35 / 46
1話:森の都の外套技師
トラットリアのポタジュー_1
しおりを挟む
石造りの壁に、食器の重なる乾いた音や、熱した鉄板で香ばしい臭いをたてながら耳にも響く調理音がこだましている。店の中は厨房を見ることができるつくりになっていて、年配のシェフと若奥さんが2人で店を回している様だ。
「おい、さっきも言ったがオレ達はほとんど金は持ってないぞ?」
「分かってるって、安心してくれよ」
4組ほどしか入れない、少し狭い空間にではあったものの、座席はすべて埋まっている。客層は豊かで家族で過ごしたり、まだ関係の深く成り切れていない恋人、老夫婦も食事を楽しんでいた。
「いらっしゃいませ、ロウマン・トラットリアへようこそ! いつも贔屓にしてくれてありがとうべワタナベさん」
「おう、相変わらず綺麗だねセイラちゃん」
「うふふ、お上手ね。でも、びた一文まけないわよ」
大きな花柄のエプロン、清潔感の漂う髪型に服装。なにより、絶えず客に向けてふりまかれる笑顔が素敵な女性だった。セイラは手に持っていた、手書きで何かが書かれた紙を足高の丸テーブルの真ん中に置いて広げる。
「お客さんは初めてよね?リンクタウンへは観光かしら?」
「そんなところだね」
「お嬢さんもこんばんは」
「・・・・・・」
セイラは飛び切りの笑顔を見せながら、机に俯いているネオンの顔を覗き込んだが、ネオンは反応すらしない。セイラは目をぱちぱちとして、最後ににこっと笑顔を見せて、また背筋を立て直すのだった。
「かるぱっちょ? ぼごれびあんか? みねすと、ろーね?」
「あら、ブリティア料理は初めて? そうね、だったら薄く伸ばした生地に果実で作ったソースを敷いて、その上に色んな野菜を乗せて竈で焼く『ピツァー』はいかがかしら?」
「ここのおやじのピツァーは絶品で、美食家に勧めるならこの店だな」
「ほおー、それは楽しみだな。後は、ネオンが食べられそうな物は・・・・・・」
シドは読んでもどんな料理か分からないメニューに目を落とすが、そもそもそこに書かれている料理を知らないので選べるわけも無かった。道中で食べた物と言えば、野性の果実やキノコや野草、後は保存食にしておいたルーザとの取引で得た何かの肉の燻製くらいだった。ネオンはどれも躊躇なく口に入れていたが、「おいしい」という感想を聞いたことはなかったし、何かそういった反応も見られなかった。シドは自分事の様に悩んで、うんうんと唸り始める。
セイラは顎に指を当てて、目だけ天上を向き、少し考えると何かをひらめいた様だ。
「あなたはどれが食べたい? 他のお客さんのテーブルに気になる料理とかないかな?」
セイラはネオンの肩を持って、他のお客さん達の席の方へ身体を向けた。髪の毛で隠れてはいたが、ネオンの前髪がネオンの視線が動くのに合わせて僅かに揺れていた。そんな様子を見てセイラは嬉しそうに笑っていた。ネオンが家族連れの席に目を向けた時、ネオンよりも5歳ほど幼い女の子が、ポタージュを飲んでいた。器からは白い湯気がまだ微かにたっていて、銀製の先がお椀の様になっている食器で掬うと、頬を大きく膨らませながら一生懸命に息を「ふーふー」と吹きかけていた。ネオンはシドの肘親指と人差し指でつまんで、クイクイと引っ張る。
「ん? ああ、あの女の子が飲んでいるスープが良いのか?」
ネオンは隣に居たシドでなければ見逃してしまうくらい、ほんの小さく頷く。シドは、優しく笑って、セイラに注文を通す。
「あの子が飲んでいるスープもお願いします」
「はい、ピツァーとアメイモのポタジューですね。少々お待ちくださいな」
セイラは持っていたメモに注文した料理名を書くと、シド達の座っていたテーブルの端にあった、筒状の上部が切り取られたオブジェに、書き終わったメモをくるっと丸めて差す。そして、パタパタと小走りで厨房の方へ入っていき、料理を作っているシェフに、先ほど注文した料理を声に出して伝えて、そのまま自分も調理に取り掛かるのだった。
「すごいな、料理を作ること、食べることに関係ないというのに隅々まで掃除が行き渡っていて、おおよそ必要性の感じないオブジェまで置いている」
「いや、あの街の出身とは言え凄い言い方だな。調理にも食事にも直接関係していないことだから、拘っているんだよ」
「どういうことだ?」
ワタナベはにっと口角を上げて、テーブルを指さした。ネオンはまだ、あの女の子を見ている。
「このテーブルは、あの仏頂面のおやじの手作りでな。優しい木の香りがする、多少なりとも値の張る木材を加工して作っている。木目まで拘っているから、どうだいこれは只の丸く切られた木材じゃない。この空間を彩る一つの要素になっている。そう感じないかい?」
「・・・・・・まあ、言わんとしていることが分からないでも無いが」
「お兄さんが『おおよそ必要ない』と言った物全てが、この店の料理を引きたてつつ、ここを訪れるお客に一時の憩いを与えているのさ。だからこの店は、おやじはぶすったれて愛想が無くても、セイラちゃんの笑顔と、この店の雰囲気、そして確かな味で誰からも愛されているのさ」
