冥府の花

栗菓子

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第16話 奇跡

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語り部は抑揚を加えて、物語を印象深く情景が視えるように言葉を散りばめた。
奇跡とはなんだろうね。聖書とかいったおかしな宗教の本にも載っているようだけどどうやら不思議な事ばかり起きる事が、説明のつかないことが起きることが時には信仰されるらしい。
浄と不浄。穢れの観念は長い間、変遷しながらも確かにあり、それが身分制度に利用されたこともある。
穢れと言う概念は、凝縮され穢れ神というのも生み出された。それは清浄を誇る人にとって耐えがたい狂気だった。彼らは、意味もなき悪意や嘔吐するような姿や、性質、邪悪性、狂気性を厭うようになった。
ある日、穢れ神の力が増した時、天地を創りし父神は、これを討伐した。
世界をこれ以上汚したくなかったのだ。
穢れた神の残滓は、僅かに魂が残り、あるスラムと呼ばれるところへ転生した。
女だった。女は心が破綻していた。普通の人が躊躇うことも平気でやった。生存本能も壊れていた。女はきまぐれに醜い男と交わった。当然のように、女が孕むと男は女を打ち捨てた。
膨れあがる腹。みるみるやせ細る体。餓鬼のような有様。女は子に一欠片の情もなかった。これは異物だ。女は子どもを産み捨てた。女は子どもを放棄した。育てなかった。唯死にゆく様を見届けた。黒い袋に包んで廃棄場に捨てようとした。
子猫が黒い袋に包まれて死にかかっていた。まだかすかに生きていた。動いていた。
女の子はもう動かない。女は死んだ子供を捨て、子猫を拾った。ミルクを与え育てた。子猫を育てる時だけ正気に戻った。母猫のように甲斐甲斐しく育てて情も芽生えた。リタと名付けた。リタだけは残酷な目にはあわせなかった。
リタといると、調子はずれの支離滅裂な世界から、異様に澄み切った明晰な世界へ変容する。リタは安堵するように女を母親と慕っている。
その母親は何度も醜い男とまぐわっては、子どもを孕み死にゆく様を見届ける。
黒い袋が廃棄されていく。
リタは首を傾げながら母親と思う者を眺めていた。ある日、リタは死にゆく子どもを舐めて見た。母猫のように舐めた。慈しんだ。女はリタが異物を育てているのを見て初めて異物は女の子だと理解した。女は初めて我が子を抱擁した。狂った心は子どもに名はつけなかった。どこかで女の一部にしか見えなかった。
狂気と壊れた世界を放浪しながら、女はある日、とても頭が良い男と交わった。
男はヘドロのような濁った眼をしていた。男の世界はとても怖い世界のようだった。
「人をたくさん処分して消している」それが仕事だ。ぼつりと男は呟いた。
女には男が分からなかった。女も子どもを消している・・ああ女は時折子どものために木彫りの人形を彫っている。それでも女は自動的に機械的に子どもを処分している。なんだ同じ殺人鬼の男女か?不意に女は悟った。
猫のリタ、唯一生き延びた子ども、人殺しの男、狂女。奇妙にも調和に満ちた家族だった。いつしか男は子どもの父親となり、女はリタと子どもの母親になった。
唯一回だけ人殺しの家族は美しいサクラという花を見に行った。
風が酷く、サクラは桃色の花弁を撒き散らしていた。狂気のように踊る無数の花弁は壮絶なほど美しかった。女は唯魅入られていた。男は沈黙していた。
夜、女は猫のリタを抱いてまた、櫻を見に行った。夜の櫻は妖艶なほどだ。花の宴を女は幻視し見惚れていた。
男は殺した人を櫻の木の下に埋めていた。無感動だった女は不意に男に囁いた。
「殺された人は何かをしたの。」
男は後ろを振り向いて、女を見て見開いた。
「何も」と男はかすかに言った。「何も。唯邪魔だからと殺された。」
嗚呼。女はやっと全てがわかった。何もしていない罪もない人。無垢な子。女から生まれたから殺された子。ずるりと胎盤からひきずられた子。世界は支離滅裂で矛盾に満ちてオカシイ。なのに、櫻の木は猫のリタはこんなに美しい。泣きたいぐらい美しかった。美しく咲きほこる花。
女は世界の真理を見た。櫻の花は白い花弁だ。血を吸い取って淡い桃色となった。
男は死体を埋めた後、女を組み敷いた。死体を見たから衝動性が高まっているのだろうか?櫻の木の下で男と女は奇妙な儀式をするように交合した。
女は完全に墜落した。男は歪んでいながらも女を愛した。壊れていく女を抱擁した。女は正気には戻れなくなった。
譫言のように女は子どもに呟いた。
「ねえ。知っている。あたしは穢れ神とよばれたことがあるよ。終焉の神とも唯のキチガイともね。失敗作品と呼ばれたこともある。世界の支配者とも。おかしな夢だ。ははっははははあああ。」
「やっとあたしは解放される。このどうしようもない世界から。」
「あたしの子。あたしの子に産まれてごめん。ごめんね。」
女は謝りながら息絶えていった。男は嘆きながら、女を抱擁しながら置いて行かないでと叫んだ。男も数か月後息絶えた。
生き延びた子どもは、父と母の世界、男と女の世界が終わるのを見ていた。
子どもは猫のリタを抱え、神のように見守った。
数年後、子どもは花の彫刻をした金属製の指輪をミツケタ。
子どもは生きるために犯罪者の組織に入った。子どもは密かに花の指輪をオモイと名付けた。
地獄の果てにも美しく咲くようにと名付けた。

祈りは通じる。どこかで必ず咲くだろう。

そう子どもは信じた。祈った。祈り続けた。
ねえ、女が子猫のリタを育てただけでも不思議なのに、そのリタが子どもを育てたのも不思議だね。女が正気に戻ったのも不思議だよ。ささやかなありふれたように見えて、奇跡はいつも起きているんだよ。

唯気づいていない人が多いんだよ。奇跡はいつも起きている。


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