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第32話・本郷②
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「そこのふたり、何をしている」
振り返ってみれば、黒尽くめの東征軍だ。ふたりいて、どちらもその顔に見覚えがある。
雁鍋屋で会った兵士だ、柄に手をかけている。振り返ったのは誤りだった、しかし逃げれば問答無用で斬り捨てられる。行くも地獄帰るも地獄、そもそも通る道を誤ったのだと思い知る。
「雁鍋屋で可愛がってくれた賊軍ではあるまいな」
「ひとり足りぬが、尻尾を巻いて逃げたのか?」
兵士がサーベルを抜くと、若侍が呼応する。だが兵士の視線は切っ先から逸れ、立ち尽くしている私に向けられていた。
「お前も抜け、脇差しがあるだろう」
「抜きません。負ければ死、勝てばお白州、こちらに分が悪すぎます」
頑なな態度に逆撫でされて、サーベルの切っ先がこちらを向いた。彼は守りの構えをし、じりじりと足を滑らせて私の盾となる。
刃の谷に臆することなく、金剛が飛び出してきて膝をついて手をついて、兵士たちに頭を下げた。
「どんな非礼があったのかは存じませんが、うちのあやめは丸腰でさぁ。どうか刀をお収めください」
「ええい、邪魔だ! そこを退かぬか!」
「いいえ、お収めいただくまでは、一歩として引きません」
彼の刀を掻い潜り、恥を忍んで頭を下げる金剛に寄り添おうとした、そのときだ。
縋るように上げた面に、慈悲なくサーベルが振り下ろされた。夏の気配が訪れた霞がかった青空に、鮮やかな真紅の飛沫が舞った。顔を押さえる金剛に、サーベルが横一閃に襲いかかった。
傷は浅いが、地面はじわじわと染められていく。一刻も早く医者に運ばなければ助からないが、血を滴らせている凶刃が、ふたりの行く手に杭を打つ。文字通り切り開かなければならぬ、彼は攻めの構えを取った。
私は血が沸き、逆流する寒気を感じた。獣に変化するように全身の毛が逆立って、視界は狭い一点だけを捉えていた。
急所。
それが浮かぶより遥かに早く、私は彼の左に躍り出て、脇差しを抜き取り地上を這った。頭上の閃光が凍てついて、影の脇をすり抜ける。地に足をつき身を翻したその瞬間、兵士のひとりが腰から割れて糸が断たれたように崩れ落ちた。
私と彼に挟まれて、狼狽えている残りのひとりに飛びかかる。恐怖を描いたその顔は、苦悶に歪むとかすれたうめき声を上げ、力を失い白目を剥いて、地獄の果てに堕ちていった。
すぐさま金剛に駆け寄って、突っ伏す身体を起こそうとしたが、呼吸はとうに虫の息。肩を貸しても脚に力を入れようとしない。
金剛は、運命を受け入れていた。
今生の別れに、と震える腕を私に伸ばす。
「あやめ、凄えな……世が世なら巡り会えなかったかも知れねえな」
「諦めるな! 今すぐ医者に連れていくから!」
「無理だ……だから、その脇差しを……俺が全部を被るから……」
最後の力を振り絞り、私の手から脇差しを奪う。これでいい、と金剛は満足そうに瞼を閉じた。
息つく間もなく兵士たちの足音が轟いた。彼は私の手を掴み、近隣の家に引きずり込んで声を潜ませ厳しく諫めた。
「あやめが逃げ果せるのが、男の願いだ。口惜しいが、わかってやれ」
そこへ家人が現れて、彼を見るなり寄り添った。彼その態度から、彼の味方だと一目でわかる。
「お武家様! 如何なさいましたか!?」
「すまぬ、しばし匿ってくれ。東征軍に襲われた」
まぁ、と家人は息を呑んだ。それから彼の言葉を汲んで、私たちを小屋へと押し込み問いただす。
「それでは、貴方様ではないのですね? こちらの娘、お召し物が……」
「そうだ、このあやめが兵士をやった。返り血だ、怪我はない。着物も貸してくれぬだろうか」
家人は島田髷を下げ、母屋へ走った。すぐに替えの着物が届き、東征軍が鎮まるまではと言いつけて扉を閉めた。
闇が私を支配した。血濡れのまま膝をついて空虚を見つめ、内から溢れる後悔を震える身体から滲み出た。
金剛が死んだのは、私のせいだ。
私が勝手な真似をしたせいだ。
私が逢瀬を望まなければ。
雁鍋屋で脇差しを抜かなければ。
金剛を殺したのは、私だ──。
「……人を……人を斬ったんだ……」
とめどない懺悔を止めたのは、押しつけられた唇だった。根拠もなく大丈夫だと身体を抱かれ、絶対に離すまいと押し倒された。
私は血濡れの着物を下ろし、彼に腕を絡ませた。波濤のような激情に襲われて、互いの唇を貪った。疼く身体が彼を欲して、逸る気持ちを抑えきれずに震える指が、早く早くと袴を下ろす。
死を前にして、私たちは怒張していた。互いの前を交わらせ、互いの手で握りしめて、ふたつのものをひとつにした。
彼の前が、後ろを突いた。ほんのわずかに残った正気で、下ろした着物から通和散を取り出して口に含んだ。口づけをし舌を絡ませ、ふたりで溶かした通和散を指につけ、後ろの中まで塗り込んでいく。
糸引く指で彼を掴み取り、尻尾を振っておねだりしているところへと挿し込んだ。抱き合ったまま腰を沈めて、奥へ奥へと呑み込んで、前で中で全身で彼を感じた。
纏った恐怖を払うため、無我夢中で腰を振った。凍てつく悪寒を拭うため、彼の熱さを中で感じた。ひとりではないと確かめたくて、強く強く抱きしめ合った。
「あやめ、出そうだ」
「出して、いっぱい出して、たくさん頂戴」
こらえることなく彼は果て、中に熱い粘液が注がれた。最後の一滴まで絞った私は、彼を咥えて離さなかった。
「……あやめ?」
「いっぱい欲しいの、貴方の子供を孕ませて」
私は彼を押し倒し、壊れるくらいに腰を振った。埋まることのない欲望を彼で塞がなければ、狂ってしまいそうだったから。
本当に孕めばいいのにと、立てなくなるまで彼を搾り、白濁の粘液に私は溺れた。
振り返ってみれば、黒尽くめの東征軍だ。ふたりいて、どちらもその顔に見覚えがある。
雁鍋屋で会った兵士だ、柄に手をかけている。振り返ったのは誤りだった、しかし逃げれば問答無用で斬り捨てられる。行くも地獄帰るも地獄、そもそも通る道を誤ったのだと思い知る。
「雁鍋屋で可愛がってくれた賊軍ではあるまいな」
「ひとり足りぬが、尻尾を巻いて逃げたのか?」
兵士がサーベルを抜くと、若侍が呼応する。だが兵士の視線は切っ先から逸れ、立ち尽くしている私に向けられていた。
「お前も抜け、脇差しがあるだろう」
「抜きません。負ければ死、勝てばお白州、こちらに分が悪すぎます」
頑なな態度に逆撫でされて、サーベルの切っ先がこちらを向いた。彼は守りの構えをし、じりじりと足を滑らせて私の盾となる。
刃の谷に臆することなく、金剛が飛び出してきて膝をついて手をついて、兵士たちに頭を下げた。
「どんな非礼があったのかは存じませんが、うちのあやめは丸腰でさぁ。どうか刀をお収めください」
「ええい、邪魔だ! そこを退かぬか!」
「いいえ、お収めいただくまでは、一歩として引きません」
彼の刀を掻い潜り、恥を忍んで頭を下げる金剛に寄り添おうとした、そのときだ。
縋るように上げた面に、慈悲なくサーベルが振り下ろされた。夏の気配が訪れた霞がかった青空に、鮮やかな真紅の飛沫が舞った。顔を押さえる金剛に、サーベルが横一閃に襲いかかった。
傷は浅いが、地面はじわじわと染められていく。一刻も早く医者に運ばなければ助からないが、血を滴らせている凶刃が、ふたりの行く手に杭を打つ。文字通り切り開かなければならぬ、彼は攻めの構えを取った。
私は血が沸き、逆流する寒気を感じた。獣に変化するように全身の毛が逆立って、視界は狭い一点だけを捉えていた。
急所。
