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夢中だった。ガラスの向こうのスタッフはもちろん、キヨヒトのことすら見えていなかった。ただひたすら、聞こえてくる音とキヨヒトの歌声に集中した。
間奏でキヨヒトが、満足げな笑顔でシュウの肩に肩をぶつけてきた。あっちを見ろとあごをしゃくる。そこには、あっけにとられたような、感動したような、そんないくつもの顔。
「さすがだな、俺の歌い方にあわせる余裕まであるなんて」
歌い終わると、キヨヒトに力強く肩を抱かれた。心なしか、瞳が潤んでいる。数年越しでシュウをデビューさせることを考えていたキヨヒトにとっても、報われた思いがしただろう。
シュウは内心、本当にほっとした。初めて歌を聴くスタッフだけでなく、キヨヒトまでも実力で殴ることに成功したらしい。それになにより、やはり歌は楽しい。
「よし、次はシュウにメインを歌わせて、俺がハモに回るぞ」
「はい!」
キヨヒトがガラスの向こうのスタッフにマイク越しに伝えると、即座に反応のいい返事。心なしかさっきより動作も機敏だ。キヨヒトとシュウは笑顔を見あわせる。
「見ろ、さんざんいろんなプロと接してきたスタッフがこうなんだから、俺達の歌は世間をあっと言わせるぞ」
シュウは高揚している心を感じながら、強くうなずいた。野望がむくむくと立ち上がってくる。
全国に、世界に、自分達の歌が流れる。もう、あんな狭くて限られた客しか入れない店で歌うのはやめだ。あのうるさくて欲望に澱んだ街も出よう。広い世界に飛び出して、大勢の人達の前で歌おう。
再び流れ出した曲に、シュウはつや消しの野望を詰めこむようにして歌った。
シュウは録りたての歌をダイスケに聴いてもらおうと、HEAVENの前でタクシーを降りた。もうそろそろ閉店の時間だから、帰るダイスケと一緒に部屋に行ってしまおうという魂胆だ。
タクシーを降りてすぐだというのに、身体にまとわりつく熱気にたちまち汗が出てきた。腕で額の汗を拭いながら、店の裏口に回る。
シュウは裏口のドアに手をかけようとして、少し離れた所で壁にもたれて立っている人影に気づいた。壁に預けた頭は少し上を向き、ネオンのせいで星も見えない夜空を見上げているようだった。その横顔とすらっとした背格好に、見覚えがある。
「……ダイスケさん?」
影はシュウの方を向くと、ゆっくり歩いてきた。顔がネオンの明かりに照らされる。やはりダイスケだ。左手にはコック帽を持っている。
「どうしたの、そんなとこで」
すぐ会えてうれしかったが、店には休憩スペースもあるのに、暑い中なぜわざわざあんな所にいたのか。少し気にかかる。
「うん、ちょっと休憩」
ダイスケは少し疲れているのか、力なく笑う。
「最近忙しいんじゃない? 大丈夫?」
間奏でキヨヒトが、満足げな笑顔でシュウの肩に肩をぶつけてきた。あっちを見ろとあごをしゃくる。そこには、あっけにとられたような、感動したような、そんないくつもの顔。
「さすがだな、俺の歌い方にあわせる余裕まであるなんて」
歌い終わると、キヨヒトに力強く肩を抱かれた。心なしか、瞳が潤んでいる。数年越しでシュウをデビューさせることを考えていたキヨヒトにとっても、報われた思いがしただろう。
シュウは内心、本当にほっとした。初めて歌を聴くスタッフだけでなく、キヨヒトまでも実力で殴ることに成功したらしい。それになにより、やはり歌は楽しい。
「よし、次はシュウにメインを歌わせて、俺がハモに回るぞ」
「はい!」
キヨヒトがガラスの向こうのスタッフにマイク越しに伝えると、即座に反応のいい返事。心なしかさっきより動作も機敏だ。キヨヒトとシュウは笑顔を見あわせる。
「見ろ、さんざんいろんなプロと接してきたスタッフがこうなんだから、俺達の歌は世間をあっと言わせるぞ」
シュウは高揚している心を感じながら、強くうなずいた。野望がむくむくと立ち上がってくる。
全国に、世界に、自分達の歌が流れる。もう、あんな狭くて限られた客しか入れない店で歌うのはやめだ。あのうるさくて欲望に澱んだ街も出よう。広い世界に飛び出して、大勢の人達の前で歌おう。
再び流れ出した曲に、シュウはつや消しの野望を詰めこむようにして歌った。
シュウは録りたての歌をダイスケに聴いてもらおうと、HEAVENの前でタクシーを降りた。もうそろそろ閉店の時間だから、帰るダイスケと一緒に部屋に行ってしまおうという魂胆だ。
タクシーを降りてすぐだというのに、身体にまとわりつく熱気にたちまち汗が出てきた。腕で額の汗を拭いながら、店の裏口に回る。
シュウは裏口のドアに手をかけようとして、少し離れた所で壁にもたれて立っている人影に気づいた。壁に預けた頭は少し上を向き、ネオンのせいで星も見えない夜空を見上げているようだった。その横顔とすらっとした背格好に、見覚えがある。
「……ダイスケさん?」
影はシュウの方を向くと、ゆっくり歩いてきた。顔がネオンの明かりに照らされる。やはりダイスケだ。左手にはコック帽を持っている。
「どうしたの、そんなとこで」
すぐ会えてうれしかったが、店には休憩スペースもあるのに、暑い中なぜわざわざあんな所にいたのか。少し気にかかる。
「うん、ちょっと休憩」
ダイスケは少し疲れているのか、力なく笑う。
「最近忙しいんじゃない? 大丈夫?」
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