43 / 116
遺体争奪編
洋上決戦 3
しおりを挟む
「メルクリウス殿! 戦艦をやらないと意味がない!」
ナギサが叫ぶ。
第二撃の指示を飛ばそうとしていたメルクリウスがナギサを見て、合図を出すべく上げていた手を下げた。弓を持て、とメルクリウスが指示を出すと、翼人族の一人が船室に入って行った。他の面子は防備に入りだす。捕まえた人を、死体を、敵船側に並べて簡易的な肉盾が作り上げられた。
「えっぐいことすんねえ。あの見た目で」
ロルフが口を緩めていった。雰囲気も軽いが、目が笑ってない。
「恐怖は伝播するからな」
現にメルクリウス側の小型船に乗る軍人の顔色は、追いついた当初とは比べ物にならないほどに悪い。
メルクリウスに弓が渡る。グシスナウタルを取り出して、弓に番えた。
「奥義、完全解放」
純白の翼が大きく広がる。小型船にのる指揮官の指示に対して、ばらばらに攻撃が発射された。残りの翼人族がメルクリウスに当たりそうなものだけを防いでいく。船の揺れなどものともせずに、矢が引き絞られた。一帯の魔力濃度が行き詰まるほどに濃くなる。
「くたばれ。屑ども」
特濃の魔力が込められた矢が放たれた。
砲弾を躱し、歪な軌道を描いて金色の矢が果てに消えていく。戦艦に吸い込まれるように伸び、障害を無視して戦艦に当たった。見えたわけではないが、ナギサには砲身を出す小窓からすり抜けて用意してあった砲弾に当たったように視えた。ここまで響く轟音が鳴り、戦艦の半ばから火の手が上がる。大砲が海に落ちる。ばらばらと色々なものが海に落ちて、更なる爆発を起こした。グシスナウタルが主人の下へと返ってくる。
「何でメルクリウスがグシスナウタルを持ってんだ?」
威嚇に近いロルフの顔を隠すようにナギサは位置取りを変えた。
メルクリウスが普通の矢を小型船に三回射かけた。削り取るように軍人を七人射殺し、乱れを起こす。追撃を部下に任せて、メルクリウスが鉄甲船に向けて弓を引いた。
直後、海が下から揺れる。
ナギサは甲板の上を滑りながら縁を掴んで止まった。ロルフも左手で船に捕まり、大剣はきっちりと小型船を威嚇していた。小型船の軍人も揺れに驚いたように体勢を崩している。
「何が」
そこまで言って、ナギサの目に原因が映った。
軟体動物の足だ。巨大な、吸盤の着いた触手だ。
クラーケンの足が海面に上がったのだ。
探ると、大きな魔力が大分海面近くに浮かび上がっており、戦艦と他の船の間に位置している。触手の多くは暴れまわっているが、二本は壊れかけの戦艦を明らかに狙っていた。
「ここに来て三つ巴かー」
剣を筒に変えて、ロルフが迫りくるクラーケンの足を吹き飛ばした。先がロルフの方にいる小型船に落ちる。船のバランスが崩れて、距離が開いた。クラーケンの更なる足が小型船を絡めとり、軍人の攻撃がクラーケンに集中した。
副作用か、鉄甲船からの砲撃が近くに着弾する。
「こっちもか!」
ロルフの吐き捨てる言葉に合わせたかのように、メルクリウスからグシスナウタルが発射された。鉄甲船に伸びるが、弾かれたかのように中に入ることはできずに戻ってくる。鉄甲船は揺れたのでダメージがないわけではないが、破るのにはもう少し攻撃する必要がある。
(それを許してはくれないか)
多勢に無勢。メルクリウス側の小型船の攻撃は確実に翼人族を押し、船に小さくない影響を及ぼし始めている。
鉄甲船の防御力に目を大きくしていたメルクリウスも、すぐに小型船への攻撃を開始しなければならないほど。そして、音が大きく成ればクラーケンの足が襲ってきて、種族に関係なく船に乗る者はそちらに攻撃を割かれる。
「クノヘ! さすがに手が足りない!」
奥義を解放して足に爪を生やしたロルフが、人間の攻撃に対応しながらクラーケンの攻撃をいなしている。いや、船に矢や弾が当たっているので対応しきれているとは言えないが。
クラーケンのものと思われる魔力反応はまだ動いていないのが二つある。動いているのも二つ。戦艦はもう駄目だろう。
(残り二つも暴れだしたらどうなる?)