それが浮かぶより遥かに早く、私は彼の左に躍り出て、脇差しを抜き取り地上を這った。頭上の閃光が凍てついて、影の脇をすり抜ける。地に足をつき身を翻したその瞬間、兵士のひとりが腰から割れて糸が断たれたように崩れ落ちた。
私と彼に挟まれて、狼狽えている残りのひとりに飛びかかる。恐怖を描いたその顔は、苦悶に歪むとかすれたうめき声を上げ、力を失い白目を剥いて、地獄の果てに堕ちていった。
すぐさま金剛に駆け寄って、突っ伏す身体を起こそうとしたが、呼吸はとうに虫の息。肩を貸しても脚に力を入れようとしない。
金剛は、運命を受け入れていた。
今生の別れに、と震える腕を私に伸ばす。
「あやめ、凄えな……世が世なら巡り会えなかったかも知れねえな」
「諦めるな! 今すぐ医者に連れていくから!」
「無理だ……だから、その脇差しを……俺が全部を被るから……」
最後の力を振り絞り、私の手から脇差しを奪う。これでいい、と金剛は満足そうに瞼を閉じた。
息つく間もなく兵士たちの足音が轟いた。彼は私の手を掴み、近隣の家に引きずり込んで声を潜ませ厳しく諫めた。
「あやめが逃げ果せるのが、男の願いだ。口惜しいが、わかってやれ」
そこへ家人が現れて、彼を見るなり寄り添った。彼その態度から、彼の味方だと一目でわかる。
「お武家様! 如何なさいましたか!?」
「すまぬ、しばし匿ってくれ。東征軍に襲われた」
まぁ、と家人は息を呑んだ。それから彼の言葉を汲んで、私たちを小屋へと押し込み問いただす。
「それでは、貴方様ではないのですね? こちらの娘、お召し物が……」
「そうだ、このあやめが兵士をやった。返り血だ、怪我はない。着物も貸してくれぬだろうか」
家人は島田髷を下げ、母屋へ走った。すぐに替えの着物が届き、東征軍が鎮まるまではと言いつけて扉を閉めた。
闇が私を支配した。血濡れのまま膝をついて空虚を見つめ、内から溢れる後悔を震える身体から滲み出た。
金剛が死んだのは、私のせいだ。
私が勝手な真似をしたせいだ。
私が逢瀬を望まなければ。
雁鍋屋で脇差しを抜かなければ。
金剛を殺したのは、私だ──。
「……人を……人を斬ったんだ……」
とめどない懺悔を止めたのは、押しつけられた唇だった。根拠もなく大丈夫だと身体を抱かれ、絶対に離すまいと押し倒された。
私は血濡れの着物を下ろし、彼に腕を絡ませた。波濤のような激情に襲われて、互いの唇を貪った。疼く身体が彼を欲して、逸る気持ちを抑えきれずに震える指が、早く早くと袴を下ろす。
死を前にして、私たちは怒張していた。互いの前を交わらせ、互いの手で握りしめて、ふたつのものをひとつにした。
彼の前が、後ろを突いた。ほんのわずかに残った正気で、下ろした着物から通和散を取り出して口に含んだ。口づけをし舌を絡ませ、ふたりで溶かした通和散を指につけ、後ろの中まで塗り込んでいく。
糸引く指で彼を掴み取り、尻尾を振っておねだりしているところへと挿し込んだ。抱き合ったまま腰を沈めて、奥へ奥へと呑み込んで、前で中で全身で彼を感じた。
纏った恐怖を払うため、無我夢中で腰を振った。凍てつく悪寒を拭うため、彼の熱さを中で感じた。ひとりではないと確かめたくて、強く強く抱きしめ合った。
「あやめ、出そうだ」
「出して、いっぱい出して、たくさん頂戴」
こらえることなく彼は果て、中に熱い粘液が注がれた。最後の一滴まで絞った私は、彼を咥えて離さなかった。
「……あやめ?」
「いっぱい欲しいの、貴方の子供を孕ませて」
私は彼を押し倒し、壊れるくらいに腰を振った。埋まることのない欲望を彼で塞がなければ、狂ってしまいそうだったから。
本当に孕めばいいのにと、立てなくなるまで彼を搾り、白濁の粘液に私は溺れた。
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