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第四章 明けぬ夜の寝物語

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(第四章へ向けて)

※ここから過去編の最終章です。
主人公ナシェルはちょうど成神(約1000歳、人間の年齢だと20歳ぐらいのイメージです。

この章では父王×息子のゴタゴタ以外に、ラスト付近にNL18禁シーンが出てきます。ご注意ください。


(※この第四章のラストが、本編第一部の最初の内容に繋がっています)↓




****(ここからスタートです)




 うるわしの永久とわの夜の都。

 地の底の世界に、そう讃え称される都がある。

 人の世ならぬ都。現世ではなくの世を統べる神の造り給いし都のことだ。
 遠目に見ればその荘重さから、闇の天幕の内に仄光る蒼水晶に喩えられる。

 暗黒の都ではあるが全景がほのかに光っているように見えるのは、の神のつかさが都全体を覆い、この地底世界の瘴気から住む者らを守っているからである。

 『絢爛豪華』、『暗欝にして頽廃的』、『精美かつ堅牢』。
 この都を形容する言葉は百様にも存在するが、どの語彙も、最上級の賛辞というには少し物足りまい。
 どんな言葉も、この都が帯びる様々な性格の全てを表しきることはできないのだ。

 ただ一つ確かな事は、その都が数千年の歴史を経て『古き都』と称されるようになった今でも、訪れる者にとって媚香のように魅力的であり、立ち去り難い場所である、ということだけ。

 都はかの大いなる闇神の御手によって遥か昔に築かれて以来、繁栄を続け、この先も恒久的な弥栄を約されていると云ってよい。

 しかし、賑やかなればこそ、際立つのは美しさばかりではない。
 麗しの都は今や、実にさまざまな顔を持っていた。
 そこに住む魔族たちの物憂い俗気や、裏通りから漂ってくるほのかな悪臭もまたこの都の側面。

 しかしそれを、表通りや丘の上に聳える冥界貴族の家々の煌びやかさや、彼らの上質な香水の香りが巧妙に覆い隠して、表面的には“麗都”と称されるに至っているのだ。

 「表通りを飾る富」と、「裏通りに仕舞い込まれた貧困」の格差さえ、この都の状景に深みを与える対比コントラストのようでもある。

 都が訪れる者の心を捉えて離さぬ理由はその多面性、培われてきた善悪さまざまの歴史、…そして何より大いなる御威みいつがこの都を常に守護しているからこそ感じる、一種の麻薬的な“居心地の良さ”にあるのだろう。



 ……通りには、夜会へ出掛ける貴族たちの二頭立ての馬車が行き交う。
 飾り窓につけられた紋章を見ればどこの爵家の馬車かは瞭然。

 馭者同士、すれ違う折には帽子をとって洗練された仕草で同業者に挨拶を交す。
 しかしめかし込んだ馭者たちも、無暗に馬の前を横切ろうとする物売り等には容赦ない。「退け退け」という鋭い声を飛ばして馬を追い立てる。

 道を空ける平民らも馴れたもので、とりたてて慌てる様子はない。爵家が醜聞を嫌って、むやみな事故など起こさぬと分かっているのだ。

 等間隔に立燈の並ぶ橋の上では、若い男女が欄干に腰かけて長々と恋語らい。
 その橋の下では、一夜の食い物にも困る浮浪者が襤褸布にくるまって暖をとっている。
 酔っ払いの大声が細い裏路地におんおんと響き渡り、騒音を聞きつけて高い窓から顔を出した娼婦が、さらに大声で酔っ払いを罵る。
 酔っ払いは道端に吐瀉すると、袖で口をぬぐい、千鳥足で宵闇に消えて行く。

 美も醜もすべて、果つることのない永久の夜のうちに綿綿と培われてきた、この都の日常。



◇◇◇



 そうした都の殷賑いんしんたる宵闇の隙間を縫うようにして、外套をすっぽりと被った細身の長身の人影がひとつ、大通りを抜けて丘のほうへ上ってゆく。
 「丘」とはいわゆる貴族街である。そちらは大通りや裏路地の喧騒とは様子が異なり、閑静といってよい街並みが広がる。主に冥界公爵、侯爵位を持つ大貴族たちの都における「別邸」が並んでいるのである。(貴族たちはおおむね、各々の領地に本邸を所有している)


 フードを頭からかぶって面相を隠した男性らしき人影は、ずらりと並ぶ大邸宅のうちの一つ――某・公爵家の屋敷の敷地に近づいた。

 槍のように鋭い柵に囲まれた敷地内には、手入れされた古典的な庭があり、そこに立つ巨大な椎の木が、その枝を四方へ伸ばしていた。
 ひとつの枝は敷地を囲む柵のそばまで。
 そして他方の枝は、公爵の屋敷の別館の、二階の露台バルコニーのそばにまで。


 辺りに素早く視線を投げ、誰も居ないのを確認すると、その人影は、やおら黒豹のごとき敏捷さで地を蹴り、尖った柵を易々と乗り越え、枝をたわわに張ったその椎の木に飛び移った。
 枝が重みを吸ってたわむ。

 枝の揺れが収まったと見るや、外套の人影はそのまま枝の上を渡り、公爵家の離れの2階の露台に、ひらりと着地した。音もなく滑らかな動作であった。

 やすやすと公爵邸に忍び込んだ侵入者は、周囲の静けさに変化が無いのを確かめると外套のフードを脱ぎ、白い頬を外気に晒した。

 一目見れば、此の者が、この都に住む数十万の魔族の誰よりも高い魔力を持っていると判ぜられるだろう。押し殺していても、放つ気が、只者とは異なっている。

 蒼き炎と讃うるに足る、強い瞳。そのあまりに優美かつ“居丈高さ”を隠すことのできぬ眼差しは、もはや見る者をたちまち屈させる瞳術の域にまで達している。睫毛は雨のしずくの受け皿のごとく長く、緻密に生え揃っていた。
 髪は黒絹のようになめらかに、腰まで届く長さ。

 柳木とも見紛う長身を飾り気のない外套に包んで、市井しせいの男に身を窶してはいるが、身の内から滲み出る気品は隠しようもなかった。――象牙細工のごとき美人である。


 ―― その者(もうお気づきかもしれないが、今はまだ青年と呼ぶにとどめよう)は公爵家の離れの露台に立ち、2階の窓から内側を覗いた。
 窓の内には何者の気配もなく、ともし火すら点いてはおらぬ。
 無人であるため当然、窓には鍵がかけられていた。

 青年は若干眉根を寄せ、ならば部屋の主が戻るまでここで待つか、とばかり、露台の石床に腰を降ろした。玻璃ガラス窓に背を預ける。

 膝を折って両腕で囲み、膝頭の上に顎をのせる。長い髪が石床に触れた。
 その姿勢のまま、青年は考えごとでもするかのように、抱えた腕の合間に顔を伏せて濃藍の双眸を閉ざした。

 しなやかな体がそうして丸くなる様は、猫科の獣がうたた寝をする時の様子に似ている。
 ――隙だらけのようにも見えるが、その実、少しの油断も無く周囲に気を配っているのである。
 猫科の獣が、熟睡はせずに、尻尾を動かしていつでも動けるよう備えているのと同じ姿勢なのであった。

 地上と異なり月耀のない世界である。都の結界の外の空では、魔獣の群れが翼をはためかせて赤黒い瘴気の空を舞っていた。







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