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秋葉夕雲

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第一章

27 虫の巣の下で

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 飛び交う矢とボーラ。
 蟻と蜘蛛の攻防は一層激しさを増している。だがじりじりと前衛の蟻たちと蜘蛛の距離は縮みつつある。ボーラが直撃した蟻はまだ一人しかいない。盾でガードしたにも拘わらず腕が折れたことには驚いたが幸いにも(?)絡んで身動きが取れなくなることはなかった。
 やはり弓で牽制できていることが大きい。蜘蛛は絶えず動き回っているため糸の制御に集中できていない。当たり前だが魔物だって生物だ。一度にいくつもの行動を行うほどその精度は下がっていく。
 なるほど、攻撃は最大の防御とはこちらの攻撃力が増せば敵が攻撃に割ける労力が少なくなるということ。ようやく理解できた。
 しかしこうなってくると指揮官は意外と暇だ。漫画やアニメだとどんな状況でも有能なトップは忙しそうにしているけど、本来なら指揮官が暇を持て余している状況の方がいいんだよな。それは計画通りに作戦が実行されている証拠なんだから。


 さて今更ではあるけれど、オレは割とうっかりしている。これなら大丈夫だと思うとどうにも油断してしまうらしく、これはもう生まれついての性質で治しようがない。残念ながらそれは一度死んだくらいでは治らなかったようだ。

 ガクンと前衛の蟻の内二匹が足を止める。そこに放たれるボーラをかろうじて盾で受け止めるもののダメージは浅くない。
 慌てて何が起こったかを確かめるといつの間にか蜘蛛の糸が蟻の後ろ脚にくっついていた。
「糸を切れるか!?」
「難しい」
 蟻の言葉は端的なだけに真実を語っている。糸がピンと張られているだけなら噛み千切るかナイフでも作って切ることはできる。だがこの糸はあるときは伸び、またある時は縮み、うねうねと蛇のように蠢いている。くそ、ボーラですら囮だったのか?
「おやどうした? 先ほどはずいぶん楽しんでいたようだが?」
「やかましい! 性格悪いなお前!」
 こいつこっそり糸を背後に移動させたな!?戦術といい煽り方といい碌な奴じゃない! だが有効な対処が思いつかん! このままならいずれ殺されるのは確実。
「何とかして切れ!」
「わかった」
 え? 何が?
 何か言葉をかける前に蟻は器用に後ろ足に口を近づけると、

 足を噛み千切った。

 ぶちぶちと肉のちぎれる音。ぼたぼたと零れる血。
 正気を疑う光景だ。もっとも蟻に正気という概念があるのなら、だが。
 なるほど。糸が切れないなら糸がくっついている足を切ればいい。地球の生物と違い硬化能力を解除すれば骨の無い足を切ることは楽だろう。合理的かつ自分の傷を気にしない蟻らしい発想だが、いくら何でも思い切りがよすぎるぞ。ぶっちゃけちょっと引く。後怖い。
 もしオレが兵蟻に転生していたらこんなことをしなければならなかった。絶対嫌だな。
 が、オレ以上にドン引きだったのは当然蜘蛛だ。
「ちっ、気狂い共の相手などしてられん」
「おいこら逃げんな!」
「逃げているのではない。貴様らに付き合っておれんだけよ!」
 それを逃げるって言うんだ! どれだけ上から目線なんだこの蜘蛛は!
 蜘蛛は木に向かって糸を出し、ターザンのように木から木へと飛び移っていく。こいつ逃げる時の為にその移動力を隠してたな! ホンっと底意地悪いな!けどまあ、

 予想通りだ。

 古代において籠城戦では包囲を完全なものとせずにあえて一か所に穴を開けたらしい。そうすれば敵が穴から逃亡するため結果的に自軍の被害を抑えることができたらしい。つまり人間にはわかりやすい逃げ道があればそこを進む性質がある。
 では異世界の魔物である蜘蛛にはその性質は当てはまるのか?
 答えは――当てはまる。敵が攻めてくる方向の逆には敵がいないと思い込む。そしてそこに兵を伏せておけばいい。
 戦術や心理学はどんな生物によっても有効であることの証左だ。人も蜘蛛もその頭脳に大した違いはない。

 三人の蟻が弓を放つ。近距離からの不意打ち。避けられる要素などない。

 はずだった。

 空中にあった蜘蛛の体は突如として地面へと急降下し、矢は虚しく空を切った。地面にくっつけた糸で自分の体を引っ張ったのだ。
「地虫にしてはよくやった。糸が教えてくれるまで気づかなんだぞ」
 蜘蛛の中には糸を通じて振動を感知するものがいるという。こいつにはそんな能力まで備わっていたらしい。そして避けるだけで終わるはずがない。
 どこからともなく現れた網状に編まれた糸があっという間に蟻たちを押さえつけた。かろうじて手を動かせることはできるが攻撃はできないだろう。
「無様よのう。いま少し時間があればその五体喰ろうてやるがな」
 蜘蛛は完全に勝利を確信している。自分の糸に絶対の自信を持っているに違いない。
 逆に言えば糸さえどうにかできればこの状況を打開できる。もうあれを使うしかない。ほんの少しだけ時間を稼がなくては。ええっとこういう時には何か話せばいいのか? ああもう悩んでる暇なんてねえ!
「ところで生姜牛乳プリンという料理を知っているか?」
「……? なんだそれは?」
 乗ってきた!? いやチャンスだ。話題を続けなくては。
「生姜に含まれる酵素が牛乳のタンパク質を分解させてから再度結合することによって牛乳を固めてから食べるお菓子だ」
 オレも一度作ってみたけど上手くいかなかった。
「生姜には肉を柔らかくさせる性質もあるがこれも生姜に含まれる酵素が作用している。恐らく辛生姜の魔法は生姜のそういった性質を魔物に対してのみ有効にしたものだ」
 最初に違和感を感じたのは、死にたてのネズミに辛生姜の魔法を試してみた時だった。なんの影響もないと予想していたが実際にはネズミはすぐに柔らかくなった。
 つまり生姜の魔法は麻痺ではなく、硬化能力を解除する魔法だった。事実として普通の昆虫は辛生姜に触っても何一つとして影響はなかった。
 重要なのは魔物から生産された物質、恐らくはタンパク質であれば例え死んでいたとしてもこの魔法は有効だということ。もっと正確に言おう。そもそも生物でなかったとしても魔物の体から作り出したものは全てタンパク質であり硬化能力が存在する。故に――――

「お前の糸にも辛生姜の魔法は効くってことだ!」

 一人の蟻が、辛生姜のしぼり汁がついた鏃を糸に触れさせた瞬間、今まで灰色の光を纏っていた糸が薄いピンク色の光に包まれた!
 それと同時に蟻たちを縛っていた糸が緩み、脱出に成功した。
「!? 糸が動かん!?」
 驚いたことに辛生姜の魔法は完全に蜘蛛から糸の支配権を奪っていた。
 好機!
 蟻から放たれた辛生姜付きの矢は蜘蛛に深々と突き刺さった。

 そこからはあっという間だった。動きが鈍った蜘蛛は抵抗らしい抵抗もできずにワラワラと群れる蟻にあっさりと囲まれた。糸を封じられて動揺していたのかもしれない。
「お尻の糸を出すとこは念入りに塞げ。手足もきちんと土で覆え」
 きちんと蟻の魔法で抵抗できないように拘束していく。まさしく手も足も糸も出ない状態だ。蜘蛛は蟻に比べるとやや大きいがただ暴れるだけでどうにかなる状況ではない。

 はあああー。もうこれで勝ちだな。しんどかったー。
 アウェイきつい! 糸の用途多すぎ! 数では完全に勝ってたのにすげえ苦戦した。正直辛生姜なしだと勝てなかった。
 もっと早くから辛生姜を使ってたら楽に勝ったかも知れないけど、あんなに効くとは思ってなかったんだよ!
 蜘蛛の糸にも有効なのとここまで届くことは予めわかっていたけど蜘蛛の魔法をほぼ無力化できるとは思ってなかった。せいぜい動かしにくくなるぐらいかと。
 あれかな? 辛生姜の魔法ってシンプルな分射程も長くて強力なのかな。

「おのれ地虫どもが妾にこのような仕打ちを……許さんぞ!」
「おや負け犬の遠吠えか? お前はこれからドナドナされるんだよ」
 やはり勝利したおかげで気が大きくなってるな。
「訳の分からぬことを…。貴様らには神罰が下るだろう。我らが祖、シレーナよ、この者らに裁きを!」
 その言葉に思考が固まる。
「お前今何て言った?」




 当然だがオレは無神論者だ。転生した今でも神なんかいないと思っているし、神を信じる人間、いや生物はどこかおかしいとすら思っている。だがそれでもこの世界に生きる知性がある魔物は大抵何かを信仰していた。
 太陽を、雨を、風を、祖先を、救いを。
 前世でも散々頭を悩ませた神とやらにこの世界でも、いや前世以上に向き合うことを余儀なくされた。
 この時点でわかったことはこの世界において、神は人間だけの物じゃないってことだけだ。
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