恐らくは、小型船などでは一たまりもないだろう。そうなれば鉄甲船に乗っている奴らぐらいしか生き残れない。いや、鉄甲船でもこれだけのクラーケンに対応できるのか。
「炎よ」
ナギサが炎を放つ。触手が踊り、海に戻って行った。
戻って行ったはいいものの、本体からすれば大して影響はでないだろう。食事のためなら無駄に出てはこないと思いたいが。果たして。
ナギサはいち早く藻屑になった戦艦の方に意識を集中する。特段、海に落ちた人が死んだわけでも食われたわけでも、体が欠損したわけでもなさそうだ。
(静かにしたいだけか……? 起こされた騒ぎの元を消したいのか、縄張りを荒らされたと思ったのか)
「ロルフ、もうしばらく頼む」
「頼りになる男ってのも楽じゃないねえ」
了解の返事を得たナギサは、バランスを取るのを諦めて海水に濡れた船の上をカーリングの石のように滑って船室に入って行った。
「クラーケンから逃げ切ることは可能か?」
勢い止まらず壁に当たりそうになるが、足を壁に当てて体全体の激突を防ぐ。
「速度は問題ないが、この状況じゃあ無理だ。気を配らなきゃいけねえのは怪物だけじゃない。どこから出て」
船が揺れて、船長の言葉が途切れた。「ぐべ」という潰れた声を出して船員が滑り、壁に当たる。
「どこから出てくるかもわからねえ以上は、人間がいなくても逃げ切れる可能性は高くない」
体をさする暇もなく、船員が手足をがむしゃらに動かして持ち場に戻って行く。
「どこにいるかさえわかればいいんだな。人間からの攻撃はこちらに任せろ」
曲げた足を伸ばして、滑りながら船室から出る。矢玉を刀で弾き、波の揺れで跳ね上げられるも尻尾も駆使して船にしがみついた。
「メルクリウス殿、こちらにお移り下さい」
メルクリウスが勢いよく振り返った。ナギサもそれ以上は何も言わずに、ただ頷く。メルクリウスの顔がゆっくりと戻った。
「退け。ウルテジモ、デルニエ、そなたらは私と共に殿を務めよ」
二人の男が縦に小さく頭を動かした。
縦に動かした者の翼が大きくなり、矢の雨を降らす。その間に船室に残る人を呼び出し、四人が一目散に、二人が左右を警戒しながら、二人が後ろを向き時折矢を放ちながら飛んできた。
「クノヘ。速度が出なくなるぞ」
「船をぶっ壊してでも魔力を回させろ。ここを離脱できれば遅くなっても問題ない」
ロルフに返して、ナギサが飛んできた人を船室に入れていく。
最後にこれまで乗っていた船を盛大に爆発させて、メルクリウスら三人が船に降り立った。燃え盛る船を小型船がさけて、クラーケンが海に沈めていく。人間の小型船はしっかりと距離を取りながら、クラーケンの脅威があるにもかかわらずこちらに対しては焦っていないようだ。
「ナギサさん、何を」
「メルクリウス殿は遠距離を中心にした援護を、ロルフはこれまで通り近距離を頼む」
説明するのを後回しにして、ナギサは刀の先を鞘に入れていく。
「奥義、解放」
視界が上がり、船が沈む。先程までは一角にしがみつくようにして保っていた体の安定を、四本の脚を縁に当てて突っ張り棒のように船に体を張って保つ。自身の毛皮が、海水によって濡れて、ナギサの体にへばりついた。
「クノヘ、これは流石に重量オーバーだって」
「クラーケンを起こしたらすぐに終わる」
「は?」
顔を上げて叫ぶロルフを無視して、ナギサは八本の尻尾を海に突き刺した。メルクリウスと殿を務めた二人が矢を射て小型船に牽制を入れる。ナギサは魔力の塊の位置を把握し、火球を放った。少しルートを変えて、何発も。確かな手ごたえを感じ、海が暴れだす。小型船の上の人が鞠のように船上で跳ね、波にさらわれて船同士の感覚が目まぐるしく変わって行く。
