4 / 18
4
しおりを挟む
そこからは、どこをどう歩いたかよく覚えてない。
通学路の近くなんだから、そこまで縁遠い土地じゃないはずなのに、いくつかの角を曲がったり戻ったり(本当に来た道をただ引き返したりした。迷ったり、間違えたわけじゃないみたいだった)していると、ほとんど土地勘が働かなくなっちゃった。
頭の上には、大鴉が少しずつ羽ばたきながらついてくる。
その道すがら、月詠さんは、私とまゆにさっきの話をもう少し詳しく教えてくれた。
「怪異が見える才能というのは、あれば必ず芽吹くものでもない。一方で、きっかけさえあれば、それまで霊感なんてゼロだった人間が急に化け物を見始めることもある」
「私、化け物なんて見えないですけど……あ」
「気づいたか。昨夜の、スミレワタリが見えたのは、凛の才能が開花したからだ。今後は、少なくとも自然には、怪異が見えなくなるということはないだろうな」
「うう……見えちゃうんですね、いろいろ……。でも、なんで急に……」
「なにがきっかけになったかは分からんが、可能性が高いのは、小説の執筆だろうな」
「しょ、小説書くと、お化けが見えるようになるんですか?」
「小説に限らない。歌の歌唱でも、スポーツでも、あるいは学校の勉強だっていいんだが。なにか、意識を集中させて感覚が研ぎ澄まされた時に、目覚めることが多いっていうな」
まゆが、歩きながら、教室で発表するときみたいに手を挙げる。
「でも、お化けが見えるようになるのって、自分の部屋に閉じこもってたりする時のイメージがあるんですけど……。活発に活動することで霊感が生まれるなんてこと、あるんですか?」
「才能の開花については、別に定義づけられてるわけじゃないからな。いろんなパターンがあるのさ。日野さんの言うように、部屋で布団かぶって何日も寝込んでて、ある夜目を覚ましたら見えるようになってた、なんて例もある。おそらくは、感覚の先鋭化がカギなんだと思うが」
せんえいか、とつぶやく私に、月詠さんが「先が鋭い、と書く」と教えてくれたので、なんとなく言葉の意味がイメージできた。
私、小説書きたいのに、知らない言葉がまだまだたくさんあるなあ……。
「で、だ。怪異というのは、正体が見えなければただの事故や自然現象にしか思えないわけだが、『見える』人間には怪異の仕業であることが分かってしまう。自分が見られていると知った怪異は、多くの場合、その人間に牙をむく。本能みたいなもんだ」
「こ、困りますそんなの!?」
月詠さんは、苦笑して前髪を少しかき上げた。
「そう、困るんだけどな。たとえば、さっきの夢魔。あれなんかはかなり身近にいるから、遠くないうちに凛を狙いだすだろう」
「な……っ」と、言葉に詰まる私。
「ど、どうにかならないんですか!?」とまゆ。
先輩は、そんな私たちに平然と言った。
「なるさ。凛は、おれが守る」
「へ?」と思わず目をぱちくりしてしまう。
「おれはこれでも、吸血鬼のはしくれだ。夢魔ごときに後れを取るかよ」
「どうして……そこまでしてくれるんですか? 私の書いた小説を、気に入ってくれたから? あんな、書きかけの……私、終わり方もまだ決めてなくて、そんなお話を、私が書いたからって……?」
「それもある。面白い物語を書けるってのは、おれにはまるで欠けた能力だ。そんな力の持ち主を、むざむざ怪異に傷つけさせたくはない。それに、昨夜みたいなことにいきなり巻き込まれて、凛がひどい目にあわされるっていうのも、気の毒に思う気持ちもあるよ。……でも、一番大きな理由は、ほかにある」
「一番大きな、理由……? な、なんでしょう」
なんだろう。全然思い当たらない。
そうこうしているうちに、空が結構暗くなってきた。
周りは特に変わったところのない住宅地で、なにか特別に目指すものがあるようにも見えない。
まだ、かかるのかな。
そう思った時、月詠さんがまゆのほうを向いた。
「そこで、日野さんに聞いておきたい」
「あ、あたし? なんでしょう?」
「君が、凛と、お互いに大切な友人同士なのは分かった。その上で訊きたい。怪異とかかわることになった人間に近しい者がとる態度は、おおむね、二つに一つだ。一つ、その相手と距離を取って、離れて安全に暮らす。二つ、奇妙な出来事に自分も巻き込まれかねないことを承知で、そばにいる。君はどうする?」
な……
いきなり、なんてことを。
いくら友達のためだって、そんなことをすぐ決められるわけはない。
今さっきだって、危なく事故にあうところだったのに。
それに、私だって、私のそばにいるせいでまゆがおかしな目にあうなんていやだ。
でも、まゆと今まで通りにいられなくなるのもいや。
こんなの、どうすれば――
「簡単です。二つ目です。あたしは、ずっと凛のそばにいます」
「まゆううううううう!」
私は、まゆにがしっと抱きついた。
「当り前じゃない。それに、凛と一緒にいれば、月詠さんがついでにあたしのことも守ってくれるってことでしょう?」
月詠さんが、にやりと笑った。
ちょっと申し訳ないけど、月詠さんは目つきが鋭いので、悪そうな表情のほうが似合うなあ……。
「もちろんだ。気に入ったよ、日野まゆさん。とりあえずは、学校で、隣のクラスに気をつけるんだな」
まゆが、「隣のクラス、ですか?」と訊く。
「ああ、さっきの夢魔な。多分、君たちの隣のクラスにいる、生徒だ」
「ええええええ!?」私たちは、同時に声を上げた。
な、なんか、大事なことをさらっと!
「おれが凛を迎えに教室に向かってる時、すれ違った。霊気の感覚からして、トラックの運転手に悪さしたやつに間違いないと思う。だいたい、このあたりの学校なら、クラスに一人くらい、人間のふりをしている怪異がいてもおかしくないぞ」
「こ、このあたりならって、どういう……?」
「君たちにはぴんと来ないかもしれないが、この千葉県流山市という場所は、ここ数年で一気に人口が増加したんだ。人が集まるところから離れる怪異も多いが、反対に、人に紛れて暮らそうとするやつらもいる。人の心の闇や、極端な人口の増減による混乱の中というのは、怪異にとっては居心地がいいんだ」
「じゃ、じゃあ……私たちの町って、お化けのオンパレードみたいな感じなんですか……?」
「さすがにそこまでは言わんが。ほかの地域よりも、人も怪異も増えたってだけだ。適当に自然が残ってるのも、日本妖怪なんかには居心地がいいんだろう。それに、人間とは違う存在というだけで、別に人に危害を加える気のない怪異も珍しくはないし。ただし……」
「怪異が見えるようになった凛は、危険があるかもしれないっていうことですね」
「そうだ。ま、できる範囲で、あまり怪異を刺激しないように過ごすのが無難ではあるな。……さてと」
ぴた、と月詠さんが立ち止まる。
「着いた。目的地だ」
「えっ……、あ、あれ?」
あたりを見回すと、いつの間にか、住宅地をすっかり抜けて、ぽつんぽつんと古ぼけた家があるだけの、ずいぶんさびれたところに来てる。
月詠さんが立っている場所の前にあるのは、どう見ても空き家の、灰色のコンクリートでできた古そうな家だった。
あんまりでっぱりや装飾はなくて、コンクリートの壁を四枚立てて、その上に板をぽんと置いて屋根にしたような、縦長の箱みたいな家だ。窓はいくつかあるけど、どれもとても小さい。
そしてもうだいぶ暗いのに、あたりの家も、その家も、どれもまったく電気がついてなかった。
思わず、背筋が冷たくなって、ぶるっと体が震える。
まゆも不安そうに、両手をこぶしに握ってた。
「こ、こ、ここですか?」
「ああ。この中で、凛の質問に答えよう」
質問? ってなんだっけ。
そんな私の気持ちを見透かしたみたいに、月詠さんが
「おれが君を守る、一番大きな理由」
と答えてくる。
空には月が出てた。
昨夜の、猩猩が出たときみたいな、変な感じはしない。普通の夜。
でも、この先には、私が今までに見たことのないものが待ってる気がする。
正直に言えば、ちょっと怖かった。
どうしよう。
ちらっと、まゆを見る。
月詠さんと昨夜のうちに出会ってる私より、まゆのほうが、今の状況は怖いんじゃないかと思う。急な話を、いろいろ聞かされて。
それでも、まゆは「知りたいなら、行ったほうがいいよ」と微笑んでくれた。
月詠さんが、家のドアを開けた。
その足元に、大鴉が舞い降りてきた。一緒に入るみたいだ。
私は、意を決して、「い、行きます」と言って踏み出した。すぐ横に、まゆがついてくる。
「暗いから、足元気をつけてくれ」
靴を脱いで、廊下に上がった。
月詠さんが、スリッパを出してくれる。
そして廊下の電気をつけてくれた。
「あ、電気、つくんですか? 周りの家が全部真っ暗だから、私、つかないのかと……」
自分で言ってて、なにが「だから」なのかよく分からなかったけど、月詠さんは笑いながら
「そう思うよな。この家に関しては、おれたちが夜目がきくから、いつも電気はつけないんだ。来客があった時専用だよ。それでも、今みたいにつけ忘れるけど」
「え、じゃあ、ここって」
「ここか? そういえば言わなかったか、おれの家だよ」
な。
なあんだ。
なんだか、廃墟ダンジョンみたいなところに入っていくみたいな気持ちだったから、急に肩の力が抜ける。
横を見ると、まゆも同じみたいだった。
「こっちだ。地下室がある」
「地下室!? 地下室あるんですか?」
「ああ。地下のほうが、地上より広いくらいだ」
わあ、なんだか、うって変わってわくわくしてきちゃった。
地下室、っていう空間に、私は今まで入ったことがないんだから。
廊下の奥にコンクリートの階段があって、私たちはそこを降りて行った。大鴉もうしろから、ぴょんぴょんとついてくる。
