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作戦

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 恐らく、『赫の王』の斥候が近くにいるはずだ。
 熊の変化たちがどんなに戦闘能力に自信があっても、自軍の前線部隊を撃破した相手を、見張りもつけずに捨ておくはずがない。
 それについては、切風、茉莉、ワタヌキ、それに千哉も含めて、誰もの見解が一致していた。
 その斥候を逆に捕えるべく、千哉と伊織が、五匹ほどの犬妖を連れて周囲を探索に出た。
 すると、力押しで突き進んできた『赫の王』の軍ということで、こうした隠密的な行動についてはあまり意識が高くないのか、千哉たちはあっさりと蜘蛛とネズミの変化を捕まえて、犬神茶房に凱旋した。

「伊織。さすがカマイタチだけあって動きが鋭いな。あっさりスパイどもを転倒させてくれたんで、縛り上げるのが楽だったよ」

 千哉は屈託なくそう言う。常に腹に一物ありそうな切風と違い、素直な性格の伊織とは、千哉は急速に打ち解けつつあった。見た目の年齢が近そうなためもあっただろう。実年齢は、伊織のほうがだいぶ上だが。

「いえいえ、拙者はカマイタチの中では次鋒でして。我らは三位一体、先頭の者が相手を転ばせ、次鋒が切りつけ、三番手の者が血止めの薬を塗りまする。先鋒に比べれば、拙者の転倒術などまだまだです」

 へえ、と千哉が相槌を打ちかけた時、ちょうど森が切れて犬神茶房が目に入ったが、その入り口前の広場で、なにやら切風と茉莉が戯れていた。
 いや、はたからは戯れにしか見えないが、どうやら切風が茉莉に柔術のけいこをつけているらしい。茉莉は必死な表情で、切風の突きや蹴りを受け流そうとしては、上手くいかずによろめいている。
 上空では、雷蘭がカラスの姿で旋回し、周囲を警戒していた。
 その下の切風の声が、千哉たちにも聞こえてきた。

「んー、茉莉なかなか運動神経がいいね。何が来るのか分かってれば、だいぶさばけるようになってきた。でも、実戦だと相手がなにしてくるかなんて分かんないから、まだ危なっかしいな」

「うう……ど、どうすればいいんでしょうか……」
「そうだなー、できれば相手の技が限定できるといいんだけど。右手で突きを打つよう誘導したり、左足で蹴りを出させるよう仕組んだりって具合に。ま、ちょっとまだ難しいかな」

「うぐうう……できそうな気がしません……」

 息を切らした茉莉と、平然とした様子の切風が、同時に千哉たちに気づいた。

「あー、お疲れ。早かったじゃん。斥候、いた?」

 切風に訊かれて、千哉が答える。

「いた。蜘蛛とネズミの変化が二匹ずつ」

 縄で縛られた、人間の中学生ほどの大きさがある蜘蛛とネズミに、茉莉は思わずたたらを踏んだ。一方で千哉は平然としているので、こうした怪異との接触にはすでに慣れているらしい。

「じゃ、ワタヌキ入れて尋問といくか。顔見知りがいたほうがしゃべりやすいだろ、そいつらも」切風はそう言って、それから小声で茉莉にだけ、「どうも『赫の王』様はあんまり人徳なさそうな気がするしな。あっさり陣容を聞き出せるといいんだけど」と告げた。

「……あまり、手こずらないかもしれません」と茉莉。

「お。なんで?」
「千哉くんたち割と早く戻ってきましたし、疲れてもなさそうで怪我もないし……。たぶんあの蜘蛛とネズミの人(?)、あんまり強い妖怪じゃないんですよね?」

「ああ、だろうね。妖気の質見るとそんな感じ」
「そうすると、『赫の王』の軍は、斥候をそんなに重要視していないのかもしれません。その場合、彼らの扱いもそれなり程度でしょうし、特に強い忠誠心は生じていないかも」

