海底 ーDeepseaー

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1.本編

1.深海の囁き

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ーある日のことだった。
 冷たい波が容赦なく蓮の体を打ちつけていた。嵐が突然やって来た。先ほどまで穏やかだった海は一転して狂乱の渦と化し、蓮はその中で無力に飲み込まれていた。海の怒りが頂点に達した時、船は一瞬で破壊され、蓮は大海原へと放り出された。

足掻こうとするも、手足は思うように動かない。体中の筋肉が凍りつき、激しい痛みが全身を貫いた。波に揉まれ、視界は不規則に揺れ動く。絶望が蓮の胸に押し寄せた。次第に意識が遠のき、暗闇が視界を覆っていく。

それでも、彼は抵抗し続けた。水面へ向かおうとするが、思った以上に体は沈んでいった。どれほど手を伸ばしても、掴めるものは何もない。足元に広がるのはただ果てしない深淵。蓮は呼吸をしようと必死になったが、海水が喉を塞ぎ、むせ返るだけだった。酸素が切れ、肺が焼けるような苦しみに苛まれる。力を振り絞ることすらできず、身体がさらに深く沈んでいく。

視界が次第にぼやけ、光が薄れていく。上空の明るさが遠ざかり、周囲を黒い水が覆う。深海へと吸い込まれていく感覚が、彼をさらに絶望の底へと突き落とした。

不意に、耳鳴りが消え、静寂が訪れた。周囲の混乱した音は消え、ただ圧倒的な静けさだけが残った。蓮は薄れゆく意識の中で、何かが自分を見下ろしているのを感じた。それは声なき声で彼を呼び、まるで深淵そのものが自らの存在を主張しているかのようだった。

不思議な青白い光が視界の隅に現れた。ぼんやりとした光は、まるで深海の生物が発する蛍光のように揺らめいていた。だが、その光には異様な冷たさがあり、蓮は背筋が凍るような恐怖を感じた。心臓が鼓動を打ち続けているのが、遠い夢のように感じられる。恐怖は一瞬で全身に行き渡り、彼の意識は暗闇の中に溶け込んでいった。
そして、蓮は沈み続けた。どこまでも深く、どこまでも遠く。光が完全に消え去り、全てが暗闇に包まれた時、蓮は

ついに意識を手放した。その瞬間、彼の体は闇に飲み込まれ、彼の存在は海底の深みに消えていった。
蓮は、ぼんやりとした意識の中で目を開けた。なぜか息ができていた。視界に広がるのは、濁った青色の世界だった。水中にいる感覚は確かにあったが、不思議と息苦しさは感じなかった。むしろ、重苦しい静けさが彼を包み込み、鼓動の音すら遠のいて聞こえる。

手足を動かそうとするが、まるで鉛のように重く、思うように動かない。全身を覆う冷たさと、どこか現実離れした感覚が、彼をさらに混乱させた。ここはどこなのか、なぜ自分がここにいるのか、頭の中に次々と疑問が湧き上がるが、それに応える者は誰もいなかった。ただ、深い静寂が彼を取り囲んでいるだけだった。

目の前には、奇妙な光が漂っていた。それはぼんやりとした青白い光で、まるで深海の闇を照らすかのように揺らめいていた。その光に引き寄せられるように、蓮は少しずつ動き出した。歩くのではなく、浮遊するように、自然にその光の方へと進んでいく。

光が近づくにつれ、周囲の景色が次第に鮮明になっていった。海底には、何かの建造物のような影が見え始めた。それらは朽ち果て、崩れかけた状態で海底に横たわっていた。まるで、かつてここに文明があったかのように。その建造物には、見覚えのない文字や模様が彫られていたが、それが何を意味するのかは全くわからなかった。

蓮は、まるで呼ばれるかのようにその建造物へと引き寄せられていった。足元の砂が舞い上がり、視界がかすむ。だが、彼はその光を追い続けた。その光は彼に安らぎを与えると同時に、心の奥底に潜む恐怖を呼び覚ますような、奇妙な感覚をもたらしていた。

