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上・立夏の大陸
水を司る者
しおりを挟む「ふぅ、暑いな」
シルクはひたすらに山という山を越えていた。
シルク達の住む灰炎は、大陸中央に位置する炎王の城から最も離れた場所に位置する辺境の地である。
道路の整備もされず、水も電気もガスも通ってはいない。そんな僻地に道路が整備されている理由などもなく、ただただひたすらにけもの道を切り開き山を超える。という作業を繰り返さざるをえないのであった。
「……おや?これは鮮橙花か、もう真夏なんだな」
その名の通りに鮮やかな橙色の花を咲かす植物。枯渇した地でも咲くとされているが、なかなか中央では目にしない代物だ。
茎がヒトの腕ほど太く、独特な曲線を描きながら育っていく。
頭には不細工で異臭を漂わせる蕾を付けるが、一度花が咲いた時の美しさと甘美な香りたるや、他に例を見ない。
それ故に中央でも愛好家は多く、1部の農村ではサマーオレンジの栽培を生業としている集落もあると聞く。
「ふぅ」
シルクは鮮橙花を眺めながら、サモンに持たされた水筒の水を飲んだ。
びっしょりと流れた汗。
失った水分が、新たに身体を駆け巡る心地よさ。
サマー・ガーデンは年中猛暑と高い湿度に覆われる熱帯気候の大陸である。
高い時には摂氏42度を超す猛暑に襲われ、どんな日照りの日であってもスコールに見舞われることも珍しくはない。
「さて行くか。ってか、どこかで水を手に入れないとまずいな……水筒の水が尽きそうだ」
シルクは再び歩きだし、耳をすましていた。
「サラサラ……サラサラ……」
草木の擦れる音。風が舞う。
「チチチ……ピピ……」
小さな小鳥のさえずり。動植物の呼吸音さえ聞こえそうな程に澄み切った空気。
目を閉じ耳で感じる自然。
数多の音の中からシルクはそれを見つけた。
「ザザザ……サラサラ……」
「……あった、湖の波の音」
シルクはその音が聞こえた方角へと歩き始める。ぬかるむ足場を踏ん張りながら、道なき道を潜り抜けていく。
気ままに伸びた弦やヘタが木々から垂れ下がり、視界を遮る。柔らかい蔦は手で払い除け、硬い枝木は手刀で折。進む。
獣道を抜けると、その音が顕著に届く様になってきた。
「あった。歩いてきた方角と距離から推測するにヌイドル湖かな」
シルクの視界いっぱいに広がる広大な湖。
透明な水。波打つその様は海のようだった。静かな静かな海。そこにカンカン照りの日差しが映し出される。
色とりどりの熱帯魚が自由に泳ぐのは、不細工な水藻の森林。
シルクが辺りを見回した時、遠くにあるものを見つけた。
「……あれは、人?」
湖畔の崖から湖を見下ろすその姿に、シルクは無意識に駆け出していた。
「まさか身投げじゃないだろうな!?僕が止めなきゃ」
とぼとぼと崖を歩くその人影。
シルクはそれが女性であることに気付いた。
「命を粗末にしちゃダメだーーーっ!!」
シルクがようやく崖へとたどり着くが、女性はもう片足を崖から出している状態であった。
シルクは叫ぶ。
その声に女性が振り返ったが、乗り出した身体を戻すことなど出来ず、女性は崖の下へと消えていった。
「なっ……嘘だろ!?」
シルクが崖から頭を出し、下を見つめる。
すると。
ピシュ。
「うわっ!冷たっ!!」
覗き込んだ顔に、冷たい水が当たる。日差しで焼かれた肌にはより一層に冷たく感じただろう。
女性は湖に浮かび、シルクの反応を見て声を出して笑っていた。
「あはは。どうしたのボウヤ、そんなに慌てちゃって」
伸ばせば肘ほどまでしかない低い崖。
その下で気持ち良さそうに泳ぐ女性のブロンドの髪が、反射する日差しと戯れる様に波に揺れていた。
「えっ、あの……」
綺麗な笑い方。
それだけで彼女が貴族であることは容易に想像できた。
「命を粗末に……とか聞こえたけど?」
「いや、あれはその身投げだと思ったので、っていうか……
服を着てくださーい!!」
顔を真っ赤にしながら、シルクは自分の手で目を隠しながら叫んだ。
水浴びをしている女性は一糸纏わぬ姿で、豊満なバストが水面で露になり揺れていたのだ。
貴族であれば湯船に浸かる習慣もあり、使用人達に身の回りの世話をさせるという。
この女性の場合もいつも身の回りのことをしてもらっているのだろう。シルクくらいの少年に、裸を見られたところで何も感じてはいないようだった。
反面、女性になど免疫のないシルクは顔を真っ赤にして、衣服を纏うように懇願するくらいしかできないのだけれど。
「ふふ……可愛い反応ね。使用人にいつも身体を拭いてもらっているから、気にしないのに」
