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一章

A

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 ぱらぱらと砂が、ころころと小石が、斜面を転がっていく。
 それらは長い時間をかけて軽やかに転がり……五、六秒ほど後にようやく、地面に当たり音を立てた。
 背筋が凍る。危うく死ぬところだったのだと分かり、震える手で崖を掴み、急いで登った。
 雑草の一本すら生えていない、荒れ果てた岩だらけの場所。おまけに酷い霧で、数歩先さえ見通せない。
「クソ……神め……」
 転生を司る神。高校のクラスメイトのみんなと交通事故に合って死んだ後、自分をこんなところに連れてきた、あの忌々しい神を恨む。――しかしそんな恨みは、不安でいっぱいのか細い心では、長くは続かなかった。
 ……本当は、自分はこんなところに来るはずじゃなかった。

『キミだけ、不適格だね』

 そう言われ、チートアイテムと共に王道ファンタジーの世界に転生していった他のクラスメイトから引き離され、俺はこんなところに手ぶらで送り込まれた。

『かなりの飽き性みたいだしね。無双も、スローライフも、キミには向いてなさそうだ。なら、キミはこっちの方がいいだろうね』

 END世界♯09657
 俺を送り込んだこの世界を、神はそう呼んだ。
「……腹、減ったな……」
 この世界に来て何時間経ったのかわからないが、それなりに時間が経過していることは確かだ。その間、食料になりそうなものは一つとして見かけなかった。
 とはいえ、苛立ちや不安、まだるっこしさに押されて、濃霧の中走り出した結果があわや転落死だ。
 しぶしぶ、足元が見えるように腰を曲げて頭を低くしながら、おそるおそる歩き出した。
 既に腰がズキズキ痛むが、死ぬよりはマシだ。
「今ごろ、あいつらはステータスがどうだとか、ジョブがどうだとか、スキルがどうだとか、そんなこと言い合ってるんだろうなー」
 さみしさを紛らわせるため、どうしても独り言が多くなる。
「……いいなー」
 我ながら滑稽だが、まぁ、見る人もいないし、いいだろう。
 そんな風にささくれだった心でいじけながら歩いていると、ふと、声が聞こえた。
 動画サイトを漁っているときに見つけた、下品極まりない替え歌を大声で熱唱しているときだったので、「もし、女の子に聞かれていたらどうしよう」と恥ずかしくなった。前世の学校なら全力で逃げ出すところだが、ここに来て以来初めての人の声だ。
 ファーストコンタクトの印象がどうであれ、逃げるわけにはいかない。
 それに、もしかたしたら言葉が通じなくて分からなかったかもしれないし。
「……助けてくれるかもしれない……!」
 胸の内に、希望の火が灯る。
 だから、「ち〇こち〇こ!」と熱唱していたのが聞こえていたとしても、人のいる方に向かうことにした。
 おーい、おーい、おーい……と呼びかけながら、声のした方へ恐る恐る近づく。
 しかし、どこまで行っても、誰もいなかった。
 聞こえていたはずの声も、聞こえなくなってしまった。
「げ……幻聴、だったのか……?」
 どうやら人恋しさからくる幻聴だったらしい、と分かると、思わず膝から崩れ落ちそうになった。
 ついに挫けてしまいそうになったが……踏み出した足が何かやわらかいものを蹴飛ばしたことで、ネガティブな思考は断ち切られた。
「なんだ……?」
 ふにゃりとしたあの感じは、まるで生物のようだった。
 サッカーボールくらいの全長で、もっとやせ細った生物。

 ――――そこにあったのは、大きなボンレスハムだった。

 生物っぽい感触は、肉だからだろう。
「へ?」
 まぬけな音が口から漏れる。それからくまなく周囲を探してみると、様々なものが見つかった。
 毛布が一枚、レタスとチーズ、トマトを挟んだサンドイッチが二つ。水筒が一個、笛が一管、本が一冊。――それから、どこかの鍵が一本。
 やはり、ここに誰かいたのだ。ほんの、ついさっきまで。
「……驚かせたならすまない! 話がしたいだけなんだ!」
 大声で叫ぶ。
「出てきてくれないか!?」
 だが、結果は芳しくなかった。誰も出てこないし、濃霧の向こうからは、音一つとして聞こえない。どこかに潜んでいるのか……誰かの気配を肌で感じたが、気のせいかもしれなかった。
「でてくれないと、食うぞ!? こっちは腹が減ってるんだ!」
 もう一度叫ぶが、やはり反応はない。なので、俺はまずハムにがぶりっ! と勢いよく噛り付いた。
 もし、潜んでいる人が野蛮な人間だったら。屈強な男だったら。そう思うと怖いが、空腹には勝てなかった。
 見えない、ということが逆に恐怖を和らげてくれた。優しい奴かもしれない、狂暴でも、弱っちい奴かもしれない。――そんな希望に満ちた妄想が、恐怖を和らげる。
 芳醇な香りと、塩見のきいた肉の味が口の中に広がる。
 焦って、貪るように食ったせいで唾が気管に入り、ゲホゲホと咳が出る。――だがそれでも、手が止まらない。
 空腹は最高のスパイスというが……まさにその通りだ。
 不安と歩き通しで疲れ切った体に肉は、最高のごちそうだった。
 縛っている紐が邪魔で食べにくいが、一切気にせず紐ごと齧りつき……時間をかけて、まるまる一つ食べきった。
「やっぱ、そのままでもハムはうまいな」
 げっぷを吐き、続けてサンドイッチを口に運ぶ。悪くない味だが……当然ながら、ハムに比べれば味が薄い。育ち盛りの身としては、肉の一つでも挟んでいて欲しいものだ。
「奪っておいて、文句は言えんがなぁ」
 水筒の中身は、ジャスミン茶に似た飲み物が入っていた。ジャスミン茶にしては、ほんのりと甘い。汗をかいていたので、これもありがたかった。
 飲みながら周囲を見渡すが……霧が濃く、やはり何もわからない。おまけに、何だか薄暗くなってきた。
 太陽が傾き始めている。まもなく、夜になるだろう。
 鍵を見つめ、それから食い散らかした食べ物と本や笛を見る。
「これは、ここにいた誰かの家の鍵か……? そして、ここにピクニックにでも来ていたのかな」
 なら、持ち主も困っているはずだ。鍵がないんじゃ、家に入れないだろう。
「話し合わないかー! 鍵、いるんだろー!」
 もう一度叫ぶ。だが、やはり反応はない。
 仕方がないので鍵はポケットにしまい、他のものは毛布にくるんでまとめ、手に持った。
 この霧の中ピクニックに来たのだ、家も、そう離れた場所にはないだろう。
「迷子になったら嫌だからな」
 ちょっとだけ、頭を働かせる。
 周囲に転がっていた石を縦に並べて塔を作り、そこを起点に、円を描くように周囲を捜索する。
 少し行っては戻り、少し行っては戻り……。ここまで探索した、という証に戻るときも石の塔を作り、三百六十度探し終わると、円を広げ、さらに広域を捜索する。
 ようやく家を見つけたのは、日が落ちて半刻ほど経ったころだった。
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