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第一章

第四話 魔王、計画する

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「ふむ。ただ葉っぱを湯につけた下らぬものだと思っていたが……なかなかどうして、美味ではないか」

 エリスは今、侯爵家敷地内の庭園にいた。

 凝った造形の椅子に腰掛け、ほのかに湯気の上がるティーカップを手にしている。

「たしか、紅茶、だったかの」

 獄炎魔法を得意とする魔王は、しかし猫舌であったため、息を吹きかけて冷ましながらちびちびと口をつけている。

 かつての部下たちが見たら愕然とするような緩んだ顔で、エリスは紅茶を堪能していた。

 ――さて。

 ソーサーにカップをゆっくり置くと、エリスは呟いた。

「結論。ここは、過去じゃ」

 先ほどまでとは一転して、真剣な表情になる。

「部屋にあった書物と記憶を照合したが、今が過去であることにもはや疑う余地はない」

 過去への転生。
 魔王ですら、まるで予期できなかった超常現象。

 エリスは、もはやその事実を認めざるを得なかった。
 魔王だった自分が過去に飛び、そして愚かな人間となってしまった、この事実を。

 ……だが、エリスはご機嫌だった。

 いや、むしろかなりニマニマしていた。
 遠くで草刈りをしていた使用人が、その顔を見てギョッとするくらいに。

「過去に戻った。それはすなわち……」

 ――浄化を、有利にやり直せるということではないか!!

 前世での、エリスの目的。魔王の大願。
 それは、穢れた人間を全て駆逐し、世界を浄化することだ。
 惜しくも勇者アデルに阻まれることとなってしまったが、過去からやり直せるとあれば、いくらでも対策は立てられる。

 勇者として覚醒する前のアデルを暗殺してもいい。
 覚醒の鍵となった聖女リーシャや聖剣エンドベルグを先に消し去ってもいい。

 誰が、何が危険かをあらかじめ知っていることは、圧倒的なアドバンテージであった。

「くくく、クソ勇者め。デートなどと寝言ほざいておったが、今世で貴様を待っているのは絶対的敗北じゃ!わははははは!」

「お、お嬢様……?」

 大人しい印象だった侯爵令嬢が大口を開けて爆笑しているのを見て、草刈り中の使用人は再び困惑の表情を浮かべるのだった。



 ――しかし、問題は。

 大爆笑から一転、エリスは少し困った顔をする。

 ――この身体じゃ。忌々しいが、百歩譲って人間の身体なのは諦めよう。しかし、魔力総量が激減しているのはいただけぬ。

 エリスの魔力総量は、魔王だった前世と比較して、体感で千分の一ほどまで低下していた。
 これでは、昨日、大魔法を二回使っただけで魔力枯渇を起こしてしまったのは当然であった。

 ――少しずつじゃが、覚醒した魔力と身体が馴染んできている感覚はある。元に戻るのも時間の問題じゃろうが……。

 少なくとも、今すぐに勇者暗殺に動いたり、魔王軍を立ち上げたりするのは難しそうだ。
 魔法を放った後、魔力が回復するまで騎士団から逃げ惑う自分の姿が目に浮かぶエリスであった。