突然、彼の耳に低いうなり声のような音が響いた。それは明らかに人間のものではなく、何か異質な存在が発する音だった。その声は、遠くの深淵から彼を呼んでいるかのようで、蓮の心に冷たい恐怖を植え付けた。声は次第に大きくなり、頭の中に直接響くような感覚を覚えた。

彼はその場に立ち止まり、周囲を見回した。だが、誰もいない。ただ、闇が広がり、どこからともなく響く声が彼を
包み込んでいた。恐怖が彼の全身に広がり、冷や汗が背中を流れた。だが、奇妙なことに、その声にはどこか懐かしさが混じっていた。それはまるで、長い間忘れ去られていた記憶が呼び起こされるような感覚だった。

光が一瞬、強く輝き、次の瞬間には視界が真っ暗になった。蓮は混乱し、何が起きたのか理解できなかった。ただ、圧倒的な闇と静寂が彼を包み込み、彼の意識は再び闇の中へと引きずり込まれていった。

その時、彼は確かに感じた。何かが自分を待っている。この深海の底で、自分が来るのをずっと待っていたのだ、と。そして、その何かは、ただの偶然ではなく、運命的な力によって彼をここに導いたのだろうと、蓮は薄れゆく意識の中で悟った。

再び目を覚ました時、蓮は深海のさらに深い場所に横たわっていた。視界には、今までとは異なる、より鮮明な光景が広がっていた。周囲の建造物はより明確に形を成し、何か巨大な存在感が彼の前に現れた。そこは、ただの廃墟ではなかった。蓮がたどり着いたのは、遥か昔に滅びた王国の遺跡であり、その中心には、封じられた何かが眠っていることを、彼は無意識のうちに感じ取っていた。

蓮は、その巨大な遺跡の中心に立っていた。周囲を取り囲む朽ちた建造物は、まるで何世紀も前に崩れ落ちたかのように、風化し、荒廃していた。彼の前には、異様な形状をした巨大な石の門がそびえ立っており、その表面には見たこともない文字が刻まれていた。文字は奇妙に輝き、まるで自らが生きているかのように、かすかに動いているように見えた。

門の奥から、低いうなり声のような音が響いてきた。その音は海の底から届くような、重々しい響きを持っていた。蓮は思わず一歩後ずさりしたが、同時にその音に引き寄せられるような感覚も抱いていた。何かが、彼をこの場所へ導き、呼び寄せているようだった。

彼はゆっくりと門に近づき、手を伸ばした。指先が門に触れると、冷たさと共に奇妙な震動が体に伝わってきた。震動はまるで生き物の脈動のようで、彼の心臓と同調するかのようにリズムを刻んでいた。その感覚に蓮は一瞬、恐怖を感じたが、それでも手を離すことはできなかった。

門はゆっくりと開き始めた。重々しい音と共に、暗闇がその奥から押し寄せてきた。蓮はその場に立ち尽くし、何が待ち受けているのかを見極めようとしたが、視界はすぐに闇に包まれた。しかし、彼はその闇の中に何かが潜んでいるのを感じ取っていた。何か古く、そして邪悪な存在が。

蓮の心臓が激しく鼓動し始めた。冷たい汗が額を伝い、手足が震える。恐怖が全身を包み込んだが、それでも彼はその場を離れることができなかった。何かが彼を捉え、縛りつけているようだった。逃げることなど、考えることすらできなかった。

その時、再びあの声が響いた。今度はより鮮明で、より強力な力を持っていた。それは直接蓮の頭の中に響き渡り、彼の思考を支配しようとしていた。声は低く、しかし明確に言葉を発していた。彼にはそれが何を意味するのか理解できなかったが、その言葉には抗いがたい力が込められていた。

「来い……」

声が命令する。

蓮は無意識のうちに一歩前に進んでいた。自分の意志とは裏腹に、足が勝手に動いてしまう。何かに操られているかのように、彼は暗闇の中へと足を踏み入れた。そこには光が一切なく、ただ無限に続く深い闇が広がっていた。
進むたびに、周囲の空気が重くなっていく。まるで闇そのものが彼を押しつぶそうとしているかのようだった。蓮は息苦しさを感じ、喉が締め付けられるような感覚に襲われた。しかし、引き返すことはできなかった。門が閉じた時点で、彼の退路は完全に絶たれていた。