女性はゆっくりと低い崖を登る。滴り落ちる雫が乾いた大地にスっと染み込んで消えていく。
「あ、あなたが気にしなくても……僕が気にするんです!!」
女性はまたクスリと笑って、一枚だけ服を羽織った。
「私はマリア・ビーナス。黄炎で金融関係の仕事をしているわ。あなたは?」
マリアはまだ少し湿っている、細く美しい手を差し出していた。
「あ、僕は灰炎から来た……シルクと言います」
シルクは握手を拒む。というよりは、手を出すことすらはばかられるのだ。
それは下民が貴族と握手を交わすなど、失礼以外のなにものでもないことくらいは知っていたからだ。
「ふう、私から握手を求めたのだから、それを拒むなんて失礼よシルク。ほら掴みなさいよ」
マリアは嫌な顔一つせずに強引にシルクの手を取り、握手をして豪快に笑って見せた。
マリアはシルクの手を握りながら、シルクの右腕に輝く銀の腕輪を見つめる。
「綺麗な腕輪ね。灰炎にもアクセサリーを売っている所があるの?」
炎王からの贈り物。
「この光沢……それなりの代物だなんてものではないわね」
マリアは視線をそのままシルクの瞳へと移し、覗き込むようにして見つめる。
「あ……えっと」
しかも只のアクセサリーではなく聖霊の宴の為のものだ。などと言える訳もなくシルクは言葉を濁すのだった。
「これは、母が旅商人から買った物で。ほんとに安物ですよ?」
「ふーん……そうなの」
作り笑いを悟られぬ様に、シルクは腕を隠した。
マリアはそれ以上の言及もなく、手を離すと地面に畳んで置いてあったタオルを手に取り髪の毛を乾かした。
「それにしても黄炎なんて都会の人が何故こんな所に?」
マリアはまだ少し湿っている艶やかな髪を手ぐしで整えながら答える。
「旅行よ、旅行。あるものを探すついでに……ね」
「あるもの……?」
意味深げなマリアの言葉を、シルクが復唱した瞬間だった。
パン。パパパパ。パン。
「ギェェェ……ピピピ……」
森林の中から響き渡る銃声と動物達の悲痛な叫び声。
音のした方角からは鳥の群れが一斉に南東へ向けて飛び立って行った。
「銃声だ!!ヌイドル湖は禁猟区域なのに狩りをしているのか?」
そして銃声のした方角を見たシルクとマリアが同時に、森林の中を動く1つの影を発見した。
木々の間から僅かに差す光で、一瞬だけだが男の風貌が見られた。
銃を担ぎながら、森の中を駆けるその男にシルクは見覚えがあった。
「あれは、リストに載っていた犯罪者の1人じゃないか!!」
間髪入れずに森の中へと突き進んでいくシルク。
「ふふっ」
その背中を見送りながらマリアは不敵に笑っていた。
森の中を駆け抜けるシルク。けもの道を掻き分けていく。
激しく脈が打たれる。不随意的に手は震えていた。
「ははは、震えが止まらないや……犯罪者を僕が追い掛ける時がくるなんてね」
走りながらでもカタカタと腕が震えるのを感じる。
目の前にいるであろう男を見つけるのが怖くてたまらない。でもそれだけではない。そんな感覚をシルクは無意識に感じていたのだった。
「確か銃声はこの辺りから聞こえたはず……やっぱり、木に銃痕がある」
シルクの視力は普通の人よりも良い。その青い瞳には2メートルほど先の木の幹に、小さな不自然な穴が空いているのが見えていた。
シルクは一旦立ち止まり辺りを見渡す。
「うん、血痕もない。逃げた跡もある……」
それは標的にされてしまった動物が無事である可能性を示唆していた。
シルクは震える腕をガッと掴み、深く深呼吸をする。
「……うん、助けるんだ僕が!!」
両手で自分の頬をパンと叩くとシルクは再び駆け出した。
ドン。パパパン。
「まだ狩りを続けているのか……一刻も早く止めなくちゃ」
ほんの僅か先から聞こえた銃声にシルクの歩調が速くなる。
「へっへっへ。ようやく追い詰めたぜウサギちゃんよ。」
殺傷能力の高い銃を突き付け、男は不気味な笑みを浮かべていた。
だらしなく生えた無精髭。弾創のような傷は、銃の暴発の経験でもあるのだろうか痛々しい。
そんな男の先で声にならない声をあげながら、震えるスノー・ラビットの赤ちゃん。
「スノー・ラビットの毛は貴族に高く売れるからな、戦闘能力も低いし、ほんと良いカモだぜ。けっへっへっへ」
チャキッ。と音を立てながらストッパーが外され、男は躊躇なくトリガーに手をかける。
「あばよウサギちゃん、良い金になってくれよー」
引き金を引く人差し指に力が込められた瞬間。
男の後ろに何かが迫っていた。
「――やめろ!!」
突然の背後からの声に男は振り返える。
視界のはしに小石が向かってくるのを見て、男は身を畳んで回避した。
「違法な狩人のブリスベン・マークだな?炎王の命によりお前を捕縛する!」
「オレ様をお前みたいな餓鬼が捕縛するだぁ?それに炎王の命?けっへっへっへ、笑えねぇ冗談だなぁオイ!!」
スノー・ラビットに向けられていた銃口がシルクへと突き付けられる。
照準を合わせた瞬間
ドン。
シルクはトリガーが引かれるのと同時に最も近くにあった木の後ろへと隠れた。
放たれた弾丸は木にめり込み、ひび割れを起こしていた。
「どうした?隠れてたんじゃ捕縛なんてできねぇぜ?」
ブリスベンは木に隠れたシルクを威嚇する様に、所構わずに銃を乱射してくる。
ブリズベンの様子を伺おうと、木の影から様子を伺うことすらもリスクがかかる。ブリズベンの威嚇はシルクを狙っているわけではないが、全て人体の急所に当たるであろう高さを維持している。
「ただの快楽狩人ではない……か。素手で戦って勝てるわけもなし……よし」
シルクは灰炎を出る日のサモンの言葉をなぞる。
欲する物を鮮明にイメージし、そこに理論を加える。
それらを混ぜ合わせた上で、精霊の力を借りて確定する。
ピカッ。とシルクの隠れていた木が光ると、シルクの手には丈夫な鞭(むち)が握られていた。
「覚悟しろブリスベン!!」
シルクはブリスベンの撃ち終わりを狙って、その残弾数を回避しながら数え木の陰から飛び出した。
しかし、それはブリスベン周到な罠だった。そのことにシルクが気づくのは、向けられる何かの銃口によってだった。
「引っ掛かったな餓鬼。死ねよ、火炎放射だ!!」
銃を持っていた手とは逆の手に握られていた火炎放射器。
おそらくは銃でシルクを木の影に足止めし、火炎放射器で木ごとシルクを焼き殺そうとしていたのだろう。
「――しまった」
「へっへっへ、あばよ」
無慈悲に握りこまれるハンドル。
銃口から灼熱が吐き出され、シルクを飲み込もうとした時だった。
「魔導『水泡冷弾』!!」
鉄砲水の様に激しい水流が火炎を飲み込み、そのままブリスベンへと襲い掛かる。
「なっ、なんだよこりゃあ……う、うわぁぁぁぁぁあっ!!」
水流はブリスベンを飲み込み、遥か向こうまで弾き飛ばしていく。
辺りの木々もメキメキとなぎ倒しながら水流は翔けていった。
「な、何が起こったんだ?」
シルクが水流の来た方を見渡すが、そこには人影どころか水気すらも無かった。
「ぐ、ぐぁぁぁぁぁぁあっ!!た、助けてくれぇっ!!」
ブリスベンが叫ぶと、水流はまるで泡の様にすぅっと消えて無くなった。
地面に這いつくばったブリスベン。肩で息をきらし、その顔は絶望で蒼白に染まっていた。
「はぁはぁ。いったい何だったんだよ……たが、助かった」
にやりと笑うブリスベンだったが、刹那。背後に人の気配を感じ取った。
ザリッ。
震え上がるほどに恐ろしく冷たい魔力。ブリズベンの冷や汗が地面に滴り落ちていく。
「捕まえたわ、ブリスベン・マーク」
ブロンドの髪の奥から覗く、鋭く冷たい瞳。
そこにいたのは、先程シルクが出会ったマリアだった。
「はっ。綺麗な女じゃねぇか……おめぇを捕まえてオレ様がぐちゃぐちゃにしてやるよ!!」
避けることなどできるわけが無い、目と鼻の先でブリスベンは銃を発砲した。
ブリスベンの弾丸がマリアの眉間を貫いた瞬間。
バシャッ。
「残念ね『水の人形劇』よ」
「――なっ!?」
マリアの身体は水となり地面に消えた。
そしてブリスベンはまた背後に人の気配を感じたが、今度は振り返えることができなかった。
「終わりよブリスベン。私はあの子みたいに捕縛するなんて言わないわ」
チャキッ。と音をたてて首筋に当てられたサファイアの様に美しい三つ又の槍。
「さぁ、1人目よ。やりなさいウンディーネ」
『うふふ。せめて気色の悪い叫び声を聞かせてちょうだいね』
振り上げられた、槍が躊躇いなどひとつもなく振りぬかれる。
ブリスベンは断末魔をあげることすら出来ずに、首と胴体を切り離され息絶えた。
シルクが水流の方へと向かったが、水の流れた跡が不自然に突然消えていた。
「なっ……なんだこの大量の血は!?」
そして水流の代わりにそこにあったのは、おびただしい血に染められた地面であった。
その血痕の主はどうあっても生きていないことは見るよりも明らかで、シルクは拳を握りしめた。
「まさかブリスベンの血なのか?だとしたら……だとしたらブリスベンはどこにいったんだよ!?」
不可解な出来事に立ち尽くすシルクを、遥か後方でマリアがじっと見つめていた。
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