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第三部 天 獄
11羽搏き往くもの②
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剣を一閃させるたびにヴァニオンは思い知る。力の差は、歴然。相手を包む『剣の精霊』が見えない障壁となってヴァニオンの剣戟を防いでいるのだ。これでは当たるわけがない……!
幼い頃からナシェルの相手をしてきたヴァニオンである、神種と魔族の違いは理解しているつもりだったが、やはり神とは、これほどのものか。格の違いを通り越して、これでは一方的すぎて卑怯というものだ。
だがナシェルを助け出すまでは退けない。
「……ヴァニオン…、何故戻ってきた……? お前では…、相手にならん……ここは、もう引け……ッ!」
擦れた声がそれ以上の争いを制止するも、ヴァニオンにとってそれは己の台詞を取られたも同然。
お前のほうこそ、ここを切り抜けてから云いやがれ! 串刺しになってもまだ、自分が囮になる気でいんのか……!
ちらと見れば、無事なほうの手で神剣を拾い上げ、それを杖に緩慢な動作で立ち上がったナシェルの、比類無き美貌が苦しげに歪んでいる。
右肩から背中に生やしたままの血塗れた槍が、朝日を浴びて、黒天馬の片翼の骨格かと一瞬ヴァニオンに錯覚させるほどに凄絶な黒光を放っていた。
「ナシェル!」
駆け寄ろうにも二人の間にはレストルが立ちはだかり、絶対的なまでの種族の能力差を見せ付けてくる。
「ヴァニオン……もう止せ、」
主君は拾い上げた剣を構えようとはしなかった。だらりと下がった両腕の間、やや右寄りに、鮮血に染まった短槍の先が突き出し、そこから樽にでも汲めるのではと思しき量の血が溢れ出している。
「助力はありがたいが、もう終わりだ……、引け。上の連中が……見えぬのか」
「……ッ」
負けを認めるというのか。
だが深手を負った主君の度重なる制止を受ければ、ヴァニオンとて剣を引かざるを得ない。
助太刀をあきらめ茫然と構えを解くヴァニオンと、抵抗をあきらめさせたナシェルを交互に振り返り、レストルが意外そうに眉を上げる。
「ほう……諦めたか、冷静な判断だな」
「用とやらが、済むまでは、……どうせ、私を……手放す気はないだろう」
ナシェルの燦然たる群青の瞳が、粉雪の如く白羽を舞わす天馬の群れを振り仰ぐ。
(そうだ、奴らが現れた時点でもはや抵抗は無意味……。多勢に無勢だ。軍勢を持たぬこちらには勝機などない。
いや……もっと前から勝敗は決まっていた。ルゥの神司に天上の神々が反応を示した時点で――。
さらにいうならば、そもそもあの裂け目を越えて冥王の支配の及ぶ世界の外へあいつらを出したこと…この私の失態が招いた結果だ。
だが、こいつらの興味は幸いルゥからこの私に移っている……。かつて冥界に堕ちた突然変異種『闇神』の分身であるこの私に……。
ならば今は、私が招きに応じてやろう。貴様等のいうとおり、私は異端の神の子だ。
さあ私を捕らえ、見世物にし、黒き穢れと謗るがいい。
私には天への怯懦などない。
貴様らにどれだけ悪罵されようとも私の魂には傷ひとつつけることはできぬ。堕神の子としてこれまで卑屈な生を送ってきたと思うなよ。私のほうこそ異端を悪としか見ることのできぬ狭量な貴様らを嘲笑してやる。
さあ私を引き摺り倒し捕縛しろ。
私の大事な者たちが、それで救われるというならば、私はこの神としての生をも投げ打つ覚悟ができている。
死なば創世界に転位して、全てを生んだ創世神に憤怒の刃を向けるだけのこと。
静寂の闇に取り残される宿命の、我が父の代わりに……)
「剣を捨てろ、そこの魔族」
そう命ぜられたヴァニオンが、ちらりとナシェルを窺えば、白い貌をさらに蒼白くした主君は指示に従えとばかりに僅かに顎を下げる。
だが大粒の汗を滴らせながらも、その眼光は決して撓むことはなく真っ直ぐにヴァニオンを捉えていた。
(私は大丈夫だ、ヴァニオン。お前はここで退け。腐りきった連中だが、降参した者の命まではとるまい)
そう目線だけで伝えてくるのが判った。
片翼の黒き天馬のごときその姿を、動きを制せられたヴァニオンはただ見つめるしかない。
駆け寄ることすらできずにだ。
(お前は……お前はどうするってんだよ……?)
