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第二章:それは儚いほどに長い夏

キズナとセピア色の映画と

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次の日。

清々しいほどに晴れ渡っている空の下、そんな景色に似合わぬ顔をしながら鴨居は大学へと向かっていた。

今日の講義は午後からだったので、余裕を持って昼を学食で済まそうと思い早くに来ていた。

食堂につくと、券売機で『カレーライス』を頼む。

「何またカレーなん!?」

後ろから声がして鴨居が振り向くと、そこには既に食べ終えた昼食のトレイを持っている新田の姿があった。

「あっ……新田くん。おはよ。」

そう言って笑うと、新田は少し哀しげな表情で笑うのだ。

そんな様子に疑問を持った鴨居が、新田に問い詰めようとした時。

「はいよ。カレーライスとマヨネーズ。」

食堂のおばちゃんの威勢のいい声にタイミングを失ってしまう。

鴨居がしぶしぶカレーライスの乗ったトレイを受け取っている間に、新田は食堂から出ていってしまっていた。

「あんな新田くん初めてみたな……早苗ちゃんのことだよな?やっぱり。」



鴨居はトボトボと窓際の日差しの強い席に座る。

試しにカレーを一口。

「うわ、辛っ。」

ヒリヒリとする舌を出して冷やしながら、マヨネーズをカレーにかけスプーンで雑に混ぜ合わせた。

いつもだったら、カレーのスパイシーな香りに一見ミスマッチなマヨネーズの濃厚かつ酸っぱい匂いが混ざり合うと、がっつかずにはいられないのだが。

鴨居のスプーンが口へと運ばれることはなかった。

「新田くん…ショックだよな?そりゃそうだろ、フラれ……」

(フラれたらショックに決まってる……?だったら早苗ちゃんは?)

ズキンと胸が痛む。

「オレ……どうすれば良いんだよ。」

グッと握り締めた拳。

自分が熱くなっても仕方がないと、拳をゆっくりと開く。

すると昨日の佐野の言葉が鮮明によみがえってきた。

『普通に接してやればいいんじゃないか?』

大きく深呼吸をすると、まるで賞金か賞品でもかかった早食い大会の如く、一気にカレーライスを口にほうばると水で流し込んだ。

「うん。普通に、普通に接すれば良いんだ。」



カタカタとキーボードを叩く音が研究室にこだまする。

佐野は一服のために手を止めると、外を見た。

「普通に接してやれば良い……か。アタシも意地が悪いな。」

はぁ。と吐いた息が白い靄となり天井に流れていく。

「告白は今までの関係を壊して、更に先の関係を築く為の行為だ。そんな"不自然"なことをされた後、今まで通りになんてしたら"不自然"極まりないのにな。」

タバコの灰が連なって、重みで零れようとしている。

「避けたりもするだろう。気遣いもするだろう。そうやって今まで通り普通になんて接しないこと――それが"普通"なんだよな。」

哀しげに笑うとタバコに気付き、佐野はポンポンと杯を落とした。

「これも勉強だよ若人達。傷ついて傷つけられて、また成長するんだな。」

晴れやかな日差し。

暖かな空気はそんな若人を優しく包み込んでいく。



「次の講義は新田くんも一緒だし……よし。普通に、"普段通り"に。」

鴨居はやや勇ましさも感じるほど背筋をピンと張って歩きだす。



そして、講義の始まる五分前に教室に着くと新田を探して教室を見渡した。

まだ生徒はポツポツと居る程度だったが、目的の人物はいつもの場所に座っている。

鴨居はドアを閉めながらゆっくりと深呼吸をすると歩きだした。

何気なく。何気なく。
そう思ってはいるのだが気持ちばかりが先走り、いつの間にか早足になってしまっている。

新田の横まで進むと、声を引っ繰り返しながら満面の笑顔で言う。

「や、やぁ、新田くん。ここ座っても良いかな?」

自然を装う不自然な鴨居に新田は小さくうなずく。

鴨居は新田の前の席に着くと、後ろに振り返った。

「ねぇ、新田くん。先週の講義って何やったんだっけ?」

新田は少し哀しげな表情で鴨居を見ると、一言だけ発して腕に顔をうずめてしまった。

「悪ぃカモ。今日俺寝てねんだ。」

「あ……うん、ゴメン。」


それからは一言も交わすことなく講義は終了した。

「仕方ないさ。まだ始まったばかりだもの……」

鴨居はまだ気付いていない。自分の中で確しかになりつつある疑問のことを。



この日の講義は全て終了した鴨居であったが。

新田や岡崎との関係を修復したいがために、その後もバイトの始まるギリギリまで大学に残ることにした。


大学には大きな中庭がある。

みずみずしい芝生。活気ある樹木。

それらを見渡すことのできるベンチも設置されている。

そんなベンチの中でも、一番よくキャンパスを見ることができる位置に、鴨居は自販機で買ったスポーツドリンクを持って座った。

「やっぱり新田くんに避けられてるよなぁ……」

スポーツドリンクを口に含むのだが、喉を通る頃には少し生温くなってしまっていた。


暑い日差しが鴨居に降り注ぎ、熱くなった髪の毛は彼の頭を当分冷やしてくれそうにもなかった。






『絆』というのは

『糸』に似ている気がする

人は誰もが細い細い
繊維のようなキズナを持っていて

人と触れ合うたびにお互いのキズナを一本ずつ交換するのだ。

何回も何回も会って、話をして、遊んで……

たくさんのキズナを交換すると次第に

繊維が集まり、糸の様に太くなっていく。



キズナが太くなりだすと、僕達は喧嘩をしたり

相手の嫌な所だって見えるようになって……

糸はねじれたり、ひっぱられたりしたりして

でも、糸ってヤツは

ねじったり、ひっぱったりしなきゃ強くならないんだよな。

人間の関係も同じことが言えると僕は思う。


そうやってキズナは絆へと太く強く……変わっていくのだろう。



だから――


絆は糸に似ている。と思うのだ。



「そうだよ。これは絆を強くするための過程なんだ、きっと……きっと。」

ベンチから校舎を見渡していると、ちょうど新田が複数人の友達と一緒に出てくる所だった。

鴨居は深呼吸を三度して。ゆっくり立ち上がると、新田の元へと歩いていく。





確かに――

糸はねじると強くなる。



でも……

太さの足りない糸をねじってしまったのなら

糸は容易く――




新田のすぐ後ろまで近づいた鴨居だったのだが、意図せぬ障害が鴨居の接近を妨げていた。

友達の中心に位置し、楽しそうに笑う新田に近くのはなかなか至難の業だった。

しばらく様子を見ながら後ろに付いていくが、一向に障害が崩れる兆候など見れず、鴨居は仕方なく、その団体の前に躍り出た。


「カモ……!!」

新田を囲んでいた連中はそう口にした新田を見つめ、口々に「なに、穂波の知り合い?」の様な言葉を発した。

「新田くん、あの……」

鴨居が口を開いたとほぼ同時に新田は申し訳なさそうな、悲しみをはらんだ表情をして小さな声で言った。

「カモ、本当にゴメン……」

その一言を鴨居の顔を見ながら言うと、新田は顔をふせ、連中と一緒に校外へと消えていった。

その時に鴨居は、身体の奥底から『プツン』という小さくか細い何かが切れる音を聞いた様な気がした。





太さの足りない糸を捻ったなら、それは容易く

チギレテシマウ……



次の日の朝。

鴨居は珍しく寝坊をしてしまった。

と、言うのも昨日のことを夜中まで思い悩んでいたからであった。


そう二年――

二年もの月日を費やし、手に入れたキズナというやつは。

鴨居の思わぬ形で、いとも簡単に切れてしまったのだ。

さらに鴨居に追い打ちをかけるのは、切れた原因となる部分に、自らの否が全く無いということだろう。

否があれば、仕方ないなどと諦めたり。

違う選択をしていたなら、などと後悔もできたことだろう。

鴨居に出来ることは何一つ無いのだ。



何一つとして。




遅れを取り戻すべく素早い支度をした鴨居が、玄関を出るとちょうど岡崎も出発しようとしているところだった。

鴨居と岡崎とが会うのは、あの時以来。

「あ、お早う早苗ちゃん。」

少しわざとらしい笑みを飾り、挨拶をしてきた鴨居を見ると、岡崎は顔を僅かに赤くし目に涙を溜めると。

それが零れ落ちてしまうのを見られないように、部屋の中へと戻っていってしまった。

「…………」

飾り付けた笑顔は鴨居が意識せずとも、自然と崩れ落ちる。

悲しみや、戸惑い、僅かな怒りや、それに……

色々な感情が湧いては落ちていくのだが、鴨居の表情は不思議なくらい変わらなかった。


遅刻もしてしまい、教授の出張の都合で、一コマしか講義のなかった鴨居は久しぶりにあの飲み屋を訪れていた。

もちろん、酒を酌み交わす相手は……

「おーっす、カモ久しぶりだなぁ。」

ひょうひょうとした態度。

力の抜けそうな声も、鴨居にはやはり安心できた。

「杉宮先輩。あ、ギプス取れたんですね、良かった。」

鴨居を助ける時に不良に負わされた怪我は、すっかり良くなっていた。

とはいえまだまだリハビリが必要で通院している状態なものの見た目は元通りになっていた。


「……ふーん。なるほどね、オレが居ない間に楽しそうなことになってんじゃんか。」

いつも通りに枝豆と焼き鳥をツマミに二人はビールを楽しむ。

ただ、どうやら杉宮にとっては鴨居の話が一番のツマミらしかった。

「楽しいことなんて一つも無いです……オレは何もしてないのに二人はどんどん離れていっちゃって。」

元来。杉宮は他人の愚痴を聞くような性格はしていない。

しかし今、鴨居の不安そうな顔をみながら、珍しく不満を口にする鴨居を見て少し嬉しそうにしていた。

鴨居の愚痴が続く中、杉宮は静かに一言、話を区切った。

「……なんか嬉しいな。」

「えっ……?」

杉宮の意外な言葉に鴨居は目を丸くする。

「ん?あぁ、いや。カモがやっとオレを頼るようになったんだなぁ……って思ってさ。」

そう言われた鴨居も少し嬉しくなった。

「そんなことより。カモはさ先生の言った『普通に』を勘違いしてるよ。」

外は夏の夕方だと言うのに風がとても強かった。

地面に置かれている、そこら中の看板が音をたてながら揺れている。


「どういうことですか?」

手に取った枝豆を手でいじくり、それを見下ろす鴨居。

そんな鴨居を見て杉宮は続けた。

「先生の言った『普通にしてやれ』ってのはさ。なにも『無理に今まで通りに接してやれ』って意味じゃないんじゃないかな。」

鴨居は杉宮の言葉を自分なりに整理してみる。

しばらく二人が黙り込んでいると、どこかの看板が風で押し倒されたのだろう。

突然『ガシャン』という音が外から聞こえた。

「先生はこうなることが分かっていて。二人から距離を置くのが自然……普通なんだ。と言いたかったんですね…」

杉宮はそう言った鴨居をチラと見ると、冷めてしまった焼き鳥を鴨居に渡した。

鴨居には分かった、それは「その通りだよ」という杉宮の無言の返事なのだと。





本当は気付いていたんだ

最初から。

でも気付かないフリをしていた

告白ってヤツはきっと

良い意味でも――

悪い意味でも――

今までの関係を壊す。

そういう儀式なのだ。



そんな非自然な儀式の中で

自然な行動をと 

思ったところで 

非自然の中で自然な行動を取ることこそが――

不自然だったのだ。


そう――

痛感させられとしまった。




杉宮は珍しく「ジャガイモとベーコンのグラタン」を注文した。

熱々の鉄板に、乗せられたジャガイモとベーコンの焼けた匂い、そしてチーズの香ばしい匂いが鴨居の鼻を刺激した。

「ほい、カモも食え。」

杉宮は運ばれてきたそれを雑に取り分けると鴨居に渡した。

二人はまた黙って、グラタンを食べる。

しばらくグラタンに没頭していると杉宮の方が口を開いた。

「なぁカモ。俺はやっぱりさ今回のカモに否はないと思うよ。」

とても静かに話す杉宮を見て、鴨居は途中で口を挟むべきではないと判断した。

「でも、カモの取った行動には否があると思う。」

自分を非難され、鴨居はとうとう口を挟もうとしたが、杉宮は気にせずに続けるのだった。

「オレは別に……」

「でもな。俺はカモには今のままで居てほしいと思うよ。人間てさ…常識とか見栄とか、性別、人種、宗教とか、色々なものに自分らしさを縛られて生きていると思うから。」

「先輩……?」

なんだか鴨居には自分よりも杉宮の方が何か深い悩みを抱えているような気がしてならなかった。

そして杉宮自身気付いていた。

今自分は、鴨居という鏡に向かって自分自身に言い聞かせているということを。

自分がそれに縛られて生きているのだということを……


「それから絆の話だけど。俺が思うに、絆って"半分の糸"って書くだろ?」

ビールのなくなったグラスをくるくると回しながら杉宮は語る。

「あれってさ何度チギレて半分になっても、また交換して太くできるからなんじゃないか?そしたらほら二倍だぜ、大丈夫まだまだ強くなるよカモとその新田ってやつの絆はさ。」

鴨居は杉宮には適わないと痛感した。

いつも自然で明るくて、誰からも人気があってやさしくて、でもどこかで真面目に物を考えられる人。

そんな人に――

こんな杉宮の様な人になりたいと、鴨居は強く思った。

それからまたバカみたいにくだらない話をして、杉宮は最後に一言だけ「会わなければならない人を待たせているから」と言って店を後にした。


「普通になんて生きなくていい、オレはオレらしく生きろ。……か。」

鴨居は一口だけ残っていたグラタンを口に運んだ。

「そうだよなぁ……」


店を出ると風は驚くほどに静かになっていた。

生暖かい空気のなか、そよ風が運ばれてくるのが、たまらなく心地いい。

「杉宮先輩はオレに頼れ。と言ったけれど……杉宮先輩が頼れる人っているのかな?」

そんな不安も冷たい風が、火照りとともに優しく流していった。


鴨居と別れた後、杉宮はとある病院の一室を訪れていた。


「そうか、カモくんも難しい年ごろだからね。要がしっかり支えてあげなくちゃならないね。」

優しい。という言葉は彼の為にあるのではないか、そう思うほど綺麗な笑顔をした青年。

「うん、そうだね。それより身体は大丈夫なの?」

「要には分からない?こんなに僕の身体に力がみなぎっているのは、久しぶりなんだ。これも最近ずっと僕の病室に顔を出してくれている要のおかげだね。」

杉宮はやわらかな表情をしていたが、何だか不安そうな顔をしている。

「昨日さ……親父が来てたよね?」

杉宮の言葉に初めてその青年は顔をしかめた。

「要や樹が心配することじゃないよ。僕の病気さえ治れば解決する問題だ。」

「親父の跡取りなんてどうでも良いじゃないか。俺と一緒に海外へ行って安静に暮らそうよ。」

青年はゆっくりと首をふる。


「静(しずか)兄さん……」







今でも時々夢に見るんだ。

小学生の時に

母と兄と一緒に見た映画。

その主人公は

自分と妙に重なるところがあって

感情移入してしまった唯一の映画だった。


彼はどうしてあんなに強いんだろう?

たった一人で飛び出して

色々なことを経験して

自ら――

現状を打破してしまった。


オレも彼の様に

飛び出すことができたのなら――

オレも



オレも…………


トテモトテモ深い事情があり、鴨居は駅前のレンタルビデオ屋に来ていた。

その手には意味深なメモ帳が握り締められている。




さかのぼること約半日。

「おう、鴨居。良いものやるから放課後来い。」

朝っぱらからそんなファンシーな電話をもらった鴨居は、全ての講義が終わった後に佐野の研究室を訪れた。

「こんちはー。佐野先生、来ましたよ。」

扉を開けると佐野は忙しそうにパソコンと格闘をしている。

佐野は鴨居をチラっとだけ見ると、カタカタと軽快なタイピングをしながら、某長寿番組冒頭のようなリズムに乗り言う。

「さて、鴨居。今日は何の日?ふっふー。」

「…………。」

たいくつな授業が終わったばかりだと言うのに、そんな仰天な出迎えられ方をされては鴨居でなくとも硬直してしまっただろう。

「えっと……先生の公演の原稿締切?」

遠慮がちにそう言った鴨居をまるで鬼のような鋭い目付きで睨み付けた佐野。

「そんなのはどうでも良いんだ!!」

飛び出す罵声。

響く教室。

固まる鴨居。

教授にとって主となる仕事の原稿を、そんなものはどうでも良い。なんて叫ぶことが出来るのは、世界中を探しても彼女一人だけだろう。

「えっと……じゃあ何の日なんでしょうか?」

丁寧に尋ねた鴨居を哀れみを含んだ表情で見ると、佐野はわざとらしく大きなため息を吐いた。


「はぁ……まったくお前の無知には呆れるな。今日は駅前のレンタルビデオ屋の100均デーだ。」



「はい?」


高層ビルが立ち並ぶ、一角にそのビデオ屋はある。

そこは第二、四週の水曜日が全作100円均一になることで、有名で。

他にも『レディースデイ』やら『キッズデイ』やら……もうそれってサービスなの?と疑いたくなるような『誰でもデイ』なんてものまであった。


鴨居はメモ帳の指示通りにまず二階へと向かう。

二階に上がり目に入ったのは洋画の名作で、見渡すかぎりに海外の作品が陳列されているコーナーだった。

米、英、中など有名どころは完全に無視した鴨居は、その階の一番端、韓国の作品が並んだエリアへと向かう。


「えっと…テ・ヨンギュン主演の梅雨のドナタ?」

鴨居は生まれて初めて"二度見"という行為をしてしまった。


「……バッタもん?何このあからさまなパクり。あ、ジャンルがコメディーだ……パロディーってやつなのかな?」

そんな疑問だらけな作品を、鴨居にしては意外にも乱暴にカゴに投げ込む。

どうやら鴨居は、パロディーにされてしまったオリジナル作品のファンだったらしい。

メモに書かれた他の作品もどうやら、有名作品を真似たコメディーの様で、なかば呆れながら鴨居は全てのビデオをカゴに文字通り放り投げた。

「にしても先生まだ若いのに韓流か……ってイカンイカン、偏見はダメだぞオレ。」

鴨居が何気なくメモの裏を見ると、消しゴムで消されてはいたが何か書かれていた跡があったことに気付く。

はっきりと読むことは出来なかったが、とても有名な邦画の作品だったので、容易に推測することが出来た。

「これって……」



鴨居はビデオを借り終えると、店から出ていこうとした。

「あ、そういやオレの分もとかってお金貰ったんだよな……100円。」

特に借りたいビデオなどなかったのだが、何故か鴨居はまた店の中へと戻る。

「あれ?なんだろう足が勝手にどこかに向かってるような気がする。」

鴨居はサスペンス、ラブストーリー、ホラーなどには見向きもせずにある場所へと向かった。

そこにあったのは……

「ん?……これって。」


それはある少年が、家族の不仲や受験苦、いろいろな葛藤の中で悩み、自分探しの旅に出掛ける。

ヒッチハイクをしたり、不法投棄の自転車を使ったりして、憧れていた知床半島を目指す。という内容の物だった。

鴨居は佐野から貰った100円玉を握り締めると、そのビデオを手に取った。



たくさんのビデオを借り終えると鴨居はすぐに大学へと戻った。

佐野の研究室に入ると、佐野は煙草をふかしながら、まだ作業を続けている。

「おう、ご苦労だったな。」

佐野は鴨居が部屋に入ってくると、顔も見ずにそう一言だけ言い、作業を黙々と続けた。

鴨居はデスクの上にビデオを置くと、自分が借りた映画だけを抜き出す。

「佐野先生、なんで有名どころを借りないんです?韓流って四天王だとかいるじゃないですか。」

「ん?あぁ。有名どころはもう全部見たからな。私のスタンプカード見なかったのか?」

鴨居はビデオ屋の会員カードを取り出す。

真っ黒に光沢を放つそのカードは、ビデオを年間500本以上借りた者だけが手にすることが出来る通称「ブラックカード」と呼ばれる物だった。

「いや、噂には聞いてましたけど実際にブラック見たの初めてですよオレ……」

鴨居は呆れ半分でそう言うとカードをデスクに置いた。

太陽の光を浴びたブラックカードは何故か誇らしげに輝いて見えた。

「良いだろ?やらんぞ。」
「いや、いりませんよ。それより先生……あの」

鴨居はメモの裏に書かれていた跡について尋ねようとして、その口を止めた。

「ん?なんだ。」

「いえ、何でもないです。ビデオ代ありがとうございました。」

そう言って鴨居は研究室を出ていった。


「……?変な鴨居だな。」



鴨居が居なくなってから数時間後。

佐野は作業が一段落すると鴨居に頼んだビデオを確認する。

そこには彼女が予想していなかった作品も混ざっていた。


「これは……鴨居のやつ。」

咎めるような言い方だったが、表情はそれとは反対に穏やかだった。




『ポタッ』

カーッペットに、窓から差し込む光を受けた雫がこぼれ落ちる。

「アンタが居なくなってから、見たくても借りられなかったんだよ……?」

それは佐野が最愛の人とよく見た思い出の映画だった。

始めは佐野がその映画を好きになった。

それを薦めると彼はまたたくまにその映画のファンになり、たまに二人の都合があうと頻繁にその映画を見ていたのだ。

「私にはアンタしか居ないんだよ?ねぇ、返事をしてよ……マサ…」

『ガチャッ』と扉が開くとそこには杉宮が。

涙を流す佐野と目が合い、杉宮は動くことが出来なくなってしまう。

佐野の目は言っていた。

「私の愛した人との夢の様な……いや、夢の時間はもう来ないんだよね?」と。


「あ、俺……すみませんでした。」

杉宮はそれから佐野の顔を見ることなく部屋から出ていった。



まただ……


また俺は何も出来なかった。


好きな女が涙を流しているのに――

消えてしまいそうな悲しい眼をしていたのに――



涙を拭いてやることも

抱き締めることすらも


何も……





何も出来ない。




鴨居の部屋には何もない。

もちろん、床の上に家具自体がないわけではない。

六畳一間、1Kのアパート。

布団はいつも起床と同時にたたみ、壁にたてかけている。

小さなテレビはあるが、もっぱら見ていない。

後は100円均一のお店で買った本立てと、実家から唯一持ってきたビデオデッキがあるだけだ。

「小5くらいに映画館で観たんだから、もう10年ぶりになるのか……早いな。あれからもう、10年も捨ててしまったんだ。」

月日を捨てた。と表現したのは鴨居なりの後悔のあらわれだった。

世間体ばかりを気にして、周りに気を遣い、夢もなく、ただ日々に流されてきた。

そんな自分の生き方を鴨居は今でも悔いている。


鴨居は借りてきたビデオを少し年期のはいったそれにいれる。

再生ボタンを押す、その指がわずかに躊躇(ためら)われた。



ガチャっと言う不格好な音の後。黒い画面に色彩が流れ込んでいく――――
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