「奥義、変化」
八本の尻尾を引き抜きながらナギサが呟いた。視界が人間態と同じに戻るが、彼女には未だに四本の尻尾が生えており、狐耳もある。船の周りの海水が一気に減って、それから膨れ上がった。白い巨体のクラーケンが姿を現す。
ナギサは一瞥すると、様子見を行っている全員を無視して紫の実体のない炎をクラーケンに撃った。クラーケンに当たると、動きが止まる。と言っても残りの三体は暴れており、静かにはならない。
「最大船速で離脱しろ!」
ナギサが叫ぶ。
頭ごなしの指示でもきちんと仕事をしてくれたのか、船の速度が上がる。人間が着いて来ようとするが、先程ナギサの炎を受けたクラーケンの触手が邪魔をして追いかけることができない。離れたところを鉄甲船からの砲弾が襲い来るが、クラーケンへの当たることが多く、暴れていた二体が、潜って鉄甲船へと進んでいった。高く上がった波が船上のナギサの顔を打つ。口に入った分を吐き捨て、目の周りだけを拭った。更なる揺れが全員に膝をつかせる。
「中に入ろっか」
右手は剣を放さないように、左手は手すりをがっちりと掴んで流されたような姿勢のままのロルフが言った。船が跳ねる。強かに体を打ち付けた直後に、ウルテジモとデルニエがメルクリウスによって狙いすまされて船室に滑らされる。彼らもその扱いに慣れているのか、文句を言わずに姿勢を整えて船室に入って行った。
「クノヘ」
「ナギサさん」
先にという二人を見ずに、ナギサは口を開く。
「メルクリウス殿から先に」
「いざとなれば私は飛べます」
「翼人族を貴方以外がまとめることを陛下はお望みでしょうか」
高波が三人を覆った。既にべっとりと水気があったが、完璧に前髪が顔に張り付く。
ナギサがメルクリウスの方を見ると、眉を寄せて渋っている様だった。
「失礼」
ロルフの軽い声と共に、彼がメルクリウスの膝を掴んで、傾く船を利用して船室へと滑って行った。途中で傾きが変わるが、大剣を上手く使って船室へと入って行く。
「船酔いはやっぱり嘘じゃないか」
ナギサが最後にもう一度しっかりと周囲を確認する。
幻術にかかったクラーケンは二隻の小型船を襲い続け、一体は深海へと戻って行った。鉄甲船に向かった二体は、攻撃を激しく受けているためかこちらに来るよりも鉄甲船とその周りの三隻に攻撃を仕掛けている。あまりの激しさに船が大きく揺れているが、直接的な攻撃はこないだろう。
船が傾き、水が入った。炎を走らせて心ばかりの蒸発をさせると、ナギサは縁沿いに慎重に進み、安定した隙をついていっきに船室に滑って行った。入る直前に扉を掴むと一気に閉める。勢いが死なずにロルフをクッション代わりに壁にぶつかった。
「扱い酷くない?」
ごちん、派手に頭をぶつけたロルフが呟いた。
「他の人にさせるわけにいかないだろ。第一、ロルフならきちんと受け止めるって信頼してるから向かって行ったつもりだったんだが?」
「光栄なこって」
船が、また大きく揺れた。
ナギサが叫ぶ。
第二撃の指示を飛ばそうとしていたメルクリウスがナギサを見て、合図を出すべく上げていた手を下げた。弓を持て、とメルクリウスが指示を出すと、翼人族の一人が船室に入って行った。他の面子は防備に入りだす。捕まえた人を、死体を、敵船側に並べて簡易的な肉盾が作り上げられた。
「えっぐいことすんねえ。あの見た目で」
ロルフが口を緩めていった。雰囲気も軽いが、目が笑ってない。
「恐怖は伝播するからな」
現にメルクリウス側の小型船に乗る軍人の顔色は、追いついた当初とは比べ物にならないほどに悪い。
メルクリウスに弓が渡る。グシスナウタルを取り出して、弓に番えた。
「奥義、完全解放」
純白の翼が大きく広がる。小型船にのる指揮官の指示に対して、ばらばらに攻撃が発射された。残りの翼人族がメルクリウスに当たりそうなものだけを防いでいく。船の揺れなどものともせずに、矢が引き絞られた。一帯の魔力濃度が行き詰まるほどに濃くなる。
「くたばれ。屑ども」
特濃の魔力が込められた矢が放たれた。
砲弾を躱し、歪な軌道を描いて金色の矢が果てに消えていく。戦艦に吸い込まれるように伸び、障害を無視して戦艦に当たった。見えたわけではないが、ナギサには砲身を出す小窓からすり抜けて用意してあった砲弾に当たったように視えた。ここまで響く轟音が鳴り、戦艦の半ばから火の手が上がる。大砲が海に落ちる。ばらばらと色々なものが海に落ちて、更なる爆発を起こした。グシスナウタルが主人の下へと返ってくる。
「何でメルクリウスがグシスナウタルを持ってんだ?」
威嚇に近いロルフの顔を隠すようにナギサは位置取りを変えた。
メルクリウスが普通の矢を小型船に三回射かけた。削り取るように軍人を七人射殺し、乱れを起こす。追撃を部下に任せて、メルクリウスが鉄甲船に向けて弓を引いた。
直後、海が下から揺れる。
ナギサは甲板の上を滑りながら縁を掴んで止まった。ロルフも左手で船に捕まり、大剣はきっちりと小型船を威嚇していた。小型船の軍人も揺れに驚いたように体勢を崩している。
「何が」
そこまで言って、ナギサの目に原因が映った。
軟体動物の足だ。巨大な、吸盤の着いた触手だ。
クラーケンの足が海面に上がったのだ。
探ると、大きな魔力が大分海面近くに浮かび上がっており、戦艦と他の船の間に位置している。触手の多くは暴れまわっているが、二本は壊れかけの戦艦を明らかに狙っていた。
「ここに来て三つ巴かー」
剣を筒に変えて、ロルフが迫りくるクラーケンの足を吹き飛ばした。先がロルフの方にいる小型船に落ちる。船のバランスが崩れて、距離が開いた。クラーケンの更なる足が小型船を絡めとり、軍人の攻撃がクラーケンに集中した。
副作用か、鉄甲船からの砲撃が近くに着弾する。
「こっちもか!」
ロルフの吐き捨てる言葉に合わせたかのように、メルクリウスからグシスナウタルが発射された。鉄甲船に伸びるが、弾かれたかのように中に入ることはできずに戻ってくる。鉄甲船は揺れたのでダメージがないわけではないが、破るのにはもう少し攻撃する必要がある。
(それを許してはくれないか)
多勢に無勢。メルクリウス側の小型船の攻撃は確実に翼人族を押し、船に小さくない影響を及ぼし始めている。
鉄甲船の防御力に目を大きくしていたメルクリウスも、すぐに小型船への攻撃を開始しなければならないほど。そして、音が大きく成ればクラーケンの足が襲ってきて、種族に関係なく船に乗る者はそちらに攻撃を割かれる。
「クノヘ! さすがに手が足りない!」
奥義を解放して足に爪を生やしたロルフが、人間の攻撃に対応しながらクラーケンの攻撃をいなしている。いや、船に矢や弾が当たっているので対応しきれているとは言えないが。
クラーケンのものと思われる魔力反応はまだ動いていないのが二つある。動いているのも二つ。戦艦はもう駄目だろう。
(残り二つも暴れだしたらどうなる?)
