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秋葉夕雲

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第五章

324 死ぬのは働き者だ

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 整列したかのように等間隔で並ぶ避難民の群れ。意外に混乱や焦燥は見られない。だが……。
 徐々にその群れが合流し、巨大になっていった。聞けば同じように火災が起こり、近隣でもっとも大きな町に避難してきたという。同じような事例は一つや二つではない。
 こうなると不安はいやおうにも増していく。果たしてこの避難民を受け入れてくれるのだろうか。
 その不安は固く閉ざされた門を前にして最大限に膨れ上がった。ざわめき、どよめき。徐々に騒がしくなる。
 しかし町の壁の上に一人の司祭らしき女性が姿を現した。一斉にその女性に視線を向け、再び沈黙が満ちる。
「私はこの町の司教様より皆様を保護せよとの命を受けました! ご安心ください! 我々は決してあなたを見捨てません! 神の愛は遍く彼方にも届くのです!」
 不安は感動と歓びへと変わる。
 門が開け放たれ、一斉に司教と司祭、そして神を讃える声と祈りが響く。
 だが、その避難民の足元を小さなネズミが走り抜け、町に入ったことに気付いたものは少なかった。

 さらに、その数時間後。
「うわ!?」
「何かしら?」
 避難民の受け入れと荷物を検めていた町の役人が驚きの声をあげていた。
「いや、荷物にネズミが紛れ込んでいたらしい」
「ネズミ? ねえ、食い物を荒らされてないでしょうね?」
 避難民の荷物は主に家財道具などだが、わずかながら食料を持ちこんでいる民もいた。
「それはないみたいだ。けどネズミにちょろちょろされると面倒だな」
 保存している食料を食い荒らすネズミはどこでも嫌われ者だ。それだけに早く駆除しなければならない。平時であるならば。
「確かにそうだわ。でも今は避難民の受け入れが先よ」
「ああそうだな」
 神に祈りを捧げ、食料が食い荒らされないことを祈る。

 その晩。
 月のない真っ暗な夜。
「ん?」
「何だ?」
「いや、今空からネズミが飛んできたような……?」
「何を言っている? ネズミが飛ぶわけないだろう?」
「あ、ああそうだな」
 首を傾げながら空を見上げる。一羽の鳥が真っ黒な空を横切った気がした。

 数日後。
「痛!?」
「どうし……うわ!? あなた足に水ぶくれができているわよ!?」
「ああ。今まで気づかなかった。ノミかもしれないな」
「ノミ? ちょっと季節が早くないかしら?」
 ノミは大体春から秋に多くなる。春が訪れまでもう少しかかるはずだった。
「そうだが……くそ、いつ噛まれたんだか」
 恨み節がこぼれるのも無理なかろう。この町はてんやわんやの大騒ぎの最中だ。本来なら目覚めるはずのない時期に冬眠から目を覚まし、さらに避難民の受け入れを実施している。
 だから多少の痛みを無視して町の住人は精力的に働いていた。
 多少咳が出ても、熱が出ても、体が痛んでも働き続けた。そんな人々に感謝し、まさにこれこそ敬虔なるセイノス教徒だと無責任な人々は褒めそやし、それを励みに必死に働くという一見美しい努力、内実を知れば愚かな社会の奴隷。
 その正体は病魔を撒き散らかす善人。
 そののち、この町は――――。



 春になろうという今日このころ。続々とペスト蔓延作戦の結果が入ってきた。
 中には町そのものが完全に消滅した場所もある。ただし、国中にペストを広めるという最終目標を達成することはできなかった。
 理由はいろいろある。
 一番の理由は今まだ人の往来が活発でないということ。これはきちんと時節を見極めればいい。むしろ問題は次。
「厄介なのはせっかく放ったマウスが駆除されることが結構多かったってことだな。ネズミ駆除業者でもいたのか?」
 避難民や、その荷物に紛れ込ませたり、カッコウに上空から投げ込ませたりと色々手管を尽くしても、駆除されれば意味はない。
「家畜として飼われている魔物に駆除されることが多かった」
「あ、そっか。そういうパターンがあるのか」
 部下の働き蟻から報告を聞く。かつてエジプトではネズミを狩る猫が神聖視されたこともある。さらにヨーロッパではペストの流行の一因が猫を都市部から追い払ったためだという説もある。
 動物にネズミを狩らせるのは立派なペスト対策の一つだ。
「ペスト菌そのものをばら撒いた場合だと……意外に感染が広がってないな」
「軽症者も多い」
 ……ふむ。普通、ペストの軽症者はかなり少ないはず。重症化しやすい病だからだ。可能性としてはノミには複数種のペスト菌が感染していて、それらが複合してペストを発症するのかもしれない。ペスト菌そのもののばらまきはあくまでも一種類だったからな。これからは複数のペスト菌を混合させてばら撒くか。

「で、この……火災ってのはどういうことだ?」
 病気が広まらなかった原因の一つに町が燃え落ちたというものがある。まさかバーベキューの不始末でもないだろう。
「ペストが蔓延したことを、自分たちに悪魔がとりついたせいだと考えて、火を放ってから自害した」
「……何ともまあ。有効な対策ではあるけどな。イカレ宗教も役には立つか」
 例の砦と同じ発想だ。魔物や悪魔に殺されるより先に自ら命を断てば救われるという発想。
 地球でもペストが蔓延した都市を焼き払ったことはある。しかしそれでも流行は収まらなかったらしいけど。
「ペストに感染した患者は家族もろとも自害を促されることも少なくなかった」
「……それで断る奴が少ないってのもどうかしてるな」
 感染症の対策を完全に人権を無視して行えるなら、徹底的に疑わしきを罰することだ。病の疑いがある奴を殺せばいい。治療するよりもはるかに楽だ。
 もしかすると火葬が一般的なのはこういう事態に備えてのことなのだろうか。
 ん? あれ? もしかしてこの町の全焼事件もオレのせいにされる? う、うーん、根本的な原因がオレにあるから反論しにくいけど……どうにも納得いかないなあ。

 ちくしょう。こういう時にゼロセロセブンばりのスパイがいれば噂を操作したりもできるけどなあ。
 そう。クワイという国家に魔物を嫌う性質があるので、とにかく敵の情報網に干渉しづらいのだ。
 もしも、オレにスパイ組織が一ダースあれば、いくらでも敵を操作できただろう。
 例えば、この病気を流行らせたのは家畜である魔物の仕業だ。そういう噂さが広まれば誰がペストの流行を防いでいたのかを気付きもせずに魔物を殺しただろう。
 人間だろうがそうでなかろうが、個体とは自分にとって都合のいい情報を信じたがる。そうでなければオイルショックの時にデマを信じてトイレットペーパーを買いに走ったりはしないのだ。
 他にも、銀の聖女の手に触れれば病気が治ると聞けば、銀の聖女の御来臨を願うだろう。
 銀髪は戦場では無敵だ。矢でも鉄砲でも奴を殺せるかどうかはわからない。
 でも、病気ならどうだ? 致死率が九割を超える病に罹ればどうだ? 間違いなく今まででもっとも成功率の高い攻撃だろう。ペストは感染者の体液が付着したり、感染者を吸血したノミやシラミなどから感染することもあり得る。
 銀髪は神でも悪魔でもないのだから病気にはなるはずだ。おびき寄せれば銀髪がくたばる目は十分ある。
 情報をコントロールできれば敵を罠にはめることなど造作もない。
 そう。オレは絶対に裏切らない裏切り者というありとあらゆる軍略家が欲してやまない矛盾した存在を欲している。
 そうすれば、恐らくは何らかの異常事態が起こっているであろうクワイの中心の一つ、教都チャンガンで何が起こっているのかわかるはずだ。
 春先にもかかわらず大名行列のような大人数の移動がひっきりなしに行われているあの場所で何が起こっているのか気にならないはずがない。
「ないものねだりは時間の無駄だな。今できることをしよう。海藻から取り出した水素はどれくらいになった?」
 以前見つけた水素を放出する海藻はすでに栽培方法が確立できている。海藻は冬に生育する種類も多い。そして例の兵器を作るには水素が欠かせない。
「予定通りに」
「樹里は?」
「はしゃいでいます」
「……だろうなあ」
 数か月前にオレが新兵器の設計図を渡した時の樹里のはしゃぎようは天まで届きそうだった。それくらい完成すれば魅力的な兵器になるだろう。完成さえすれば。
 最低でもあと二か月。突貫工事が終わるまでせめて何も起きないでくれと期待するしかなかった。
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