怒りの炎が鎮まった後の、ぽっかり穴のあいた脳味噌には恐ろしい想像ばかりが押し寄せる。
凍りついた指を何とか柄から引き剥がすと、ヴァニオンの剣は持ち主の手をやっと離れた。
剣を捨てたヴァニオンを背後から蹴り倒したレストルは、背中にどかりと尻を乗せてくる。
「畜ッ生……」
「兄貴ィ、その魔族どうする? 無罪放免ってわけにはいかないだろ」
「ふん、さて、どうするかな」
「……用があるのはこの私のはずだ……その者に手出しは、止してもらおう……」
ナシェルが声を振り絞る。意識が朦朧としてきたのか、ぐらりと頭が傾いだ。揺れた黒髪の先から、点々と血が滴っている。
「ふん、魔族の親玉に成り下がった堕神の子にしては、見上げた心意気だな。……とりあえず連中に降りてきてもらうか」
レストルが天に向けて合図を送ると、白天馬の一軍が翼をはためかせながら、地表にばらばらと舞い降りてきた。
ヴァニオンは地面に這いつくばったまま無理矢理首を捻って彼等を観察する。
天の住人たち……それも若い神々による、自警団とでもいうのだろうか……。近くに降り立った姿をみると意外にも、冥界軍にみられるような統率性は感じられない。纏う戎装もさまざま、持つ武器も然り。そして、一体誰が一団の長であるのかさえ判らぬほど、降り立った場所もさまざまだった。
レストルに声を掛けてくる者、こちらを差しながら何事か話し合い嗤っている者……。
(まるで規律がない……。やっぱこいつら、軍隊じゃねえ……ただの寄せ集めだ、)
それに気づいた瞬間、ぞわっとした嫌な感覚が背筋を奔り抜ける。
こんな連中が、ナシェルに、一体何の用があるというのだ。
焦燥に駆り立てられるようにナシェルを振り仰いだヴァニオンは、思わず己の状況も省みず叫んだ。
「やめろ!!」
深手を負った彼の主君はアドリスに引き摺り倒され、ヴァニオンと同じように地に這っていた。
「ナシェル!」
突き倒されたナシェルは最低限の受け身もとらぬまま前のめりに倒れ、微動だにせぬ。意識があるのか無いのか、ヴァニオンの必死の呼びかけにも応じることなく瞼を閉じている。
背中に受けた槍の柄がまっすぐに中空を指していた。
――アドリスが、地に這わせたナシェルの背中に足を乗せ体重をかける。
かすかにナシェルの表情が歪んだ。まだ意識があるのだ……!
「止せ、やめろ……! やめてくれ」
激しく身じろぎするヴァニオンの茶黒の髪を、上に乗るレストルがぐいと掴んだ。顎が仰け反らされる。
「ぎゃあぎゃあと五月蝿い魔族だな、お前の助太刀がもう少し早かったら、こんなことにならずに済んだかもしれぬのだぞ。せいぜい後悔するがいい」
アドリスが、ナシェルの背に突き立つ短槍の柄に手をかける。ぎりりと握り、それを抜く素振りだ。
「やめろォォ―――!!」
絶叫するヴァニオンの、見開かれた目の先で、短槍が一息に背中から引き抜かれた。
彼は至近に目撃させられたのだ。
堰をきったように溢れ出した鮮血が、アドリスの足をも真っ赤に染めていく様を。
まるで、美酒の栓を抜いたかの如き光景であった。
「……、」
意識を失う直前、蒼紫に変じたナシェルの唇が何事か苦しげな呟きを漏らしたように見えた。
「主君のお陰で命拾いしたな、魔族。だがお前もうるさすぎる、ちょっと黙っててもらおうか」
掴まれていた髪が離れたかと思うや、首筋に手刀を食らい、ヴァニオンも直ぐに意識を失った。
幼い頃からナシェルの相手をしてきたヴァニオンである、神種と魔族の違いは理解しているつもりだったが、やはり神とは、これほどのものか。格の違いを通り越して、これでは一方的すぎて卑怯というものだ。
だがナシェルを助け出すまでは退けない。
「……ヴァニオン…、何故戻ってきた……? お前では…、相手にならん……ここは、もう引け……ッ!」
擦れた声がそれ以上の争いを制止するも、ヴァニオンにとってそれは己の台詞を取られたも同然。
お前のほうこそ、ここを切り抜けてから云いやがれ! 串刺しになってもまだ、自分が囮になる気でいんのか……!
