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第一章 クリスマスの吸血鬼!4
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「おうよ。その小娘、ひとかじりもせずに逃がすわけにはいかん。少しばかり、味見させてもらおうか」
「オサの言葉に、逆らうつもりなのですか」
「はぐれ者になにを言われてもこたえんな。さあ、腕の一本くらいはよこしてもらおうか!」
サルが飛びかかってきた。
「きゃあっ!?」
「あいねさんの家まで知られたからには、捨て置けません……退治せざるを得ませんね!」
時雨さんが構えた。
「図に乗るなよ! 時雨、お前は前から気に食わんかったのよ! 吸血鬼の王子だか知らんが、ただのはぐれ者が、我が物顔でわしらの群れでのさばりやがって!」
「く……っ。ぼくがいつ、我が物顔なんて……」
時雨さんが苦しそうに表情をゆがめるのが、斜め後ろにいた私からも見えた。
もしかしたら、群れの中にいても、ずっとつらい思いをしてきたのかもしれない。
なにもしないでいれば群れの中で居場所をなくして、がんばれば周りから気に入らないと嫌われて。
どうしていいか分からないまま、それでも自分の居場所はそこなんだって信じて……。
なんとなく、そういう事情は分かる気がした。
私も似たようなものだったから。
「あのっ! 私は、時雨さんは、悪くないと思いますっ……時雨さんのことはまだよく知らないけど、きっと悪くなんかないっ」
「あいねさん……ありがとう」
サルが、時雨さんの顔に、爪を突き出してきた。
それをさっと避けた時雨さんは、手のひらをサルに向けた。
「雷よ」
そして、光が走った。
ばちいっ!
「えっ? な、なにっ!?」
まぶしくていったん閉じた目を開けると、地面の上で、サルが伸びてた。
その体から、ぶすぶすと焦げ臭いにおいを出して、煙が上がってる。
「吸血鬼はね、雷を使うんです。至近距離からまともに撃ち抜くことができましたね。直撃させれば、並みの怪異なら一撃で倒せます」
「そんなことできるんですか……あ、あれ?」
サルの体が、足の先から、黒い灰になって消えていく。
「怪異が退治されると、多くの場合、こうなります。とはいえ死んでしまうわけではなくて、またどこかでよみがえるんです」
「あ、じゃあ、このサルも、いつか」
「はい。でもその時は記憶を失っていますし、よみがえるといっても、おそらく何十年もあとの話です。だから当分は安全ですよ。……ところで」
「は、はいっ?」
時雨さんが私を見つめてきた。
とにかく顔立ちがきれいなせいで、じっと見られるのになかなか慣れない。
「このように、ぼくは大変危険な怪異ですが。それでもまだ、お招きいただけるのでしょうか?」
私はもちろん、大きく大きくうなずいた。
時雨さんが微笑んで、そして、インバネスを外した。
■
「天才……なのですか? こんな短時間で……」
「えへへ。実はそうなのかもです。っていっても……」
「すごいですね、あいねさん、まるで料理人だ」
「そうなんです、すごいんですよ……電子レンジって」
時雨さんをうちに入れてから十分後。
わが家のレンジから、トマトクリームソースのパスタのいいにおいがする。
お皿を取り出して見せると、時雨さんが感動したように目を見開いた。
私と時雨さん、二人分のパスタ皿をテーブルにとんと置く。
家族以外に、こんなふうに誰かと二人でご飯を食べるなんて、初めてだ。
「サラダとかもあったらよかったんですけど、野菜がぜんぜんなくて。トマトはあったんですけど、パスタもトマト味ですから変かなって」
「なにを言うんです、こちらでじゅうぶんです。温かい食事なんて久しぶりだなあ」
私は時雨さんのグラスに冷たいお茶をついで、自分もテーブルに着いた。
「いただきます」
