時間稼ぎならもういい加減に……」

「それくらい答えてくれてもよいではないか」

「……ふん。まぁいいぜ。教えてやるよ。簡単なことさ」

 オリヴィスがゆっくりと席から立ち上がる。

「聖女が……女神が本当にいるのなら」

 ……先ほどまでは、性質の異なる眼光だった。
 ひどく、冷たい。

「なんで、あたしは家族を奪われた?聖女が世界を悪魔共からお救いくださるなら……なんであん時の聖女は悪魔の手先だったんだ?」

 エリスを睨むオリヴィスの眼に、冷たさから一転、うっすらと感情の炎が浮かび上がった。
 過去を憎むようにも、今まさに目の前にいる人間を憎むようにも見えた。

「あたしの家族は、敬虔な教徒だった。あたしも毎日祈りを捧げてたよ。皆が幸せに暮らせますようにってな」

 自嘲するかように、オリヴィスは口角を上げる。

「で、あのザマだ。偽の聖女様率いる盗賊団に、村は焼かれた。全て奪われた。祈ってたって、決して救われやしねぇ。それは何故か?神がいないからだ。そうだろう?証明終わりだぜ、お嬢様」

 庭園が、しん、と静まり返る。

 さきほどから執行者オリヴィスに言いようもない恐怖を抱いていた周囲の使用人たちは、この独白とも言えるオリヴィスの話に、一様に複雑な表情を浮かべていた。



 ――ふん。よくある話じゃな。

 だがエリスには何も響かない。

 これから起こるであろう大陸中を巻き込む大戦争では、そんなことは日常茶飯事なのだ。
 信じた者に裏切られ、いない神に祈り、絶望する。
 その大陸を覆い尽くす嘆きは、まさに地獄がそこに顕現したと言っても過言ではなかった。

 それが少し早く滲み出て、オリヴィスに降りかかっただけ。
 エリスにとってはそれだけのことだった。

 故にエリスは、ほんの少し目を細めるだけで、なんら表情を変えることはなかった。

「それはそれは、お気の毒に……と言った方がよいかのう」

 誰が聞いても挑発的な言動だったが、オリヴィスは愉快そうに笑うだけだった。

「……ははっ、同情買うつもりなら涙の一つも流したさ。さて、いよいよあんたの番だ。さぁ、どうなんだよ?あんたは聖女なのか?こんなあたしに、そいつを信じさせることができるのか?」

 そんなことできるはずがない……。
 じいやは悲観していた。
 どう答えようと、何を証明しようと、この執行者は聞く耳を持たないだろうから。


「そうじゃのう……オリヴィス殿の言う通りじゃ」

「は?」

「わらわは、聖女などではない」


 エリスの言葉に、再び、庭園が、静まり返る。


「……お、お嬢様?」

「へえ……?」

「もう一度言うぞ。わらわは聖女などではないのじゃ」

「慎んで聖女を騙った罰を受ける……ってか?」

「聖女を騙った……違う違う。わらわは、一度たりとも自分が聖女だと言ったことはないのじゃ」

 手をフリフリ、疲れたような表情を作って、エリスは続ける。

「聖女の秘薬も、ヴァッテリオ山の化け物退治も、全くわらわとは関係ないのじゃ。噂好きの民衆らが、面白おかしく奇跡として組み上げたに過ぎぬ。まったく、迷惑な話じゃ」

「ただの噂で、自分は全く関係ない……?」

 そう、これこそがエリスの作戦。

 ――題して、『火のないところに煙が立つこともある』作戦じゃ!!

 自分にまつわる話は全て嘘。ただの噂話である!
 そう主張することで、自分は全くの無実!むしろ教会からいちゃもんをつけられて困っている被害者である!と話をすり替える狙いであった。

「し、しかし、お嬢様は大暴走スタンピードをお止めになったではありませんか!?」

「じいやも見てたのであろうが。あの時は『たまたま』空から巨大な稲妻が落ちてきただけなのじゃ。そう、偶然、助かっただけじゃ」

「そ、そんな……。で、ではコウガ殿への加護魔法はどうなります?普通の騎士がマンティコアを倒すなど……」

「別に不思議な話ではあるまい。奴が努力して成長しただけのこと。それに、奴はほれ、そこのオリヴィス殿に一撃でのされておるのじゃぞ?加護魔法など存在せぬわ。いやもう、絶対無いわ、うむ」

 これは本当に存在しないので力一杯否定するエリス。
 二人のやりとりを、腕組みをしながら眺めていたオリヴィスが口を開く。

「なるほどなるほど……?エリスお嬢様は何にも関係ないのに、聖女扱いされて困っていたと」

「そう、そうなのじゃ!まったく世間の噂好きにも困ったものよ。娯楽が少ないということかのう。ここは領主代行として、なにか考えなければならぬのー。……と、言うわけで、教会に帰ったら伝えてくれんか。エリスは聖女ではない、と。そして民衆らにも分からせてやって欲しい。教会の言うことなら聞くじゃろうからのー」

 エリスが期待したこの作戦の副産物。
 それは、『エリスは聖女ではない』ということについて、教会のお墨付きが得られることだ。

 ――これで、大挙して巡礼されるような憂き目を見んで済むのじゃ!世間の目が離れれば、人間社会潜伏作戦も順調に進むであろう!!ふはははは!

 作戦の成功を確信し、心の中で高笑いを上げるエリス。


 しかし、黙って話を聞いていたオリヴィスは……。

「はっはっはっ、そうかいそうかい。言いたいことは分かったぜ、お嬢様。でも、さ」

 突如、声色を低く落とし、眼に獰猛な輝きを宿らせる。

「そんなんで納得できると思ってんのかよ……?」

「……へ?」

「なんでもねぇ人間のところに、そんなに偶然が雁首揃えてやってくるかってんだよ。……あんたが聖女じゃねえってんなら、考えられることは一つだろ?聖女の名を悪用するため、誰かがあんたを祭り上げようと色々細工したって線だ。……もちろん、あんた自身の企みかもしんねぇなぁ?」

 オリヴィスは、相手が一旦、執行者を追い返すために自分は聖女でないと認めるケースもあるだろうと思っていた。
 全て偶然の出来事だと言い張るとは思っていなかったが、エリスの返答は、ある程度想定内だったのである。

 しかし、エリスとて、オリヴィスのその対応は想定の範囲内であった。

「くく。まぁ、そう取られても仕方がないかもしれんが……しかし、本当に本当に偶然なのじゃ。わらわは何も言った覚えは無いし、仕掛けた覚えもない。なにか証拠でもあるのか?」

「証拠だと?」

「そうじゃ、証拠じゃ。証拠が無いとなれば、これ以上は流石に言い掛かりというものじゃ。のう?オリヴィス殿」

 ――くく。証拠などあるはずはない。実際、聖女を名乗ろうとしたことなどないのじゃからな。このまま押し切ってくれるわ!


「そうだなぁ、証拠ねぇ……今は確かにねぇなぁ」

「そうじゃろう、そうじゃろう。証拠など絶対に……『今は』?」

「証拠がねぇなら……作っちまえばいいんだよ」

「な……?」

 困惑した表情を見せるエリスを愉快そうに見遣りながら、オリヴィスは懐から古びた白い布を取り出す。

 ――なんじゃ?布の表面に……あれは魔法式?……宝具か!!

 ……宝具とは、魔道具と同じく魔法式が刻まれたアイテムであるが、動力が無いため使用者の魔力を消費して発動させる。
 素材が鉱石に限定されないため、より複雑で強力な魔法式が刻める。
 だが実際に有効な魔法式が組める術者はとても少なく、非常にレアなアイテムである。それゆえに、宝具、と呼ばれている。

 また、使用には相応の魔力量が必要になるのだが……しかしオリヴィスはなんら問題にしていなかった。
 その手から、膨大な量の魔力が宝具に注ぎ込まれていく。

 ――ちぃ……ただの拳骨ゴリラでないのが、こやつの厄介なところじゃ……。

 前世で彼女は、鍛え抜かれた肉体を人並外れた魔力でさらに強化し、無敵の拳骨デストロイゴリラと化していた(エリス視点)。

 ハイパーゴリラアーマーを纏った彼女が、四天王筆頭ガイウスと再三繰り広げた死闘は、エリスにとってはまだ記憶に新しい。


 オリヴィスの魔力に反応して、布の宝具に複雑な模様が浮かび上がる。

「行くぜ……【血の審判】」

 オリヴィスの言葉とほぼ同時、白い布から眩い光が迸る。

 直後、ズルリ、と奇妙な音が聞こえた。何かが、布の紋様部分から這い出たようだった。
 光の中から徐々に姿を表した、その『何か』は……。

「が、骸骨……!?」

 じいやが驚愕の声を上げる。

 それは、大人の全身ほどもある、巨大な人間の頭蓋骨であった。
 耳の位置にある穴からは、まるで天使のような白い羽が一対生えており、ゆっくりと羽ばたいている。
 その羽は実に美しく、だからこそ、巨大で奇怪な頭蓋骨とのミスマッチが強烈な違和感を醸し出していた。

 カチカチと顎を打ち鳴らし、その不気味な物体は、暗く底の見えない眼窩でエリスをじっと見つめている。

 エリスが思わず後ずさる。

 ――こやつは……!くそっ、『証拠を作る』とはそういうことか!

「……ははは、その様子じゃあ知ってるようだな?そう、これは『真実の天使』。こことは次元の違うとこから召喚した、人の『善悪』を判断できる優れモノさ」

 オリヴィスは目の前をゆらゆらと浮遊する頭蓋骨に手を置いて笑う。

「コイツは、相手の『邪な心』に反応する。あんたが良い心を持っていれば無反応。もし、なにか企んでいれば……この羽が黒く染まるのさ」

「心に反応……?」

 じいやが思わず口にした疑問にエリスが答える。

「魔力、じゃ。あの骸骨は、相手の魔力に闇の成分が含まれていれば反応するのじゃ」

「ひゅう。さすが、お嬢様は博識だねぇ。そう、魔力の属性ってのは、その人間の心の持ちようを反映するんだよ。魔力を、意思のエネルギーって呼んでる学者もいるらしいけど……悪い意思を持っていれば、魔力は闇に染まるんさ」

 人間の九割は魔法が使えないが、それは魔力が無いことを意味するわけでは無い。
 魔法を使うに十分な魔力量や、コントロール能力が無い、という話である。

 それ故に、微量な魔力に反応する真実の天使を用いた善悪の判別方法は、全ての人間に有効であり、教会が用いる確立された方法となっていた。

「しかし、仮にそれで黒くなったとして、そんなものが悪巧みの証拠にはならんじゃろう!人間誰しも、心に闇はあるものじゃ!」

「……いいんだよ。これが教会の『ルール』なんだから。教会が、教会のルールに則って善悪を定め、罰を下す。だから証拠はこれで十分。そう、十分なのさ」

「……まるで独裁者の言い分じゃな……!」

「はは、そりゃ当然だろ?教会ってのは神っていう独裁者の子分たちなんだから」



「しかし……ならば心清らかなエリスお嬢様であれば、大丈夫ですな」

 急に朗らかな表情で笑いかけてきたじいやに、エリスは三白眼で睨み返す。

 ――いや、絶対無理なのじゃー!!

 エリスは危うく頭を抱えて叫びそうになってしまった。

 ……そう。なにせエリスは、魔王である。闇の成分が含まれるどころか、これ以上ない純度百パーセントの闇属性なのである。

 ――どどどどど、どうすればよいのじゃ!

 エリスの魔力に反応すれば、骸骨の白い羽が即座に漆黒の闇色に染まるであろうことなど、火を見るより明らかであった。

 ――そうなってしまったら即、聖拳でブチ抜かれてゲームオーバーじゃ!!

 あたふたするエリスに、審判の時間が訪れる。

「さぁ、行け、真実の天使。あいつは善か?それとも邪か?」

 オリヴィスの命令を受けて、骸骨がギシギシとその顎門を広げる。
 そして人間が一人すっぽりと入るほどに開いた口を、ゆっくりとエリスに近づけてきた。

 ――こ、これは怖い!怖いのじゃ!喰われる!

「そんなにビビるなよ。ちょっと甘噛みするだけさ」

 ――甘噛みって……どうする?逃げるか??いや、逃げたら背後から聖拳じゃ!しかし噛まれても絶対黒で聖拳じゃ!つ、詰んだ!!

 すっかり硬直したエリスに、ゆらりと巨大な影が差す。


 ……パクリッ


 ――ぎゃーーーーーーー!!


 巨大頭蓋骨に頭から腹まですっぽりと咥えられ、エリスは声にならない叫びを上げた。
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