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『まて』をさせられました 25
しおりを挟む◆エドワード視点◆
「お前にはザリエルの娘と婚約をしてもらう。」
レティとヴィクター殿下の婚約が決まる数か月前、10歳になってすぐのころ、普段は全く家に寄りつかない父上が帰宅してすぐに呼び出され説明もなく告げられたのはそんな言葉だった。
しかも苦虫を潰したような、嫌々だとあらわにして。
「ザリエル伯爵の娘とは、クラウディア嬢のことで間違いないですね。」
成り上がりと父上は馬鹿にしているが、この国にはいなくてはならない外交の名手ザリエル伯爵。
ザリエル伯爵の3代前までただの商人であったにもかかわらず、我が国の男爵の娘と婚姻して婿に入りそこから目覚ましい活躍をして国に貢献してきた。
只の商人といえど、世界各地に太く強い大きなネットワークを持つ初代は、当時の政を担っていたものたちが頭を悩ませていた問題を、笑顔と伝手を使って解決していった。その功績により男爵が子爵へ、そして伯爵となった。先代王の時には、国交を大きく切り開き経済に大きな利益をもたらしたとして侯爵へと陞爵の予定だったのだが、急激な成長は恨みを買うだけと伯爵位のままで他の爵位と共に交易に便利な地域の領地を拝領した。
だからザリエル家は伯爵と言えど、その力、影響力は侯爵で宰相の我が家に次ぐほどだ。いつその力関係が反転してもおかしくないほど強い力を持っている。
伯爵本人も家族のだれもが温和そうで穏やかな人物にしか見えないというのに、実際には目標を定めたなら達成するまではしっかりやり遂げる知識と行動力のある一族だった。
父の言うザリエル伯爵は、最近先代より爵位を引き継いだ当代でありその娘とは5歳のクラウディアしかいない。
だが万が一にも間違えがあってはいけないための確認だったのだが、その確認でさえも口に出すのがそんなに嫌なのかというほどの嫌悪する顔で答える。
「そうだ。
由緒正しい我がヴィンセント家と縁を結んでやるんだせいぜい這い蹲って喜ばせてやるがいい。
だが結婚まではさせんぞ!いいか、婚約だけだ。
この娘はな、ヴィクター殿下を誑かす悪女だ。
いいか、これは内々定だがレティシアがヴィクター殿下の婚約者の決まった。
聖女としての地位も我がヴィンセント家という家格も申し分ない。だというのに、一部の反対派がザリエルの娘を押してまだ諦めていない。レティシアの年が上だと世継ぎに不安があるとか抜かしてな。大丈夫とは思うが、万が一に備えてあの娘をどこかと婚約させれば周りもレティシアしかいないと納得するだろう。本来ならどこかに申し込ませるべきなのだが、陛下の目が鋭い間は下手なことはできん。しかたがないからレティシアの婚姻が結ばれるまでお前の婚約者にして縛り付けておけ。
お前のそのレティシアとそっくりな綺麗な顔で娘を繋ぎとめて置くんだ、いいな!」
10歳の俺でも聞いた時は胸糞が悪くなるようなひどい言いようだった。
クラウディア嬢はまだ5歳だったはず。その幼女に悪女だなどいい大人がよく言ったものだ。
確かにヴィクター殿下とザリエル家の姉弟が陛下の命を受けて登城するたびに遊び相手になっていることは知っている。
だがまだ5歳の子供たちに恋だの愛だのとわかるはずもあるまいに。
父上は忙しすぎる仕事で考えが少しおかしくなっているのではないだろうか・・・
深刻に休養を進言するべきかもしれない。
そう思っていた時期もあった。
だが、実際に顔を合わせてその考えを改めることになった。
「はじめまして、わたしのこんやくしゃさんはてんじょうのかたですか?」
キラキラと瞬く瞳。頬を上気させた喜色を素直に表した笑顔。小さな体にフリルとレースをふんだんに使われたかわいらしいドレスに身を包みちょこんとスカートのすそをつまんでお辞儀をする。その彼女こそ妖精ではないかと思うほどの目を釘付けにする愛らしさがあった。
今までは聖女のレティや俺に対して人外的な例えをされて、そんなことをいう人を馬鹿にしてきた俺がまさか他の人物をそんな風に例える日が来ようとは思い浮かんだ思考に吃驚した。
そのくらいの儚さと可憐さと愛らしさを備えた少女だった。
父上がヴィクター殿下を惑わす悪女だというのも、頷けるそんな存在感があった。
口元が緩みそうになるのを堪え、胸が大きく波打つ鼓動を素知らぬふりをしてその場を淡々と進行させた。
だが、心の中では大きな嵐が吹き荒れているように、今までにないような身体現象に焦っていた。
ふわふわとした浮遊感。気を抜くととろんと瞳がとろけそうになる。
なぜ、こんなにも頬の力が抜けていくのか。
彼女の微笑を見ると、胸が熱くなるのか。
動機が大きくなる。これは何かの病気なのか・・・
その時の状況は忘れがたく鮮明に憶えている。
それでも将来の宰相を期待されるような俺は、戸惑いなど一切顔に出さず口元を引き締めた微笑を浮かべていた。
俺の容姿をいたく気に入ったクラウディア嬢は、その瞬間から俺の婚約者と正式に決まった。
その時の気持ちは一言では言いあらわせない、戸惑いと喜びを交えた複雑な感情だった。
父上は目論見通りにクラウディア嬢が俺の容姿になびいたことをほくそ笑み、帰りの馬車の中では大層ご機嫌だった。
「いいか、このままあの娘をお前に従順になるようにしつけろ。
あのザリエルの事だ、大した教育などしていないだろう。まあ、せいぜいヴィンセント侯爵家の婚約者に見られるように指導だけはしてやろう。」
馬車の中に響く父上の高笑いをききながら、彼女が俺の婚約者になったことを反芻していた。
───あのかわいらしい笑顔をいつでもみられる。
外見を気に入られたというのは面白くなかったが、それでも婚約者という間柄になれたことにじんわりと広がる多幸感。
気が付いていなかったが、初めて会う婚約者で暫くは身近にいることになる異性との対面に、緊張していたのだろう。
帰りの車内では緊張感からの解放と、愛らしい婚約者に緩んでいたらしい、
気持ちも、顔も・・・
「おい、エドワード─────」
気が付くと鋭い目をした父がこちらをじっと見ていた。
その目は様々な思惑渦巻く王宮で代々続く宰相として手腕を振るってきた、熟練者の目にふさわしく心の中まで透かして見られそうだった。
「まさかとはおもうが、お前の方があの娘にたぶらかされていないだろうな!」
疑問形に聞いているのに、疑問符ではなく叱咤の声だった。
思わずその声にすくみ上がる。
レティが神殿に入ったころから、神童だのと周囲から騒がれていた俺は父上の叱咤をかけられたことがなかった。
使用人や部下たちに偶に怒鳴っているのを聞いたことはあったが、向けられたのは初めてだった。
初めてのこともあり、この父上が何に怒っているのか不思議と不安と戸惑いで思考が一時停止してしまった。
「あの人誑しの一族だ、子供だと侮るな。お前のような自分は優秀だと思っている奴こそ危ない。
いいか、万が一にもあの娘に入れ込むことがあれば即座に婚約は破棄してやる!ヴィンセント家のものがあんな小娘にいいように手玉に取られることなどあってたまるか!恥だ!恥!
いいな、絶対に気を許すなよ。
落とされるなんてことがないように、しっかりと気を張っておくんだぞ。」
そういわれて、一番に思ったのは嫌だということだった。
婚約を破棄される、ということはあのかわいらしいクラウディアは、仲が良いというヴィクター殿下の婚約者になるかもしれない。
・・・それは嫌だ。
レティは王族と婚姻することで聖女の地位と安全が確保される。
年が下とはいえ、ヴィクター殿下以外の釣り合う王族はいない。クラウディアがヴィクター殿下と婚約してしまえばレティが困る。
・・・それは嫌だ。
ならばどうする?
俺はクラウディアを好きにならないようにして、クラウディアの気持ちを捕らえておく。
それが一番、手っ取り早い。
父上の希望にもかなっているし、何よりも俺もそれがいいと思う。
「父上、俺は貴方によく似ているといわれます。
そんな俺があんな子供に恋をすると思いますか?」
そういって返事をすると、相変わらずじっと鋭く見据えた目で見つめる父上。
10歳そこらの子供にそんな目を向けるのもどうかと思うが、この人にとって子供であろうと信用に値するかしないかのどちらかなのだ。
あまり屋敷に寄りつかないが、何れは宰相の座を継いでいくのだからと王城の執務して呼ばれて書類整理のまねごとをさせられて同じ空間にはいたのでこの人の性格はよくわかっている。
疑心暗鬼。
その言葉を具現化したような人物が、ドミニム・ヴィンセントという人である。
「・・・まあいい。よく覚えておくんだぞ。」
その父上も俺の性格を熟知している。これ以上は言ってこない。
納得はしていないが、何も始まっていないこの場でこれ以上のことを言えばそれはただの小言だ。
人に物事を言い聞かせたいならば、言いたいことは簡潔に余計なことを言わない。付け足して何か言おうものならば、そればかりが記憶されて大切なところは疎かになる。
上に立つものならばそうでなくてはならない。
父上がよく言うことだ。
今日はおそらく、好ましくない相手に最初はのらりくらりとはぐらかされてなかなか婚約締結まで時間がかかったフラストレーションもあったのだろう。余計な言葉が口から零れてでたのはそういうことだろう。
この時に俺は誓ったんだ。
クラウディアと一緒にいるために好きには絶対にならない───と
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