「あ、それは存じていますよ。人間の――日本人のあいさつ。いただきます。こうですよね」
時雨さんがぺこりと頭を下げて、フォークを手に取った。
二人してパスタを巻き取り、ほとんど同時に口に運ぶ。
もう何度も作っている冷凍食品のパスタなのに、なぜか、出来栄えがいつもより気になった。
今日に限ってまずくできてたらどうしよう。
でも、時雨さんの顔を見ると、そんな心配はいらないみたいだった。
「おいしい……! こんなにおいしい料理は、初めてです」
「そうなんですか? 吸血鬼って、普段なに食べてるんですか?」
そう聞いてから、はっとした。
吸血鬼だもん。
なにを食事にしてるかって、そんなの決まってる。
そう思ったんだけど。
「ぼくは基本的に、食事というのはとる必要がないんです。時々、スープくらいは炊きますが」
「えっ。あ、そうなんですか……」
拍子抜けした私の顔から、なにを考えてたのかがばれてしまったようで、
「ふふ。吸血鬼だからって、血ばかり吸っているわけではありませんよ。以前は吸っていたこともありますが、縁もゆかりもない人間の血を吸うのも申し訳ないと思って、ここ最近はぱったりと。確かにどうしても飲みたくなる時はありますが、今の日本でそんなことをすると、なかなかの騒ぎになってしまいますから」
「あの。吸血鬼って、血を吸った相手を、家来にできるって本当なんですか……?」
そういえばそんな能力があったはずだ、と思い出す。
考えてみれば、私なんかとは比べ物にならないくらい、とんでもない力を持ってる人なんだよね。
「やろうと思えばできます。といっても、僕はまだ実行したことはありませんが。今のところ、予定もありません。家来になってもらっても、別にしてほしいこともありませんし」
「でも、家来って、つまり仲間ってことですよね? たくさん仲間を作れば、時雨さん寂しくなくなるんじゃ……」
さっきの、オサって呼ばれてたおじいさんと、周りの怪異たちみたいに。
自分だけの群れを作れるんじゃないかな、と思うんだけど。
「うーん。でも吸血鬼の家来って、なんでも言うことを聞く操り人形みたいな感じになるんですよ。ぼくがほしい仲間というのは、そういうふうではなくて、もっと、自分の意志を持って生きている者どうしがいいんです」
そっか。
確かに、ロボットみたいな家来がたくさんいても、あんまりうれしいものじゃないのかもしれない。
私は友達って二人くらいしかいないけど、二人ともちゃんと自分の意志を持ってるところが好きだ。見習いたいな、っていつも思ってる。
ふと見ると、時雨さんのお皿が、もう空になりかけてた。
「時雨さん、そんなに気に入ってくれました?」
「はい。とても。おいしすぎないですか、これは」
真顔でそう言う時雨さんが、なんだかちょっとおかしくて、少しだけ笑っちゃった。
「トマトが好きなんですか? よければ、生のも食べます?」
時雨さんが遠慮しそうだったので、私はさっと立ち上がって、冷蔵庫からトマトを取り出してヘタを落とした。
つやつやしていて真っ赤に熟してて、いかにもおいしそうに見える。
「切りますか?」
「ああいえ、それ以上はお構いなく。そのままいただきます」
時雨さんはトマトを受け取るとと、そのままかぶりついた。
どうやっているのか、丸かじりにしているのに、ぜんぜん手や口の周りが濡れず、きれいに食べていく。
私だったら、すぐテーブルまでべたべたになっちゃうのに。
そうしてまるまる一個食べた終わったところで、時雨さんがぼつりと言った。
「なんと……これが、トマト……」
「あ、初めて食べたんですか?」
「うわさには聞いていました。この赤色。この酸味。このジューシーさ。どうしても血が飲みたくなった吸血鬼が、それでも人間を傷つけたくない時、応急処置的に代替品として口にするのが、トマトであると……!」
「そうなんですか!? そういうものなんですか!?」
トマトが血の代わり……
吸血鬼の食事事情、謎すぎない!?