「……ふ。いいね。その辺りを突いてみるか」

 尋問は、それから、三十分もかからなかった。
切風たちが、『赫の王』において六士と呼ばれる精鋭の一匹である赤炎郎を瞬く間に倒した剛の者であること。
 茉莉の言ったとおり、斥候というのは『赫の王』軍においては日陰者であり、非力で役に立たないと決めつけられたものに押しつけられた役割であること。
 そして、てっきり切風たちに拷問じみた真似をされると思っていたら、斥候たちには茶と菓子が供され、切風自らテーブルを挟んで親しげに接してきたこと。
 これらは、今まで力で押さえつけられながら忸怩たる思いをさせられてきた妖怪たちにとって、その心を開かせるのにあまりに効果的だった。
 妖怪の主従関係は、人間と似ていながら少々感覚が違う。利害関係や力への畏怖が下地にありながらも、気分次第で、人間の感覚からすればあまりにも簡単に寝返ってしまう者も多い。
 結果、切風たちは、短時間のうちに、『赫の王』の兵数、兵種の内訳、進行方向、命令系統など、軍の中枢部の機密と言えるもの以外の情報をことごとく手に入れた。

「んー」
「どうしたんですか、切風さん?」

 嬉しそうに茶をすすっている妖怪たちを喫茶室に残し、切風は厨房で茶器を片づけている。茉莉はそれを、見よう見まねで手伝っていた。
 切風が小声で、

「たいていはさ、用済みになった敵の斥候って、裏切り者で捕虜にもならないから、バッサリやっちゃうんだけど」
「ばっ……!?」

 茉莉は慌てて自分の口を押える。

「茉莉、そういうの反対だよね?」
「は……反対ですっ。いくらなんでも気の毒過ぎますし、そんなことしたら、今後寝返ってくれる人たちも寝返らなくなりませんか?」

「妖怪ってそういうとこのんきなやつが多くてさ、そうでもないんだよ。ていうかあいつらもぺらぺらしゃべってくれたのはありがたいけど、その後で用済みになった自分たちがどうなるかってことに頭が回らないんだよな……。まあ、そういうやつらを適当に斥候に出してるってのが、あちらさんの隙でもあるんだけど。あ、その青い器は水に沈めといて」
「はいっ。あの、では、あの四人は、戦いが終わるまでどこかに隔離しておくくらいでいいですよね?」

 切風がにやりと笑った。邪気のないほうの笑い方で。

「いいよ。茉莉は、おれたちとは違うね。違う者たちがひとところにいるってのは、やっぱりいいもんだ。この世に、消えずに残ってよかった」
「切風さん……?」

「なんでもない。さ、んじゃあの斥候どもが茶を飲み終わったら、奥の座敷にでも入れて、おれたちは評定――作戦会議だ。一戦必勝の、ね」



 敵の軍容は知れ、戦闘に必要な情報は揃った。
また、うれしい誤算で、切風のもとに集った兵は、千五百を数えていた。
今ある材料で、いかに勝つか。その作戦がここで決められる。
 切風、茉莉、雷蘭、伊織、ワタヌキ、千哉。それに加えて、犬妖の一匹である紺模様こんもようという青年姿の妖怪が加わって、犬神茶房の一室に集っていた。四角いテーブルに、椅子がすえつけられているが、喫茶室のように意匠のようなものはなく、質実剛健な作りだった。集い話し合う、それ以外の行為を、部屋自体が拒んでいるようにさえ見える。
 紺模様は犬の姿の時、褐色の体毛ながら、額に紺色のひし形がある。それは人間の姿になっても額に表れていた。そこから彼の呼び名がついた。犬妖にあっては切風に次ぐ実力者であり、今回、副将を務めることになっている。
 いよいよ始まる。小競り合いではなく、お互いの大将同士が率いる軍が全力でぶつかり合う、信州の命運がかかった一戦が。そう思うと、茉莉の喉が鳴った。口の中が乾いている。
 先ほど切風はこともなげに言ったが、この一戦に全てがかかっている。失敗は許されない。引き分けて仕切り直し、とでもなれば、総力に劣る今の南信州では『赫の王』には勝ち目はない。

「さて」と切風が仕切り、評定が始まった――のだが。「始める前になんだけど。妖怪が一匹、さっき犬神茶房に着いて、うちの軍に加わることになった」

 一匹くらいでなにを大げさな、と誰もが首をかしげる。
 そして、伊織と紺模様だけが顔色を変えた。

「お。二人は、感づいちゃったかな。誰のことだか」と切風が軽い調子で言うが伊織たちの顔は青ざめている。
 伊織が、震える声を出した。

「あの。まさか」
「ふ。そのまさかだ、たぶん」

「お、お待ちください。それは、深慮を重ねたほうが」

「深慮の必要などなああああいっ! おのこたるもの、常に前へ進み敵を屠るのみ!」

 甲高い声と共に、部屋の引き戸が、バンと開いた。
 そして、白く細いひげを生やした、細い目の、壮年の男が、そこに立っていた。髪は白髪で、烏帽子をかぶり、武士のような白色の甲冑を着込んでいる。背中に弓矢と、左腰には太刀を佩き、その腰の後ろからは、白いふさふさとしたしっぽが生えているのが茉莉から見えた。

