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第二章:それは儚いほどに長い夏

放浪カモメ

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青森県をひた走るカモとメグ。

勢い良くこいでいくペダルが軽快な車輪の音を、澄み切った青空に響かせていた。

「おっ、発見。メグちゃんあそこで軽く朝食を取ろうか?」

カモの指差したさきにはとても古そうな味のある蕎麦屋があった。

「蕎麦かぁ…高くないかなぁ?」

必要最低限しか持ち合わせていない二人である。

いつもならコンビニやスーパーなどでセール品として売られているパンやおにぎりを買っている。

腹持ちもいいし何より安いからだ。

「確かにね。でも、さ。ほらあれじゃん?ここ2日はビックリするくらいにコンビニとか見かけてないじゃん?そろそろオレら倒れるんじゃないかなー?なんてサ☆あはは、あはははは…」

そう2日前から二人は水だけで過ごしていたのだった。

公園はあれどコンビニはなく。

最悪レストランでも料亭でも良いから入ってやる、とすら思っていたのに、結局食料を確保することが出来ずにいた。

「ゴメンなさい、蕎麦食べたいです。」

「だよネ☆」

なんかもう怖いなこの人。そう思ったメグだった。


蕎麦屋の中は座敷とテーブル席とに分かれていて、二人はテーブル席に座る。

年期の入った日焼けした大黒柱が誇らしげに立っていた。

メニューはザルそばとカケそばしかなかった。

二人は一本一本を味わうようにゆっくりとゆっくりと腹に収めていった。

「おばぁちゃんご馳走様でした。」

「ご馳走様。すごい美味しかったですお蕎麦。」

お会計の一言で、少し疲れていた蕎麦屋のおばあさんの顔が、ぱぁっと明るくなったのをみた。

そして素敵な笑顔を二人にふりまいて、やさしい声で「ありがとう。」と言った。

二人は胸が暖かくなるのを自転車をこぎ始めてからもしばらく感じていた。

「野犬に注意」と言う看板が立てられているのを見るのは初めてではなかったが、鴨居はそれほど気にしたことはなかった。

日が暮れる間近にそれを見た今日もやはり気にはならなかった。


日が暮れて少しした頃に二人は橋を見つけた。どうやら高速道路が上を走っているらしい。

橋の下は砂利になっていて、脚には調度良いくらいの土台があったので鴨居とメグは橋を間にして眠ることにした。

呑気な虫の声が暗い空に怖いほど透明に伝っている。
いつの間にか、鳴いていた虫達の声がなくなっているのに鴨居は気付いた。

寝静まった世界。

怖いくらいに静かで、眠っているのであろうメグの吐息すら聞こえてくるんじゃないだろうか?

そう鴨居が思った瞬間だった。

ガサガサッ。という音と共にメグの叫び声が聞こえた。

「きゃーーーっ。」


鴨居はくるまっていたボロボロの布を振り飛ばすと、一目散にメグの居る反対側へと走っていった。

「メグちゃん大丈夫!?」

そこには怪我をしたのだろうか足元を押さえて座り込んでしまっているメグ。

そして、そんなメグを取り囲む様にして威嚇をしている野犬の群れがいた。

鴨居はメグを背に隠す様にして野犬の前に立ち塞がった。

グルルルル。と物凄い形相で唸る野犬に、正直なところ鴨居は尻込みしていた。

それでも、こうして果敢にも立ち向かおうと思えるのは、背中で体を震わせながら泣いている少女を守りたいと思うから、ただそれだけだった。

「うわぁぁぁぁあっ!!」

鴨居は側にあった決して太くも長くもない木の棒を、強引に振り回しながら野犬の群れに突っ込んだ。

怯(ひる)むことなく向かってくる野犬を、鴨居は可哀相と思いながらも棒で叩き追い払った。



「はぁ。はぁ。はぁ。はぁ………。」

肩を切らし、しばらく鴨居は茫然としていた。

鴨居は自分が汗をかいていたのに気付くのと同時に、全身の力が抜けていくのを感じた。

そうしてようやく、メグのもとへと駆け寄った。
ブルブルと身体を震わせているメグを鴨居は優しく抱き締めた。

「メグちゃんもう大丈夫だよ。野犬は逃げてったし。」

メグは小さく鴨居の胸の中で頷いただけだった。

まだ怖くて言葉が出ないのかもしれない。

「怪我見せてごらん?」

メグのズボンを捲り上げると、細い足から血が出ていた。

鴨居はすぐに自分のカバンから救急セットを持ってくると応急処置をした。


応急処置を終えた鴨居が、救急セットを片付けていると、小さな声でメグが鴨居の名前を呼んだ。

鴨居はギュッと強く抱き締める。

それからずっとメグが落ち着くまで鴨居がメグを離すことはなかった。

メグが眠そうにしだしたので、鴨居はメグを寝かし付けることにした。

可愛いバスタオルがメグの布団だ。

怖さを少しでも和らげてあげようと鴨居はメグの頭を撫でている。

「ねぇ、カモ。」

撫でていた鴨居の手を、ずっと握りっぱなしで少し汗ばんでいるメグの手が握った。

「怖いの。一緒に眠って?」

今がどういう状況でメグが今どんな心境で居るのかを痛いほど分かりながらも、鴨居の胸が緊張と喜びで高鳴る。

「いや、でも……」

変な気持ちを持ったまま鴨居は、今のメグに接してはいけないと思っていた。

メグはもっと強い力でカモの手を握ると、鴨居の目をじっと見つめた。


「う、うん分かった。一緒に眠ろう。」
メグの布団に入り込んだ鴨居の鼓動が、鴨居は自分でも驚くほどに高く早くなっていった。

メグはすぐに鴨居の側にピタリとくっつく。

少し遅れる様にして鴨居がメグを抱き締めた。



無言のまま暗やみの中二人は抱き締めあっていた。

「カモの心臓早いね。」

「あ、ゴメン。」

メグが鴨居の胸に耳をピタリと付ける。

「なんで謝るの?私だってほら……こんなにも早くなっているんだよ。」

鴨居の手をメグは自分の胸に導いた。

メグの柔らかい胸の感触が鴨居の手に伝わる。

「……くっ。メグちゃん。」

鴨居はメグを押し倒すとキスをした。

深く長い口付けが続く。

「メグちゃん。オレ君のことが好きだ。」

メグの唇から離れた、鴨居の唇からそんな思いが零れた。

メグは涙を流して笑う。


「私もカモが好きなの。」

また二人はキスをした。

鴨居はメグの服を脱がすと目一杯にメグを愛した。





大好きな人からこれ以上ない嬉しい言葉が零れた。

嬉しくて嬉しくて、泣いてしまうくらい嬉しいのに――

違う……違うの。

それは私の名前じゃない。

お願い、私の名前を呼んで…そしてもう一度耳元で好きだと言って欲しいよ。


メグは偽りの私――

でも、カモが好きだと言ってくれたメグは一つしか嘘をついてないんだよ?

たった一つの私の嘘。

メグという偽りの名前。




私が楽になる為に吐いた嘘が……

あなたの前では一番私を苦しめている。





お願いカモ。私の本当の名前を呼んで、そして愛して――

あの夜から、鴨居とメグの距離は急速に縮まっていた。

何故か今は青森県からまた南下して宮城県にいた。

「気持ち良い風邪だなぁ。」

とある港で二人は休んでいる。

船着き場から少しの所にほんの少しの浜辺があった。
「クェ。クェー。」

水鳥たちが優雅に海色の空を舞っている。

「カモ、私ねカモにこれからもくっついて行こうと思うんだ。」

浜辺に寄り添って座り海を見ながらメグがそう言った。

「メグちゃんはさ、いつまでに家に帰る予定だったの?」

メグと呼ばれる度にメグは悲しくて胸が軋むのを感じていた。

こんなことは鴨居と出会うまでは一度もなかったのに。

「帰るつもり無かった。裕福だけど誰も居ない家なんかもう嫌になっちゃったんだよね。」

最近はメグは自分のことも話すようになっていた。

「パパもママもお仕事で家には居ないの、私と一緒に居てくれないなら養子なんてする必要なかったのに。」

「そっかぁ。」

港風が二人を包む。

「居場所がないならオレがメグちゃんの居場所になってあげるよ。ね?」

暖かな笑顔にメグは涙を流した。

なきじゃくる彼女を抱き締めて、キスをして、そして優しく頭を撫でる。

鴨居を見上げていたメグの目に一羽の鳥が写った。

「あ、カモメだ。」

しばらく二人は目でカモメの姿を追った。

そうして見えなくなるとメグがこう切り出した。

「あの子って私達みたいだね。」

「え?どこがだい?」

鴨居はメグの肩をしっかりと抱きながら聞く。

「はたから見たら自由に度をしている様で、本当は必死に不安とか孤独と戦いながら自分の居場所を探してる。」





大学三回生になって自転車で一人旅。

ここだけ聞いたら凄く活発で有意義な時間を過ごしているように周りは感じるかもしれないけど……

確かにメグちゃんの言う通りで。

オレたちは一人旅をしているわけじゃないんだ。

一人が怖いから旅をして探しているんだ――

夢とか目標とか自分とか居場所とか今とか未来だとか。

そんな、あるのかも分からない。いや、きっとないものを探してただ必死に藻掻いてるだけなんだよな。





「私達は"放浪カモメ"だね。旅をしているカモとメグで放浪カモメ。ね?」

そう言ってメグは笑った。

つられて鴨居も笑う。

鴨居とメグはそれから南下し続け、鴨居の大学のある千葉へと向かっていった。

家に着いた鴨居はメグと一緒にその部屋でしばらく住むことにした。

しまい込まれた旅のセットはもう一度だけ、この先鴨居の手によって開けられるこになる。


そして。

あの日の夜にメグの身体には新しい命が宿っていたことに二人が気付くのはもう少し先になる。
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