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第六章
490 かくて勝利は死せり
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非常口を出た先は遮るもののない場所だった。
遠くを見ると松明の群れが揺らめいていた。最初それは自分たちを探す敵の松明だと思った。だがそうではない。松明は明らかに遠ざかっていた。そして、恐らくは。
あの松明は自分たちの野営地近くのものだった。誰もが状況をまるでつかめなかった。しかし、ウェングは予知能力によってこれから何が起こるのか。それを正確に予知してしまった。
その表情には絶望が浮かんでいた。
「ウェング……正直に答えてくれ。これから何が起こるんだ?」
それを察知したタストが悲痛な声を絞り出す。彼も状況を理解しつつあった。
「……あれが。あの松明は俺たちの味方だ。そして……離れて……俺たちを……置いていく……」
ウェングの言葉が終わるとタストはがっくりと膝をつき、地面に顔を伏せ、むせび泣いた。
「え……え? あの、どういうことですか?」
しかしまだ何が起こっているのか理解しているのは二人だけだった。ファティと同様に混乱の渦中にある。
涙と土で顔を汚したタストが立ち上がり吠える。
「わからないのか!? 僕たちは見捨てられたんだ! もういらないんだ!」
しん、と、場が静まり返る。それだけタストの絶叫は衝撃的だった。
「そ、そんな……何かの間違いじゃ……」
「間違いなわけないだろ! そもそもこれは教皇の命令なんだ! 初めから僕たちを見捨てるつもりだったんだ!」
立場も何も忘れて叫ぶ。不敬でしかない口調だったが今更咎める余裕は誰にもない。
そしてざわめきは止まらない。教皇に見捨てられた。その発言は動揺という言葉では済まされない重みがある。教皇とはこの世の絶対者だったのだから。
反駁する者。絶望する者。呆然とする者。
反応は多様だったが誰も冷静にふるまえなかった。おそらく最も動揺していたのがタストだっただろう。
「尽くしてきた! この国の為に! 少しでもみんなが生きながらえるように! 今度こそ誰かの為になろうって……その結果がこれなのか!?」
タストの言っていることは少なくとも一部は事実だ。タストがいなければクワイという国家がこれほど延命することはなく、恐らく去年の冬か、今年の行軍中に全滅していただろう。
だがタストも気付いていたはずだ。そんなことはどうでもいいのだと。クワイにとって重要なのは救いだ。国家はその道具に過ぎない。そして民はその国家の消耗品でしかない。
例え誰もが生き延びなかったとしても最後に救いが訪れれば些細な問題なのだ。にもかかわらずタストは民を、国家を救おうとした。
救いなど自分ではもたらせないとわかっているから、妥協した……あるいは地球人としての感覚で救いを実現させようとした。そんなものはクワイに、セイノス教徒にとって認められるはずないのだ。
ウェングは……ただ唇をかみしめていた。
そしてファティは……顔を上げて叫んだ。
「皆さん! 皆さんは……退却してください!」
その声の方向に、誰もが銀の輝きを見た。
「きっと、これは何かの間違いです! もどって、教皇猊下に話をしてください!」
みるみるうちに信徒の表情に朱が差す。今や教皇は絶対の権力者ではない。それよりもはるかに偉大なる銀の聖女がいるのだから。信徒たちは一斉にファティの指示に従い活力を取り戻した。……誰もが偉大な何かに盲目的に従いたかったのだ。
「君は……どうするんだい?」
タストが小声で問いかける。
「私はこのまま進みます! 必ず敵の悪しき兵器を破壊します!」
タストの問いに対して、全員に聞こえるように返答する。驚きに満ちた瞳がファティに向けられた。つまり自分一人だけで目的を達成すると言ったのだ。誰もが何かを言おうとするがファティは止まらなかった。
「私なら何の心配もいりません! あなたたちは早く戻ってください」
信徒たちは葛藤した。命令を聞くべきか、それとも命令を無視してでも聖女様をお守りするべきか。その隙をつくようにぽそりとタストにだけ聞こえる小声でつぶやいた。
「敵の狙いは私ですよね」
「……」
何も言えずに苦しい表情のまま目を伏せた。その表情だけで十分だった。つまり、自分だけが目的なのだろう。もっと前に気付くべきだったことだ。自分だけが彼らを倒せる。以前は自分だけではとても無理だろうと思っていた。でも逆だ。
私は強い。この世の誰よりも。
今更ながらその事実を事実として受け止められた。同時に、強いからこそ何が何でも倒してしまいたいのだろう、ということも。
「じゃあ、皆さん。また会いましょう」
ぱっと身をひるがえすと先ほどの非常口に飛び込みその入り口を銀色の光が破壊し、誰にも通れなくした。
しばし誰もが呆然としていたが、ウェングが叫んだ。
「聖女様のご命令を果たすぞ!」
信徒たちは涙をこらえて松明の群れに走り出した。……だが。
一人だけうずくまったまま動かなかった。タストである。
「おい。いくぞ」
「無理だ」
「何言ってんだ!」
「無理なんだよ。僕らには無理だったんだ! もうどうしようもないんだ!」
その気持ちはウェングにも痛いほどわかる。今更戻ったところで何になるのだろう。予知能力も全くいい未来を示さない。
「だからってあきらめるのかよ」
「そうだよ」
あっさりと肯定され、思わず絶句した。
「もう何もしたくない。何をやっても無駄なんだ。だから……もう何もしない」
それきりタストは殻に引き込まったカタツムリのように黙ってしまった。
気の毒そうな視線をしばらく向けていたが、ウェングはタストを見切って走り出した。迷いを振り切りたいがための走りだったが疑問はいやおうなく湧いて出た。特に――――。
(何故教皇は裏切った――――?)
セイノス教徒にとって銀の聖女は絶対にして神聖だ。逆らうという発想がない。
それは地球人には理解しがたかった。教皇という権力者が、言い方は悪いがぽっと出の小娘に傅くような真似を躊躇なくしている様子は気味が悪かったが、タストの能力もあって嘘ではないと確信していた。
その教皇が裏切った。タストやウェングならまだしもファティを。
ありえないはずだった。つまり何か原因があるはずだった。その原因がウェングにはまるでわからなかった。
教皇は暗闇に視線を送る。そこにある闇に悪鬼羅刹がいるようににらみつける。
そこに現れたのは……アグルだった。ミーユイこと美月を伴っている。
「教皇猊下。ただいま戻りました。策の通り、ファティと同伴者は全て地の底で眠ることとなるでしょう」
「そうかよくやった。あの――――」
そこで言葉を切る。右腕を力の限り、砕けそうになるほど握りしめる。
「あの、女はこれで息絶えるのだな」
「もちろんです。あの悪辣極まる恥知らずは我々を騙したことを死の間際まで後悔することになるでしょう」
「ふん。全く、このようなものに騙されていたなど……」
教皇はかつらを地面に放り投げ、思い切り踏みにじる。そのかつらは松明に照らされ、銀色に輝いていた。
「ミーユイだったか。貴女の信心には必ず報いよう」
「寛大な御言葉に感謝いたします教皇猊下。今でも思い出すと体が震えてしまいます。まさかあのファティ様が……銀髪ではなく黒髪だったなんて……」
「あんな女に様をつけるべきではない」
苦々しく教皇は掃き捨てた。
ことの真相はこうだ。
まずファティがミーユイに変装して黒髪になった場面をアグルに目撃させる。
そしてアグルにそれを教皇に伝えさせる。さらにアグルはミーユイを問い詰め、銀の髪のかつらという証拠を提出させる。このかつらはもちろん、エミシ側が用意した偽の証拠だ。
はじめは半信半疑だった教皇も黒髪で駆けるファティを目撃させれば面白いように勘違いしてくれた。そして証拠でダメ押し。
目論み通り、教皇の銀の聖女に対する敬意は憎悪に反転した。エミシの計画はものの見事にはまった。ファティの自業自得ともみられるのだが。
こうして銀の聖女はどこにでもいる黒髪の女に零落した。いや、ただの女ではない。
「あの女はクワイを腐らせる――――魔女だ」
口にすることさえはばかれるような暴言を吐き捨てる。
教皇にとって銀の聖女とは絶対不可侵で神聖でなくてはならない。つまり、銀の聖女とは強さによって成り立つものではなく、世を救う存在であるべきなのだ。どれだけ利用価値があったとしてもそんな穢れた女を頂点に据え置くことは許されなかった。
「ですがこれで清浄なるクワイは元通りになります。あのような女のことはお忘れください」
「ああその通りだとも。それよりも貴公の言うことは本当か?」
「はい。この先にスーサンの民が落ち延びた隠れ里があります。そこでクワイを再建いたしましょう」
ちなみにスーサンの民など落ち延びていない。エミシが懐柔したクワイの民をそれっぽく仕立て上げたのだ。
「そうか。貴公は他に何かすべきことが残っているか?」
「ございません」
「なら、貴公にはまだ働いてもらおうか」
教皇は、いやらしく、うっすらと笑っていた。
こうして、クワイは確定していた滅亡の断崖に自ら身投げした。自らファティという最強の守護者を捨て去ったクワイに明日はあるのだろうか。
遠くを見ると松明の群れが揺らめいていた。最初それは自分たちを探す敵の松明だと思った。だがそうではない。松明は明らかに遠ざかっていた。そして、恐らくは。
あの松明は自分たちの野営地近くのものだった。誰もが状況をまるでつかめなかった。しかし、ウェングは予知能力によってこれから何が起こるのか。それを正確に予知してしまった。
その表情には絶望が浮かんでいた。
「ウェング……正直に答えてくれ。これから何が起こるんだ?」
それを察知したタストが悲痛な声を絞り出す。彼も状況を理解しつつあった。
「……あれが。あの松明は俺たちの味方だ。そして……離れて……俺たちを……置いていく……」
ウェングの言葉が終わるとタストはがっくりと膝をつき、地面に顔を伏せ、むせび泣いた。
「え……え? あの、どういうことですか?」
しかしまだ何が起こっているのか理解しているのは二人だけだった。ファティと同様に混乱の渦中にある。
涙と土で顔を汚したタストが立ち上がり吠える。
「わからないのか!? 僕たちは見捨てられたんだ! もういらないんだ!」
しん、と、場が静まり返る。それだけタストの絶叫は衝撃的だった。
「そ、そんな……何かの間違いじゃ……」
「間違いなわけないだろ! そもそもこれは教皇の命令なんだ! 初めから僕たちを見捨てるつもりだったんだ!」
立場も何も忘れて叫ぶ。不敬でしかない口調だったが今更咎める余裕は誰にもない。
そしてざわめきは止まらない。教皇に見捨てられた。その発言は動揺という言葉では済まされない重みがある。教皇とはこの世の絶対者だったのだから。
反駁する者。絶望する者。呆然とする者。
反応は多様だったが誰も冷静にふるまえなかった。おそらく最も動揺していたのがタストだっただろう。
「尽くしてきた! この国の為に! 少しでもみんなが生きながらえるように! 今度こそ誰かの為になろうって……その結果がこれなのか!?」
タストの言っていることは少なくとも一部は事実だ。タストがいなければクワイという国家がこれほど延命することはなく、恐らく去年の冬か、今年の行軍中に全滅していただろう。
だがタストも気付いていたはずだ。そんなことはどうでもいいのだと。クワイにとって重要なのは救いだ。国家はその道具に過ぎない。そして民はその国家の消耗品でしかない。
例え誰もが生き延びなかったとしても最後に救いが訪れれば些細な問題なのだ。にもかかわらずタストは民を、国家を救おうとした。
救いなど自分ではもたらせないとわかっているから、妥協した……あるいは地球人としての感覚で救いを実現させようとした。そんなものはクワイに、セイノス教徒にとって認められるはずないのだ。
ウェングは……ただ唇をかみしめていた。
そしてファティは……顔を上げて叫んだ。
「皆さん! 皆さんは……退却してください!」
その声の方向に、誰もが銀の輝きを見た。
「きっと、これは何かの間違いです! もどって、教皇猊下に話をしてください!」
みるみるうちに信徒の表情に朱が差す。今や教皇は絶対の権力者ではない。それよりもはるかに偉大なる銀の聖女がいるのだから。信徒たちは一斉にファティの指示に従い活力を取り戻した。……誰もが偉大な何かに盲目的に従いたかったのだ。
「君は……どうするんだい?」
タストが小声で問いかける。
「私はこのまま進みます! 必ず敵の悪しき兵器を破壊します!」
タストの問いに対して、全員に聞こえるように返答する。驚きに満ちた瞳がファティに向けられた。つまり自分一人だけで目的を達成すると言ったのだ。誰もが何かを言おうとするがファティは止まらなかった。
「私なら何の心配もいりません! あなたたちは早く戻ってください」
信徒たちは葛藤した。命令を聞くべきか、それとも命令を無視してでも聖女様をお守りするべきか。その隙をつくようにぽそりとタストにだけ聞こえる小声でつぶやいた。
「敵の狙いは私ですよね」
「……」
何も言えずに苦しい表情のまま目を伏せた。その表情だけで十分だった。つまり、自分だけが目的なのだろう。もっと前に気付くべきだったことだ。自分だけが彼らを倒せる。以前は自分だけではとても無理だろうと思っていた。でも逆だ。
私は強い。この世の誰よりも。
今更ながらその事実を事実として受け止められた。同時に、強いからこそ何が何でも倒してしまいたいのだろう、ということも。
「じゃあ、皆さん。また会いましょう」
ぱっと身をひるがえすと先ほどの非常口に飛び込みその入り口を銀色の光が破壊し、誰にも通れなくした。
しばし誰もが呆然としていたが、ウェングが叫んだ。
「聖女様のご命令を果たすぞ!」
信徒たちは涙をこらえて松明の群れに走り出した。……だが。
一人だけうずくまったまま動かなかった。タストである。
「おい。いくぞ」
「無理だ」
「何言ってんだ!」
「無理なんだよ。僕らには無理だったんだ! もうどうしようもないんだ!」
その気持ちはウェングにも痛いほどわかる。今更戻ったところで何になるのだろう。予知能力も全くいい未来を示さない。
「だからってあきらめるのかよ」
「そうだよ」
あっさりと肯定され、思わず絶句した。
「もう何もしたくない。何をやっても無駄なんだ。だから……もう何もしない」
それきりタストは殻に引き込まったカタツムリのように黙ってしまった。
気の毒そうな視線をしばらく向けていたが、ウェングはタストを見切って走り出した。迷いを振り切りたいがための走りだったが疑問はいやおうなく湧いて出た。特に――――。
(何故教皇は裏切った――――?)
セイノス教徒にとって銀の聖女は絶対にして神聖だ。逆らうという発想がない。
それは地球人には理解しがたかった。教皇という権力者が、言い方は悪いがぽっと出の小娘に傅くような真似を躊躇なくしている様子は気味が悪かったが、タストの能力もあって嘘ではないと確信していた。
その教皇が裏切った。タストやウェングならまだしもファティを。
ありえないはずだった。つまり何か原因があるはずだった。その原因がウェングにはまるでわからなかった。
教皇は暗闇に視線を送る。そこにある闇に悪鬼羅刹がいるようににらみつける。
そこに現れたのは……アグルだった。ミーユイこと美月を伴っている。
「教皇猊下。ただいま戻りました。策の通り、ファティと同伴者は全て地の底で眠ることとなるでしょう」
「そうかよくやった。あの――――」
そこで言葉を切る。右腕を力の限り、砕けそうになるほど握りしめる。
「あの、女はこれで息絶えるのだな」
「もちろんです。あの悪辣極まる恥知らずは我々を騙したことを死の間際まで後悔することになるでしょう」
「ふん。全く、このようなものに騙されていたなど……」
教皇はかつらを地面に放り投げ、思い切り踏みにじる。そのかつらは松明に照らされ、銀色に輝いていた。
「ミーユイだったか。貴女の信心には必ず報いよう」
「寛大な御言葉に感謝いたします教皇猊下。今でも思い出すと体が震えてしまいます。まさかあのファティ様が……銀髪ではなく黒髪だったなんて……」
「あんな女に様をつけるべきではない」
苦々しく教皇は掃き捨てた。
ことの真相はこうだ。
まずファティがミーユイに変装して黒髪になった場面をアグルに目撃させる。
そしてアグルにそれを教皇に伝えさせる。さらにアグルはミーユイを問い詰め、銀の髪のかつらという証拠を提出させる。このかつらはもちろん、エミシ側が用意した偽の証拠だ。
はじめは半信半疑だった教皇も黒髪で駆けるファティを目撃させれば面白いように勘違いしてくれた。そして証拠でダメ押し。
目論み通り、教皇の銀の聖女に対する敬意は憎悪に反転した。エミシの計画はものの見事にはまった。ファティの自業自得ともみられるのだが。
こうして銀の聖女はどこにでもいる黒髪の女に零落した。いや、ただの女ではない。
「あの女はクワイを腐らせる――――魔女だ」
口にすることさえはばかれるような暴言を吐き捨てる。
教皇にとって銀の聖女とは絶対不可侵で神聖でなくてはならない。つまり、銀の聖女とは強さによって成り立つものではなく、世を救う存在であるべきなのだ。どれだけ利用価値があったとしてもそんな穢れた女を頂点に据え置くことは許されなかった。
「ですがこれで清浄なるクワイは元通りになります。あのような女のことはお忘れください」
「ああその通りだとも。それよりも貴公の言うことは本当か?」
「はい。この先にスーサンの民が落ち延びた隠れ里があります。そこでクワイを再建いたしましょう」
ちなみにスーサンの民など落ち延びていない。エミシが懐柔したクワイの民をそれっぽく仕立て上げたのだ。
「そうか。貴公は他に何かすべきことが残っているか?」
「ございません」
「なら、貴公にはまだ働いてもらおうか」
教皇は、いやらしく、うっすらと笑っていた。
こうして、クワイは確定していた滅亡の断崖に自ら身投げした。自らファティという最強の守護者を捨て去ったクワイに明日はあるのだろうか。
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