ちらと見れば、無事なほうの手で神剣を拾い上げ、それを杖に緩慢な動作で立ち上がったナシェルの、比類無き美貌が苦しげに歪んでいる。
右肩から背中に生やしたままの血塗れた槍が、朝日を浴びて、黒天馬の片翼の骨格かと一瞬ヴァニオンに錯覚させるほどに凄絶な黒光を放っていた。
「ナシェル!」
駆け寄ろうにも二人の間にはレストルが立ちはだかり、絶対的なまでの種族の能力差を見せ付けてくる。
「ヴァニオン……もう止せ、」
主君は拾い上げた剣を構えようとはしなかった。だらりと下がった両腕の間、やや右寄りに、鮮血に染まった短槍の先が突き出し、そこから樽にでも汲めるのではと思しき量の血が溢れ出している。
「助力はありがたいが、もう終わりだ……、引け。上の連中が……見えぬのか」
「……ッ」
負けを認めるというのか。
だが深手を負った主君の度重なる制止を受ければ、ヴァニオンとて剣を引かざるを得ない。
助太刀をあきらめ茫然と構えを解くヴァニオンと、抵抗をあきらめさせたナシェルを交互に振り返り、レストルが意外そうに眉を上げる。
「ほう……諦めたか、冷静な判断だな」
「用とやらが、済むまでは、……どうせ、私を……手放す気はないだろう」
ナシェルの燦然たる群青の瞳が、粉雪の如く白羽を舞わす天馬の群れを振り仰ぐ。
(そうだ、奴らが現れた時点でもはや抵抗は無意味……。多勢に無勢だ。軍勢を持たぬこちらには勝機などない。
いや……もっと前から勝敗は決まっていた。ルゥの神司に天上の神々が反応を示した時点で――。
さらにいうならば、そもそもあの裂け目を越えて冥王の支配の及ぶ世界の外へあいつらを出したこと…この私の失態が招いた結果だ。
だが、こいつらの興味は幸いルゥからこの私に移っている……。かつて冥界に堕ちた突然変異種『闇神』の分身であるこの私に……。
ならば今は、私が招きに応じてやろう。貴様等のいうとおり、私は異端の神の子だ。
さあ私を捕らえ、見世物にし、黒き穢れと謗るがいい。
私には天への怯懦などない。
貴様らにどれだけ悪罵されようとも私の魂には傷ひとつつけることはできぬ。堕神の子としてこれまで卑屈な生を送ってきたと思うなよ。私のほうこそ異端を悪としか見ることのできぬ狭量な貴様らを嘲笑してやる。
さあ私を引き摺り倒し捕縛しろ。
私の大事な者たちが、それで救われるというならば、私はこの神としての生をも投げ打つ覚悟ができている。
死なば創世界に転位して、全てを生んだ創世神に憤怒の刃を向けるだけのこと。
静寂の闇に取り残される宿命の、我が父の代わりに……)
「剣を捨てろ、そこの魔族」
そう命ぜられたヴァニオンが、ちらりとナシェルを窺えば、白い貌をさらに蒼白くした主君は指示に従えとばかりに僅かに顎を下げる。
だが大粒の汗を滴らせながらも、その眼光は決して撓むことはなく真っ直ぐにヴァニオンを捉えていた。
(私は大丈夫だ、ヴァニオン。お前はここで退け。腐りきった連中だが、降参した者の命まではとるまい)
そう目線だけで伝えてくるのが判った。
片翼の黒き天馬のごときその姿を、動きを制せられたヴァニオンはただ見つめるしかない。
駆け寄ることすらできずにだ。
(お前は……お前はどうするってんだよ……?)
