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時和雪

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 どこからか、そよそよと草花の芳香が漂ってくる。
 意識が浮上してくるのと同時に、ゆっくりと瞼を持ち上げてみる。視線の先には一本の畦道が、どこか遠くへと誘うようにまっすぐ延びていた。

「どこだ、ここ……?」

 上半身を起こしながら目を凝らしてみるが、ここら一帯に居を構えるようにして、田んぼが土地を占領していること以外は判らない。

 これまでの経緯を思い出してみる。俺はたしか、交差点を歩いていたはず。なのに突然目の前が真っ暗になって、それから地面に穴が空いて、電流みたいなものが流れて……。

「って、うわ。鞄がない……」

 落ちた時にうっかり手を離してしまったんだろう。現在地を確認しようにも、スマホがないんじゃ確認しようがない。
 諦めてよろよろと立ち上がると、俺はとりあえずこの先へと続く畦道を歩くことにした。

 前に進んでいっても、横に流れる景色は変わらない。そのせいか、落下地点から前進している気がまったくしなかった。

(前に進んでるのか? それとも後退してるのか?)

 不安になって振り返ってみるが、何も判らない。

 再び前を向いて、のろのろと歩き出す。すると、前方から誰かが走ってくるのが見えた。
 よかった! とにかく今は誰でもいいから会いたい気持ちでいっぱいだったから、素直に嬉しい。

「お~い!」

 普段ならまずしないけど、俺は嬉しさのあまり走ってくる人影に向かって大きく手を振った。

 段々と近づいてくる誰か。別に期待したわけではなかったが、その人は走るのに夢中のようで、俺の呼びかけには応えてくれなかった。
 体格からして、たぶん男だ。それも俺と同い年か、少し上くらいの年齢だ。
 距離が縮まっていって、あと十メートル、あと五メートル、あと――。

「あのっ! こんな話信じてもらえないかもしれないんですけど、俺穴から落ちてきたんです!」

 勇気を振り絞ったつもりだったが、男はそんな俺に構わず、すっと横を通り過ぎていった。

「ちょっ! 待って‼」

 男はあっという間に俺との距離を離していく。いつしか男の背中は、遥か遠くの景色に吸い込まれていくように消えていった。

 せっかく見つけた人だったけど、なぜか先を急いでいるようだったし仕方がない。そう思い、俺はまた畦道をてくてく歩き始めた。

 一歩一歩土の感触を確かめながら、さっきの男の様子を思い出す。男は今俺が向かおうとしている方向から、死に物狂いで走ってきたようだった。

 例えるなら、そう。何か恐ろしいものから逃げるみたいに――。

 そこまで考えて、一度足を止めた。
 ここまで深く考えないで歩いてきたが、もしかしたら俺が向かおうとしているこの先は、危険な場所に繋がっていて、本当は今からでも引き返した方が良いのかもしれない。

「……」

 引き返すという選択肢に、足の向きを変えようとしたその時。

「あっ! なんか知らない人、発見っ!」

 いつの間に接近していたのか、俺のすぐ真ん前にガラの悪そうな連中が集まっていた。ざっと見たところ、俺とそう年の変わらない者ばかりだ。

 その集団の中から一人、俺を指さしてにたりと嗤っている奴がいた。そいつは猫背で痩せこけており、糸のような細目が特徴的だった。

「なあ、さっきここを通っていった奴がいただろ?」
「は、はあ……」
「そいつと何か喋ったか?」
「い、いえ……」

(思いっきり無視されたから、それどころじゃなかったし……)

 俺の煮え切らない態度に「やっぱりこいつ怪しいぜ!」と、次から次へと野次が飛んでくる。
 連中の言葉に一瞬嫌な予感を覚えた俺は後退った。

「こいつを取っ捕まえて、リーダーに差し出すか!」
「「「はい」」」

「――へ?」

 青年たちは近づいてくるなり、がしっと両腕を掴んできた。

(嘘だろ……?)

 抵抗するも、そいつらの腕力が凄すぎて、俺なんかの力じゃ到底歯が立たない。

「これからこいつを根城に連れていく。お前は今から逃げた奴の生死を確認してこい」
「はい!」

 糸目の指示に小柄な少年は元気よく返事をし、俺が歩いてきた方に向かって駆けていった。
 って、傍観している場合じゃない! どこに連れて行く気だよ――⁉

 もう一度限りなく低い可能性に賭けて、腕に力を込めてみる。が、強固な拘束からは当然逃げられそうにもなかった。

「じゃあ、行くか」

 糸目が先頭に立って、不良集団がぞろぞろと動き出す。その様は異様で、俺は生け捕りになった気分だった。
 
(これから、どうなるんだよ……)

 全身が不安と恐怖に蝕まれていく。
 結局為す術もなく、俺はそのまま謎の不良集団によって、見知らぬ場所へと連行されていくのだった。
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