異世界ネカフェ生活

暇和梨

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一章 転生者だらけの世界「アスゲルト」とネットカフェ「オールドファッション」

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 いわゆる異世界転生モノには、主人公のほかに異世界転生者が存在しているものと、していないものがある。

 俺が飛ばされたこの世界――アスゲルトは前者だ。
 この世界には異世界転生者や異世界転移者がごまんといる。クラスまるごと転生してきたという連中さえしばしば見かけるから、本当に五万人くらい余裕でいるだろう。

 ……というかこれだけ大勢の人間がこちらに流れていて、あちらは大丈夫なのかと心配になるほどだ。
 俺がこちらに来る前は特にニュースになっていなかったけど、今頃あちらで行方不明者多発のニュースが出ているかもしれない。
 それとも、案外万単位じゃニュースにもならないのだろうか? 平和な日本でも、家出少年や行方不明者がいないわけじゃない。身近では全く聞いたことがなかったけど、案外国中探せばそれくらいいるのかもしれない。

 ……考えが逸れた。まぁとにかく、この世界には日本出身の転生者が多いってことだ。だから、ファンタジックな世界なのに現代日本でしかありえないものがそこら中にある。
 特に迷宮周辺の町ではその影響が著しい。ファンタジー感溢れる街並みと、そこ行き交う獣人やエルフに紛れて、ラーメン屋やカレー屋、寿司屋がちらつくのは、サモ〇ナイトとか、子供の頃によくやっていたファンタジーゲームの世界観を少し思い出す。和洋折衷というか、なんというか……。

「よし、着いた」

 俺が最近好んで利用するこの店――「ネットカフェオールドファッション」も、そんな異世界転生者の影響を感じる店である。
 自動扉を越えて中に入ると、どこか薄暗い店内がそこにはあった。
 掃除がまるで行き届いておらず、床は黒く汚れている。
 漫画や雑誌が入った木棚が並び、奥のカウンターには、ふてくされたような顔をしたさえないオッサンが、こっちを一瞥もせずに何か作業をしていた。

 店頭には女性歓迎と謳っているが、このアンダーグラウンドな匂い漂う店内に身の危険を感じ、Uターンしていく女性もいるのではないだろうか? 正直なところ、女性が歓迎できるものは壁が明るい色で塗られていることくらいだろう。

 女性向けのオシャレなファッション誌、ゴシップ誌が一冊しかないのに、男性向けの雑誌は四冊ほどあるし、エ〇本が堂々と置かれている辺り、現場は客層をしっかり把握しているに違いない。ただ、スペースの問題かもしれないが女性向けファッション誌の横にエ〇本を並べるのは、ちょっとセクハラめいている気もする。
 日本では俺がいた頃既に消えつつあった古き悪きネットカフェが、異世界にはある。

 古代日本と中国の関係の如く。あっちでは消えつつあるものがこっちでは残っている、ということだ。
 なんでも創業者は、十年近く前にこちらに来た異世界転生者らしい。最近の変化を知らないのも頷ける話だ。

「……らっしゃい」

 俺がレジの前に立ったことで、ようやくオッサンが顔を上げた。勿論、そこにセールススマイルなんてものはない。
「……」
 俺が無言で会員カードを差し出すと、オッサンがカードをテーブルに描かれた魔法陣の上に置く。カードが青く光り、ホログラムが浮かび上がる。それは、タイマーと入店時間を示していた。
 これによって、いつでもすぐに滞在時間が分かるというわけだ。
「席は?」「フラット席で」
 フラット席はリクライニングチェアではなく座椅子がある部屋で、和室のようにあぐらをかいてくつろいだり、横になってぐ~すか寝ることができるのが利点である。
 オッサンが頷き、席番が書かれた紙と一緒にカードを返してきた。それを手に取り、俺は座席に向かう。オッサンのごゆっくり、という言葉が背後から聞こえてきたが、振り返った時には既に作業に戻っていた。

「……これだよなぁ」
 雑誌とフルーツジュースの入ったコップを抱えながら、薄暗い通路を歩く。
 ぶっちゃけ清潔で女性も入りやすい新しいタイプのネカフェと値段も全く変わらないので、あえてこちらを選ぶ理由はあんまりない。
 しかしこちらで育った身としては、やはりこっちのネカフェもイイのである。

 女性受けもいい清潔感溢れるラーメン屋もいいが、大将が油ギトギトのラーメンを出す、机がベタベタする店も悪くないのと、きっと同じだ。
 脛に傷があるわけでもない身としては、これほどお手軽にアンダーグラウンドな雰囲気を体験できる施設は貴重である。
 あちらではパチンコ店横のネカフェをしばしば利用していたが、夜中にトラブルを起こして店員と言い争いをしているご老人を見かけたり、ロクに風呂にも入っていない、近寄りがたい雰囲気を放つオッサンを見かけたりした。
 自分の人格に問題があるのかもしれないが、第三者的にはこういう普段出会えない人とすれ違ったり、安全な場所から怒鳴りあいを聞くのは楽しい。
 実家では怒声どころか声すらあまり聞こえなかったので、怒声もちょっと心地いいのだ。……うん、やっぱり俺は頭がどこかおかしいのかもしれない。

 引き戸を指で引っ掛けて開けて、靴を脱いで中に入る。ジュースと雑誌をテーブルに置いて、靴を掴んでドアを閉めた。
 残念ながら日本とは違い治安が悪いので、靴は盗まれないように中に持ち込んだ方がいい。

 部屋の床は畳ではなく、迷宮でエンカウントする下級リザードモンスターの皮を加工した硬めのクッションが、足もとに敷き詰められている。
 しかしこの店、客は野郎ばかりなのに各部屋が小さく、身長が日本男児の平均程度もあれば体を丸めないと横になれない。こういうところでも、実に不便で気の利かない店なのだ。

 俺は靴下を脱いで靴に向かって放り、召喚したクッキーをほおばりながら雑誌を開いた。
 『週刊迷宮通信』……通称メイ通である。
 ライバル誌の『雷撃ダンジョンズ』と共に各地の迷宮攻略状況や、新しく発見された迷宮の概要について知ることができる。

 あいにく俺は戦闘系のスキルに恵まれなかったので、迷宮攻略には何一つ貢献していない。せいぜい、時折浅いところを同じような連中と徒党を組んで潜り、資源を調達することがあるくらいだ。
 だが実益がないからと言って、この手の雑誌を読む意味がないかと言えば別だ。
 迷宮の攻略状況……そしてその第一線で活躍する冒険者たちは、多くの人々の話題に上る。
 日本で言うところのスポーツ、経済、アイドル、そして賭博の話題のようなもので、これ一つカバーしていれば老若男女問わず会話がぐっと楽になる。

 近頃だと『迷宮シンジャク』攻略目前まで迫っている二つの有力ギルドの競争と、全員美少女で構成された異色のパーティ『バルキリーズ』を押さえておけばカンペキと言っていい。
 バルキリーズは冒険者なのに握手会やコンサートをやる奇天烈なパーティで、本人たちの実力は中堅といったところだろうか。ただ握手会やコンサートで稼いだ金で最高クラスの装備を整えているため、実際の戦闘力は実力以上に高い。

 バルキリーズの写真集を拝みつつ、幸福感に包まれながらぼんやりとジュースを飲んでいると、今日も悲鳴が聞こえてきた。
 この店……オールドファッションの名物、値切りのシードである。
 家庭が上手くいっていない、完全に奥さんの尻に敷かれたオッサンで、時折ここに避難してくるのだ。
 しかし奥さんが出すお小遣いが少額なため、月末はこうやって値引き交渉をするのである。

 引き戸を開けて雑誌を戻しに行くと、疲れた顔のシードとすれ違った。
「今日は(交渉を終えるのが)早いですね」
 俺がそう言うと、シードはニヤリと笑い、ポケットから袋を取り出した。
 チン、とその動きに合わせて腰の剣が揺れて鎧に当たり、音を立てた。
「今日はタイラントリザードの肉を渡したからな。物珍しさでオマケしてくれたのさ」

 タイラントリザードの肉は中堅冒険者にとってありふれた食材だが、市場に出ることはまずない。臭みのある豚肉といった感じで、好んで食べているというより、迷宮内では食料に困るから食べているだけだ。

 家庭では弱者だが、職場……迷宮では強者。熟練の戦士となるのが、シードの面白いところなのかもしれない。
 市井で話題に上るほどではないが、中堅冒険者の中では上位に入る。数えるほどだが迷宮で新素材や新しいルートを開拓したこともあり、この辺りの冒険者たちからは一目置かれていた。

「お前さんの稼ぎはどうだ?」
「……ぼちぼちってトコですね」
 シードに比べればスズメの涙だが、俺としては、これでも十分だった。
 家族もいないし、便利なスキルも持っているし。
「そうか。……お前さんも、早く生き方を決められるといいな」
「俺はこれでも楽しいんですがねぇ……」
「そうはいかんよ。時間が許さない。おまえは人族じゃないが、それでもいずれ老いるんだからな」
「分かりましたよ」

 かしこまった風の声を出したつもりだが、どうもわかってない風の声音になってしまった。シードが息を吐き、タイラントリザードの肉を少し分けてくれた。
 俺がそれを受け取り礼を言うと、シードは構わんさ、と言って笑い自分の席に向かっていった。
 その背を眺めた後、俺は雑誌を戻し、最近ハマっている古い漫画と炭酸ジュースを持って席に戻った。
 肉は既に焼かれている。それは明日食べることにして、ジュースを飲みながらウトウトしつつ漫画を読む。

 フリーター、ニート、夢追い人。

 真っ当な道から外れた生き方をすると、人生の先輩方からありがたき戒めを頂くことが多い。
 ありがたいことなのだろうが、でも、彼ら彼女らは真っ当な世界の住人だ。
 一遍こっちの世界に堕ちて来てから言って欲しいとも思う。
 将来のことは分からない。人並みの幸せが手に入るか、というか、それを求めるようになるのかも分からない。
 ただ悩むことは多いけど、これはこれで楽しい日々なのである。
 宮沢賢治のような生き方をした、こちらの世界の人間の漫画を読みながら、俺は瞳を閉じた。
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