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遺体争奪編

若き族長 2

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 ロルフの言葉に対して、ほんとうですよ、なんて照れくさそうに言っているメルクリウスも見て、ナギサは小さく咳ばらいをする。二人の視線が集まった。

「『翼人族をまとめるように仰せつかった』って伝令を飛ばしたと言っていたが、陛下はそんなこと言ってない。そうだな?」

 メルクリウスが両手を胸の前で合わせた。

「それなら大丈夫ですよ。別に、『陛下がおっしゃった』とは言ってないですから。実際にそう言ったのは姉上ですし。嘘は言ってないです」
「陛下が、その言を認めると思うのか?」
「そのために私が直接来ました。誠心誠意謝って、認めてもらえたらなって。姉上に怒られるのは嫌だけど、義兄上に嫌われるのはもっとイヤですから」
「どう謝るつもり?」
「正直に言って、頭を下げるしか……。ナギサさん、援護してくれませんか?」

 雨の中で傘をさしてくれた人を見上げる子犬のような目で、メルクリウスがナギサを見あげた。

「義兄上は優しいから大丈夫だと思ってはいるんです。本を読んでくれた時に寝ても怒らなかったですし、肩にもたれて涎を垂らしてしまった時も笑って許してくれましたし」

 正直、ナギサもあの時は怒りを覚えたが、シルヴェンヌの怒り様を見て、今は同情が沸き上がる思い出となっている。

「ほら、絶対に役に立ちますから。今なら共通の敵を持つことで統一もしやすくなっていますし、絶対に翼人族をまとめ上げて見せます。後悔はさせません。ベルスーズ山脈を抑えられれば港も一望できます。お互いに、いざと言うときの逃げ場が必要ですよね」

 ナギサは難しい顔を崩さない。
 もちろん、援護してあげてもいいかなとは思っているが、セスは義弟たる彼に甘いのだ。主人が甘いのなら、お灸をすえるのが自分の役目だと認識している。
 そうこうしているうちに、メルクリウスが壁から先程の立体地図が再現していた場所を含む二次元地図を取り外して机の上に置いた。ロルフは壊さないように慎重に立体地図を戻している。

「もちろん、いい情報も持っています」

 メルクリウスが先程の山地の下、巨大な港をもつ都市ミュゼルを指した。

「ここに、先王アンヘル陛下のご遺体があります」

 ナギサの顔が険しくなる。ロルフも雰囲気が変わったあたり、ナギサはまだ少し疑ってはいたが忠誠心がしっかりとあるようだ。

「勇者一行が翼人族の殲滅戦に加わったのは遺体の護送のついで。大軍が動かなくなったのも先王の遺体を守るため」

 メルクリウスが手を伸ばし、ロルフが片付けている途中の赤い駒をいくつか取って、ミュゼルから山に近いノガに駒を動かした。

「先の一軍の敗北で半分以上の兵が麓町のノガに移動しております。同時に、義兄上をけん制するように、結界が弱まれば攻め込むと言わんばかりにイシオンにも兵が集められているのを見てきました。逆に言えば、今ここに攻め込まれるのは、備えはしていても予想外のはず」
「羽根が残ってるってことか」

 ロルフが言いながら、メルクリウスの羽根をミュゼルに置いた。
 メルクリウスが頷く。

「何よりミュゼルを落とせば港を失う。港を失えばこの大軍の維持はより難しくなります。撤退までは行かなくても、ミュゼルに釘づけにして時間が稼げます」
「時間が稼げるのはいいな」

 ナギサが言うとメルクリウスが、ぱあ、と明るい顔を見せた。

「なら」
「だが、海路が取りにくく成れば翼人族との連絡手段が厳しくなる。陸路を行こうにも、北方の抑えだったヘネラール様はもういない。跡継ぎのアレイスター・ヘネラールは内乱で手一杯だ。手紙も来ているし、実際に裏付けも取れている」
「海路なら、今回と同じようにアルケミーゲルの集落を使わせてもらえれば」

 アルケミーゲルは、名とは違って人間と同じような見た目をしている。ただし、実態は名の通りスライムのような存在だ。

「ミュゼルを落とせば影響も出るだろうな。果たして、納得するか」
「……彼らは、アンヘル陛下の遺体があることを知りながら報告しませんでした。義兄上に対する叛意あり、と言えるのではないですか? 先王の遺体を手に入れられれば義兄上が強くなるのはわかりきっていることですから」

 ずろり、と雰囲気をいっぺんに昏くさせてメルクリウスがナギサを覗き込んだ。底の見えない、姉に似た目である。
 ちなみに、メルクリウスは『彼ら』と称したがアルケミーゲルは両性具有であるため、その呼称が正しいかはわからない。

「随分と高圧的だな。陛下は、そういうやり方を望まないぞ」

 ナギサは椅子に深く腰掛けて、そう返した。

「既に義兄上の軍勢に道を貸したのは事実。人間がそれを許すわけがない。なら全面的に協力するべきです」
「攻め込まれやすくなっても?」
「アルケミーゲルと翼人族が連動して動けばかく乱は容易く、逆にミュゼルを奪うことだって見えてきます」
「一国を挟んだだけで連携が取れ難くなるのにか?」
「そのためにアルケミーゲルにも義兄上に忠誠を誓ってもらうのです。義兄上が指揮を取れば、
 
 各々が勝手に動くよりも連動は容易いはずです」

「メルクリウスの親が殺された時に動かなかったアルケミーゲルを、本当に信じられる?」
「状況が違います! 人間が他種族に容赦しないのは、アルケミーゲルだってわかったはずです」

 ナギサは背もたれから体を離した。
 メルクリウスがやや雰囲気を和らげる。

「ミュゼル攻撃は考え物だが、アンヘル陛下の遺体は取り返さないといけないな。交渉の必要があるだろう」

 ナギサの言葉を受けてメルクリウスが肩を下げた。

「どのみち、アルケミーゲルには四天王候補がいるからねえ」

 ロルフが続けると、メルクリウスが不思議そうに顔を向けた。

「ほら、兵の数が必要な時は陛下に頼りっきりでしょ。だから多量に分身体を出せる人が居ればなってこと。で、白羽の矢がたったのがアルケミーゲルのメゼス・アファナーン」

 言いながら、ロルフが小さな赤い駒を地図の上に置いた。

「そんなに強いのですか?」

 メルクリウスが首を僅かに傾げた。
 四天王候補になる程腕が立つなら、知っているはずじゃないかという表情だ。

「実力は確か。でも、お菓子作りが好きすぎて家に籠りっきりだからあまり知られていないというのが実情さ。そっちばっかり食べているから異端視されているしね」

 ロルフが駒をぐりぐりしながら答える。
 メルクリウスがあからさまに嫌そうな顔をした。

「欲がわかりやすくていいじゃないか。それに、取って代われそうな四天王がいた方が功名心に駆られて動く奴を扱うにはいいだろ」

 ナギサが言うと、不満気な顔は崩さなかったもののメルクリウスは一応の納得を見せた。

「さて、他に何か材料はあるか?」
「え?」

 メルクリウスが目を点にした。
 そしてすぐに得心がいったように口を開いた。

「新しい死体を運んできました。必要かはわかりませんけれども、数はあります。あと、それの警護に各部族や有力者の第二子第三子をつけていますので、義兄上の兵として、そして人質として使ってください」
「結構いたよね」

 ロルフが水を向ける。

「はい。男が十四人、女が三人です。姉上の機嫌を損ねそうだから本当は全員男にしたかったんですけど、どうしてもいなくて……」
「ああー……。大変だねえ」

 うんうん、とロルフが頷く。
 全くですよー、とメルクリウスがふざけ気味に頷きながら椅子に座った。

「だいたい義兄上はどう考えても姉上にぞっこんじゃないですか。なのに何で姉上はあんなに怒りっぽいのか……」
「だって。どう思う?」

 ロルフがナギサに振ってきた。

「メルクリウスの方が詳しいのに、なぜ私に振る」
「女性から見てどうなのかなーって」

 ナギサはため息交じりに駒を手に取った。

「さあ。王妃様と私は種族も違うからな。聞かれたところで、メルクリウス以上の何かが言えるわけではないよ」

 男女の機微関しては詳しくないという悲しい自負がナギサにはある。
 加えて、シルヴェンヌが惚れているセスに対してそういった思いを抱かない上に、自分が信頼しているのと同様にセスからも信頼されているという自信があり、そこに不安がない以上は理解もできないだろうと確信に似たものがあった。

「でも、ナギサさんも義兄上にとっての大事な人って意味では一緒ですよね」

 ぞわりと背中に冷たいものが走り、ナギサは背筋をすんと伸ばしてしまう。

「言い方に気を付けてくれ。なんか、こう、王妃様はこういったところで何故か聞いているイメージがあるんだから。メルクリウスもわかるだろ?」

 メルクリウスが後ろを向いた。すっかり気配を消していたフェガロフォトがいるだけであり、メルクリウスと視線があった彼も『後ろには誰もいませんよ』と言わんばかりに首を横に振った。

「確かに。義兄上に粗相をした時にかぎって姉上がやってきたような思い出が……」
「とんでもないね。王妃様」
「しー」

 ロルフの声を遮ってメルクリウスが口元に人差し指を立てて叫んだ。
 ナギサも同じ行動をとっている。

「噂しすぎると来ますよ。ひょっこりと」
「噂しすぎてくるかもしれないだろ」

 メルクリウスとナギサが同時にそう言った。

「ねえ、二人ともどんなイメージを持っているのさ。妖怪か何か? 仮にも主の想い人とか血のつながった姉だよねえ」
「だからこそですよ」

 メルクリウスが真剣な目でロルフに詰め寄るように身を乗り出した。ロルフが身を引く。
 だが、はたと、何かに気づいたようにゆるゆると離れていった。

「でも、二人きりと言うことはみっちりと濃密な時間を過ごしてから来るのでは? となると、一時間か二時間かは安全……?」
「メルクリウス、その油断でどれだけの思い出が怖いものへと変わったかを忘れた?」

 メルクリウスが人差し指と親指で唇を掴んだ。目の周りに黒い影が見えてもおかしくはない顔である。

「もう、思い出せないほどありすぎて逆に忘れてました」

 くすり、とナギサは口元を緩めた。
 メルクリウスがヴァシム城に来た回数は片手を僅かに越える程度だ。つまりは、里でもここと似たような光景が繰り返されていたのだろう。
(もう、見られないかもしれないか)
 ナギサの口元の形が変わってしまった。

「で、クノヘ。応接間じゃなくてこの部屋にした理由は?」

 空気を変えるようにロルフが言った。
 ああ、と相槌を入れつつナギサが地図に手を伸ばす。

「メゼス・アファナーンのことを伝えようと思ってね。結果的に伝えられたわけだから、ほぼ目標は達成できたかな」

 ミュゼルから海岸線を辿るように指を西北西に動かす。

「アルケミーゲルの大規模集落は、ここチッタァ・ハブルにある。北東に向かえばベルスーズ山脈にぶつかり、海に出て南西に行けば取り返したばかりのムイス港につく」

 ムイス港の守りは人間から創ったセスの傀儡がほとんどである。
 戦力的には心許ないが、元々人間があまり使わない場所であり、都市の発展もないので無理に取り返しにはこないだろうという判断だ。

「先に話した通り、北方が安定していない以上、陸路は使えない。人間と遭遇する確率や海上輸送の不得手を差し引いてもこの通路を手に入れるメリットは大きいというのが陛下と私の結論だ」
「ヴァシム城からムイス港に繋がる道の立体地図は鋭意作成中だからねえ。出来たら、実際に幾つかのシミュレーションを重ねて最適な防衛体制を築く予定だよ」

 ロルフが奥に置いた、作成中の立体地図を指した。

「翼人族は飛べるうえに、人間の造船技術に後れを取っているから先王陛下の存命時には議論にも上がらなかった通路だが、港をずっと保持していたアルケミーゲルが味方になるなら話は別。少なくとも、逃げるだけの船はできるだろうと判断してのことだが、実際にアルケミーゲルの船をみてどう思った?」

 ナギサがメルクリウスとフェガロフォトに視線を振った。

「答えて、フェガロフォト」

 メルクリウスが言う。

「は。河川をのぼる際は非常に速く、港に置いてある船もほとんどが小回りの利く船でした。船自身に戦闘能力がないからとは言えますが、逃げるだけなら可能かと」
「速度差は?」

 ナギサが聞く。

「海の上で横目で見ただけですが、大型船なら普通の航行で十分ほど進めば指でつまめるほど小さくなりました。どちらも最大船速ではなかったと思いますが、同程度の船でも一分足らずで横並びから抜き去れます」
「はや」

 ロルフが声を上げつつ、いつ作ったのか、船型の駒をムイスとチッタァ・ハブルに並べた。どちらも小型船で、大型の砲まで丁寧に付けている船はミュゼルに置き始めている。

「戦闘用の普通の大型船は四隻ですよ」

 六隻目も置こうとしたロルフを、メルクリウスが止めた。

「鉄甲船が二隻、中型船が三隻、小型船が十隻。でも、中型船と小型船は輸送体の護衛で頻繁に出入りしているので数は変動しますし、あくまで最大でこれだけを確認したってことですけど」
「翼人族が相手だから、戦闘用と言いつつも人員輸送のためにって感じ?」

 ロルフの言葉に、メルクリウスが首を傾げた。

「そこまでは何とも。調べられてはいませんし」
「構わないさ。どのみち、ミュゼルに艦砲射撃はできないだろう。陛下も、今は制海権を取る気がないからな」
「義兄上は制海権もなしにあの海の両側に港を持つ気なのですか!」

 メルクリウスが大きな声を出した。
 すぐに恥じ入ったように椅子に腰が戻る。

(どこまで話していいものか……)

 ナギサは迷い、セスの許可が下りるまでは、セスのメルクリウスに対する態度が明らかになるまでは直接翼人族に関係のないことはぼかすことにした。

「制海権がないと言っても、港が攻められることもないようにはするから大丈夫さ。まあ、アルケミーゲルの港が使えなければ作戦の大幅な変更が必要になるのだけど」

 ナギサはチッタァ・ハブルに指し棒をおいた。
 ゆっくり、紙にときどき引っかかっているかのように動かして、ベルスーズ山脈、そしてさらに奥へと移動する。

「上手く繋がればいいけど」

 言って、メルクリウスは同じく指し棒を手にして黒い駒を一つ、ヴァシム城からムイス港、チッタァ・ハブルを経由してミュゼルに進めた。
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