「あいねさん。あなたは、不思議な人ですね……」
私にしてみれば、吸血鬼のほうがずっと不思議なんだけど。
怪異に不思議って言われてる私っていったい……
「私なんて、かなり普通だと思いますけど……」
「いえ。ぼくは、今までいくらかの人間と出会ってきました。彼らはぼくが吸血鬼だと分かると、恐れ、倒そうとしたり、逆にぼくの力を利用してお金儲けをしようとしたり、そんなことばかりでした。もちろん、無理のないことだと頭では分かっていましたが、悲しかった」
うっ。いそう、そんな人。というかそういう人のほうが多いのかも……普通は。
私だって、怪異としての時雨さんがぜんぜん怖くないかといえば、そんなことはないと思う。
……でも。
「しかし、ぼくは信じていました。いつかは、ぼくが吸血鬼であっても、手を差し伸べ合い、思いやり合えるような、そんな人間に出会えるはずだと。今すぐじゃなくてもいい、でもいつか、寿命が尽きるまでの間には、どこかで出会えると。それが、こんなに早く……」
時雨さんは右手をこぶしにしてあごの前あたりに置き、ふるふる震えてる。
「そ、そんな。それは、時雨さんのおかげですよ。時雨さんが、先に私を助けてくれたんじゃないですか」
「確かに、ぼくは人間にはない力で怪異を追い払いました。そしてあいねさん、あなたは、この屋根の下に僕を招き入れ、温かい食事をもたらし、夕食を共にしてくれた。あなたより力が強いぼくを思いやり、傷ついているだろうと心配してくれて……。これこそ、ぼくが求めていた出会い。ぼくは、こんなに幸せな気持ちになったのは初めてです」
わ、わあ。
時雨さんが、まじめな顔で熱っぽく語る。
本気で私のことを褒めてくれているのが伝わってきて、顔が熱くなっちゃうのが自分でも分かった。
それこそトマトみたいな顔になっていそう。恥ずかしいけど、しょうがないよね。こんなこと言われたの、初めてだもん。
「しかも、できるだけ人間の血を吸いたくないぼくのために、かの伝説の野菜、トマトまで振舞ってくださって」
「あ、それは本当にたまたま……って、伝説なんですか……」
「あいねさん。あなたに、なにかお礼がしたい」
「そ、そんな、お礼なんて。私のほうがお礼しなきゃだったんですからっ」
時雨さんがいなきゃ、今頃あの路地で私は食べられちゃってたかもしれないんだから。
両手を前に突き出して、ぱたぱたと横に振る。
その手を、テーブルの向こうから延ばされた時雨さんの両手がつかんだ。
手のひら同士が触れ合って、少しひんやりとした、時雨さんの手の感触が伝わる。
ひ、ひゃああああ。
時雨さんの視線はまっすぐに私の瞳を射抜いてくる。
私はさらに赤面して、顔から火が出そうになっちゃった。
「し……時雨さんっ?」
「これからあなたには、様々な怪異が襲いかかってくるでしょう。よろしければ、ぼくにあなたを守らせてください」
「そ、そんな、守るなんて、私なんかそんなたいそうな……え?」
「はい? なにか?」
なにか。
今なにか、聞き逃せないことを言われたような気がする。
「時雨さん、今……私に、怪異が襲いかかってくるって言いました?」
「言いましたとも。霊能力があって、怪異を見ることができる人間というのは、たいていは霊能力を持ち、訓練された祓い師――いわば妖怪退治屋です。ですから、怪異の間でうわさがあっという間に広がります。今頃はもう、このあたり一帯の怪異に、あいねさんの顔と名前は知れ渡っていることでしょう」
ひええええっ?
う、うそでしょ?
