迷宮攻略企業シュメール

秋葉夕雲

文字の大きさ
上 下
227 / 246
第三章『身代わり王 』

第四十三話 死線

しおりを挟む
 何とかして負傷者を運んでいたエタとラトゥスのうち、先に異変に気付いたのはラトゥスだった。
「何? この音……?」
 カストラートとしての聴覚なのか、ウシュムガルの足音を敏感に察知した。しかし彼は戦闘経験がないため、それを危険なものだとは認識できなかった。
 その疑問のおかげで耳を澄ませたエタは徐々に近づいてくる振動を察知してぐるりと首を回し、まだ遠い影を視界に納めた。不運だったのはエタの片目と片耳が機能していないため、正確な距離を把握できなかったことだ。
「ラトゥス! 急いで! 何か来てる!」
 肩を貸している負傷者もそれを聞いていたのか、ほんの少しだけ足を速める。
 しかし近づいてくる音の方が明らかに速い。
「振り向かないで! そのまま走って!」
 ある程度実戦慣れしているエタは素人がもっとも恐れるべきなのは恐怖と混乱だと知っている。
 だからこそラトゥスには何も見ないように警告したが、見るなと言われれば見てしまうのが人としての性である。
 恐怖のあまり振り向いたラトゥスは甲高い悲鳴を上げた。
(まずい!)
 それに不快感を覚えたのか、それとも目に入った虫を潰そうとしたのか、わずかに進路がずれていたウシュムガルはエタたちにぶつかるような軌道に変更した。
「走って!」
 恐慌していたラトゥスだったが、エタが力強く単純な命令を下すとほとんど反射的に歩みを速めた。
 一心不乱に涙をにじませて前へと進むラトゥスとは違い、ちらちらと後ろを見るエタはあれが竜に近い外観をしていることに気づいた。
 突如として脳裏をよぎったのはわずかに、しかしはるかな遠くの過去の記憶。
 ザムグ、カルム、ディスカール。
 三人は石の戦士の一体、『竜』によって、否、エタのせいで死んだ。
 ぐっと奥歯をかみしめ、足に力を入れる。
(あんな思いはたくさんだ!)
 だがもちろん気迫や思いで足が速くなるわけでも力が強くなるわけではない。
 みるみるうちにウシュムガルとの距離はつまり、その爪が三人にかかる寸前にエタはぐいっと二人をひっぱり、横倒しにした。
 ウシュムガルは急旋回が苦手なのか、間一髪躱すことができた。
 口の中に入ったざらついた砂を吐き出しながら、目を上げ、遠くなる影にほっと胸をなでおろす。
 しかしその安堵は長く続かない。
 今まで進路をわずかに変えたことはあっても走り続けていたウシュムガルは一度立ち止まった。
 何かを探すように鼻をひくひくさせる。
 嫌な予感がしたエタは有無を言わさず負傷者とラトゥスを立ち上がらせる。
「逃げるよ!」
「ど、どこに!?」
「わからないけど、ここにいちゃだめだ!」
 エタとラトゥスでウシュムガルに勝つ見込みはない。
 誰かが救援に駆け付けるまで逃げ続けるしかない。
 だが。

 本当に。

 本当に何の脈絡もなく、エタは上を見た。
 見なければよかったかもしれない。
 ウシュムガルが巻き上げたと思しき岩混じりの土砂が降り注ごうとしていた。
 反射的に顔を腕で庇う。
「うわあああ!?!?」
「きゃああああ!?!?」
 二人まとめて悲鳴を上げる。またしても横倒しになる体。
 幸運にも大きな岩には誰も当たらなかった。
 だが落下する細かい石は容易くエタとラトゥスの柔肌を傷つけた。
 さらに大量の土砂のせいで砂煙が起こり、まともに視界が利かなくなった。
「ラトゥス! 無事!?」
「う、うん!」
 動揺しながらも返答するラトゥス。だが。エタは妙なことが気になった。
(今の声、ラトゥス? いつもより低かったような……)
 しかし疑問に拘泥している暇はない。
 声の方向に手を伸ばす。
 ざらりと、岩のような手ごたえ。人肌でも、服でもない。まるで鱗のような。
 恐る恐る見上げると、凶悪な顔つきのウシュムガルがいた。
(もしかして、耳に砂が入って、足音が聞こえなかった?)
 もはや絶望する暇さえない。
 ゆっくりと口を開けるウシュムガルに。
「おおおおおお!」
 横合いからニッグの剣が叩きこまれた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

ヒューストン家の惨劇とその後の顛末

よもぎ
恋愛
照れ隠しで婚約者を罵倒しまくるクソ野郎が実際結婚までいった、その後のお話。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

いや、あんたらアホでしょ

青太郎
恋愛
約束は3年。 3年経ったら離縁する手筈だったのに… 彼らはそれを忘れてしまったのだろうか。 全7話程の短編です。

大切”だった”仲間に裏切られたので、皆殺しにしようと思います

騙道みりあ
ファンタジー
 魔王を討伐し、世界に平和をもたらした”勇者パーティー”。  その一員であり、”人類最強”と呼ばれる少年ユウキは、何故か仲間たちに裏切られてしまう。  仲間への信頼、恋人への愛。それら全てが作られたものだと知り、ユウキは怒りを覚えた。  なので、全員殺すことにした。  1話完結ですが、続編も考えています。

【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です

岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」  私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。  しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。  しかも私を年増呼ばわり。  はあ?  あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!  などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。  その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

処理中です...