ひとひらの花びらが

山口 実徳

文字の大きさ
上 下
32 / 40

第32話・本郷②

しおりを挟む
「そこのふたり、何をしている」
 振り返ってみれば、黒尽くめの東征軍だ。ふたりいて、どちらもその顔に見覚えがある。
 雁鍋屋で会った兵士だ、柄に手をかけている。振り返ったのは誤りだった、しかし逃げれば問答無用で斬り捨てられる。行くも地獄帰るも地獄、そもそも通る道を誤ったのだと思い知る。

「雁鍋屋で可愛がってくれた賊軍ではあるまいな」
「ひとり足りぬが、尻尾を巻いて逃げたのか?」
 兵士がサーベルを抜くと、若侍が呼応する。だが兵士の視線は切っ先から逸れ、立ち尽くしている私に向けられていた。

「お前も抜け、脇差しがあるだろう」
「抜きません。負ければ死、勝てばお白州、こちらに分が悪すぎます」
 頑なな態度に逆撫でされて、サーベルの切っ先がこちらを向いた。彼は守りの構えをし、じりじりと足を滑らせて私の盾となる。

 刃の谷に臆することなく、金剛が飛び出してきて膝をついて手をついて、兵士たちに頭を下げた。
「どんな非礼があったのかは存じませんが、うちのあやめは丸腰でさぁ。どうか刀をお収めください」
「ええい、邪魔だ! そこを退かぬか!」
「いいえ、お収めいただくまでは、一歩として引きません」

 彼の刀を掻い潜り、恥を忍んで頭を下げる金剛に寄り添おうとした、そのときだ。
 縋るように上げたおもてに、慈悲なくサーベルが振り下ろされた。夏の気配が訪れた霞がかった青空に、鮮やかな真紅の飛沫が舞った。顔を押さえる金剛に、サーベルが横一閃に襲いかかった。

 傷は浅いが、地面はじわじわと染められていく。一刻も早く医者に運ばなければ助からないが、血を滴らせている凶刃が、ふたりの行く手に杭を打つ。文字通り切り開かなければならぬ、彼は攻めの構えを取った。
 私は血が沸き、逆流する寒気を感じた。獣に変化するように全身の毛が逆立って、視界は狭い一点だけを捉えていた。

 急所。

 それが浮かぶより遥かに早く、私は彼の左に躍り出て、脇差しを抜き取り地上を這った。頭上の閃光が凍てついて、影の脇をすり抜ける。地に足をつき身を翻したその瞬間、兵士のひとりが腰から割れて糸が断たれたように崩れ落ちた。
 私と彼に挟まれて、狼狽えている残りのひとりに飛びかかる。恐怖を描いたその顔は、苦悶に歪むとかすれたうめき声を上げ、力を失い白目を剥いて、地獄の果てに堕ちていった。

 すぐさま金剛に駆け寄って、突っ伏す身体を起こそうとしたが、呼吸はとうに虫の息。肩を貸しても脚に力を入れようとしない。
 金剛は、運命を受け入れていた。
 今生の別れに、と震える腕を私に伸ばす。

「あやめ、凄えな……世が世なら巡り会えなかったかも知れねえな」
「諦めるな! 今すぐ医者に連れていくから!」
「無理だ……だから、その脇差しを……俺が全部を被るから……」
 最後の力を振り絞り、私の手から脇差しを奪う。これでいい、と金剛は満足そうに瞼を閉じた。

 息つく間もなく兵士たちの足音が轟いた。彼は私の手を掴み、近隣の家に引きずり込んで声を潜ませ厳しく諫めた。
「あやめが逃げおおせるのが、男の願いだ。口惜しいが、わかってやれ」

 そこへ家人が現れて、彼を見るなり寄り添った。彼その態度から、彼の味方だと一目でわかる。
「お武家様! 如何なさいましたか!?」
「すまぬ、しばしかくまってくれ。東征軍に襲われた」

 まぁ、と家人は息を呑んだ。それから彼の言葉を汲んで、私たちを小屋へと押し込み問いただす。
「それでは、貴方様ではないのですね? こちらの娘、お召し物が……」
「そうだ、このあやめが兵士をやった。返り血だ、怪我はない。着物も貸してくれぬだろうか」
 家人は島田髷を下げ、母屋へ走った。すぐに替えの着物が届き、東征軍が鎮まるまではと言いつけて扉を閉めた。

 闇が私を支配した。血濡れのまま膝をついて空虚を見つめ、内から溢れる後悔を震える身体から滲み出た。
 金剛が死んだのは、私のせいだ。
 私が勝手な真似をしたせいだ。
 私が逢瀬を望まなければ。
 雁鍋屋で脇差しを抜かなければ。
 金剛を殺したのは、私だ──。

「……人を……人を斬ったんだ……」
 とめどない懺悔を止めたのは、押しつけられた唇だった。根拠もなく大丈夫だと身体を抱かれ、絶対に離すまいと押し倒された。

 私は血濡れの着物を下ろし、彼に腕を絡ませた。波濤のような激情に襲われて、互いの唇を貪った。疼く身体が彼を欲して、はやる気持ちを抑えきれずに震える指が、早く早くと袴を下ろす。
 死を前にして、私たちは怒張していた。互いの前を交わらせ、互いの手で握りしめて、ふたつのものをひとつにした。

 彼の前が、後ろを突いた。ほんのわずかに残った正気で、下ろした着物から通和散を取り出して口に含んだ。口づけをし舌を絡ませ、ふたりで溶かした通和散を指につけ、後ろの中まで塗り込んでいく。
 糸引く指で彼を掴み取り、尻尾を振っておねだりしているところへと挿し込んだ。抱き合ったまま腰を沈めて、奥へ奥へと呑み込んで、前で中で全身で彼を感じた。

 纏った恐怖を払うため、無我夢中で腰を振った。凍てつく悪寒を拭うため、彼の熱さを中で感じた。ひとりではないと確かめたくて、強く強く抱きしめ合った。
「あやめ、出そうだ」
「出して、いっぱい出して、たくさん頂戴」
 こらえることなく彼は果て、中に熱い粘液が注がれた。最後の一滴まで絞った私は、彼を咥えて離さなかった。

「……あやめ?」
「いっぱい欲しいの、貴方の子供を孕ませて」
 私は彼を押し倒し、壊れるくらいに腰を振った。埋まることのない欲望を彼で塞がなければ、狂ってしまいそうだったから。
 本当に孕めばいいのにと、立てなくなるまで彼を搾り、白濁の粘液に私は溺れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...