やがて、蓮は広間のような場所にたどり着いた。そこには古びた石の台座があり、その上に奇妙な光を放つ何かが置かれていた。近づいてみると、それは古びた本だった。皮革でできたその表紙は擦り切れ、長い間劣化している。しかし、その本は明らかに普通のものではなかった。触れると、冷たさとは対照的に、熱が指先から伝わってきた。

「読め……」

声が再び響いた。蓮は無意識に本を手に取り、ページをめくり始めた。中には意味の分からない文字がびっしりと記されていたが、その文字は生きているかのように蠢き、彼の目の前で変化し始めた。文字は徐々に形を成し、彼が理解できる言葉へと変わっていった。

それは、この場所の成り立ち、そしてここに封じられた何かについての記述だった。蓮はその本を読み進めるうちに、この深海の遺跡がかつて栄えていた王国のものであり、そこに封じられた存在がどれほど恐ろしいものかを知ることになる。そして、その存在が再び目覚めようとしていることに気づいた。

本を閉じた瞬間、広間の中に冷たい風が吹き抜けた。蓮は背筋に走る寒気を感じ、周囲を見回した。だが、そこには誰もいなかった。ただ、声だけが残り、彼を嘲笑うように響いていた。

「お前は選ばれた……」

その声は、深海の闇の中で、彼を新たな運命へと誘っていた。

蓮は、目の前の本を閉じた手の震えが止まらなかった。その本には、この深海の遺跡に眠る恐ろしい存在についての詳細が記されていたが、それ以上に恐ろしいのは、その存在が自分を待ち望んでいたこと、そして今や自分がその存在と対峙しなければならないという事実だった。

周囲の空気は一層重く、冷たさが骨の芯まで染み込んでくる。彼の体は、まるで見えない鎖で縛られているかのように動きを封じられていた。だが、逃げたいという思いよりも、不可解な使命感が彼の心を支配していた。まるで、この場所に導かれたのは偶然ではなく、運命であるかのように。

広間の隅から、不気味な青白い光が漏れ出しているのに気づいた。蓮はその光に引き寄せられるように、ゆっくりと歩を進めた。何かが彼を待っている、そう確信していた。

光の源に近づくと、そこには古びた石台があり、その上には不自然に澄んだ水が小さな池のように溜まっていた。池の中には何も見当たらなかったが、その水面には彼の姿が映し出されていた。しかし、それはただの鏡のように映しているのではなかった。水面に映る彼の姿は、現実のものとは微妙に異なり、不気味な気配を感じさせるものだった。

蓮がその池を覗き込んだ瞬間、水面がざわめき、次の瞬間には彼の視界が激しく揺れた。突然、彼の頭の中に言葉が流れ込んできた。それは、彼がこれまでに聞いたことのない古代の言葉でありながら、なぜか理解できるものだった。

「我と契約を結ぶか……」

その声は、深く、低く、そしてどこか誘惑するような響きを持っていた。蓮はその声に抵抗しようとしたが、体は動かず、思考もぼんやりとした霧の中に包まれていた。声は続けて問いかける。

「選ばれし者よ、我の力を得んとするか……」

その言葉に、蓮の中に抑えがたい欲望が芽生えた。力が欲しい、ここから逃れるための力、自分の命を守るための力。しかし、同時にその声には不吉な響きが含まれていることに気づいた。それはただの取引ではなく、代償を伴うものだと直感した。

「代償は、我と共に深淵へと堕ちること……それでも良いか?」

その言葉に、蓮は一瞬息を呑んだ。代償は明らかだった。彼がその契約を受け入れれば、もはや元の世界には戻れない。彼の命は、永遠にこの深海の闇に囚われることになるだろう。しかし、目の前に提示された力の誘惑は、彼の心を捉えて離さなかった。