私は時雨さんの手をぱっと放して、椅子を倒しそうになりながら立ち上がる。
時雨さんも「あいねさん」と言いながら立ち上がった。
「わ、私、妖怪退治なんてできませんけどっ!? 私なんて、すごく普通で……ほかの子たちが、勉強とか、体育とかで活躍してるの、いつもうらやましいなって見てるだけなんです。特別な才能もとりえも、なんにもないのに、……妖怪退治なんてできるわけ、ないのにっ」
「それでも、怪異たちから見れば、あいねさんは脅威なんです。……それと、霊能力とは別ですが、ぼくからみたら、あいねさんはとりえがないどころか立派な才能をお持ちですよ」
「うう、そんなお世辞を」
「お世辞ではありません。ですからどうかお願いです、ぼくにあなたを守る許しを与えてください」
「そ、それは……時雨さんが守ってくれるなんて、すごくありがたいですけど……」
そんなこと、お願いしちゃっていいのかな。
でも確かに、今日みたいなことがまた起きるとしたら、私じゃどうしようもないし……。
私はおそるおそる、上目づかいで時雨さんを見た。
「時雨さん……ごめんなさい、私を守ってもらえますか……?」
「もちろんです。謝る必要なんてありません。ぼくに、あなたを守護する栄誉を与えてくださって、ありがとうございます」
時雨さんがそう言って、テーブルを回って私の隣に来た。
「し、時雨さん?」
「今のままでは、あなたの身に危険が迫った時、ぼくはそれを知ることはできません。しかし、四六時中ぼくがあいねさんの隣に貼りついているのも難しいでしょう。ですから、こうしましょう」
時雨さんが私の顔に、右手を伸ばしてきた。
びくりと私の体が固まって、身動きができなくなる。ただ、時雨さんの深い色の瞳に吸いこまれそうになりながら、頭が熱くなって、ぼうっとしちゃった。
さっきから赤面したりおびえたりしたせいで、私の目に少し涙が浮かんでるのを感じた。
時雨さんの指が、目じりのそのほんの少しの涙をすくい取った。
「ぼくは契約する。空羽あいねのしもべとなり、わが身のすべてをかけて守らんことを」
契約……
なんのことだろうと思ってたら、私の涙が、時雨さんの指の先で光り始めた。
「えっ、えっ!?」
その光がはじけて、小さな輝く粒になって、私と時雨さんを包む。
きらきらする光のシャワーの中で、私はなにが起きてるのかぜんぜん分からずに、きょろきょろと首を回す。
「な、なんですかこれ?」
「ぼくは、あなたのしもべになりました。あいねさんに危険な怪異が近づけば、ぼくがどこにいてもたちどころに察知して、すぐに駆けつけることができます。ぼくは吸血鬼ですが、昼間でも大丈夫。……といっても、明るいうちに強力な行動ができる怪異はあまりいませんけどね」
そう言って、時雨さんは微笑む。
「ま、待ってください。しもべって、時雨さんが私のですか?」
「そうです。ぼくが、なんでも言うことを聞く操り人形のようなしもべを持つのと違い、完全にぼくの自由意思であなたをお守りします。この上なく、健全なしもべでしょう?」
「でも時雨さんをしもべにって、……なんだか私偉そうじゃないですか!? しもべって!?」
「そうは思いません。必要な立場で、必要な役目をぼくがまっとうするだけです。では改めまして、……あいねさん」
時雨さんがじっと私の目を見つめてくる。
本当に、不思議なくらい、透き通ってて深い瞳。
思わず私は、背筋を伸ばして、
「は、はい」
と答えた。
「あなたのしもべ、吸血鬼の時雨です。これからよろしくお願いいたします」
「オサの言葉に、逆らうつもりなのですか」
「はぐれ者になにを言われてもこたえんな。さあ、腕の一本くらいはよこしてもらおうか!」
サルが飛びかかってきた。
「きゃあっ!?」
「あいねさんの家まで知られたからには、捨て置けません……退治せざるを得ませんね!」
時雨さんが構えた。
「図に乗るなよ! 時雨、お前は前から気に食わんかったのよ! 吸血鬼の王子だか知らんが、ただのはぐれ者が、我が物顔でわしらの群れでのさばりやがって!」
「く……っ。ぼくがいつ、我が物顔なんて……」
時雨さんが苦しそうに表情をゆがめるのが、斜め後ろにいた私からも見えた。
もしかしたら、群れの中にいても、ずっとつらい思いをしてきたのかもしれない。
なにもしないでいれば群れの中で居場所をなくして、がんばれば周りから気に入らないと嫌われて。
どうしていいか分からないまま、それでも自分の居場所はそこなんだって信じて……。
なんとなく、そういう事情は分かる気がした。
私も似たようなものだったから。
「あのっ! 私は、時雨さんは、悪くないと思いますっ……時雨さんのことはまだよく知らないけど、きっと悪くなんかないっ」
「あいねさん……ありがとう」
サルが、時雨さんの顔に、爪を突き出してきた。
それをさっと避けた時雨さんは、手のひらをサルに向けた。
「雷よ」
そして、光が走った。
ばちいっ!
「えっ? な、なにっ!?」
まぶしくていったん閉じた目を開けると、地面の上で、サルが伸びてた。
その体から、ぶすぶすと焦げ臭いにおいを出して、煙が上がってる。
「吸血鬼はね、雷を使うんです。至近距離からまともに撃ち抜くことができましたね。直撃させれば、並みの怪異なら一撃で倒せます」
「そんなことできるんですか……あ、あれ?」
サルの体が、足の先から、黒い灰になって消えていく。
「怪異が退治されると、多くの場合、こうなります。とはいえ死んでしまうわけではなくて、またどこかでよみがえるんです」
「あ、じゃあ、このサルも、いつか」
「はい。でもその時は記憶を失っていますし、よみがえるといっても、おそらく何十年もあとの話です。だから当分は安全ですよ。……ところで」
「は、はいっ?」
時雨さんが私を見つめてきた。
とにかく顔立ちがきれいなせいで、じっと見られるのになかなか慣れない。
「このように、ぼくは大変危険な怪異ですが。それでもまだ、お招きいただけるのでしょうか?」
私はもちろん、大きく大きくうなずいた。
時雨さんが微笑んで、そして、インバネスを外した。
■
「天才……なのですか? こんな短時間で……」
「えへへ。実はそうなのかもです。っていっても……」
「すごいですね、あいねさん、まるで料理人だ」
「そうなんです、すごいんですよ……電子レンジって」
時雨さんをうちに入れてから十分後。
わが家のレンジから、トマトクリームソースのパスタのいいにおいがする。
お皿を取り出して見せると、時雨さんが感動したように目を見開いた。
私と時雨さん、二人分のパスタ皿をテーブルにとんと置く。
家族以外に、こんなふうに誰かと二人でご飯を食べるなんて、初めてだ。
「サラダとかもあったらよかったんですけど、野菜がぜんぜんなくて。トマトはあったんですけど、パスタもトマト味ですから変かなって」
「なにを言うんです、こちらでじゅうぶんです。温かい食事なんて久しぶりだなあ」
私は時雨さんのグラスに冷たいお茶をついで、自分もテーブルに着いた。
「いただきます」
「あ、それは存じていますよ。人間の――日本人のあいさつ。いただきます。こうですよね」
時雨さんがぺこりと頭を下げて、フォークを手に取った。
二人してパスタを巻き取り、ほとんど同時に口に運ぶ。
もう何度も作っている冷凍食品のパスタなのに、なぜか、出来栄えがいつもより気になった。
今日に限ってまずくできてたらどうしよう。
でも、時雨さんの顔を見ると、そんな心配はいらないみたいだった。
「おいしい……! こんなにおいしい料理は、初めてです」
「そうなんですか? 吸血鬼って、普段なに食べてるんですか?」
そう聞いてから、はっとした。
吸血鬼だもん。
なにを食事にしてるかって、そんなの決まってる。
そう思ったんだけど。
「ぼくは基本的に、食事というのはとる必要がないんです。時々、スープくらいは炊きますが」
「えっ。あ、そうなんですか……」
拍子抜けした私の顔から、なにを考えてたのかがばれてしまったようで、
「ふふ。吸血鬼だからって、血ばかり吸っているわけではありませんよ。以前は吸っていたこともありますが、縁もゆかりもない人間の血を吸うのも申し訳ないと思って、ここ最近はぱったりと。確かにどうしても飲みたくなる時はありますが、今の日本でそんなことをすると、なかなかの騒ぎになってしまいますから」
「あの。吸血鬼って、血を吸った相手を、家来にできるって本当なんですか……?」
そういえばそんな能力があったはずだ、と思い出す。
考えてみれば、私なんかとは比べ物にならないくらい、とんでもない力を持ってる人なんだよね。
「やろうと思えばできます。といっても、僕はまだ実行したことはありませんが。今のところ、予定もありません。家来になってもらっても、別にしてほしいこともありませんし」
「でも、家来って、つまり仲間ってことですよね? たくさん仲間を作れば、時雨さん寂しくなくなるんじゃ……」
さっきの、オサって呼ばれてたおじいさんと、周りの怪異たちみたいに。
自分だけの群れを作れるんじゃないかな、と思うんだけど。
「うーん。でも吸血鬼の家来って、なんでも言うことを聞く操り人形みたいな感じになるんですよ。ぼくがほしい仲間というのは、そういうふうではなくて、もっと、自分の意志を持って生きている者どうしがいいんです」
そっか。
確かに、ロボットみたいな家来がたくさんいても、あんまりうれしいものじゃないのかもしれない。
私は友達って二人くらいしかいないけど、二人ともちゃんと自分の意志を持ってるところが好きだ。見習いたいな、っていつも思ってる。
ふと見ると、時雨さんのお皿が、もう空になりかけてた。
「時雨さん、そんなに気に入ってくれました?」
「はい。とても。おいしすぎないですか、これは」
真顔でそう言う時雨さんが、なんだかちょっとおかしくて、少しだけ笑っちゃった。
「トマトが好きなんですか? よければ、生のも食べます?」
時雨さんが遠慮しそうだったので、私はさっと立ち上がって、冷蔵庫からトマトを取り出してヘタを落とした。
つやつやしていて真っ赤に熟してて、いかにもおいしそうに見える。
「切りますか?」
「ああいえ、それ以上はお構いなく。そのままいただきます」
時雨さんはトマトを受け取るとと、そのままかぶりついた。
どうやっているのか、丸かじりにしているのに、ぜんぜん手や口の周りが濡れず、きれいに食べていく。
私だったら、すぐテーブルまでべたべたになっちゃうのに。
そうしてまるまる一個食べた終わったところで、時雨さんがぼつりと言った。
「なんと……これが、トマト……」
「あ、初めて食べたんですか?」
「うわさには聞いていました。この赤色。この酸味。このジューシーさ。どうしても血が飲みたくなった吸血鬼が、それでも人間を傷つけたくない時、応急処置的に代替品として口にするのが、トマトであると……!」
「そうなんですか!? そういうものなんですか!?」
トマトが血の代わり……
吸血鬼の食事事情、謎すぎない!?
「あいねさん。あなたは、不思議な人ですね……」
私にしてみれば、吸血鬼のほうがずっと不思議なんだけど。
怪異に不思議って言われてる私っていったい……
「私なんて、かなり普通だと思いますけど……」
「いえ。ぼくは、今までいくらかの人間と出会ってきました。彼らはぼくが吸血鬼だと分かると、恐れ、倒そうとしたり、逆にぼくの力を利用してお金儲けをしようとしたり、そんなことばかりでした。もちろん、無理のないことだと頭では分かっていましたが、悲しかった」
うっ。いそう、そんな人。というかそういう人のほうが多いのかも……普通は。
私だって、怪異としての時雨さんがぜんぜん怖くないかといえば、そんなことはないと思う。
……でも。
「しかし、ぼくは信じていました。いつかは、ぼくが吸血鬼であっても、手を差し伸べ合い、思いやり合えるような、そんな人間に出会えるはずだと。今すぐじゃなくてもいい、でもいつか、寿命が尽きるまでの間には、どこかで出会えると。それが、こんなに早く……」
時雨さんは右手をこぶしにしてあごの前あたりに置き、ふるふる震えてる。
「そ、そんな。それは、時雨さんのおかげですよ。時雨さんが、先に私を助けてくれたんじゃないですか」
「確かに、ぼくは人間にはない力で怪異を追い払いました。そしてあいねさん、あなたは、この屋根の下に僕を招き入れ、温かい食事をもたらし、夕食を共にしてくれた。あなたより力が強いぼくを思いやり、傷ついているだろうと心配してくれて……。これこそ、ぼくが求めていた出会い。ぼくは、こんなに幸せな気持ちになったのは初めてです」
わ、わあ。
時雨さんが、まじめな顔で熱っぽく語る。
本気で私のことを褒めてくれているのが伝わってきて、顔が熱くなっちゃうのが自分でも分かった。
それこそトマトみたいな顔になっていそう。恥ずかしいけど、しょうがないよね。こんなこと言われたの、初めてだもん。
「しかも、できるだけ人間の血を吸いたくないぼくのために、かの伝説の野菜、トマトまで振舞ってくださって」
「あ、それは本当にたまたま……って、伝説なんですか……」
「あいねさん。あなたに、なにかお礼がしたい」