「狐……の妖怪さん、ですか?」

 思わずそう言った茉莉のほうに、男が向き直る。

「いかにも! わしこそは古今に比類なき知謀の軍師、雪白の妖狐! かの宮成家みやのなるいえなるぞ! 控えええいっ!」

 茉莉の視界の端で、伊織と紺模様が頭を抱えているのが見える。切風さえ、深々と息をついてた。
 しかし、成家。茉莉は、どこかで聞き覚えがあった。成家……

「ああっ!」と、茉莉はぽんと手を打った。「成家さん! まずい作戦で魏良さんたちが負けるきっかけを作ったっていう!?」
「ぬうっ!? なんたる風評被害! 事実と異なる醜聞、うのみにするようでは知性の底が知れるのう!」

「いや、事実でしょ」と切風がつぶやく。

 今度は、成家は切風に向き直った。

「なにを言うか! わしは一刻を争っての急襲こそが肝要と繰り返し献策した! しかし思うように集まらぬ兵に、焦心の至りであった隙を、敵に突かれたのだ……。みんなそう言っておるぞ」

 茉莉は、切風と伊織に間に入って小声で訊いた。

「そうなんですか? みんなって?」
「いえ」と伊織が答える。「ですが、あれは嘘をついてるのではなく、本当にもう、そう思い込んでしまっておるのです。成家殿には、いつものことなのですが」
ええ……とうめく茉莉をよそに、伊織が切風に訊いた。

「切風様、本当に成家殿を加えるのですか? 妖怪は年経た格を重く見る者も多うございますから、あの方が軍師としてひとかどに見られることもあるのは承知です。しかしこう申してはなんですが、成家殿の采配は優れたものとは言いがたいことが多く、重要な一戦においてはおられないほうがいいくらいでは……」

 そこまで言われるほどひどいのか、茉莉はおののいたが。

「ん。言ってることは分かるよ。その通りだとも思うね。ただ、今回は、こっちの手駒があまりにも足りなさすぎるでしょ。あの人、戦えばそれなりの使い手だ。そう捨てたもんじゃないさ。……おーい、成家」
「おう? なんじゃ、切風」

「いいか、今回のお前は、あくまで一将だ。くれぐれも、軍師まがいの真似なんてしようと思うなよ。余計なことはせず、指示にだけ従うんだよ?」

 切風はにこやかにそう言ったが、成家の眉間には、深いしわが寄った。

「ぬう……上から……?」

「あ?」
「上から申したか、今?」

 切風が顔をしかめる。

「なに言ってんの、お前?」
「上から上から上からアアアア! 貴様より二百年は長く生きとるわしに向かって、上からもの申すとはアアアア!」

「やかましい!」

 切風が席を立ち、成家の胸の辺りをつかんだ。
 次の瞬間には鎧姿が宙に舞い、半回転して床に叩きつけられる。

「上からに決まってんだろーが! お前がおれより上の要素ってなんかあんの!?」
「歳とかかのう!」

「お前、自分より歳が上の妖怪から叱責されても今の調子でかんしゃく起こすらしいじゃん! てことはおれのが歳上でも同じこと言うだろーよ! ほんとに調子のよさと思い上がりだけは一丁前だな!」
「ぬうう……」と成家が体を起こしながらうめく。「耳の痛い話をされれば、全て人のせい……か。他責志向というやつかな。やれやれよ」

「お前じゃああああっ!」

 ほとんど殴りかかりそうになる切風を、伊織と紺模様が止めた。
 千哉が、「戦力になるのか、あれ……?」とこぼす。茉莉も同感だったが。

 切風は、乱れた着物の襟をさすって整えると、努めて落ち着かせた声で、成家に言う。

「いいか。お前を軍に入れることに、反対してるやつは十や二十じゃないぜ。だけど、大陸のことわざに、こんなのがあるのさ。人材を用いる時は、木材にならえ。腐れたところは打ち捨てて、使えるところを活用するってことだね」
「おお。得心するわい」

「……成家。お前は、この南信州を守るために自分から魏良に合力したよね。そして蹴散らされた後でも心屈せず、こうして戦い抜く意志がある。おれがかってるのは、そこだよ」
「かっかっか。わしの肝は筋金入りよ。何者もくじくことはできはせんわ。熊でも狒狒ひひでも、恐れるに足らずよ」

「うんうん。さすがだ。優れた武将って言うのは、己の役割をよく理解して、それを全うするために動くもんだよ。じゃ、余計なことはせずに、おれの指示に従うって約束できるよね?」

千哉が「二度目……」とつぶやく。
 ようやく首を縦に振った成家がテーブルにつき、これで現在の切風側の幹部は全てそろったことになる。

「よーし、じゃ、仕切りなおすね。いいか、まず、敵の首領は『赫の王』こと恒河沙。熊の変化だ。御大将自ら出張ってきてて、側近は六士って呼ばれる熊が五匹。一匹はおれが倒した。あれと同程度だとすると、たぶん、残りの五匹とは、伊織や成家でも一対一じゃ分が悪い。一騎打ちは基本禁止ね」

 その言いように、茉莉は、切風とほかの幹部との戦闘能力には極端に開きがあるのだと改めて認識した。切風は謙遜したが、彼が赤炎郎を圧倒したのは事実だ。切風以外の戦士では、ああはいかないのだろう。

「続けるよ。敵兵数は約四千匹。こっちは千五百匹。だから、場所、機、兵数、全ての要素を嚙み合わせて奇襲しなきゃ勝ち目はない。今やつらの主軍は、ゲーロ岩の辺りまで来てる」

「ゲーロ岩!」と何人かがうめいた。
 土地勘のない茉莉に、千哉が耳打ちする。

「表世界にあるカエルの形の岩で、裏世界にも似たような岩がその辺にあるんだ。まだこの辺――飯田市街までは近くはないが、遠くもない。その気になれば、すぐにでも大挙して押し寄せられる位置だな」
「そうなんだ……千哉くん、詳しいね」

「近場の地図くらいは頭に入れておかないとな。いつ戦場になるか分からないんだし」

 うん、と茉莉がうなずきかけたところで、切風が、
「はいはーいそこ聞いてるー?」

「は、はいっ! 聞いてますっ!」
「よしよし。で、茉莉とおれとで少し前から話してたんだけど、やつらを奇襲するのに、ここにおびき寄せたいなっていうとこがある」

 切風が、テーブルにばさりと地図を広げた。
 茉莉がなんとなく引っ越しの前後に見ておいた飯田近辺の地図と似ているが、ところどころが違う。裏世界の地図であり、切風と茉莉はこれを見て、すでにいくつかの作戦を立てていた。その中から、どれを採用し、実行するか。

「ここ」と切風が一転を指さす。

「天竜公園のあたりか……」と千哉。
 紺模様が、「はっ。表世界でいうところの、天竜公園阿智線に沿った辺りですな」と言って茉莉を見るが、茉莉には表世界のほうの地名にまだ疎く、「あ、はい、かもです……」などとうめいた。
 東西と南に山がせり出していて、小さな盆地状になった空間がある。北側には阿智川が横たわっていた。
 ここへ『赫の王』の主軍をとどまらせ、一気に叩くというのが茉莉の案であり、切風も採用した。

「ここはね、山に囲まれて視界は悪いし、一か所に大軍ではいられない。少数精鋭のおれたちに分がある。そうだな、ワタヌキ?」
「はっ。『赫の王』の軍は、軍を分けることを好みませなんだ。なればこそ、可能な限り軍を固めにくい地に誘い込めば、陣立ては乱れるでしょう」

 それから、評定はいよいよ細かい内容に入っていく。
 斥候から得た情報に、ワタヌキの持つ情報。
 切風の軍はどのように隊を分け、誰が率いるのか。
 そしてなにより、どのようにして『赫の王』軍を壊滅させるのか。
 あらかじめ、切風と茉莉は少しずつ話を進めていたので、評定は滑らかに進んだ。
 やがて、それが終わると、ただちに全ての兵が犬神茶房に集められ、隊分けが伝えられた。

 軍は三つに分ける。
 主軍が千。
 遊軍が二百。
 そして、勝敗の鍵を握る、からめ手に三百。
全てをかけた一戦であるため、後詰めは、必要ない。
 
 そして開戦に先立って、千哉と、紺模様配下の犬妖の群れが、切風の命を受けて、弓を携えて裏信州の山に消えた。
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