5 / 42
病院の外のベンチ2
しおりを挟む
「それは?」
「怪我なんてない方がいいに決まってますし、僕なんかが少しでも役に立てるなら、という……のと」
「というのと?」
先輩は、穏やかに、伏せ目がちに微笑んでいる。
これを言葉にするのは、気恥ずかしく、格好悪くて、会ったばかりの人に話すことではないと思った。
それでも、……ずっと、誰かに聞いてもらいたかったことだった。同時に、同じくらい強く、誰にも聞いてもらえないとも思っていた。
それを、この人は、聞いてくれる。同じ能力を持って、同じことをしていた、水葉先輩なら。
「入院してる人たちは、本当なら、学校や会社に行くはずの時間を、病院で過ごしている人たちです。……僕は、登校拒否なんです。学校も、学校にいる人間も嫌いだ。でも、行きたい場所がある人たちは、そこへ行った方がいい。いいに決まってる。だから……だから」
先輩の目は、軽く見開いていた。
登校拒否のことは、言わない方がよかったかもしれない。どう思われただろう。
学校に行けなくなる直前、僕はクラスの人たちから、たくさんのひどい言葉を投げつけられていた。
意気地なし、自信過剰、自意識過剰、格好つけ、弱虫、臆病者、卑怯者……
言う方は楽しくてたまらないという顔で、気軽に、そして勢い込んで、思いつく限りの罵倒をしてきた。新しい誹謗の言葉や、僕の苦しむ要素を見つけることが何よりの娯楽だと、信じて疑わないその様子に、異様すぎて恐怖すら覚えた。
これで登校拒否にでもなったらお前は本当の落ちこぼれになるぞ、と指を差して笑われもした。
とても腹立たしく、しゃくで、絶対に学校に通い続けてやると心に決めた。
それなのに、僕の足は、登校するために家の門を出ることできなくなった。
僕の状態がよほど愉快だったのか、数日後にわざわざ僕の家の外までやってきた連中から、辺り中に響く声で「負け犬」という笑い声も浴びせられた。
悔しくて、恥ずかしくて、死にそうだった。
思い出すだけで、内蔵がうねりそうになる。
僕はそういう人間だった。結局学校に行けなくなった、笑われる落伍者だった。ここのところ、幽体で一人出歩いてばかりだったので、失念していた。
水葉先輩には、言うんじゃなかった。
そう思った時、先輩の手が、僕の肩に置かれた。
実体の手は、幽体の僕の体をすり抜けてしまう。けれど先輩は、本当に触れているように、右手を僕の肩先に浮かせていた。
「五月女くんは、善良な人だね。皆が、君みたいだったらいいのに」
「……え。いえ」
先輩にそう言われて、何か答えなければならないと思った。
大袈裟です、とか、先輩こそ、とか。
けれど、先輩の言葉を何度も頭の中で繰り返すうちに、胸の内側で温かさが膨らみ、なす術もないまま弾けてしまった。
この世界ではかたちのないはずの僕の目から、その温かさがこぼれ落ちた。
しゃくりあげたら泣いていることに気づかれてしまうと思い、必死で自分を抑えた。
でも、そんな努力は徒労だったかもしれない。
何も言えないまま、僕は、ただ、先輩の瞳を見つめていた。
冬が近いはずの空気は、いつもよりぬるんで風もなく、僕たちを包んでいる。
そして何より、水葉先輩の手のひらの温度が、確かに僕の肩に感じられた。
「怪我なんてない方がいいに決まってますし、僕なんかが少しでも役に立てるなら、という……のと」
「というのと?」
先輩は、穏やかに、伏せ目がちに微笑んでいる。
これを言葉にするのは、気恥ずかしく、格好悪くて、会ったばかりの人に話すことではないと思った。
それでも、……ずっと、誰かに聞いてもらいたかったことだった。同時に、同じくらい強く、誰にも聞いてもらえないとも思っていた。
それを、この人は、聞いてくれる。同じ能力を持って、同じことをしていた、水葉先輩なら。
「入院してる人たちは、本当なら、学校や会社に行くはずの時間を、病院で過ごしている人たちです。……僕は、登校拒否なんです。学校も、学校にいる人間も嫌いだ。でも、行きたい場所がある人たちは、そこへ行った方がいい。いいに決まってる。だから……だから」
先輩の目は、軽く見開いていた。
登校拒否のことは、言わない方がよかったかもしれない。どう思われただろう。
学校に行けなくなる直前、僕はクラスの人たちから、たくさんのひどい言葉を投げつけられていた。
意気地なし、自信過剰、自意識過剰、格好つけ、弱虫、臆病者、卑怯者……
言う方は楽しくてたまらないという顔で、気軽に、そして勢い込んで、思いつく限りの罵倒をしてきた。新しい誹謗の言葉や、僕の苦しむ要素を見つけることが何よりの娯楽だと、信じて疑わないその様子に、異様すぎて恐怖すら覚えた。
これで登校拒否にでもなったらお前は本当の落ちこぼれになるぞ、と指を差して笑われもした。
とても腹立たしく、しゃくで、絶対に学校に通い続けてやると心に決めた。
それなのに、僕の足は、登校するために家の門を出ることできなくなった。
僕の状態がよほど愉快だったのか、数日後にわざわざ僕の家の外までやってきた連中から、辺り中に響く声で「負け犬」という笑い声も浴びせられた。
悔しくて、恥ずかしくて、死にそうだった。
思い出すだけで、内蔵がうねりそうになる。
僕はそういう人間だった。結局学校に行けなくなった、笑われる落伍者だった。ここのところ、幽体で一人出歩いてばかりだったので、失念していた。
水葉先輩には、言うんじゃなかった。
そう思った時、先輩の手が、僕の肩に置かれた。
実体の手は、幽体の僕の体をすり抜けてしまう。けれど先輩は、本当に触れているように、右手を僕の肩先に浮かせていた。
「五月女くんは、善良な人だね。皆が、君みたいだったらいいのに」
「……え。いえ」
先輩にそう言われて、何か答えなければならないと思った。
大袈裟です、とか、先輩こそ、とか。
けれど、先輩の言葉を何度も頭の中で繰り返すうちに、胸の内側で温かさが膨らみ、なす術もないまま弾けてしまった。
この世界ではかたちのないはずの僕の目から、その温かさがこぼれ落ちた。
しゃくりあげたら泣いていることに気づかれてしまうと思い、必死で自分を抑えた。
でも、そんな努力は徒労だったかもしれない。
何も言えないまま、僕は、ただ、先輩の瞳を見つめていた。
冬が近いはずの空気は、いつもよりぬるんで風もなく、僕たちを包んでいる。
そして何より、水葉先輩の手のひらの温度が、確かに僕の肩に感じられた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
〖完結〗インディアン・サマー -spring-
月波結
青春
大学生ハルの恋人は、一卵性双生児の母親同士から生まれた従兄弟のアキ、高校3年生。
ハルは悩み事があるけれど、大事な時期であり、年下でもあるアキに悩み事を相談できずにいる。
そんなある日、ハルは家を出て、街でカウンセラーのキョウジという男に助けられる。キョウジは神社の息子だが子供の頃の夢を叶えて今はカウンセラーをしている。
問題解決まで、彼の小さくて古いアパートにいてもいいというキョウジ。
信じてもいいのかな、と思いつつ、素直になれないハル。
放任主義を装うハルの母。
ハルの両親は離婚して、ハルは母親に引き取られた。なんだか馴染まない新しいマンションにいた日々。
心の中のもやもやが溜まる一方だったのだが、キョウジと過ごすうちに⋯⋯。
姉妹編に『インディアン・サマー -autumn-』があります。時系列的にはそちらが先ですが、spring単体でも楽しめると思います。よろしくお願いします。
青春リフレクション
羽月咲羅
青春
16歳までしか生きられない――。
命の期限がある一条蒼月は未来も希望もなく、生きることを諦め、死ぬことを受け入れるしかできずにいた。
そんなある日、一人の少女に出会う。
彼女はいつも当たり前のように側にいて、次第に蒼月の心にも変化が現れる。
でも、その出会いは偶然じゃなく、必然だった…!?
胸きゅんありの切ない恋愛作品、の予定です!
氷の蝶は死神の花の夢をみる
河津田 眞紀
青春
刈磨汰一(かるまたいち)は、生まれながらの不運体質だ。
幼い頃から数々の不運に見舞われ、二週間前にも交通事故に遭ったばかり。
久しぶりに高校へ登校するも、野球ボールが顔面に直撃し昏倒。生死の境を彷徨う。
そんな彼の前に「神」を名乗る怪しいチャラ男が現れ、命を助ける条件としてこんな依頼を突きつけてきた。
「その"厄"を引き寄せる体質を使って、神さまのたまごである"彩岐蝶梨"を護ってくれないか?」
彩岐蝶梨(さいきちより)。
それは、汰一が密かに想いを寄せる少女の名だった。
不運で目立たない汰一と、クール美少女で人気者な蝶梨。
まるで接点のない二人だったが、保健室でのやり取りを機に関係を持ち始める。
一緒に花壇の手入れをしたり、漫画を読んだり、勉強をしたり……
放課後の逢瀬を重ねる度に見えてくる、蝶梨の隙だらけな素顔。
その可愛さに悶えながら、汰一は想いをさらに強めるが……彼はまだ知らない。
完璧美少女な蝶梨に、本人も無自覚な"危険すぎる願望"があることを……
蝶梨に迫る、この世ならざる敵との戦い。
そして、次第に暴走し始める彼女の変態性。
その可愛すぎる変態フェイスを独占するため、汰一は神の力を駆使し、今日も闇を狩る。
私たち、博麗学園おしがまクラブ(非公認)です! 〜特大膀胱JKたちのおしがま記録〜
赤髪命
青春
街のはずれ、最寄り駅からも少し離れたところにある私立高校、博麗学園。そのある新入生のクラスのお嬢様・高橋玲菜、清楚で真面目・内海栞、人懐っこいギャル・宮内愛海の3人には、膀胱が同年代の女子に比べて非常に大きいという特徴があった。
これは、そんな学校で普段はトイレにほとんど行かない彼女たちの爆尿おしがまの記録。
友情あり、恋愛あり、おしがまあり、そしておもらしもあり!? そんなおしがまクラブのドタバタ青春小説!
とうめいな恋
春野 あかね
青春
とうめい人間と呼ばれている瑞穂と、余命僅かと宣告された爽太は一週間だけ、友達になるという約束をする。
しかし瑞穂には、誰にも言えない秘密があった。
他人に関して無関心だった二人が惹かれあう、二人にとっての最期の一週間。
2017年 1月28日完結。
ご意見ご感想、お待ちしております。
この作品は小説家になろうというサイトにて掲載されております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる