Love, Truth and Honesty

逢坂莉子

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エピローグ(6)

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 あたしが目を開けたとき、蒼はベッドのヘッドボードに背中をもたれるようにして、ペットボトルのミネラルウォーターを飲んでいた。
 心持ち上を向いた喉の線は細いのに、上下に動く喉仏がすごく男っぽい。
 あたしの視線に気づいたのか、蒼がこちらを向く。
 目が合うと、口元を手の甲で拭いながら、にっこりと彼は笑った。
 そんな仕草だけで、あたしはものすごくどぎまぎしてしまう。

 愛してるって、言われたような気がした。
 でも、あれが現実だったのかどうか、自信がない。
 あたしも頭が朦朧としてたから、もしかしたら幻聴だったかも知れない。
 一方の蒼にしたって、ああいうときには切羽詰ってるだろうし、思ってもみないことを口走ってしまった可能性もある。
 だけど、……あれが現実だったらすごく嬉しいのになあ。
 彼の態度や仕草はいつだって、あたしを愛してるって伝えてくる。
 あんなに大勢の人の前で、あたしのために素晴らしいラブソングを歌ってもくれた。
 でも、それって全部間接的なもので、蒼の口から直接聞いたわけじゃない。
 好きだ、愛してると何百回も口に出したところで、想いがカタチになるわけじゃない、それはわかっているけど、やっぱり……好きな人からは何度でも言われたいのが本音だ。

「……あたし、寝てた?」
「うん、ほんの20分くらいだけどね」
 蒼は頷いて、それから「飲む?」と持っていたペットボトルを差し出した。
「あ、もらう」
 あたしは、それを受け取りながら身体を起こす。
 なんか、すごく喉が渇いてた。
 蒼にいっぱい啼かされちゃったからかも知れない。
 さっきまでの自分の狂態を思い出して恥ずかしくなったあたしは、蒼の目から裸を隠すようにして毛布を胸の辺りまで引き上げ、膝を抱えて座った。
「今さら、そんなに照れることないじゃない」
 からかうような声で言って、蒼はあたしの鎖骨の辺りを軽く擽る。
 肩をすくめながら彼を睨み、ペットボトルに口をつけようとしたところで、あっと思った。
 これって、間接キスだよね……。
 同じ飲み口に蒼が唇を当てていたんだと思うと、普通にキスするよりドキドキした。
 蒼は別にそれを気にするわけでもなく、相変わらずニコニコ笑いながらあたしを見てた。

「……蒼、」
「うん?」
「あのね、さっき……」

 ――愛してるって、言ってくれた?

「ううん、…なんでもない」
 そんなこと、聞けるわけがない。
 あたしは曖昧に言葉を濁して俯き、ちびちびとミネラルウォーターを飲んだ。
 蒼は、そんなあたしを怪訝そうに見ていたけど、そのうちに、言った。
「そろそろ、出ようか?」
「え、もう……?」
 知らず声に不満そうな響きが混じってしまって、蒼が苦笑する。
「俺は、朝までこうしていても一向に構わないけど、藍は学校だろ?」
「う、うん……」
 学校なんてなければいいのに、そしたら、蒼とまだ一緒にいられるのに。
 抱えた膝に顎を乗せて、恨めしげに彼を見上げたあたしの頬を、蒼は宥めるように優しく撫でた。
「まだ帰りたくないって顔をしてる」
 親指の先が、頬骨の辺りをゆっくりとなぞる。
「手離すのが惜しくなっちゃうね……俺は独占欲が強いんだって、前に言ったろ?」
 絡み合う視線。
 蒼の顔が近づいてきて、その唇が瞼に触れる。
「この瞳は、いつだって俺だけを見つめて」
 1度、唇が離れて、今度は耳朶にキス。
「この耳は、俺の声だけを聞いて」
 次は、両手を取ってその甲に。
「この手は、俺のことだけ抱きしめて」
 そっとベッドに押し倒される。
 そして最後は唇に、慈しむような優しい口づけ。
 泣いちゃいそう。
 好きが溢れて、ココロが内側から壊れてしまいそう。

 蒼の足が、あたしの腿を割る。
 やがて、あたしたちはひとつになる。
 そうすることが自然の姿であるように、あたしと蒼は抱き合い、唇を重ねたまま静かに繋がっている。
 このまま、時間が止まってしまえばいい。
 彼の言葉の通り、彼だけを見つめて、彼の声だけを聞いて、彼のことだけを抱きしめて生きていけたら、どんなにか幸せだろう。
「好きなの、蒼……大好きなの……」
 蒼は頷く。
 あたしは少し、涙声になっていた。
 指たちが絡まる。
 蒼は、あたしを気遣うようにゆっくりと動き始める。
 蒼のこの優しさが、抱きしめる腕の強さが、口づけた唇の甘さが、切なげな瞳が、零れ落ちる吐息が、数え上げたらきりがないほど、彼のすべてがたまらなく好きで、愛しい。

 もう、言葉が欲しいなんてわがまま言わない。
 だって、そんなの必要ないもの。
 気持ちはきっと、ちゃんと繋がっているから……。

* * * * *

 力なんて全然入らなくてふにゃふにゃになったあたしを、蒼が背中から抱きしめる。
 耳のうしろをちゅうと音がするくらい強く吸われて、くすぐったいし目立つところに跡が残ったら困るとも思うんだけど、もう身体を捩る気力も残ってない。
 顔をちょっと振り向けて非難めいた眼差しで彼を見るくらいしかできなくて、でも、そんなあたしに悪びれた様子も見せず、くすくす笑いながら蒼はもっとそれを続ける。
 うなじの窪みに口づけられると、背中がぞくっと粟立った。
「ああもう、…藍、すっげ可愛い」
 焦れたような声で言い、ぎゅうっと抱き寄せられて、あたしの背中と蒼の胸が密着する。
 とくとく鳴る蒼の鼓動が、肌を通して感じ取れるくらいに。
「ヤバイよな、……俺もう、藍のこと考えると尋常じゃいられないもの」
「……例えば?」
 あたしが聞いたら、蒼はう~んと唸って困ったようにあたしの髪に顔を埋めた。
「このまま攫ってどこかへ逃げたい、とか」
「…………」
「離したくないとか、ずっとひとつになってたいとか……」
 蒼は、日本中のオンナノコが憧れるアイドル、そんな彼にこんな台詞を言われて、罰が当たらないかなって、半分くらいは本気で思う。

 こんな幸せ、ホントにあっていいのかなって、思う。

「……俺、藍と出会えて、本当に良かった」
 長い指が顎を支えて、うしろを振り向かされる。
 斜め上からあたしを見つめる蒼の瞳は、真摯な色をしていた。
「蒼は、ホントにいいの、…あたしなんかで」
「いいに決まってるだろ、好きなんだから」
 なんてまた、聞いてるこっちが照れるような台詞を真面目な顔で口にして、蒼はあたしのこめかみの辺りにちゅっとキスを落とした。
「藍はいつも、あたしなんか平凡で何の取り柄もないしって言うけど、俺はそんな君だからこそ惹かれたんだし、相手が藍じゃなかったら、ここまで好きになったりはしなかったと思う」
「蒼ぉ……」
 ああ、また……嬉しくて胸がいっぱいになって泣いちゃいそうになる。
 今夜のあたしは、いつにも増して泣き虫だ。
「本当によく泣く子」
 困ったように小さく笑って、蒼は、あたしの眦を指で拭ってくれる。
 蒼が優しいから、余計に泣けてしまうのに。
「だ、って…、蒼が、…ひっく、泣かせるようなこと、言うから……」
「俺のせい?」
「そうだよ。あたし今、すごい幸せで、罰が当たるのが心配なくらい幸せで、もう胸が潰れそうなのに……まだ嬉しがらせること言ったり、優しくしたりするんだもん。ずるいよ、蒼は」

 今だってもう、堪らないくらい好きなのに、もっともっと好きになっちゃうよ。
 17年かそこら生きてきて、こんなに人を好きになったことなんてない。
 だから、これから自分がどうなっちゃうのか見当もつかなくて、怖いよ。

 あたしはたぶん、泣きながらそんなことを言った。
 蒼は別に悪くないのに、ああそうか、ごめんねと言って、しゃくり上げるたびに跳ねるあたしの肩を、宥めるように優しく抱いてくれた。
 蒼の腕はいつも温かい。
 このぬくもりが、いつまでもあたしのものでありますように、心からそう願う。

「俺、これからも歌うから」
 静かな、けれど確かな決意を秘めた声で、蒼が言う。
 あたしは、それを蒼がこれからもアイドルとして頑張るという意味だと思って頷いた。
 蒼には、更なる上を目指して欲しい。
 日本を飛び出して世界に羽ばたいて、新しい頂点を目指して欲しい。
 そんな蒼を支えるためにできることがあるのなら、あたしも頑張りたい。
 けれども、蒼が次に口にした言葉は、あたしの想像とはちょっと違っていた。
「いつか俺がアイドルじゃなくなって、鷹宮蒼って存在が世間に忘れ去られて、俺の歌を口ずさむ人さえいなくなっても、俺は……唯ひとりの人のために歌い続けたい」
 腕の中で、くるりと身体の向きを変えられる。
 目の前に蒼の顔があって、あたしたちは見つめ合う。
「流行も追わない、洒落たフレーズもない。愛と、真実と、その人を想う気持ちだけを素直に言葉にして……そんなつまらない歌を、君は聴きたいと思う?」
「うん、聴きたい……好きな人が、自分のために歌ってくれるなら」
 あたしの答えに、蒼はいかにも嬉しそうに目を細めて、にっこりと笑った。
「だったら、俺はその歌を藍のために歌う」

 ――俺の、愛する人のために。

 このタイミングでそんなこと言うなんてひどいと思った。
 だって、あたしはまた泣いてしまった。
 蒼のせいで、今夜は涙腺が決壊しっぱなしだ。

 どちらからともなく唇が触れる。
 お互いの気持ちを確かめ合うような、激しく狂おしく、そして深い深いキス。
 蒼の手が、再び意思を持って動き始める。
 重ねた身体の間に生まれる熱、解け合う吐息、絡み合う指たち、甘い囁き。
 愛し合うって音楽みたい。
 だとしたら、あたしを奏でるのはいつまでも蒼であって欲しい。

 ねえ、約束だよ、蒼。
 いつまでもこうして、あなたの歌をあたしに聴かせて。

 あなたの愛を、聴かせて。
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