恐らくは、小型船などでは一たまりもないだろう。そうなれば鉄甲船に乗っている奴らぐらいしか生き残れない。いや、鉄甲船でもこれだけのクラーケンに対応できるのか。
「炎よ」
ナギサが炎を放つ。触手が踊り、海に戻って行った。
戻って行ったはいいものの、本体からすれば大して影響はでないだろう。食事のためなら無駄に出てはこないと思いたいが。果たして。
ナギサはいち早く藻屑になった戦艦の方に意識を集中する。特段、海に落ちた人が死んだわけでも食われたわけでも、体が欠損したわけでもなさそうだ。
(静かにしたいだけか……? 起こされた騒ぎの元を消したいのか、縄張りを荒らされたと思ったのか)
「ロルフ、もうしばらく頼む」
「頼りになる男ってのも楽じゃないねえ」
了解の返事を得たナギサは、バランスを取るのを諦めて海水に濡れた船の上をカーリングの石のように滑って船室に入って行った。
「クラーケンから逃げ切ることは可能か?」
勢い止まらず壁に当たりそうになるが、足を壁に当てて体全体の激突を防ぐ。
「速度は問題ないが、この状況じゃあ無理だ。気を配らなきゃいけねえのは怪物だけじゃない。どこから出て」
船が揺れて、船長の言葉が途切れた。「ぐべ」という潰れた声を出して船員が滑り、壁に当たる。
「どこから出てくるかもわからねえ以上は、人間がいなくても逃げ切れる可能性は高くない」
体をさする暇もなく、船員が手足をがむしゃらに動かして持ち場に戻って行く。
「どこにいるかさえわかればいいんだな。人間からの攻撃はこちらに任せろ」
曲げた足を伸ばして、滑りながら船室から出る。矢玉を刀で弾き、波の揺れで跳ね上げられるも尻尾も駆使して船にしがみついた。
「メルクリウス殿、こちらにお移り下さい」
メルクリウスが勢いよく振り返った。ナギサもそれ以上は何も言わずに、ただ頷く。メルクリウスの顔がゆっくりと戻った。
「退け。ウルテジモ、デルニエ、そなたらは私と共に殿を務めよ」
二人の男が縦に小さく頭を動かした。
縦に動かした者の翼が大きくなり、矢の雨を降らす。その間に船室に残る人を呼び出し、四人が一目散に、二人が左右を警戒しながら、二人が後ろを向き時折矢を放ちながら飛んできた。
「クノヘ。速度が出なくなるぞ」
「船をぶっ壊してでも魔力を回させろ。ここを離脱できれば遅くなっても問題ない」
ロルフに返して、ナギサが飛んできた人を船室に入れていく。
最後にこれまで乗っていた船を盛大に爆発させて、メルクリウスら三人が船に降り立った。燃え盛る船を小型船がさけて、クラーケンが海に沈めていく。人間の小型船はしっかりと距離を取りながら、クラーケンの脅威があるにもかかわらずこちらに対しては焦っていないようだ。
「ナギサさん、何を」
「メルクリウス殿は遠距離を中心にした援護を、ロルフはこれまで通り近距離を頼む」
説明するのを後回しにして、ナギサは刀の先を鞘に入れていく。
「奥義、解放」
視界が上がり、船が沈む。先程までは一角にしがみつくようにして保っていた体の安定を、四本の脚を縁に当てて突っ張り棒のように船に体を張って保つ。自身の毛皮が、海水によって濡れて、ナギサの体にへばりついた。
「クノヘ、これは流石に重量オーバーだって」
「クラーケンを起こしたらすぐに終わる」
「は?」
顔を上げて叫ぶロルフを無視して、ナギサは八本の尻尾を海に突き刺した。メルクリウスと殿を務めた二人が矢を射て小型船に牽制を入れる。ナギサは魔力の塊の位置を把握し、火球を放った。少しルートを変えて、何発も。確かな手ごたえを感じ、海が暴れだす。小型船の上の人が鞠のように船上で跳ね、波にさらわれて船同士の感覚が目まぐるしく変わって行く。
「奥義、変化」
八本の尻尾を引き抜きながらナギサが呟いた。視界が人間態と同じに戻るが、彼女には未だに四本の尻尾が生えており、狐耳もある。船の周りの海水が一気に減って、それから膨れ上がった。白い巨体のクラーケンが姿を現す。
ナギサは一瞥すると、様子見を行っている全員を無視して紫の実体のない炎をクラーケンに撃った。クラーケンに当たると、動きが止まる。と言っても残りの三体は暴れており、静かにはならない。
「最大船速で離脱しろ!」
ナギサが叫ぶ。
頭ごなしの指示でもきちんと仕事をしてくれたのか、船の速度が上がる。人間が着いて来ようとするが、先程ナギサの炎を受けたクラーケンの触手が邪魔をして追いかけることができない。離れたところを鉄甲船からの砲弾が襲い来るが、クラーケンへの当たることが多く、暴れていた二体が、潜って鉄甲船へと進んでいった。高く上がった波が船上のナギサの顔を打つ。口に入った分を吐き捨て、目の周りだけを拭った。更なる揺れが全員に膝をつかせる。
「中に入ろっか」
右手は剣を放さないように、左手は手すりをがっちりと掴んで流されたような姿勢のままのロルフが言った。船が跳ねる。強かに体を打ち付けた直後に、ウルテジモとデルニエがメルクリウスによって狙いすまされて船室に滑らされる。彼らもその扱いに慣れているのか、文句を言わずに姿勢を整えて船室に入って行った。
「クノヘ」
「ナギサさん」
先にという二人を見ずに、ナギサは口を開く。
「メルクリウス殿から先に」
「いざとなれば私は飛べます」
「翼人族を貴方以外がまとめることを陛下はお望みでしょうか」
高波が三人を覆った。既にべっとりと水気があったが、完璧に前髪が顔に張り付く。
ナギサがメルクリウスの方を見ると、眉を寄せて渋っている様だった。
「失礼」
ロルフの軽い声と共に、彼がメルクリウスの膝を掴んで、傾く船を利用して船室へと滑って行った。途中で傾きが変わるが、大剣を上手く使って船室へと入って行く。
「船酔いはやっぱり嘘じゃないか」
ナギサが最後にもう一度しっかりと周囲を確認する。
幻術にかかったクラーケンは二隻の小型船を襲い続け、一体は深海へと戻って行った。鉄甲船に向かった二体は、攻撃を激しく受けているためかこちらに来るよりも鉄甲船とその周りの三隻に攻撃を仕掛けている。あまりの激しさに船が大きく揺れているが、直接的な攻撃はこないだろう。
船が傾き、水が入った。炎を走らせて心ばかりの蒸発をさせると、ナギサは縁沿いに慎重に進み、安定した隙をついていっきに船室に滑って行った。入る直前に扉を掴むと一気に閉める。勢いが死なずにロルフをクッション代わりに壁にぶつかった。
「扱い酷くない?」
ごちん、派手に頭をぶつけたロルフが呟いた。
「他の人にさせるわけにいかないだろ。第一、ロルフならきちんと受け止めるって信頼してるから向かって行ったつもりだったんだが?」
「光栄なこって」
船が、また大きく揺れた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
蓮華
釜瑪 秋摩
ファンタジー
小さな島国。 荒廃した大陸の四国はその豊かさを欲して幾度となく侵略を試みて来る。 国の平和を守るために戦う戦士たち、その一人は古より語られている伝承の血筋を受け継いだ一人だった。 守る思いの強さと迷い、悩み。揺れる感情の向かう先に待っていたのは――
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる