夜煌蟲伝染圧

クナリ

文字の大きさ
上 下
32 / 51

第32話 第七章 人の夢

しおりを挟む
 一階と二階の間の踊り場に着くと、階段の下に、斯波方先輩は立っていた。
「……よう。来ちまったのかよ」
「あなたを、……許しません」
 私は階段を下り切って、先輩の前に立つ。
「分かったんだな、真相が」
「はい。きっと、蟲が持っている記憶は、取り憑いた人間に近しい人のものほどはっきりと見えるんですね。その方が、ダメージも大きくて自殺させやすくなりますし。たまらないですね。でもお陰で、……分かりました」
「蟲どものお陰で、俺ら、色んなこと知り合っちまったな。新九郎や柚子生さんにも、昔何があったのか、よ。分かり合うって、あんまり良いことばっかりじゃねえよな。そうか……お前も見たか。それ、新九郎のか?」
 私の肩に乗っている緑の粒を先輩が示した。さっき、一坂に浴びせられたものの残りだろう。私はそれを払い落とす。
「はい。一坂は、……死にました」
「辛そうだな。お前、昨日までの鉄面皮とは、別人みたいな顔だぜ」 
 私は階段を下り切り、正面から斯波方先輩と相対した。先輩の眉間の傷が、痛々しく赤い。
「私、綾花、さんの……記憶も見ました。先輩との思い出を」
「恥ずかしいな。馬鹿みたいな顔してただろ、俺」
 苦笑した斯波方先輩が、そこで真顔になる。
「悪かったな。……あんまり近寄んな。危ねえぞ」
 ぐにぐにとうごめく、分厚い緑色の繭の中に包まれた先輩が、そう言った。とても、取り去れる量じゃない。多少の耐性があろうと関係無いくらい、どう見ても致死量の蟲。
「嘘をついたんですね。ずっと、ずっと、先輩は死にたかったんですね。今夜、自分は死んで、私だけを生き残らせようとしてたんですね。先輩が私と一緒に隠れずに降りて行ったのは、自分だけが死ぬためだったんですね」
「嘘ってわけじゃねえよ。できれば、生きていたいさ。でも、駄目だった……どうしても。俺が生きる理由は、もう、無くなっちまったから。それに、……綾花の記憶に、逢いたかった。どうしても、……どうしてもな。そうしたら、死んでも構わないってくらいによ。でも、お前はそうじゃない。生きる理由が、まだ見つかってないだけだ」
「私が生きる理由は、生きていたい理由は、今日見つかって、なのに今、……無くなろうとしています」
 先輩が、間の抜けた顔になった。本当に、予想外なのだろう。
「私は、人間なんて、いつどこで誰が死んだっておかしくなくて、だから、そんなのは別に大したことじゃないんだって思ってました。交通事故に遭った芸能人も、祖母や親戚も、夜煌蟲に取り憑かれて飛び降りた同じ学校の生徒も、誰が死んだって、心なんて痛まなかった。私は、母親が死んだって多分泣きません。でも、死んで欲しくないと思える人が、初めてできました。今日、何度も私を助けてくれた人です。私なんかを、……怪我してまで……助けて、くれた……自分の方が、凄く……辛いのに……」
 言葉が嗚咽に紛れて、しどろもどろになって行く。
 でも、何と伝えても、きっとどうしようもなく、この人はもうすぐ消えてしまう。自分で、そう望んでいるから。
 それを止める力が、今の私にあるとは思えなかった。そう思うと尚更強く込み上げてくる感情に、私は自失しかけていた。
「私じゃ駄目だって、分かってます。でも、せめて、生きててくれたっていいじゃないですか……!」
 何を言っているのだ、と自分でも思う。
 不条理な想い。理屈に合わない感情と行動。私は産まれて初めて、人間になったような気がした。
 その私を誕生させた人が、いなくなろうとしている。
 涙がぼろぼろと溢れた。先輩は困った顔をした。
「時森。俺は、お前が大事だ。でも、もう考えを改める気はねえ。手遅れだしな。俺は、綾花が死んだ時に、もう死体同然だったんだ。それが、やっと土の下に入るだけさ」
 私は、斯波方先輩の顔を見上げた。柔らかく、緩んだ目。
「生き延びろ。蟲どもに見せられた通りだ、あの人は自分ではお前を殺さないだろうが、隠れてるに越したことはねえ。……あの人の家に、呼ばれたことはあるか?」
 私は首を横に振る。
「凄く荒んでるんだよ。あの人の見てくれからは想像つかないくらいに、汚ねえ部屋でな。一度誘われたんだよ、本人に。ちょうど綾花が死んで、参ってた頃でな。部屋まではついて行っちまったが、その気になれなくて帰った。文芸部の他の男ども含め、何人も誘惑に乗っちまってたみたいだけどな。お互いに遊びのつもりだったか、そうじゃないかの差はあってもよ。男も女もお構いなしでな。なるほど、そもそもは接触感染だったわけだ、蟲どもは。今夜水道を使ったのは、ほんの仕上げか」
 そう言いながら、斯波方先輩が一歩後ろへ下がった。
「耐性のせいかな、まだあんまり深刻な状態じゃないみたいだが、確実に俺の頭の中が作り変えられていってるのが分かる。こんな感じなんだな。じゃあな、時森。さすがに、お前に最後まで見せるわけにはいかねえよ」
 先輩が、背中をこちらへ向ける。
「待って、……待って、ください」
「俺は今日まで、ずっと待ったんだ。もう帰らないものを待ち続けた。いい加減くたびれて、俺もこの場所から、出て行くのさ。やっと……やっと、だ」
 止めなければならない。どんなに無力でも、止めなければ。でも、足が動かない。
 太く低い先輩の声が、廊下に響く。
「時森。命が、この世で最も尊いと思うか? 意地も生きがいも失って、本当の意味でてめえが、ただ呼吸するだけの肉の塊だと思えても? 生きてさえいれば、どんな形でも構わないと、そう思うか?」
 私は立ち尽くしたまま、何とか声を絞り出した。
「今は、……思います。今なら、……思う……!」
「そうだな。俺もそう思うよ。だから、――……さよなら」
 涙で視界が歪む中、朧な緑の光をまといながら、斯波方先輩の姿は廊下の奥に消えて行った。きっと、焦がれ焦がれて追い求めた、綾花さんの記憶に包まれながら。
 私は制服の袖で涙をぬぐい、先輩が行ったのとは逆の方へ振り返る。職員室へ。
 斯波方先輩は、隠れていろと言った。一坂も。
 でも私は、今夜だけは、逃げ隠れしたりしない。
 会わなければならない。
 あの人に。
 怒りが、私の胸を焼いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神隠しの子

ミドリ
ホラー
【奨励賞受賞作品です】 双子の弟、宗二が失踪して七年。兄の山根 太一は、宗二の失踪宣告を機に、これまで忘れていた自分の記憶を少しずつ思い出していく。 これまで妹的ポジションだと思っていた花への恋心を思い出し、二人は一気に接近していく。無事結ばれた二人の周りにちらつく子供の影。それは子供の頃に失踪した彼の姿なのか、それとも幻なのか。 自身の精神面に不安を覚えながらも育まれる愛に、再び魔の手が忍び寄る。 ※なろう・カクヨムでも連載中です

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

呪配

真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。 デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。 『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』 その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。 不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……? 「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!

黒い花

島倉大大主
ホラー
小学生の朝霧未海は自宅前の廊下で立ち尽くしていた。 とても嫌な感じがするのだ。それは二つ隣の部屋から漂ってくるようだ……。 同日、大学でオカルト研究会に所属する田沢京子の前に謎の男が現れる。 「田沢京子さん、あなたは現実に何か違和感を感じた事はありませんか?」 都市伝説の影に佇む黒い影、ネットに投稿される謎の動画、謎の焦燥感…… 謎を追う京子の前で、ついに黒い花が咲く!

岬ノ村の因習

めにははを
ホラー
某県某所。 山々に囲われた陸の孤島『岬ノ村』では、五年に一度の豊穣の儀が行われようとしていた。 村人達は全国各地から生贄を集めて『みさかえ様』に捧げる。 それは終わらない惨劇の始まりとなった。

【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド

まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。 事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。 一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。 その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。 そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。 ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。 そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。 第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。 表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。

[全221話完結済]彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる

野花マリオ
ホラー
ーー彼女が語る怪異談を聴いた者は咲かせたり聴かせる 登場する怪異談集 初ノ花怪異談 野花怪異談 野薔薇怪異談 鐘技怪異談 その他 架空上の石山県野花市に住む彼女は怪異談を語る事が趣味である。そんな彼女の語る怪異談は咲かせる。そしてもう1人の鐘技市に住む彼女の怪異談も聴かせる。 完結いたしました。 ※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。 エブリスタにも公開してますがアルファポリス の方がボリュームあります。 表紙イラストは生成AI

処理中です...