「そ、そんな、お礼なんて。私のほうがお礼しなきゃだったんですからっ」
時雨さんがいなきゃ、今頃あの路地で私は食べられちゃってたかもしれないんだから。
両手を前に突き出して、ぱたぱたと横に振る。
その手を、テーブルの向こうから延ばされた時雨さんの両手がつかんだ。
手のひら同士が触れ合って、少しひんやりとした、時雨さんの手の感触が伝わる。
ひ、ひゃああああ。
時雨さんの視線はまっすぐに私の瞳を射抜いてくる。
私はさらに赤面して、顔から火が出そうになっちゃった。
「し……時雨さんっ?」
「これからあなたには、様々な怪異が襲いかかってくるでしょう。よろしければ、ぼくにあなたを守らせてください」
「そ、そんな、守るなんて、私なんかそんなたいそうな……え?」
「はい? なにか?」
なにか。
今なにか、聞き逃せないことを言われたような気がする。
「時雨さん、今……私に、怪異が襲いかかってくるって言いました?」
「言いましたとも。霊能力があって、怪異を見ることができる人間というのは、たいていは霊能力を持ち、訓練された祓い師――いわば妖怪退治屋です。ですから、怪異の間でうわさがあっという間に広がります。今頃はもう、このあたり一帯の怪異に、あいねさんの顔と名前は知れ渡っていることでしょう」
ひええええっ?
う、うそでしょ?
私は時雨さんの手をぱっと放して、椅子を倒しそうになりながら立ち上がる。
時雨さんも「あいねさん」と言いながら立ち上がった。
「わ、私、妖怪退治なんてできませんけどっ!? 私なんて、すごく普通で……ほかの子たちが、勉強とか、体育とかで活躍してるの、いつもうらやましいなって見てるだけなんです。特別な才能もとりえも、なんにもないのに、……妖怪退治なんてできるわけ、ないのにっ」
「それでも、怪異たちから見れば、あいねさんは脅威なんです。……それと、霊能力とは別ですが、ぼくからみたら、あいねさんはとりえがないどころか立派な才能をお持ちですよ」
「うう、そんなお世辞を」
「お世辞ではありません。ですからどうかお願いです、ぼくにあなたを守る許しを与えてください」
「そ、それは……時雨さんが守ってくれるなんて、すごくありがたいですけど……」
そんなこと、お願いしちゃっていいのかな。
でも確かに、今日みたいなことがまた起きるとしたら、私じゃどうしようもないし……。
私はおそるおそる、上目づかいで時雨さんを見た。
「時雨さん……ごめんなさい、私を守ってもらえますか……?」
「もちろんです。謝る必要なんてありません。ぼくに、あなたを守護する栄誉を与えてくださって、ありがとうございます」
時雨さんがそう言って、テーブルを回って私の隣に来た。
「し、時雨さん?」
「今のままでは、あなたの身に危険が迫った時、ぼくはそれを知ることはできません。しかし、四六時中ぼくがあいねさんの隣に貼りついているのも難しいでしょう。ですから、こうしましょう」
時雨さんが私の顔に、右手を伸ばしてきた。
びくりと私の体が固まって、身動きができなくなる。ただ、時雨さんの深い色の瞳に吸いこまれそうになりながら、頭が熱くなって、ぼうっとしちゃった。
さっきから赤面したりおびえたりしたせいで、私の目に少し涙が浮かんでるのを感じた。
時雨さんの指が、目じりのそのほんの少しの涙をすくい取った。
「ぼくは契約する。空羽あいねのしもべとなり、わが身のすべてをかけて守らんことを」
契約……
なんのことだろうと思ってたら、私の涙が、時雨さんの指の先で光り始めた。
「えっ、えっ!?」
その光がはじけて、小さな輝く粒になって、私と時雨さんを包む。
きらきらする光のシャワーの中で、私はなにが起きてるのかぜんぜん分からずに、きょろきょろと首を回す。
「な、なんですかこれ?」
「ぼくは、あなたのしもべになりました。あいねさんに危険な怪異が近づけば、ぼくがどこにいてもたちどころに察知して、すぐに駆けつけることができます。ぼくは吸血鬼ですが、昼間でも大丈夫。……といっても、明るいうちに強力な行動ができる怪異はあまりいませんけどね」
そう言って、時雨さんは微笑む。
「ま、待ってください。しもべって、時雨さんが私のですか?」
「そうです。ぼくが、なんでも言うことを聞く操り人形のようなしもべを持つのと違い、完全にぼくの自由意思であなたをお守りします。この上なく、健全なしもべでしょう?」
「でも時雨さんをしもべにって、……なんだか私偉そうじゃないですか!? しもべって!?」
「そうは思いません。必要な立場で、必要な役目をぼくがまっとうするだけです。では改めまして、……あいねさん」
時雨さんがじっと私の目を見つめてくる。
本当に、不思議なくらい、透き通ってて深い瞳。
思わず私は、背筋を伸ばして、
「は、はい」
と答えた。
「あなたのしもべ、吸血鬼の時雨です。これからよろしくお願いいたします」
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児童書・童話
網浜ナオは勉強もスポーツも中の下で無難にこなす平凡な少年だ。今年はいよいよ最高学年になったのだが過去5年間で100点を取ったことも運動会で1等を取ったこともない。もちろん習字や美術で賞をもらったこともなかった。
しかしそんなナオでも一つだけ特技を持っていた。それは編み物、それもあみぐるみを作らせたらおそらく学校で一番、もちろん家庭科の先生よりもうまく作れることだった。友達がいないわけではないが、人に合わせるのが苦手なナオにとっては一人でできる趣味としてもいい気晴らしになっていた。
そんなナオがあみぐるみのメイキング動画を動画サイトへ投稿したり動画配信を始めたりしているうちに奇妙な場所へ迷い込んだ夢を見る。それは現実とは思えないが夢と言うには不思議な感覚で、沢山のぬいぐるみが暮らす『もふもふの国』という場所だった。
そのもふもふの国で、元同級生の丸川亜矢と出会いもふもふの国が滅亡の危機にあると聞かされる。実はその国の王女だと言う亜美の願いにより、もふもふの国を救うべく、ナオは立ち上がった。
【奨励賞】おとぎの店の白雪姫
ゆちば
児童書・童話
【第15回絵本・児童書大賞 奨励賞】
母親を亡くした小学生、白雪ましろは、おとぎ商店街でレストランを経営する叔父、白雪凛悟(りんごおじさん)に引き取られる。
ぎこちない二人の生活が始まるが、ひょんなことからりんごおじさんのお店――ファミリーレストラン《りんごの木》のお手伝いをすることになったましろ。パティシエ高校生、最速のパート主婦、そしてイケメンだけど料理脳のりんごおじさんと共に、一癖も二癖もあるお客さんをおもてなし!
そしてめくるめく日常の中で、ましろはりんごおじさんとの『家族』の形を見出していく――。
小さな白雪姫が『家族』のために奔走する、おいしいほっこり物語。はじまりはじまり!
他のサイトにも掲載しています。
表紙イラストは今市阿寒様です。
絵本児童書大賞で奨励賞をいただきました。
図書室はアヤカシ討伐司令室! 〜黒鎌鼬の呪唄〜
yolu
児童書・童話
凌(りょう)が住む帝天(だいてん)町には、古くからの言い伝えがある。
『黄昏刻のつむじ風に巻かれると呪われる』────
小学6年の凌にとって、中学2年の兄・新(あらた)はかっこいいヒーロー。
凌は霊感が強いことで、幽霊がはっきり見えてしまう。
そのたびに涙が滲んで足がすくむのに、兄は勇敢に守ってくれるからだ。
そんな兄と野球観戦した帰り道、噂のつむじ風が2人を覆う。
ただの噂と思っていたのに、風は兄の右足に黒い手となって絡みついた。
言い伝えを調べると、それは1週間後に死ぬ呪い──
凌は兄を救うべく、図書室の司書の先生から教わったおまじないで、鬼を召喚!
見た目は同い年の少年だが、年齢は自称170歳だという。
彼とのちぐはぐな学校生活を送りながら、呪いの正体を調べていると、同じクラスの蜜花(みつか)の姉・百合花(ゆりか)にも呪いにかかり……
凌と、鬼の冴鬼、そして密花の、年齢差158歳の3人で呪いに立ち向かう──!
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