怒りの炎が鎮まった後の、ぽっかり穴のあいた脳味噌には恐ろしい想像ばかりが押し寄せる。
凍りついた指を何とか柄から引き剥がすと、ヴァニオンの剣は持ち主の手をやっと離れた。
剣を捨てたヴァニオンを背後から蹴り倒したレストルは、背中にどかりと尻を乗せてくる。
「畜ッ生……」
「兄貴ィ、その魔族どうする? 無罪放免ってわけにはいかないだろ」
「ふん、さて、どうするかな」
「……用があるのはこの私のはずだ……その者に手出しは、止してもらおう……」
ナシェルが声を振り絞る。意識が朦朧としてきたのか、ぐらりと頭が傾いだ。揺れた黒髪の先から、点々と血が滴っている。
「ふん、魔族の親玉に成り下がった堕神の子にしては、見上げた心意気だな。……とりあえず連中に降りてきてもらうか」
レストルが天に向けて合図を送ると、白天馬の一軍が翼をはためかせながら、地表にばらばらと舞い降りてきた。
ヴァニオンは地面に這いつくばったまま無理矢理首を捻って彼等を観察する。
天の住人たち……それも若い神々による、自警団とでもいうのだろうか……。近くに降り立った姿をみると意外にも、冥界軍にみられるような統率性は感じられない。纏う戎装もさまざま、持つ武器も然り。そして、一体誰が一団の長であるのかさえ判らぬほど、降り立った場所もさまざまだった。
レストルに声を掛けてくる者、こちらを差しながら何事か話し合い嗤っている者……。
(まるで規律がない……。やっぱこいつら、軍隊じゃねえ……ただの寄せ集めだ、)
それに気づいた瞬間、ぞわっとした嫌な感覚が背筋を奔り抜ける。
こんな連中が、ナシェルに、一体何の用があるというのだ。
焦燥に駆り立てられるようにナシェルを振り仰いだヴァニオンは、思わず己の状況も省みず叫んだ。
「やめろ!!」
深手を負った彼の主君はアドリスに引き摺り倒され、ヴァニオンと同じように地に這っていた。
「ナシェル!」
突き倒されたナシェルは最低限の受け身もとらぬまま前のめりに倒れ、微動だにせぬ。意識があるのか無いのか、ヴァニオンの必死の呼びかけにも応じることなく瞼を閉じている。
背中に受けた槍の柄がまっすぐに中空を指していた。
――アドリスが、地に這わせたナシェルの背中に足を乗せ体重をかける。
かすかにナシェルの表情が歪んだ。まだ意識があるのだ……!
「止せ、やめろ……! やめてくれ」
激しく身じろぎするヴァニオンの茶黒の髪を、上に乗るレストルがぐいと掴んだ。顎が仰け反らされる。
「ぎゃあぎゃあと五月蝿い魔族だな、お前の助太刀がもう少し早かったら、こんなことにならずに済んだかもしれぬのだぞ。せいぜい後悔するがいい」
アドリスが、ナシェルの背に突き立つ短槍の柄に手をかける。ぎりりと握り、それを抜く素振りだ。
「やめろォォ―――!!」
絶叫するヴァニオンの、見開かれた目の先で、短槍が一息に背中から引き抜かれた。
彼は至近に目撃させられたのだ。
堰をきったように溢れ出した鮮血が、アドリスの足をも真っ赤に染めていく様を。
まるで、美酒の栓を抜いたかの如き光景であった。
「……、」
意識を失う直前、蒼紫に変じたナシェルの唇が何事か苦しげな呟きを漏らしたように見えた。
「主君のお陰で命拾いしたな、魔族。だがお前もうるさすぎる、ちょっと黙っててもらおうか」
掴まれていた髪が離れたかと思うや、首筋に手刀を食らい、ヴァニオンも直ぐに意識を失った。
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