蓮は池に手を伸ばした。その瞬間、水面が再びざわめき、彼の指先に冷たさが触れた。心臓が一瞬止まったように感じたが、次の瞬間、彼の体は驚くほどの熱に包まれた。その熱は彼の体を貫き、全身に力がみなぎるのを感じた。しかし、その力には恐ろしいほどの重圧が伴っていた。まるで深海の圧力そのものが彼を押しつぶそうとしているかのようだった。

「我と契約せし者よ、汝の魂を我に捧げよ……」

その言葉に、蓮は最後の躊躇を感じたが、もう後戻りはできなかった。彼の意志とは裏腹に、体はその声に従い、契約を受け入れてしまった。水面が一瞬強く光り、その光が彼の体に吸い込まれていく。光が消えると同時に、池の水もまた消え去り、ただ冷たい石台だけが残った。

蓮は、その場に立ち尽くしていた。自分が何をしたのか、何を手に入れたのか、まだはっきりとは理解できなかった。ただ、重苦しい静寂が彼の心を覆い、彼は一人この広間に取り残された。だが、その時、彼は背後に何かが動く気配を感じた。

振り返ると、暗闇の中から何かが現れた。それは、この遺跡に封じられていた存在――いや、それはもはや単なる存在ではなかった。蓮が契約を交わした相手、深淵の主だった。

その姿は人間のものではなく、異形のものでありながら、どこか魅惑的で圧倒的な存在感を放っていた。蓮はその姿
に見とれつつも、恐怖を感じた。その者は契約を交わした瞬間から、蓮の運命を握っていた。

「さあ、我が力を得た汝よ、新たな世界へと踏み出すが良い……」

その言葉と共に、蓮の意識は遠のき、次の瞬間には全てが闇に包まれた。彼の旅は、深海の更なる深淵へと続いていく。

蓮が意識を取り戻した時、周囲は闇に包まれていた。彼は自分がどこにいるのか、何が起きたのかを思い出そうとしたが、記憶がぼんやりと霞んでいた。唯一鮮明に残っているのは、あの契約の瞬間と、それに伴う圧倒的な力の感覚だった。

暗闇の中、彼はゆっくりと立ち上がった。足元に感じる冷たく固い感触は、かつて見た石畳だったが、今は何も見えない。彼の目には、まるでこの場所が現実ではないかのように思えた。しかし、その感覚が完全に彼の心を支配する前に、再びあの声が響いてきた。

「目を開けよ……新たなる世界を見よ……」

その声に従うように、蓮は再び意識を集中させた。すると、闇の中から徐々に光が差し込み、周囲の景色が浮かび上がってきた。彼が立っている場所は、先ほどの遺跡ではなかった。代わりに、見渡す限り広がる黒い海が彼を取り囲んでいた。

その海は、まるで生きているかのように波立ち、深い闇の底から何かが蠢いているのを感じさせた。そして、その海の中心には、巨大な影が揺らめいていた。影は徐々に形を成し、やがて圧倒的な存在感を持つ何かが姿を現した。

それは、人間の形をしているようでありながら、同時に人間ではない何かだった。黒い衣に包まれたその姿は、闇そのもののようであり、目の前に立つだけで空気が歪むほどの力を感じさせた。蓮はその存在が、この深海の支配者で
あり、彼が契約を交わした相手であることを直感した。

「我が名はナイトマリウム、この深淵の支配者……」その存在が低く、重々しい声で名乗った。「汝は我と契約を交わし、この深海において新たなる力を得た。しかし、力には代償が伴う。汝の魂はもはやこの闇から逃れることはできぬ。」

その言葉に、蓮は再び胸の奥に恐怖を感じた。自分が何を手に入れ、何を失ったのか、ようやく理解し始めたのだ。しかし、その恐怖と同時に、彼の中には奇妙な落ち着きが芽生えていた。それは、自分の運命を受け入れる覚悟とも言えるものだった。

「さあ、我が眷属となり、この深海を共に支配しようではないか……」

ナイトマリウムが手を差し出した。蓮はその手を見つめ、躊躇した。しかし、彼にはもう選択肢は残されていなかった。彼の魂は既に契約によって縛られており、逃れる術はなかった。

蓮は意を決し、その手を取った。瞬間、彼の体に再び力がみなぎり、ナイトマリウムの力が彼に流れ込んでくるのを感じた。その力は圧倒的であり、同時に恐ろしいほどの重圧を伴っていた。だが、今や彼はその力を受け入れるしかなかった。

「よい……」

ナイトマリウムが満足げに呟いた。

「汝は我が力を持ち、この深海の闇を支配する者となる。だが、忘れるな。この力は決してただの贈り物ではない。汝がこの力を使いこなすためには、犠牲が必要となるであろう。」

その言葉に、蓮は心の奥底で何かが揺れ動くのを感じた。自分が今、どれほど危険な道を歩んでいるのか、彼は完全に理解していた。しかし、彼の中には同時に強い決意が芽生えていた。この力を使いこなし、ナイトマリウムの意志に従うだけでなく、自分自身の運命を切り開くのだという決意だった。

「さあ、我が側近として、我と共にこの深海を支配せよ……」

ナイトマリウムが再び命じた。

その瞬間、蓮の視界が一変した。彼の目の前には、無数の異形の生物たちが集まり、そのすべてが彼に跪いていた。それらはナイトマリウムの眷属であり、今や蓮の力を感じ取っていた。彼はこの深海の新たな支配者となるべく、第一歩を踏み出したのだった。

そして、深海の闇は再び動き出した。ナイトマリウムの支配するこの世界で、蓮は新たなる試練と運命に立ち向かうこととなる。その力を使いこなせるかどうか、そして最終的にこの深海から脱出する道を見つけられるかどうか、それはまだ誰にもわからない。だが、彼の旅はここから本格的に始まったのだった。

蓮は、ナイトマリウムの眷属たちの前に立っていた。その数は無数で、深海の闇から生まれた異形の生物たちはすべて、彼の力を感じ取り、彼に忠誠を誓うかのように跪いていた。しかし、その視線の一つ一つに、彼は鋭い敵意や試練の予感を感じていた。

ナイトマリウムは、その巨大な姿を保ちながら、ゆっくりと蓮に近づいた。その動きは重々しく、彼の周囲の水が激しく揺れ動くほどだった。しかし、その目には何か期待するような光が宿っていた。

「汝が真に我が側近となるにふさわしいかどうか、今こそ試される時だ。」

ナイトマリウムが低く響く声で言った。

その言葉と同時に、周囲の眷属たちが静かに立ち上がり、蓮を取り囲むように歩み寄ってきた。彼らの目には、明らかな敵意と試練の意図が込められていた。蓮は、その視線を受けながら、心の中で自分に問いかけた。この力を使いこなし、彼らの試練を乗り越えることができるのか?

「彼らは汝の力を試す者、そして汝の仲間となる者である。」

ナイトマリウムが告げた。
「だが、彼らを従えられぬならば、汝はこの深海において何の価値も持たぬ。」

その言葉に、蓮は深く息を吸い込んだ。自分が何をしなければならないのかがはっきりと理解できた。これから始まるのは、単なる力の示威ではなく、自分の意志と覚悟を証明する試練だった。この試練を乗り越えなければ、自分はただの力を得た者で終わってしまう。

最初の眷属が動いた。それは巨大なウミヘビのような姿をしており、その体は黒い鱗に覆われていた。ウミヘビは鋭い目を蓮に向け、一瞬のうちに彼に襲いかかった。その動きは恐ろしく素早く、まるで深海の闇そのものが彼に迫ってくるかのようだった。

蓮は反射的に手を前に突き出した。彼の体内に眠っていたナイトマリウムの力が解放され、周囲の水が急激に渦巻き、ウミヘビの動きを封じ込めた。その力は、自分の意志に従っているかのように、自然と動いた。しかし、その瞬間、彼の頭には再びあの重圧が押し寄せてきた。この力を使うことは、常に彼の意志と魂に負担をかけるのだ。

ウミヘビは激しくもがきながら、蓮の力に抵抗しようとしたが、やがてその動きは徐々に弱まり、最後には完全に動きを止めた。蓮は息を整えながら、ウミヘビを見下ろした。自分が勝利したという実感が徐々に湧き上がるが、それは決して安堵の感情ではなかった。

次に現れたのは、深海の闇から生まれた人形のような存在だった。彼らは静かに歩み寄り、無言のまま蓮を取り囲んだ。彼らの目には、まるで魂のない虚ろな光が宿っていた。だが、その中には確かに敵意が込められていた。

蓮はその視線を受け止めながら、次の動きを考えた。彼は自分が持つ力を信じ、再びその力を解放した。深海の闇が彼の意志に従って動き出し、目の前の人形たちを圧倒する。だが、その瞬間、彼の心の中に一瞬の迷いが生じた。この力は本当に自分のものなのか? それともナイトマリウムが与えたものに過ぎないのか?

その迷いの瞬間、人形たちが一斉に動き出した。彼らは蓮の隙を突き、その手に捕らえようと迫ってきた。蓮は瞬時に反応し、再び闇の力を解放した。激しい渦が巻き起こり、人形たちは闇の中に引きずり込まれた。しかし、その力を使うたびに、彼の心には深い疲労感が広がっていった。
最後に立ちはだかったのは、巨大な魚のような姿をした眷属だった。その魚は鋭い歯をむき出しにし、凶暴な目で蓮
を見つめていた。これまでの眷属とは明らかに違う、圧倒的な力を感じさせる存在だった。

蓮はその魚と対峙しながら、最後の力を振り絞った。彼は再び闇の力を解放し、魚の動きを封じ込めようとした。しかし、魚はその力に抗い、強力な尾で渦を打ち消した。蓮は初めて、この試練で真の危機を感じた。

「汝の意志が試されている。」

ナイトマリウムの声が再び響いた。

「この最後の試練を乗り越えることができれば、汝は真に我が力を持つ者となるであろう。」

その言葉に、蓮は全身全霊を込めて、最後の一撃を放った。彼の手から放たれた闇の力は、魚の動きを完全に封じ込め、激しい衝撃と共に魚を押し潰した。周囲の闇が静まり返り、蓮はようやく試練を乗り越えたことを確信した。
ナイトマリウムは満足げに頷き、彼に歩み寄った。

「よくやった、汝は我が力を完全に受け入れた。今や汝は我が眷属として、この深海を支配する資格を得たのだ。」

蓮は深く息をつきながら、ナイトマリウムの言葉を受け入れた。彼の心にはまだ不安が残っていたが、同時に新たな力への確信も生まれていた。これから先、この深海で何が待ち受けているのかはわからない。しかし、彼はもう後戻りはできなかった。

そして、彼の目の前に広がる深海の闇が、新たな冒険と試練を予感させるかのように、再び動き始めたのだった。

深海の闇は再び静寂に包まれていた。蓮は、ナイトマリウムのそばに立ちながら、広がる黒い海を見つめていた。この旅の果てに、自分は何を得たのか、そして何を失ったのか――その答えはまだはっきりとは見えていない。

しかし、彼の中には一つの確信があった。この深海の闇は、単なる恐怖の場所ではなく、彼自身の意志と力を試す舞台だった。そして、彼はその試練を乗り越え、新たな力と共に生き抜いた。

「汝は我が眷属として、ここに留まることを選ぶか?」

ナイトマリウムが静かに問いかけた。

蓮は、その言葉に答えず、ただ静かに目を閉じた。彼の心は、深海の静寂と共に落ち着きを取り戻しつつあった。もう恐れるものは何もなかった。彼はこの闇を受け入れ、己の力を真に理解したのだ。

やがて、彼はゆっくりとナイトマリウムに背を向け、暗闇の中へと歩き出した。行く先には何が待ち受けているのかはわからないが、彼は確かな一歩を踏み出した。そして、その背中にかすかな光が差し込むかのように、深海の闇は静かに彼を包み込んだ。

闇の彼方へ――蓮の旅は、これからも続く。
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