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第一章
42 生と死
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トゥーハ村はアグルからもたらされた凶報によって騒然となった。
「母さん、みんな。すまない。俺がついていながら」
「いいのですアグル。それよりも何があったのですか」
内心ほくそ笑んでいることを隠しながら村長は優しく問いかけた。
「兄さんと森を探索していると突然灰色の蟻達が襲ってきた。なんとか踏みとどまっていたけど、巨大な蟻が兄さんに喰らいついた。恐ろしい形相だった。……まるで火の海を渡る悪魔のようだった」
アグルの語り、いや騙りは森で起こった悪夢がいかに凄惨なものだったか想起させるのに十分だった。ある者は口元を抑え、またある者は生唾を飲み込んだ。
「そんな魔物を相手にしても兄さんは一歩も退かずに戦い遂に倒したが、兄貴も重傷を負ってしまった。蟻は益々数を増やし、捌ききれなくなるのも時間の問題だった。……兄さんはオレにこの危機を村に伝えろと言い残し、一人奴らに向かっていった」
アグルの言葉が途切れると村人たちは喧々諤々と騒ぎ立てた。
「アグル! お前はトラムを一人残して逃げたのか!? 魔物との戦いで逃げることは恥だと聖典にも書かれているだろう!?」
「よせ! アグルも勇敢に戦ったんだ! あの体を見ればわかるだろう!?」
確かにアグルの体は傷だらけだった。だが真に眼力のある物ならばその傷が明らかに致命傷を避けていることや蟻の噛み傷ではないことがわかっただろう。
「いやその通りだ。俺にもっと力があれば兄さんは、兄さんは!」
額を地面に擦りつけ泣き叫ぶアグル。
その姿はあまりにも真摯であり、アグルが敬虔な信徒であることを疑うものは誰一人としていなかった。
……その口元が吊り上がっていることに気付いた者もいなかった。
トラムの家に辿り着いたアグルを出迎えたのは泣きはらした目をしたサリだった。
「アグルさん。トラムさんが亡くなったというのは……」
「ああ。本当だ」
サリはぎゅっと目を閉じ、地面に向けて剣を現した。故人を偲ぶ際に用いられる祈りだ。
「ファティはいるのか」
「いますが……その前にこれを。トラムさんから預かりました」
渡されたのは一枚の紙。この状況で渡されるなら間違いなくファティに関わるものだ。その予想は正しかった。
「ファティの養い親の……委任状……」
「トラムさんは貴方をもっとも信頼していました。自分の身に何かがあればこれを貴方に、と」
「そうか……兄さんが」
万感の思いで委任状を受け取る。
兄さん。これが兄さんの本当の意思なんだ。これならあのババアと銀髪を取り合わずに済む。任せてくれ。兄さんの理想は必ずオレが成し遂げてみせる。
進む先にはただ戸惑いおびえながら佇んでいる娘がいた。その頭にはどんな財宝よりも役に立つ銀色の髪があった。彼の目にはそれしか目に入っていなかった。
死体を持ってきてしまったぜ!
勢いで持ってきたけど死体の防腐処理なんてどうすればいいんだ? 霊安室なんて便利なものはもちろんない。女王蟻みたいに土の棺に入れるか? それじゃあそのうち腐るよな。
ここは古代エジプトのミイラづくりに学ぼう。
まず脳と内臓を取り出す。そして苛性ソーダをまぶす……そんなものはないからアルコールで消毒するか。次に乾かしてから詰め物するんだっけ。
乾燥は適当でいいか。石でも詰めよう。お腹に石を詰める……おお、これぞまさに狼と七人の子山羊! なんてこった。まさかあの童話の原点はエジプトのミイラだった?
んなわけあるかい。でもミイラづくりの手順を見ていると……料理とそんなに変わらないな。内臓抜いて酒かけて水分抜いて……お食事中の人がいたらごめんね!
それにしてもいきなり刺されるとはな。見た目が似てるだけとはいえ人間てのはどこでもたいして変わらないな。だましたり裏切ったりするのは高い知性を持っている証拠ではあるけど、もうちょっと有効な方向へとその力を向けられないもんかね? 蟻を見習え。
……実は蟻同士で殺しあったりすることはあるけど黙っておこう。シロアリは割とみんな仲良しだけどな。
それほど時間はかからずにミイラモドキ完成。後は土の棺に入れておこう。
ミイラで思い出したけどもう一人の珍客の機嫌はどうなっていることやら。たまには様子を見ないと。
「でね~みんなが悪いことをして死んだらその魂は悪魔に食べられるんだよ~。いいことをしたらシレーナが新たに作った楽園で健やかに暮らせるんだよ~」
蜘蛛の神話についていくつかわかったことがある。糸にまつわる説話や何故か悪人を食べられたり、食べたりする説話がやたら多い。やっぱり食い意地張りすぎだろ。それとも蜘蛛が共食いをする生き物であることと関係あるのだろうか。
ただオレの現状を考えるとどうしても聞かなければならないことがある。
「お前たちは転生という言葉を知っているか?」
「な~にそれ?」
「……知らないならいい」
気づいてはいたけどこの蜘蛛の神話に転生という言葉は存在しない。オレの転生に神とやらが関わっていたとしても蜘蛛の神とは100%無関係であることの証明だ。
もちろんそんなことを説明するつもりはない。信徒の頭の固さはよく知ってる。こいつ自身は今のところ悪人というわけでもないが、その点は決して相容れない。
今更だけどなんでオレは転生したんだろう? 大犯罪者でもなければ救世主でもない。ごく普通の大学生だ。何らかのボーナスやペナルティではない。やっぱりただの偶然かな?
単なる偶然だとすると確率ってどのくらいだろう? 10%だと多すぎる気がするから1%くらいかな? なんとなくだけど。それでも結構ラッキーだったな。
仮に地球上の一日の死亡者数が10万人だと仮定すると一日に千人くらい転生してるのか? 仮定が多すぎるから単なる思考実験にしかならないな。
さらに転生先が女王蟻だからな。これもまたかなりの幸運に恵まれたはずだ。もしもネズミに転生でもしていたら単独サバイバルライフのスタートだ。
生き残れると思うか? 無理無理無理無理。絶対死ぬ。
ヤシガニみたいに強い魔物でも幼生の時まで強いとは限らない。この国のヒトモドキもどっぷり宗教に浸かってるから、あいつらには転生したくない。考えれば考えるほど自分がどれだけの幸運に恵まれたかがよくわかる。
この手の異世界転生定番のチート能力なんかもないし。オレが何のチートも与えられていないところを見ると転生したからといって何か与えられることもないだろう。もしもオレと同じように転生した人間がいるならそいつも相当苦労してるだろうな。もし見つけたら何とかして協力したいところだ。
「ね~ちゃんと聞いてる」
「聞いてるしちゃんと記録してますよ」
「ほんとに~? 悪い子は悪魔に食べられちゃうよ~?」
「いい子は楽園行きか。どこでも根本は変わらないな」
宗教の基本理念は死後の充実だ。楽園にせよ、転生にせよ、宗教という概念は大抵死後の安息を保障するシステムだ。
誰だって死ぬのは怖いからな。逆説的に死への恐怖がない生物には宗教という概念が発達することはないのだろうか。……例えば蟻には。
だが奴らには墓を作る習慣があった。あれが宗教の始まりとみなすことはできる。それとも―――オレより先に蟻に転生した誰かがいたのか? 誰かが蟻に教えたのか?
確認する術はないな。一応オレの弟妹を含めた女王蟻の死体はちゃんと保管しておこう。ついでにさっきの兄貴も。
蜘蛛はまだ姦しく騒いでいたが面倒になったのでテレパシーを切って眠りに就いた。
明日が今までの人生の中でもっとも長い日になることも知らずに。
「母さん、みんな。すまない。俺がついていながら」
「いいのですアグル。それよりも何があったのですか」
内心ほくそ笑んでいることを隠しながら村長は優しく問いかけた。
「兄さんと森を探索していると突然灰色の蟻達が襲ってきた。なんとか踏みとどまっていたけど、巨大な蟻が兄さんに喰らいついた。恐ろしい形相だった。……まるで火の海を渡る悪魔のようだった」
アグルの語り、いや騙りは森で起こった悪夢がいかに凄惨なものだったか想起させるのに十分だった。ある者は口元を抑え、またある者は生唾を飲み込んだ。
「そんな魔物を相手にしても兄さんは一歩も退かずに戦い遂に倒したが、兄貴も重傷を負ってしまった。蟻は益々数を増やし、捌ききれなくなるのも時間の問題だった。……兄さんはオレにこの危機を村に伝えろと言い残し、一人奴らに向かっていった」
アグルの言葉が途切れると村人たちは喧々諤々と騒ぎ立てた。
「アグル! お前はトラムを一人残して逃げたのか!? 魔物との戦いで逃げることは恥だと聖典にも書かれているだろう!?」
「よせ! アグルも勇敢に戦ったんだ! あの体を見ればわかるだろう!?」
確かにアグルの体は傷だらけだった。だが真に眼力のある物ならばその傷が明らかに致命傷を避けていることや蟻の噛み傷ではないことがわかっただろう。
「いやその通りだ。俺にもっと力があれば兄さんは、兄さんは!」
額を地面に擦りつけ泣き叫ぶアグル。
その姿はあまりにも真摯であり、アグルが敬虔な信徒であることを疑うものは誰一人としていなかった。
……その口元が吊り上がっていることに気付いた者もいなかった。
トラムの家に辿り着いたアグルを出迎えたのは泣きはらした目をしたサリだった。
「アグルさん。トラムさんが亡くなったというのは……」
「ああ。本当だ」
サリはぎゅっと目を閉じ、地面に向けて剣を現した。故人を偲ぶ際に用いられる祈りだ。
「ファティはいるのか」
「いますが……その前にこれを。トラムさんから預かりました」
渡されたのは一枚の紙。この状況で渡されるなら間違いなくファティに関わるものだ。その予想は正しかった。
「ファティの養い親の……委任状……」
「トラムさんは貴方をもっとも信頼していました。自分の身に何かがあればこれを貴方に、と」
「そうか……兄さんが」
万感の思いで委任状を受け取る。
兄さん。これが兄さんの本当の意思なんだ。これならあのババアと銀髪を取り合わずに済む。任せてくれ。兄さんの理想は必ずオレが成し遂げてみせる。
進む先にはただ戸惑いおびえながら佇んでいる娘がいた。その頭にはどんな財宝よりも役に立つ銀色の髪があった。彼の目にはそれしか目に入っていなかった。
死体を持ってきてしまったぜ!
勢いで持ってきたけど死体の防腐処理なんてどうすればいいんだ? 霊安室なんて便利なものはもちろんない。女王蟻みたいに土の棺に入れるか? それじゃあそのうち腐るよな。
ここは古代エジプトのミイラづくりに学ぼう。
まず脳と内臓を取り出す。そして苛性ソーダをまぶす……そんなものはないからアルコールで消毒するか。次に乾かしてから詰め物するんだっけ。
乾燥は適当でいいか。石でも詰めよう。お腹に石を詰める……おお、これぞまさに狼と七人の子山羊! なんてこった。まさかあの童話の原点はエジプトのミイラだった?
んなわけあるかい。でもミイラづくりの手順を見ていると……料理とそんなに変わらないな。内臓抜いて酒かけて水分抜いて……お食事中の人がいたらごめんね!
それにしてもいきなり刺されるとはな。見た目が似てるだけとはいえ人間てのはどこでもたいして変わらないな。だましたり裏切ったりするのは高い知性を持っている証拠ではあるけど、もうちょっと有効な方向へとその力を向けられないもんかね? 蟻を見習え。
……実は蟻同士で殺しあったりすることはあるけど黙っておこう。シロアリは割とみんな仲良しだけどな。
それほど時間はかからずにミイラモドキ完成。後は土の棺に入れておこう。
ミイラで思い出したけどもう一人の珍客の機嫌はどうなっていることやら。たまには様子を見ないと。
「でね~みんなが悪いことをして死んだらその魂は悪魔に食べられるんだよ~。いいことをしたらシレーナが新たに作った楽園で健やかに暮らせるんだよ~」
蜘蛛の神話についていくつかわかったことがある。糸にまつわる説話や何故か悪人を食べられたり、食べたりする説話がやたら多い。やっぱり食い意地張りすぎだろ。それとも蜘蛛が共食いをする生き物であることと関係あるのだろうか。
ただオレの現状を考えるとどうしても聞かなければならないことがある。
「お前たちは転生という言葉を知っているか?」
「な~にそれ?」
「……知らないならいい」
気づいてはいたけどこの蜘蛛の神話に転生という言葉は存在しない。オレの転生に神とやらが関わっていたとしても蜘蛛の神とは100%無関係であることの証明だ。
もちろんそんなことを説明するつもりはない。信徒の頭の固さはよく知ってる。こいつ自身は今のところ悪人というわけでもないが、その点は決して相容れない。
今更だけどなんでオレは転生したんだろう? 大犯罪者でもなければ救世主でもない。ごく普通の大学生だ。何らかのボーナスやペナルティではない。やっぱりただの偶然かな?
単なる偶然だとすると確率ってどのくらいだろう? 10%だと多すぎる気がするから1%くらいかな? なんとなくだけど。それでも結構ラッキーだったな。
仮に地球上の一日の死亡者数が10万人だと仮定すると一日に千人くらい転生してるのか? 仮定が多すぎるから単なる思考実験にしかならないな。
さらに転生先が女王蟻だからな。これもまたかなりの幸運に恵まれたはずだ。もしもネズミに転生でもしていたら単独サバイバルライフのスタートだ。
生き残れると思うか? 無理無理無理無理。絶対死ぬ。
ヤシガニみたいに強い魔物でも幼生の時まで強いとは限らない。この国のヒトモドキもどっぷり宗教に浸かってるから、あいつらには転生したくない。考えれば考えるほど自分がどれだけの幸運に恵まれたかがよくわかる。
この手の異世界転生定番のチート能力なんかもないし。オレが何のチートも与えられていないところを見ると転生したからといって何か与えられることもないだろう。もしもオレと同じように転生した人間がいるならそいつも相当苦労してるだろうな。もし見つけたら何とかして協力したいところだ。
「ね~ちゃんと聞いてる」
「聞いてるしちゃんと記録してますよ」
「ほんとに~? 悪い子は悪魔に食べられちゃうよ~?」
「いい子は楽園行きか。どこでも根本は変わらないな」
宗教の基本理念は死後の充実だ。楽園にせよ、転生にせよ、宗教という概念は大抵死後の安息を保障するシステムだ。
誰だって死ぬのは怖いからな。逆説的に死への恐怖がない生物には宗教という概念が発達することはないのだろうか。……例えば蟻には。
だが奴らには墓を作る習慣があった。あれが宗教の始まりとみなすことはできる。それとも―――オレより先に蟻に転生した誰かがいたのか? 誰かが蟻に教えたのか?
確認する術はないな。一応オレの弟妹を含めた女王蟻の死体はちゃんと保管しておこう。ついでにさっきの兄貴も。
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