少しも客の方を見もせずに一心不乱に調理に没頭するシェフ。そのシェフににこにこと話しかけたり、客に話しかけられては一旦手を止めて話を聞くセイラ。使われていない空間には、入れようと思えばまだテーブルを追加することもできるが、手狭な店内だからこそ客一人一人のスペースの確保にまでこだわった手作りの家具と、計算された配置。どんな場所でどんな状況であろうと、食べ物を手に入れれば胃に収めるということだけを繰り返していたシドにとっては、無駄なそれらが無意識に感じている穏やかさに強く影響している気がしてシドは言う。
「正直よく分かんねぇってのが本音だが、この店が誰からも愛されているってのは、疑いようもないよな」
スープを必死で口にする女の子と、皿の端に避けた緑の野菜を食べるように叱る父親と、そんな3人を笑顔で優しく見守る母親。必死で話題を探して、無言の時間をつくらない様にするあまり頼んだ料理が覚めてしまっている青年と、食器を手にして切り分けた肉を何度か口に運ぼうとするも彼の一生懸命な姿に遠慮してしまっている女性。2人で一皿の料理を真ん中にして、取り分け皿に少しずつ移して無言で食事を楽しんでいる老夫婦。どのテーブルからも、穏やかな空気と鼻をくすぐる料理の香りが漂っていた。
「そういえば、世界樹の上に建っているあの馬鹿デカい城なんだが」
「ああ、鎖城伯だな」
「さじょうはく?」
「おい、さっきも言ったがオレ達はほとんど金は持ってないぞ?」
「分かってるって、安心してくれよ」
4組ほどしか入れない、少し狭い空間にではあったものの、座席はすべて埋まっている。客層は豊かで家族で過ごしたり、まだ関係の深く成り切れていない恋人、老夫婦も食事を楽しんでいた。
「いらっしゃいませ、ロウマン・トラットリアへようこそ! いつも贔屓にしてくれてありがとうべワタナベさん」
「おう、相変わらず綺麗だねセイラちゃん」
「うふふ、お上手ね。でも、びた一文まけないわよ」
大きな花柄のエプロン、清潔感の漂う髪型に服装。なにより、絶えず客に向けてふりまかれる笑顔が素敵な女性だった。セイラは手に持っていた、手書きで何かが書かれた紙を足高の丸テーブルの真ん中に置いて広げる。
「お客さんは初めてよね?リンクタウンへは観光かしら?」
「そんなところだね」
「お嬢さんもこんばんは」
「・・・・・・」
セイラは飛び切りの笑顔を見せながら、机に俯いているネオンの顔を覗き込んだが、ネオンは反応すらしない。セイラは目をぱちぱちとして、最後ににこっと笑顔を見せて、また背筋を立て直すのだった。
「かるぱっちょ? ぼごれびあんか? みねすと、ろーね?」
「あら、ブリティア料理は初めて? そうね、だったら薄く伸ばした生地に果実で作ったソースを敷いて、その上に色んな野菜を乗せて竈で焼く『ピツァー』はいかがかしら?」
「ここのおやじのピツァーは絶品で、美食家に勧めるならこの店だな」
「ほおー、それは楽しみだな。後は、ネオンが食べられそうな物は・・・・・・」
シドは読んでもどんな料理か分からないメニューに目を落とすが、そもそもそこに書かれている料理を知らないので選べるわけも無かった。道中で食べた物と言えば、野性の果実やキノコや野草、後は保存食にしておいたルーザとの取引で得た何かの肉の燻製くらいだった。ネオンはどれも躊躇なく口に入れていたが、「おいしい」という感想を聞いたことはなかったし、何かそういった反応も見られなかった。シドは自分事の様に悩んで、うんうんと唸り始める。
セイラは顎に指を当てて、目だけ天上を向き、少し考えると何かをひらめいた様だ。
「あなたはどれが食べたい? 他のお客さんのテーブルに気になる料理とかないかな?」
セイラはネオンの肩を持って、他のお客さん達の席の方へ身体を向けた。髪の毛で隠れてはいたが、ネオンの前髪がネオンの視線が動くのに合わせて僅かに揺れていた。そんな様子を見てセイラは嬉しそうに笑っていた。ネオンが家族連れの席に目を向けた時、ネオンよりも5歳ほど幼い女の子が、ポタージュを飲んでいた。器からは白い湯気がまだ微かにたっていて、銀製の先がお椀の様になっている食器で掬うと、頬を大きく膨らませながら一生懸命に息を「ふーふー」と吹きかけていた。ネオンはシドの肘親指と人差し指でつまんで、クイクイと引っ張る。
「ん? ああ、あの女の子が飲んでいるスープが良いのか?」
ネオンは隣に居たシドでなければ見逃してしまうくらい、ほんの小さく頷く。シドは、優しく笑って、セイラに注文を通す。
「あの子が飲んでいるスープもお願いします」
「はい、ピツァーとアメイモのポタジューですね。少々お待ちくださいな」
セイラは持っていたメモに注文した料理名を書くと、シド達の座っていたテーブルの端にあった、筒状の上部が切り取られたオブジェに、書き終わったメモをくるっと丸めて差す。そして、パタパタと小走りで厨房の方へ入っていき、料理を作っているシェフに、先ほど注文した料理を声に出して伝えて、そのまま自分も調理に取り掛かるのだった。
「すごいな、料理を作ること、食べることに関係ないというのに隅々まで掃除が行き渡っていて、おおよそ必要性の感じないオブジェまで置いている」
「いや、あの街の出身とは言え凄い言い方だな。調理にも食事にも直接関係していないことだから、拘っているんだよ」
「どういうことだ?」
ワタナベはにっと口角を上げて、テーブルを指さした。ネオンはまだ、あの女の子を見ている。
「このテーブルは、あの仏頂面のおやじの手作りでな。優しい木の香りがする、多少なりとも値の張る木材を加工して作っている。木目まで拘っているから、どうだいこれは只の丸く切られた木材じゃない。この空間を彩る一つの要素になっている。そう感じないかい?」
「・・・・・・まあ、言わんとしていることが分からないでも無いが」
「お兄さんが『おおよそ必要ない』と言った物全てが、この店の料理を引きたてつつ、ここを訪れるお客に一時の憩いを与えているのさ。だからこの店は、おやじはぶすったれて愛想が無くても、セイラちゃんの笑顔と、この店の雰囲気、そして確かな味で誰からも愛されているのさ」
少しも客の方を見もせずに一心不乱に調理に没頭するシェフ。そのシェフににこにこと話しかけたり、客に話しかけられては一旦手を止めて話を聞くセイラ。使われていない空間には、入れようと思えばまだテーブルを追加することもできるが、手狭な店内だからこそ客一人一人のスペースの確保にまでこだわった手作りの家具と、計算された配置。どんな場所でどんな状況であろうと、食べ物を手に入れれば胃に収めるということだけを繰り返していたシドにとっては、無駄なそれらが無意識に感じている穏やかさに強く影響している気がしてシドは言う。
「正直よく分かんねぇってのが本音だが、この店が誰からも愛されているってのは、疑いようもないよな」
スープを必死で口にする女の子と、皿の端に避けた緑の野菜を食べるように叱る父親と、そんな3人を笑顔で優しく見守る母親。必死で話題を探して、無言の時間をつくらない様にするあまり頼んだ料理が覚めてしまっている青年と、食器を手にして切り分けた肉を何度か口に運ぼうとするも彼の一生懸命な姿に遠慮してしまっている女性。2人で一皿の料理を真ん中にして、取り分け皿に少しずつ移して無言で食事を楽しんでいる老夫婦。どのテーブルからも、穏やかな空気と鼻をくすぐる料理の香りが漂っていた。
「そういえば、世界樹の上に建っているあの馬鹿デカい城なんだが」
「ああ、鎖城伯だな」
「さじょうはく?」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。
salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。
6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。
*なろう・pixivにも掲載しています。
〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。
了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。
テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。
それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。
やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには?
100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。
200話で完結しました。
今回はあとがきは無しです。
婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな
カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界
魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた
「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね?
それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」
小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く
塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう
一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが……
◇◇◇
親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります
(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
性欲排泄欲処理系メイド 〜三大欲求、全部満たします〜
mm
ファンタジー
私はメイドのさおり。今日からある男性のメイドをすることになったんだけど…業務内容は「全般のお世話」。トイレもお風呂も、性欲も!?
※スカトロ表現多数あり
※作者が描きたいことを書いてるだけなので同じような内容が続くことがあります
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる