■本編完結■ 竜騎士と花生み〜逃亡奴隷はご主人様に恋をする〜

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2.孤児から奴隷になって

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 マルは久々にベッドで目を覚ました。柔らかい。孤児院よりも、軟禁されていた場所よりも、ずっと寝心地がいい。きっと高級ベッドなのだ。このまま寝続けたら、しまいには身体が溶けてベッドになってしまうのでは思ったほどだ。けれどマルがとろける前に、コンコンと部屋を静かにノックされた。返事をすると、厩舎で聞いた覚えのある声の男が入ってきた。歳のころは二十歳ごろだろうか。明るい煉瓦色をした短い髪が目立つけれど、それよりもずっと目を惹くのは、背の高さだった。部屋のドアをギリギリ通れるくらいの背丈がある。
「おー、目が覚めたのか、良かったなぁ。お前、丸一日眠ってたんだぞ。どれ、熱はどうだ?」男はそう言ってマルの額に手を当てる。

「……うん。ねえな。お前、腹減ってるか? 熱が下がって腹が減ってるなら、飯食って回復した方がいいぞ」
「……たっ……たべ、たべたい……けど、俺、金持ってない……」

 青い花が一輪と、厩舎で生み出した葉がポケットにはある。けれど花生みであることは、秘密にしたかった。逃亡奴隷と知られてもまずい。大人へは用心しなければ。

「ははっ。んなの気にすんなって。待ってろ、宿の女将さんに言って、何か貰ってくるからよ」

 そう言って部屋を出て行った男が再び戻ってきたとき、手には湯気のたったスープと、きつね色をしたパンを載せた盆があった。

「急に食べると腹がびっくりするからな。よく噛んでから飲み込むんだぞー」
「う、うんっ!」

 スプーンですくう手が震えた。温かい料理だ。誰の食べ残しでもない。刻んだ野菜に、腸詰めも入っている。口に運ぶと、ただひたすら美味しかった。かぶりついたパンはいい香りがするうえに、驚くほど柔らかい。マルは言われた通り、何回も何回も噛んでから飲み込んだ。男に言われなくてもそうしただろう。だって、すぐに飲み込んでしまうには、もったいない。こんなごちそうは、次いつ食べられるか分からないのだから。
 男はベッドの横にある椅子へ腰かけた。マルはもぐもぐと休みなく咀嚼している。

「食べながらでいいから聞いてくれ。俺さ、アニムスっていうんだ」

 アニムスは、人好きのする柔和な笑みを浮かべて話を続けた。自分たちはカエルム王国の竜騎隊に所属する隊員で、この時期は毎年トニトルスの町を訪れていると言う。アニムスの話は面白かった。アニムス自身は二十一歳で、弟が一人、妹が二人いる。自己紹介や家族の楽しいエピソードを聞いた。スープもパンもお代わりをした。そうして満腹になって、ようやくマルは名前や年齢、それから孤児院にいたことまでしゃべってしまったことに気付いたのだった。

「なぁ、マル。俺らの隊長がこのあとマルと話があるってさ」

 アニムスはスープを渡したときと同じ笑顔をマルへ向けている。笑う大人は信用するな。知っていたはずなのに、自分はなんて愚かなのだろう。



 マルが十歳まで育った孤児院では、あるとき高齢になった院長との代替わりで新しい院長がやってきた。見掛けは穏やかだが、お気に入りの子を夜な夜な呼び出し、卑猥なことをさせていた。院長は相手を決めると、連日その子に相手をさせる。そして飽きたら他の誰かと交代。次のお気に入りを選ぶまで、孤児たちへの食事は古くて固いパンと水だけしか用意しない。その隣の食卓にはとびきり豪勢な食事を並ばせる。焼きたてのパン、大きな肉を焼いたもの、具がたっぷり入ったスープ、それにチーズと果物とケーキもある。院長の食卓に椅子は二脚しかない。一脚は院長が座る。残る椅子は一脚。院長はバターをたっぷりとパンへ塗りつけると「あぁ、一人ぼっちで寂しい儂と、もっと仲良くなりたいという心優しい子はおらぬのか」と嘆く。そして大きな口を開けてパンを放る。口の端からは溶けたバターが筋になって流れる。それを見た孤児はそわそわし始める。フォークで刺し損ねた芋が皿から飛び出て床へ転がると、何人もの孤児が芋へ向かって飛び出す。それを微笑ましいものを眺めるように、にこにこと院長が笑う。
 院長の持論は「パンも人も、柔らかいころが最も美味い」だそうだ。

 その後、奴隷としてマルを手に入れたごろつきたちもよく笑っていた。腕に認識番号の入れ墨を彫られていると、指の間や耳の後ろから葉と、たまたま深い青色の花がいくつか咲いてしまった。それが良くなかった。「お前、痛いと花を生むんだな」と言い、続けて「そいつは楽でいい」とにっこり笑った。
 ごろつきたちのねぐらには、マル以外の花生みが二人いた。一人は食事をすると花を生む、とごろつきたちから勘違いされていた。もう一人は悲しいと花を生む、と勘違いされていた。どちらも間違いだ。もちろん、マルへの解釈も。
 マルの爪を剥ぐか、骨を折るか。楽しそうに話し合うごろつきだったが、絵心のある者がいて暇な時間に入れ墨を彫られることに決まった。
 花生みが花を生むのは、心の揺れ動きに左右される。食事が美味しくて嬉しかったり、突然悲しいことが起こったりすれば、花も葉も勝手に生まれていく。花の色にも変化があって、楽しければ黄色やピンクなどの明るい色、辛ければ黒に近い深い色だ。注意が必要なのは、黒い花。真っ黒な花ばかり生み続けると、花生みは死んでしまう。『花枯れ』といって、最期には大量の黒い花を生む。マルがごろつきのねぐらにやってくる前にはもう一人の花生みがいて、そいつがそうだったと『食事の花生み』が教えてくれた。
 生き残っている二人の花生みたちは何年もそこに軟禁されていて、もう黒い花しか生めなくなったそうだ。『悲しい花生み』は、毎晩何人もの客をとらさせれていた。性行の最中に生んだ花は一輪だけ土産にできるのが売りで、客は途絶えることがなかった。そしてある夜、常連客を相手にしている最中に、大量の黒い花を生み出して亡くなってしまったのだった。
 次の日はごろつきたちがご機嫌で、浴びるほど酒を飲んでは陽気に歌い、笑い合っていた。客へ渡した残りの黒い花は相当な数があったそうだ。『食事の花生み』にもマルにも肉をくれた。『悲しい花生み』が生んだ大量の花は、相当な金額になったらしいと『食事の花生み』は静かに呟いた。「次は俺の番だ」とも。
 恐ろしい予想は当たった。『食事の花生み』は客を取らされるようになって、しばらくしてから花枯れをした。ごろつきたちは再び大喜びで宴会を開いた。前回よりも大量の黒い花が生まれたらしく、みんなが泥酔して浮かれていた。だからその隙をみてマルは逃げ出したのだ。
 それなのに、また捕まってしまうなんて。不安に心が揺れたせいか、指の間がむずむずとした。とっさに天井を見て気を紛らわせると、アニムスもつられて天井を見上げる。

「天井に何かあるのか?」
「何も……ないよ」
「じゃあ、早速だけど隊長の部屋へ案内したいんだけど、立てるか?」

 面倒見の良さそうな兄の雰囲気があるアニムスは、大きな手をマルに差し出す。

「大丈夫、一人で歩ける」

 手を取ったら、問答無用で捕まえられるかもしれない。
 ベッドから立ち上がりながら、ふとズボンのポケットの中を確認すると、そこは空だった。
 あるべきはずの青い花と葉が入っていなかった。
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