下に着くと、やっぱり、真っ暗だった。月詠さんが電気をつけてくれたけど、玄関のライトよりもずっと弱弱しい、オレンジ色の光が天井にいくつかつくだけだ。
「ここはもともと、日の光を嫌うやつらが過ごすのに使ってたんだ。足元、気をつけてくれ」
まゆがふるふると周囲を見て、
「過ごす、っていうと、ここに住んでたんですか? 何人かの人が?」
目が慣れてくると、確かに、思ってたよりも結構広い空間なんだっていうことが分かる。
一階のものよりも広い廊下があって、奥のほうへ続いてる。
その両脇に、いくつかドアがあった。床、天井、壁はどれもコンクリートだ。ところどころ、欠けたり、へこんだりして、相当古そうに見えた。
「そうだ。住んでた。……今は、一人だけだ」
「一人?」と私が聞き返すのと同時に、月詠さんが前に進みだす。
「この奥に、おれの妹がいる」
「妹さん!? 月詠さんのですか?」
「ああ。おれは少なくとも、そう思ってる」
思ってる?
左右にあるドアをいくつか通り過ぎて、月詠さんは立ち止まった。
そして、ある一つのドアをノックする。
「ステラ。入るぞ」
月詠さんがドアノブを回した。
ステラ、っていうのが、妹さんの名前らしい。
三人と一羽で、ドアをくぐった。
中の部屋は、これもコンクリートが上下左右を囲んでいるだけの、飾り気のない空間だった。
椅子とか机とか、家具がなんにもない。そう思ったんだけど。
目を凝らしてやっと、奥の壁のたもとに、ベッドがあるのが分かった。それに、そのすぐ横には、本棚らしい木の棚がある。
ベッドは、かなり小さい。私やまゆじゃ、足を延ばして寝ころべないくらいの、小さな子供用だ。
その上を――その上の壁を見て、私は息をのんだ。
その私の顔色を見て、まゆが、
「大丈夫、凛? どうしたの? ……もしかして、……なにか、いるの?」
えっ。
そ、そっか、まゆには、見えないんだ。
正面の壁の、ベッドの真上。
そこに、いる。私には、見えてしまってる。
「日野さん。君には、見える怪異と見えない怪異がある。おれや大鴉は見えても、それはおれたちが、自ら姿をさらしているからなんだ。それ以外の怪異のほとんどは、君には見えない」
「……はい。凛には、……見えてるんですね。月詠さんの、妹が」
見えてる。
ロープでつられてるとか、台に乗ってるとか、そういうんじゃない。
なににも支えられずに、ベッドの上に浮いてる。両面テープで壁に貼りつけられてるみたいに。
それは、人間の女の子の形をしてる。
私と同じくらいか、少し年下くらい。
白いワンピース……っていうより、病院で着せられる入院着みたいな服。そこから出てる手足は、とても細い。
髪の毛は、青白いロングヘアで、空中で毛先がゆらゆらと揺れてる。
長い前髪の下に、少しだけ目元が見えた。
きれいな顔だ、と思う。多分そうなんだと思う。でも……
「よく見えないだろ」
そう。
その女の子――ステラの体は、とても色が薄くて、後ろの壁が透けて見えちゃうくらいだった。
通学路の近くなんだから、そこまで縁遠い土地じゃないはずなのに、いくつかの角を曲がったり戻ったり(本当に来た道をただ引き返したりした。迷ったり、間違えたわけじゃないみたいだった)していると、ほとんど土地勘が働かなくなっちゃった。
頭の上には、大鴉が少しずつ羽ばたきながらついてくる。
その道すがら、月詠さんは、私とまゆにさっきの話をもう少し詳しく教えてくれた。
「怪異が見える才能というのは、あれば必ず芽吹くものでもない。一方で、きっかけさえあれば、それまで霊感なんてゼロだった人間が急に化け物を見始めることもある」
「私、化け物なんて見えないですけど……あ」
「気づいたか。昨夜の、スミレワタリが見えたのは、凛の才能が開花したからだ。今後は、少なくとも自然には、怪異が見えなくなるということはないだろうな」
「うう……見えちゃうんですね、いろいろ……。でも、なんで急に……」
「なにがきっかけになったかは分からんが、可能性が高いのは、小説の執筆だろうな」
「しょ、小説書くと、お化けが見えるようになるんですか?」
「小説に限らない。歌の歌唱でも、スポーツでも、あるいは学校の勉強だっていいんだが。なにか、意識を集中させて感覚が研ぎ澄まされた時に、目覚めることが多いっていうな」
まゆが、歩きながら、教室で発表するときみたいに手を挙げる。
「でも、お化けが見えるようになるのって、自分の部屋に閉じこもってたりする時のイメージがあるんですけど……。活発に活動することで霊感が生まれるなんてこと、あるんですか?」
「才能の開花については、別に定義づけられてるわけじゃないからな。いろんなパターンがあるのさ。日野さんの言うように、部屋で布団かぶって何日も寝込んでて、ある夜目を覚ましたら見えるようになってた、なんて例もある。おそらくは、感覚の先鋭化がカギなんだと思うが」
せんえいか、とつぶやく私に、月詠さんが「先が鋭い、と書く」と教えてくれたので、なんとなく言葉の意味がイメージできた。
私、小説書きたいのに、知らない言葉がまだまだたくさんあるなあ……。
「で、だ。怪異というのは、正体が見えなければただの事故や自然現象にしか思えないわけだが、『見える』人間には怪異の仕業であることが分かってしまう。自分が見られていると知った怪異は、多くの場合、その人間に牙をむく。本能みたいなもんだ」
「こ、困りますそんなの!?」
月詠さんは、苦笑して前髪を少しかき上げた。
「そう、困るんだけどな。たとえば、さっきの夢魔。あれなんかはかなり身近にいるから、遠くないうちに凛を狙いだすだろう」
「な……っ」と、言葉に詰まる私。
「ど、どうにかならないんですか!?」とまゆ。
先輩は、そんな私たちに平然と言った。
「なるさ。凛は、おれが守る」
「へ?」と思わず目をぱちくりしてしまう。
「おれはこれでも、吸血鬼のはしくれだ。夢魔ごときに後れを取るかよ」
「どうして……そこまでしてくれるんですか? 私の書いた小説を、気に入ってくれたから? あんな、書きかけの……私、終わり方もまだ決めてなくて、そんなお話を、私が書いたからって……?」
「それもある。面白い物語を書けるってのは、おれにはまるで欠けた能力だ。そんな力の持ち主を、むざむざ怪異に傷つけさせたくはない。それに、昨夜みたいなことにいきなり巻き込まれて、凛がひどい目にあわされるっていうのも、気の毒に思う気持ちもあるよ。……でも、一番大きな理由は、ほかにある」
「一番大きな、理由……? な、なんでしょう」
なんだろう。全然思い当たらない。
そうこうしているうちに、空が結構暗くなってきた。
周りは特に変わったところのない住宅地で、なにか特別に目指すものがあるようにも見えない。
まだ、かかるのかな。
そう思った時、月詠さんがまゆのほうを向いた。
「そこで、日野さんに聞いておきたい」
「あ、あたし? なんでしょう?」
「君が、凛と、お互いに大切な友人同士なのは分かった。その上で訊きたい。怪異とかかわることになった人間に近しい者がとる態度は、おおむね、二つに一つだ。一つ、その相手と距離を取って、離れて安全に暮らす。二つ、奇妙な出来事に自分も巻き込まれかねないことを承知で、そばにいる。君はどうする?」
な……
いきなり、なんてことを。
いくら友達のためだって、そんなことをすぐ決められるわけはない。
今さっきだって、危なく事故にあうところだったのに。
それに、私だって、私のそばにいるせいでまゆがおかしな目にあうなんていやだ。
でも、まゆと今まで通りにいられなくなるのもいや。
こんなの、どうすれば――
「簡単です。二つ目です。あたしは、ずっと凛のそばにいます」
「まゆううううううう!」
私は、まゆにがしっと抱きついた。
「当り前じゃない。それに、凛と一緒にいれば、月詠さんがついでにあたしのことも守ってくれるってことでしょう?」
月詠さんが、にやりと笑った。
ちょっと申し訳ないけど、月詠さんは目つきが鋭いので、悪そうな表情のほうが似合うなあ……。
「もちろんだ。気に入ったよ、日野まゆさん。とりあえずは、学校で、隣のクラスに気をつけるんだな」
まゆが、「隣のクラス、ですか?」と訊く。
「ああ、さっきの夢魔な。多分、君たちの隣のクラスにいる、生徒だ」
「ええええええ!?」私たちは、同時に声を上げた。
な、なんか、大事なことをさらっと!
「おれが凛を迎えに教室に向かってる時、すれ違った。霊気の感覚からして、トラックの運転手に悪さしたやつに間違いないと思う。だいたい、このあたりの学校なら、クラスに一人くらい、人間のふりをしている怪異がいてもおかしくないぞ」
「こ、このあたりならって、どういう……?」
「君たちにはぴんと来ないかもしれないが、この千葉県流山市という場所は、ここ数年で一気に人口が増加したんだ。人が集まるところから離れる怪異も多いが、反対に、人に紛れて暮らそうとするやつらもいる。人の心の闇や、極端な人口の増減による混乱の中というのは、怪異にとっては居心地がいいんだ」
「じゃ、じゃあ……私たちの町って、お化けのオンパレードみたいな感じなんですか……?」
「さすがにそこまでは言わんが。ほかの地域よりも、人も怪異も増えたってだけだ。適当に自然が残ってるのも、日本妖怪なんかには居心地がいいんだろう。それに、人間とは違う存在というだけで、別に人に危害を加える気のない怪異も珍しくはないし。ただし……」
「怪異が見えるようになった凛は、危険があるかもしれないっていうことですね」
「そうだ。ま、できる範囲で、あまり怪異を刺激しないように過ごすのが無難ではあるな。……さてと」
ぴた、と月詠さんが立ち止まる。
「着いた。目的地だ」
「えっ……、あ、あれ?」
あたりを見回すと、いつの間にか、住宅地をすっかり抜けて、ぽつんぽつんと古ぼけた家があるだけの、ずいぶんさびれたところに来てる。
月詠さんが立っている場所の前にあるのは、どう見ても空き家の、灰色のコンクリートでできた古そうな家だった。
あんまりでっぱりや装飾はなくて、コンクリートの壁を四枚立てて、その上に板をぽんと置いて屋根にしたような、縦長の箱みたいな家だ。窓はいくつかあるけど、どれもとても小さい。
そしてもうだいぶ暗いのに、あたりの家も、その家も、どれもまったく電気がついてなかった。
思わず、背筋が冷たくなって、ぶるっと体が震える。
まゆも不安そうに、両手をこぶしに握ってた。
「こ、こ、ここですか?」
「ああ。この中で、凛の質問に答えよう」
質問? ってなんだっけ。
そんな私の気持ちを見透かしたみたいに、月詠さんが
「おれが君を守る、一番大きな理由」
と答えてくる。
空には月が出てた。
昨夜の、猩猩が出たときみたいな、変な感じはしない。普通の夜。
でも、この先には、私が今までに見たことのないものが待ってる気がする。
正直に言えば、ちょっと怖かった。
どうしよう。
ちらっと、まゆを見る。
月詠さんと昨夜のうちに出会ってる私より、まゆのほうが、今の状況は怖いんじゃないかと思う。急な話を、いろいろ聞かされて。
それでも、まゆは「知りたいなら、行ったほうがいいよ」と微笑んでくれた。
月詠さんが、家のドアを開けた。
その足元に、大鴉が舞い降りてきた。一緒に入るみたいだ。
私は、意を決して、「い、行きます」と言って踏み出した。すぐ横に、まゆがついてくる。
「暗いから、足元気をつけてくれ」
靴を脱いで、廊下に上がった。
月詠さんが、スリッパを出してくれる。
そして廊下の電気をつけてくれた。
「あ、電気、つくんですか? 周りの家が全部真っ暗だから、私、つかないのかと……」
自分で言ってて、なにが「だから」なのかよく分からなかったけど、月詠さんは笑いながら
「そう思うよな。この家に関しては、おれたちが夜目がきくから、いつも電気はつけないんだ。来客があった時専用だよ。それでも、今みたいにつけ忘れるけど」
「え、じゃあ、ここって」
「ここか? そういえば言わなかったか、おれの家だよ」
な。
なあんだ。
なんだか、廃墟ダンジョンみたいなところに入っていくみたいな気持ちだったから、急に肩の力が抜ける。
横を見ると、まゆも同じみたいだった。
「こっちだ。地下室がある」
「地下室!? 地下室あるんですか?」
「ああ。地下のほうが、地上より広いくらいだ」
わあ、なんだか、うって変わってわくわくしてきちゃった。
地下室、っていう空間に、私は今まで入ったことがないんだから。
廊下の奥にコンクリートの階段があって、私たちはそこを降りて行った。大鴉もうしろから、ぴょんぴょんとついてくる。
下に着くと、やっぱり、真っ暗だった。月詠さんが電気をつけてくれたけど、玄関のライトよりもずっと弱弱しい、オレンジ色の光が天井にいくつかつくだけだ。
「ここはもともと、日の光を嫌うやつらが過ごすのに使ってたんだ。足元、気をつけてくれ」
まゆがふるふると周囲を見て、
「過ごす、っていうと、ここに住んでたんですか? 何人かの人が?」
目が慣れてくると、確かに、思ってたよりも結構広い空間なんだっていうことが分かる。
一階のものよりも広い廊下があって、奥のほうへ続いてる。
その両脇に、いくつかドアがあった。床、天井、壁はどれもコンクリートだ。ところどころ、欠けたり、へこんだりして、相当古そうに見えた。
「そうだ。住んでた。……今は、一人だけだ」
「一人?」と私が聞き返すのと同時に、月詠さんが前に進みだす。
「この奥に、おれの妹がいる」
「妹さん!? 月詠さんのですか?」
「ああ。おれは少なくとも、そう思ってる」
思ってる?
左右にあるドアをいくつか通り過ぎて、月詠さんは立ち止まった。
そして、ある一つのドアをノックする。
「ステラ。入るぞ」
月詠さんがドアノブを回した。
ステラ、っていうのが、妹さんの名前らしい。
三人と一羽で、ドアをくぐった。
中の部屋は、これもコンクリートが上下左右を囲んでいるだけの、飾り気のない空間だった。
椅子とか机とか、家具がなんにもない。そう思ったんだけど。
目を凝らしてやっと、奥の壁のたもとに、ベッドがあるのが分かった。それに、そのすぐ横には、本棚らしい木の棚がある。
ベッドは、かなり小さい。私やまゆじゃ、足を延ばして寝ころべないくらいの、小さな子供用だ。
その上を――その上の壁を見て、私は息をのんだ。
その私の顔色を見て、まゆが、
「大丈夫、凛? どうしたの? ……もしかして、……なにか、いるの?」
えっ。
そ、そっか、まゆには、見えないんだ。
正面の壁の、ベッドの真上。
そこに、いる。私には、見えてしまってる。
「日野さん。君には、見える怪異と見えない怪異がある。おれや大鴉は見えても、それはおれたちが、自ら姿をさらしているからなんだ。それ以外の怪異のほとんどは、君には見えない」
「……はい。凛には、……見えてるんですね。月詠さんの、妹が」
見えてる。
ロープでつられてるとか、台に乗ってるとか、そういうんじゃない。
なににも支えられずに、ベッドの上に浮いてる。両面テープで壁に貼りつけられてるみたいに。
それは、人間の女の子の形をしてる。
私と同じくらいか、少し年下くらい。
白いワンピース……っていうより、病院で着せられる入院着みたいな服。そこから出てる手足は、とても細い。
髪の毛は、青白いロングヘアで、空中で毛先がゆらゆらと揺れてる。
長い前髪の下に、少しだけ目元が見えた。
きれいな顔だ、と思う。多分そうなんだと思う。でも……
「よく見えないだろ」
そう。
その女の子――ステラの体は、とても色が薄くて、後ろの壁が透けて見えちゃうくらいだった。
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる