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少年は夢を見る

夢の中の歌声

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 ーーーーあ、またあの夢だ。

「………………」

 優しい歌声が響くように聞こえる。透明に透き通っていて、優しくて、柔らかなその歌声。暖かく包むようにオレの周りを反響している。もうこの夢を何度見たことか分からない。でも、これが繰り返される同じ夢の中だと気付いたのは本当に最近のことで、ちょっと困惑する。

「・・・・・・ねぇ、あなたは誰なの?」 オレのその問いに応えはない。まるでオレとは別空間にいるかのように彼女の歌声は続いている。早く聞かなきゃ。後少しで、オレの意識は途切れてしまうのだから。

 ねぇ、あなたは誰なの?

 あなたはオレの何なの?

 ねぇ、応えてよ。あなたは、あなたはもしかしてオレの……

「…………」

 くそ、今日も間に合わなかったな。透明な歌声は止んで。優しく頬を撫でられる感覚がして、最後に一言。まるで魔法の言葉の様に、それを聞くとこの夢の中のオレの意識は途切れてしまう。彼女は歌声よりも澄んだ優しい声で呟くように言うんだ。

 ああ……もっと聞いていたかった。話をしてみたかった。あなたは誰なの?オレにこの夢を見せるのは何故なの?




「GoodNightBaby.(おやすみなさい、ぼうや)」




 チュン。チチチ。うあ、熱い。

「うあーー……水」

 独り暮らしのボロアパートの一室でオレは夏のうだる暑さで目が覚めた。高校生の独り暮らしなもんで、エアコンすらついていない六畳一間の狭い部屋。築62年?だかのおんぼろアパートは、今じゃ珍しい、真四角の一人でも体育座りをしなくちゃ入れない風呂がある。これだけでもほぼ文化遺産ものだろ。

「そんで、また入ってきてるしな」

 チュンチュン。窓は隙間が空いていて、つーか隙間とかそんな良いものじゃないけど。斜めに歪んだ窓は窓枠が見えてないんですか?って聞きたくなるほどに斜になっている。一度、凹むのを承知で分度器を使ってどのくらい曲がってるのか計ってみたことがあったっけかな。その数なんと、22度。底面と、ずれによる隙間は一番広い部分でなんと10センチ。そりゃスズメも入ってくるだろうよ。

「おら、壁にぶつかる前に出てけ」

 オレはゆっくりと窓を開ける。窓は22度を保ったままの歪な形でちょっとずつズレていく。

「この保たれた角度って物理的に無理ないか?ちょっとした奇跡だろ」

 ようやく開け放った(完全には開ききらないので30センチほど開けば全開の状態)窓からスズメは元気よく飛び立った。

「あー、いい風入ってきたぁ」

 うだるような陽射し。それをまぎらわすかの様に吹き抜けた冷たい風が、オレの金色の髪をなびかせたんだ。

 俺の名前は薬師 リアム(やくし りあむ)。記憶にはないんだけど、いつか戸籍で見た所によると日本人の父親とアメリカ人の母親とのハーフだそうだ。記録によるとオレを産んですぐに両親は共に亡くなっていた。だから、父親との思い出も母親との思い出も1つもない。

 高校に入るまでは遠い親戚だと言う老夫婦に育てられていたのだけれど、二人はオレを愛してはいなかった。それはまだ物心のつかない子どもが自覚してしまうレベルのもので、育児放棄に近い様な、生きるための最低限度の育児だったと思う。そんなわけで、勿論オレも二人のことを育ててもらっている人、以外の思いは芽生えなかった。

 高校に入るときにはもう、独り暮らしをすることは決まっていた。だから、親からもらったものは何もないんだ。強いていうならこの母親譲りの金髪と、色素の薄い青眼くらいかな。父親からの授かり物は自覚できないな。
もし、両親を知る人に出会えたなら面影の1つも出てくるのかもしれないけど、どうやら親戚とも疎遠だった様だし。この日本人離れしたルックスは良くも悪くも目立つ。ていっても、英語が話せないからこのルックスはコンプレックスになることの方が高校生活では多いのだけれどね。

「さってと、学校行きますか」 そう呟いてオレは着替えを始めるのだった。

 着替えを済ませたオレはガタのきた扉を蹴りあげるように開いて外にでた。うちの高校は制服がブレザーで、他校と比べたら割りとセンスは良いと思う。明るめの緑にチェックの模様の入った上下のブレザーに、白シャツと赤いネクタイが校則で決まっている。中にはお洒落だとか言ってシャツを柄物にしたり、色つきのものにするやつもいる。だけど、その度に教師に叱られる意味がオレには理解できなかった。

「うわ、鍵しまんねぇ日かよ」

 築60年を越したこのアパートは所々でガタがきていた。そのうちの1つがこの玄関扉だ。2週間に一度くらいの頻度で鍵がかからない時がある。たぶん鍵穴がボロくなってずれてしまっているのだろうけど、朝からイライラさせてくれる。何度か扉を開いたり閉めたりしながら挑戦したが一向に鍵がかかる気配はなかった。

「…………おし。盗られて困るものはねぇし、行くか」

 施錠のできなかった鍵をポケットに突っ込んで、オレはそのまま学校へと向かうのだった。


「おーい、リム助!」 通学路を歩いているとアパートを出て2番目の交差点の左側の道路から大きな声が聞こえてきた。

 そう、リム助ってのはオレのことを指している。あだ名といえばあだ名なんだけど、リム助だなんて呼び方をするヤツは校内でも一人だけだ。

「ほんと、朝から元気だな。良太」
「だろー?お前はいつでも感情が平坦だな!」

 こいつは野瀬 良太(のせ りょうた)。オレと同じクラスでバスケ部のエース。身長はオレよりも少し高いくらいだから180センチあるかどうかくらいだろうか。

「相変わらず良いブロンドだよな。格好いい」 そう言いながら良太はオレの髪を見つめていた。良太に髪の色のことを言われても、オレのコンプレックスが刺激されないのは良太の言葉がまぎれも無く本音だと伝わってくるからなのだろう。オレはどちらかと言えば良太の様な黒髪に憧れるのだが、どちらも無い物ねだりなのだろうと、自分のなかでそうそうに帰結させた。

「そういや、例のニュース見た?」
「例のニュース?」

 良太は身長も高く、ルックスも良い、そして性格ももう朝の挨拶の時点で察してもらえたと思うけどお調子者なので男女問わず人気がある。そんなわけで話ながら歩いている途中にも度々すれ違う学友達からあいさつがとんできていた。

「なんでも高校生のバラバラ死体が見つかったらしいぜ?しかもうちらの高校の近く」
「高校生のバラバラ死体?」
「そ。自宅の部屋の中だったらしいんだけど、誰かが侵入した形跡もなくて他殺は考えにくいんだけど、自殺にしては死体が損壊されすぎてるらしいよ」

 ・・・・・・朝から何て話をぶっこんで来るんだこいつ。

「だから他殺の可能性は低いって言われてるのに、事件性は極めて高いんだと」

 ーーーー矛盾してるな。他殺の可能性が低いのなら自殺の可能性が高いと言うことだ。自室で侵入者の形跡がないなら自殺で決まりだと思うんだけど、まぁ、オレが考えることはそれじゃないな。

 そう、オレ達にはそんな奇っ怪な事件よりも先に考えなくてはならないことがある。

「今日、朝の小テストあるらしいよ」
「…………え?え!?」

 良太は勉強が苦手だ。スポーツ万能、手先も器用だが学力がない。嫌いだから努力しないとか、スポーツに打ち込んでおろそかになってしまうよく聞くようなケースではない。

「がんばれ名探偵」

 授業もしっかり聞いているし、宿題もちゃんとやってくる(ほとんど間違ってるけど)、テスト前の勉強もしている。だけど、肝心の点数が努力に比例しないのだ。そう、本当の意味で勉強が苦手な子なのだ。

「オレ今度小テストで赤点取ったら居残り補習って言われてるんだけど……」 良太は蛇に睨まれたカエルの様な弱々しい目でこちらを見ていた。

 とはいえ、小テストに関しては前の授業の復習みたいなものだから、範囲も分かっているし特にアドバイスのしようもないわけで。オレはちょっと可愛そうだとは思いながらも、一言「うん、がんばれ」 とだけ伝えた。

 そんなこんなしてるうちに学校に到着する。平穏な日常の始まりだ。

 ーーーーそう、思っていた。だけど、実際にはこんなありきたりな朝の風景は二度と訪れなくなるのであった。そのことをこの時のオレも良太も、そして学校の皆も誰も知り得なかった。

 オレ達の通う学校は男女共学で普通科と商業科に別れている。

 私立東亜学園付属高等学校(とうあがくえんふぞくこうこう)。普通科の成績優秀者は東亜学園の大学に推薦で入学することができるようになっている。部活動も盛んで良太の所属するバスケ部は都大会の常連だし、サッカー部や吹奏楽部、柔道部や剣道部の都大会や全国大会への出場は珍しくない。

 この高校を選んだ理由はよく覚えていない。でも何故かこの高校に通う未来がはっきりと、受験の時には見えていて、滑り止めも受けずに単願で入試を受けていた。そして、その未来図の通りオレはこの高校に通うこととなったんだ。

「おはよー。良太、リアム君」 校門の付近で名前を呼ばれた。呼んだのは同じクラスの橋本 真緒(はしもと まお)だった。

「おはよう、まお」
「……はよっす」 良太のテンションの低さに真緒は目を丸めた。

「どうしたの良太のやつ?」 良太に遠慮して小さな声で真緒はオレにそう尋ねた。オレは横目にため息を何度も繰り返す良太を見て真緒に告げる。

「今朝の小テストで赤点だったら居残り補習なんだって」
「ああ。…………それで、ね」

 真緒は誰とでも仲良く、男子からの人気もある。気配りもできるし、いざと言うときにはリーダーシップを発揮して、皆を引っ張ることもあるので先生達からの信頼もある。

 そんな、真緒が励ましの言葉すら出ない。それが良太のかわいそうな学力なのだ。

「スポーツ推薦とか羨ましく思ってたけど、こんな弊害あるんだな」
「はぐぅうっ」

 良太は学力のことを遠回しに言われて心のダメージを負ったみたいだ。

「いや、私もスポーツ推薦だけど平均より上だから。良太の場合はスポーツ推薦で勉強怠ったとかじゃない分、ほんと不憫よね」
「つぉあっ」

 つぉあっ?なんだその擬音。同じくスポーツ推薦で入学した真緒に哀れまれてしまったことで更に傷口が広がったらしい。ちなみに真緒は女子剣道部の期待の星であり、前回の都大会団体戦では当時一年生にして副将をつとめていた。

「まぁ、こればっかりは私達も助けてあげられないし、がんばりなさいよ」
「そそ。がんばれ少年」

 良太は口をへの字にして不貞腐れているようだった。

 その後はオレと真緒で小テストに出てきそうな問題を予想し、良太はそれを聞いていた。そんなこんなしているうちに、オレたちはチャイムが鳴る少し前に教室へと到着した。

 教室の扉を開くと学級委員長が黒板を綺麗にしているところだった。我らが学級委員長の名前は小西 春明(こにし はるあき)。委員長は教室に入ってきたオレら3人を見て笑顔で言う。

「おっす、仲良し3人組」

 委員長は学力も人望もあるが、よくある小説の委員長キャラの様に陰キャラでもなければ、コミュニケーションが苦手なわけでもない。背は男子校生の平均身長くらいで、少し痩せ気味。部活は確か将棋部って聞いたことがあるけど、生徒会役員もしている為にあまり部活には顔を出せていないと話しているのを聞いたことがある。真面目は真面目。そこに疑いの余地はないのだけれど、どちらかと言えば誰とでもフランクに話すし、先生とも友だちの様に話したりとちょっとやんちゃなくらいの高校生の印象を受ける不思議なヤツでもある。

「しっかしまあ毎日毎日綺麗にするなあ。どうせ授業で汚れるでしょ黒板なんてさ」

 黒板消しの跡さえ許せないのが伝わるほど見事な黒板の清掃だ。

「へ?まあそうだけどさ。綺麗なほうが気持ちいいじゃん?」 何で?とでも言わんばかりの回答に思わず笑ってしまった。

「え?おかしいかな?なあリアム」
「いや、そんなことないよ。ただ委員長ってつくづくB型っぽくないなと思ってさ」

 几帳面で綺麗好き、気遣いも出来る。典型的なA型の正確なのに実際はB型。委員長はなんとなくギャプが多い。

「っと、そんなこと言ってる間にチャイムなるな。席に着こうぜ」
「だね」
「ああ」
「……うえーい」

 良太のテンションの低さに気付いた委員長だったけど、特に触れることもなくオレ達はそれぞれの席についた。『キーンコーンカーンコーン・・・キーンコーンカーンコーン』 と朝のチャイムの音が学校に響き渡った。

 今日は水曜日だ。オレのコンプレックスでもある英語の授業も午後に控えているし、朝から数学の小テストがあるときたら良太じゃなくても気分は落ち込むな。

「暑・・・」 そう言いながらオレはYシャツの襟元をつかんでパタパタと空気を送り込む。錯覚にすぎないように思うけど送り込まれた空気はひんやりとしていて、動かす腕はダルいのだけれど、その動作を続ける。

 真緒は隣の席の佐々木さんと話をしている。委員長は小テストの予習かな?もう数学の教科書を開いて何かしていた。良太こそ委員長のようにしたら良いと思うのだけれど、気を紛らわしたいのか、諦めモードに突入したのか周りのグループの男子で盛り上がっていた。

「はーい、まだ席に着いてないやつ席につけー。おはよー」 扉が開いて担任の若林が入ってきた。

 数人の席を立っていたやつらがゆっくりと席に戻るのを見届けて、若林が「よし、出席取るか」と小さく言って、朝の出欠を取り出すのだった。

「新井」
「はい」

「秋元」
「うーい」

「井出」
「・・・はい」

「江藤 慎吾」
「はい」

「江藤 瑠璃」
「はーい」

 若林の出席確認は淡々としていて、なんだかぼーっとする。その間はよく夢のことを思い出したりしている。柔らかな雰囲気に満ちた空間。

「中野」
「おっす」

「南原」
「はーい」

「森田」
「はい!」

 響き渡る透き通った歌声は、不安を浄化していくような気持ちにさえさせられる。

「薬師」
「・・・」

 あれはいったい誰なんだろう。心当たりはある様な気がするのだけれど、残念ながらその人との思い出が、記憶がオレにはない。

「薬師 リアムー?」
「・・・」 だからいつもここまで来て思考を止める。あの夢の中で、次こそは彼女が誰なのかを聞いてみようと心に決めながら。

「薬師 リアムは休みか?返事がないぞー」
「リっくん。リっくん!ぼーとしてないで、返事しなきゃ」 隣から腕を小突かれてようやくオレは戻ってきたらしい。

「あ、はい!います、すいません」 慌てて返事をしたオレを見てクラスの皆が笑った。若林は「しっかりしろよー」とだけ言って出席確認を続けるのだった。

「ありがとう湊、助かったよ」

 危うく欠席扱いにされそうになったオレを救ってくれたのは隣の席の本田 湊(ほんだ みなと)だった。内気なところはあるが、困っている人がいると助けなくてはいられないお人よしだ。湊はそんな正確だけど声が小さかったり、人前に立つことが苦手だったりするから皆の弟的な存在でもある。

「てことで休みは瀬川で、本村はまた遅刻か?誰か何か聞いてるか?」

 本村 勝(もとむら まさる)はこのクラスというか、学校の不良グループのリーダー的な存在で、授業をサボったりは当たり前だ。校内で喫煙して停学になったこともあるし、他校の生徒と度々問題を起こしては話題になったりもしていた。オレは平穏に生きたいから、別に関わるつもりもないけど、ああいうヤツって何を考えてるんだろうな。

「また勝くん休みかな・・・」
「え、湊って本村と仲いいの?」 ちょっと意外な事実だ。

「んー?仲良いって言うか幼稚園からの付き合いだしね僕と勝くん」
「へー。なんか意外な組み合わせだな」
「そうかな?まあ、そう見えるか。でも勝くん本当は優しくて友だち想いなんだよ?」 そう言って港は笑っていた。

 その時、ふいに視界を砂嵐が襲った。途端に不快な耳鳴りがして、反射的に瞬きをした時に湊の笑顔が残像として残ったような気がした。

「え・・・なんだよこれ」

 そして目を明けた瞬間に見えたのは、湊がどこかの一室でバラバラに身体を引きちぎられて殺されている風景だった。

「うわぁぁぁぁぁあ!!!」 口を手で覆い、のけぞるようにした瞬間に視界が晴れた。

「リっくん?どうしたの?」
「え、あれ?湊?」

 目の前にいたのは首も手足もしっかりと繋がって、オレの顔を心配そうに覗き込む湊の普段通りの姿だった。周りを見てもさっきの知らない部屋ではない。当たり前だけど今さっき出席確認の為に返事をした教室だ。

「リっくん急にこっち見ながらぼーっとしだしたからビックリしたよ。疲れてるの?」

 オレは目に焼きついた凄惨な映像を否定する為に、慎重に慎重に周りを見渡し、湊の首元や手足の付け根を見た。いつもの教室だ。湊の首はついてる。手も足も勿論ついてる。血だまりなんてどこにもないし、港は死んでもいない。

「良かった」 オレは思わずそうこぼしていた。湊は目を丸くしている。そうだよ。きっと知らない間に疲れが溜まっていたのだろう。あんな幻覚を見るなんて、この暑さのせいでどうかしてたんだよ。じゃなきゃ、あんなこと起こるわけがない。

「・・・・・・ん?」 窓の外を見た湊が何かを見つけたかのようにそう呟いた。

「どうした?犬でも迷い込んできた?」

 湊は何かを見つけたその場所をまた見つめるが、何もなかったようだ。

「んーん、なんでもない」 そう言って笑った。

「あんな場所に外国の人が立ってる訳ないよね・・・」 湊が呟いた言葉をオレは聞いていなかった。

 朝の小テストはまあ前回の授業をしっかり聞いていれば特に問題なく解けるような問題だった。良太は終了の合図と共に菩薩(ぼさつ)の様な慈愛に満ちた顔をしていたから恐らく補習が確定したんだろう。ご愁傷様。

 そこからはあっという間に昼休みになった。この高校では昼は弁当か購買部で買って食べるようになっている。真緒はいつも弁当、良太はたまに購買で買ってるけどだいたい弁当。湊はそういえば弁当持ってきたのを見たことがないな。なんて、1人暮らしで自炊もしていないオレが言えたことじゃあないんだけどさ。

「リム助って小食だよな」 良太は弁当のご飯をかきこみながらそう言ってきた。うん、まず口の中の物飲み込んでから喋ろうか。

「ほんとそれ。女子でも足りないよ?だから細いの?」

 オレの手には購買部で買ったあんぱんと焼きそばパンが握られていた。オレ的には丁度いいんだけど、これって小食なのか?

「湊もそんなに変わんないよな?」
「ふえ?うん、そうかな?」

 カツサンドをほお張ってるところに聞いてしまったオレが悪いな。うん。

「いや、カツサンドと焼きそばパン、カレーパンとコロッケって確実にリアムの二倍は食べてるわよ」
「カレーパン食べる?」 そう言ってカレーパンを無造作に差し出す湊。

「いや、いい」

 そういえば朝の幻覚はなんだったんだろう。夏の暑さでやられちゃったのかな。でも今でも湊の身体があんな風に千切れてしまわないか不安な自分がいる。

「あれ?さっきまであんなに晴れてたのに・・・」
「うそー。今日雨の予報なんて出てたっけ傘持って来てないよー。部活終わる頃に降ってたら最悪だな」

 これから起こる惨劇を知らせるかの様に、急速に街を覆い尽くしていく黒い雲が不気味でならなかった。

 昼休みが終わり、退屈な英語の授業の途中から大粒の雨が降りだした。

「こりゃ、すごい荒れたなぁ・・・・・・」 英文を読み上げていた田中先生が、英語の途中でぽつりと呟いた日本語。それが、オレたち皆の感想を的確に表していたと思う。

 1分も経たなかったと思う。でも、それだけの時間クラスの全員が窓を打つ雨と、真っ暗な空を見つめていたんだ。

「さ、続けるぞー」 田中先生の声で止まった時が動き出した。

 嫌な雨だな。暗い空。雨粒の音。揺れる木々に、地面に飛沫がまう。あぁ・・・・・・憂鬱だ。

 そうこう考えている内に英語、世界史の授業が終わった放課後を迎える。

「まだ降ってるね」 真緒は部活に行くための準備をしながらそう言った。

「止む気配もないし、強くなってる気もするな」
「これ、雨宿りして済むあれかなぁ?」 湊もそう言って外を見つめていた。

 すると教室の扉が開いて若林が入ってきた。そして、まだほとんどが残っている教室に向けて言う。

「どうにも止まないらしい。
親御さんに連絡つく人は傘を持ってきてもらうなりして帰りなさい。連絡が難しい人は少ないけど学校の傘があるから職員室まで取りにおいで」 そう言って扉をしめた。

「だって、うちは無理だから借りにいこうかな。リっくんは?」
「ん?あぁ、オレ独り暮らしだから」
「そっか。じゃあ一緒に入ろうか。この感じだと一人一個じゃ傘足りなくなっちゃうだろうし。僕取ってくるね」

 にっと笑って湊は職員室に向かっていった。それに続くようにして数人の生徒が職員室へと重い足取りで向かっていった。

「あ、じゃあ私部活に行くね」
「あ、ああ。帰り……気を付けろよ」
「うん」 と嬉しそうにして真緒は部活に向かった。何だあの嬉しそうな顔は。変なやつ。

「・・・・・・あの、薬師くん」 後ろから小さな声がして振り返る。うつむきぎみに話しかけてきたのはクラスメイトの女の子だった。えっと、名前…………分かんねぇや。

「えっと、なに?」 そう聞いても俯いている。目まで届く前髪が小さく震えるように揺れていた。

「あの、その。迷惑じゃなかったら一緒に…………」

 後ろにまわした手には折り畳み傘が見えた。女の子らしい可愛い傘。

「リっくーん!傘借りれたよー!」 ガラッと扉が空いて湊が入ってきた。それに驚いて、肩をビクッと震わせたオレに声をかけてくれた女の子。

「え、あ、その。ごめんなさい。じゃあね!」 そう言って駆け足で教室を出ていってしまう。

「あれ!お邪魔だった?榎本さん顔真っ赤だったなぁ」

 榎本さんて言うのか。なんだったんだろう。

「しかし、リっくんはモテるねぇ」
「……………………え?」
「え?って、気づいてないの?」

 湊の呆れた顔とかなかなか見ないけど、それが今まさにオレに向けられていた。

「まぁ、その鈍感さもリっくんの良いところなのかな。帰ろ」
「釈然としない結論だな」 そう言って笑った。

 どしゃ降りの雨、何組かの相合い傘が校門から出ていく。学校の前まで迎えに来た車に乗る生徒もいた。

 予報外れの大雨は次の日も続くのだった。湊とは帰る方向が同じで色んな話をした。その中で湊がいつも弁当を持ってこない理由も、何か自然な流れで判明した。

「うち再婚してるんだ。で、新しい母親とはあんまり打ち解けてなくてね」 そう悲しそうに笑っていた。湊はいつでも笑っている気がする。それも自分の為でなく、他人の為に。

「湊は好きなやついないの?」
「へ?ああ、いやぁ」

 何気なく聞いてみただけなんだけど、顔を真っ赤にしてる。うん、これはいるな。

「へー、いるんだ」 とオレは意地悪そうに言った。
「いる。いるけど、無理だから」 湊はそう言って、ピチャピチャと音を立てながら雨粒が弾ける地面を向いた。そのせいで傘が傾いて、背中に傘を伝った雨粒が当たる。

「冷たっ!」
「えっ?あっごめん!」 そう言って思いっきり傘の傾きを直そうとしたもんだから、今度は反対側に傘が傾いて背中に当たった粒と比較にならない量の雨粒が二人の顔面に落ちてきた。

「…………っぷ」
「ぷっ。おまえ、マジで勘弁しろよ」
「はははっ。びっしょびしょ。もうこれ傘要らなくない?」

 二人してびしょ濡れになって声を出して笑った。雨の勢いは強すぎて足はぐっしょり。湊のせいで頭も背中もびしょ濡れ。オレがかぶってしまった雨粒を乱暴に振り払っていると、湊は急に真剣な顔をしてオレのことを見ていた。

「僕ね、真緒ちゃん好きだよ。だから、リっくんには負けないからね」 唐突に湊はそういった。

 え?負けないからって。

「負けないからって何だよ?」
「へへ。リっくんの鈍感。じゃあ僕ここ左だから。傘はリっくん使ってね!また明日」 そう笑顔で言って湊は駆けていった。

 一人になったせいかな?傘で跳ねる雨粒の音が大きくなった。

 部屋に着いてシャワーを浴びたら疲れがどっと押し寄せてきてベッドに横になった。そしていつのまにか眠ってしまっていた。雨粒の音。延々と続いていく。あの歌声の様に。


 ーーーーここ、どこだ?見覚えのない部屋だ。誰か寝てる?

 ベッドに横たわる人の寝息が、窓を打つ雨粒の音でかきけされている。本棚は綺麗に整頓されている。メジャーな漫画のなかに剣道を題材にした女の子が主人公の少女漫画が紛れていた。

 自分の身体が不自然に動いている。段々とベッドに近づいているのに、歩いているわけではないみたいだ。ゆっくりと視線は地面と平行を保ったまま近づく気味の悪い感覚だ。

 布団から覗く短い髪。男だよな?段々と近づいていき、布団の隙間から顔がようやく見えてきた。

「…………湊?」

 ベッドには湊が眠っている。何でオレ、湊の部屋にいるんだ?一回も遊びに行ったこともないのに。

「え?」

 視界の両端から手が現れた。なんだこれ、確かにオレの手だけどオレの意思とは関係なく動いてる。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 気持ち悪い!

 2つの手がゆっくりと、ゆっくりと寝息をたてる湊の首もとに近づいている。広げた手が首を包み込んだ。

「何しようとしてんだよ。やめろよ、おい!」 声は出ていなかった。首もとにかけられた手に力が入り始めたのが分かる。間接が曲がり、指が少しずつ湊の首に柔らかくめりこんでいく。

 やめろ!やめろ!

 湊の首が徐々にしまっていく。

「…………あっ。あ」 呼吸が出来ずに無理矢理に目覚めた湊は目を見開いていた。それでもオレの手はどんどん力を入れて湊の首をしめつけていく。

「……やめ…………たすけ」

 力一杯にめり込んだ手。湊は口を開け、紫色の顔で小さく呟くように助けを求めている。指先の力は人間の力とは思えないもので、湊の呼吸を止めるだけでなく、ついに皮膚を破りはじめた。鮮血が湊の細い首から溢れ出す。

「…………あ。は、あ」

 水色のシーツに赤い染みが広がっていく。「ボキッ」 と首の骨が折れる音が、気味悪いほどに乾いた音で耳に響いた。
 
 もう湊の声は聞こえない。それでもオレの手は死を慈しむように。死体を愛でるようにゆっくりとゆっくりと、更に力を入れていく。裂けた皮膚がビリビリと破れていき、筋肉を絶っていく。

 そして、両の手が完全に握り込まれた瞬間だった。「goodnight baby.」 湊の恐怖に満ちた顔が宙に舞った。引き裂かれた首から大量の鮮血が、栓の抜けたホースの様に飛び散っていく。

 それから、手をちぎった。まずは右手を肩から引き裂き、関節でバラバラに破いた。ベッドのシーツは真っ赤に染まり、ベッドの足を伝ってフローリングにまで鮮血が溜まってきた。

 左手も同じように壊した。足も引き裂き、破き、投げ捨てる。

 雨の音の中で、皮膚が破れ、肉の千切れる音が響く。心地よい骨が折れる音、血飛沫が舞い散ってオレの両手も染まっていた。

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 ーーーー気持ち悪い!

「もう……やめてくれよ」
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