「……忌々しいが、背に腹はかえられぬな」

 エリスは頬杖をつきながら、深々と息を吐く。

 そして、多少の覚悟と決意を持って、こう呟いた。

「しばらくはこのまま、侯爵令嬢として人間社会に隠れているとしよう」

 出来るだけ、目立たず、静かに毎日を過ごす。
 いつか再び、大陸中を恐怖に陥れる……そのための魔力を取り戻すまで。

 今は、魔王であることを誰にも悟られないように。

「何の因果か知らぬが、大戦争の発端である侯爵家に転生したのは都合が良い。大戦争へ向かう未来が変わってしまわぬよう、目を光らせておくのじゃ」

 エリスは紅茶のカップを指で弾いた。

 それは、エリスの人間社会潜伏作戦が、ひっそりとスタートした瞬間だった。


 ◆◆◆


 ……それからしばらくして。

 エリスは未だにだらだらと庭園で紅茶を飲んでいた。

 草刈りを終えた使用人がエリスを見て、まだいるのか!?と再びギョッとするくらいには、時間が経っていた。

 ――いや、別に、今何をすべきか思いつかない、というわけではないのじゃ。

 誰にともなく心の中で弁明するエリス。
 だが実際のところ、本当に何もすることがなかった。

 魔王の時は、とにかくいろいろやることがあった。

 モンスターを召喚したり、人間の国を襲ったり、新たな魔法を研究したり。
 魔王城に極悪トラップを仕掛けるため、夜通しトンカチを振るうこともあった。

 そう、エリスは大陸浄化のため、大変真面目に労働していたのだ。
 立派な仕事人間もとい、仕事魔王である。

 そんな彼女にとって、今の手持ち無沙汰の状況はなかなかに辛いものだった。

 さながら引退直後のじいさんである。

「むう、ヒマじゃ。目立たず騒がず生活しなければならぬとはいえ……こんなに退屈ではいずれ死んでしまうぞ」

 ブツブツ言いながら、本日何杯目か分からない紅茶を飲み干すエリス。

「わらわが表立って動けぬのなら、代わりに働いてくれる下僕が欲しいのう」

 そうは言うものの、使い魔などを召喚するわけにはいかない。人里でモンスターが暗躍できることなど限られてるし、エリスとの関係が明るみに出たら終了だ。

「やはり人間が良いか。……しかし、人間というのはどうやって下僕にしたら良いのじゃ?」

 かつて人間の配下がいなかったわけではない。だがそれは、力で抑えつけて服従させたものがほとんどであり、今実行できるものではないだろう。

「確か、人間は忠義というもので仕えると聞いたことがある。それで仕えたものは、決して裏切らないと。……しかしのぅ」

 忠義の意味は彼女も知っている。だが、魔王エリスの配下に、完璧な忠義でもって仕えていたものなど、いなかったのではないか。

「……そういえば、あやつも結局、最後まで……」

 エリスの最側近である、魔王軍四天王。その、筆頭の戦士でさえも。

「……前途多難かものぅ」

 エリスは力なくため息をついた。



 正門の方で、騒々しい馬のいななきとガラガラという車輪の音が聞こえたのは、その時だった。
 どうやら、馬車が着いたようだ。

 少しして、執事のじいやが顔を見せる。

「お嬢様、ブラフベルト伯爵がお見えになりました」

「ブラフベルト?……ああ、ゴルドー叔父上じゃな」

 記憶の方も、徐々に融和が進んでいる。あまり気合を入れずとも頭の引き出しが開くようになってきた。

 そして浮かんできた記憶。
 ゴルドー・ブラフベルト。エリスの叔父であり、隣接する領地を治める伯爵である。
 以前のエリスは、あまりこの叔父が好きではなかった。傲慢で横暴で、平気で他人を見下す人物。

 ――そうじゃ、人間というのはそういうものじゃなぁ。

 魔王エリスの思い描く人間像の、代表のような人物だ。
 今のエリスは、それを実に好ましく思った。
 浄化への意欲が湧き上がってくるからだ。

 ――ま。今は人間社会潜伏作戦中じゃからな。いきなり消すような真似はできぬ。命拾いしたのう。

「一体、何用じゃ?」

「お見舞いだそうです」

「お見舞いじゃと?叔父上が?」

 ゴルドーは親戚であり、姪っ子がモンスターに襲撃されたと聞いてお見舞いに来た、というのは特におかしな話ではない。
 だが、エリスの記憶からは、叔父がそのような行動に出るとはまるで思えないのであった。

「それから、昨日警護についていた三人を呼びつけるように、とも申しつかりました。いかがいたしましょう」

「……なにを考えているのやら」

 目的が単なるお見舞いでないことは確信が持てた。

 ――まぁよい。ちょうど暇じゃったしのう。小者の一人芝居に付き合ってやるのも一興か。

「それに……昨日の三人か」

 上手くやれば、忠実な人間のしもべを手に入れることができるかもしれない。

 エリスは不敵な笑いを浮かべながら、ゆっくりと立ち上がった。
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