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1話:森の都の外套技師

天上騎士長の左腕

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「理由は簡単だよ。私は、こうして公務の無い時間を縫って色々な土地を訪れるのが好きでね。ああ、いや、それでは少し語弊を含むな」
「えっと?」
「私はね、その土地土地の空気、人々の営み、そういった人が生み出す世界に触れるのが好きなのだ」

 騎士団の制服を風にはためかせるイセリアを、通り過ぎる人は萎縮しながら横目に眺めていた。そんな人々の視線は理解できているであろうが、イセリアはその視界に写る人々を慈しむ様に見つめている。

「そうだ丁度いい。君に聞きたいことが2つあるんだ。時間をもらっても良いかな?」

 騎士団の最高位の人物の言葉に逆らう権限など誰にもない。それでも、言葉としてしっかりと意識を交わし合うのが、イセリアのモットーのようだった。シエナは緊張で、つばを飲み込んで頷いて見せた。イセリアは朗らかに微笑んで口を開く。

「君と行動を共にしていたブレイグルの少年と少女の遺体について、もう一度聞かせてもらえるか?」
「・・・・・・はい。先ほど詰め所で報告したことの復唱となりますが」
「ああ、すまない。よろしく頼む」

 シエナは頭から離れないニケルとミアの最期の瞬間を思い出しながら、イセリアにその後のこと、遺体がいつの間にか消えていたことを改めて説明した。イセリアは決して途中で口を挟んだりはせず、じっとシエナの目を見つめて聞いていた。

「なるほど、状況は把握した」
「あの、イセリア様こんなことって良くあることなのでしょうか?ニケルとミアは・・・・・・」
「状況証拠しか無いが、2人が殺害されたのは事実だろう。そして、2人のーーは・・・・・・」

 イセリアが、語尾を濁す様にしたことをシエナははっきりと感じ取っていた。目の前にいる人物は、大切な家族の行方を知っているのかもしれない、それなのに問いただすことなどできるわけもなく、シエナは唇を嚙みしめるように口を噤むのだった。

「では、2つ目の質問は君と共にこの地に入った2人組についてだ。何か不自然な様子や、気になることはなかったか?」

 その話題に変わった途端に、イセリアの纏っていた空気が張り詰める。眼光は厳しく鋭くなり、空気そのものが落下してきているのではないかと錯覚するほどの威圧感に身体ごと押しつぶされそうになる。シエナは両手で強く胸の辺りをぎゅっと握り、やっとの思いでイセリアから目を逸らさないようにしていた。

「どうした、忌憚のない意見を聞かせてくれたまえ」

 シエナはネオンを見た瞬間に感じた感覚を思い出していた。そして、つい先日から騎士団に下された密命の一つのことも。おそらく、その密命が標的としている人物というのがシドとネオンであることも、どこかで分かってしまっていたのだ。

 ここでシエナが二人のことを報告してしまえば、2人はこのリンクタウンで確実に騎士団に捕らえられてしまう。ほんの1時間ほどの付き合いだったが、シエナは見知らぬ子どもに力を貸してくれたシドのことも、どこか表現することができない雰囲気を宿しながらも、妹の様に可愛いネオンのことも好きになっていた。シエナはどうしても言葉が出なかった。

 イセリアはそんなシエナの身体に出ている反応をつぶさに観察していた。自分の圧によって萎縮していることも、何か事情があって話すことが出来ないことも、真実にしろ虚偽にしろ発した言葉によって大切なものを裏切ってしまう罪悪感に苛まれていることも、察していた。

 シエナは握りしめていた拳をゆっくりと開き、イセリアを真っすぐに見つめる。

「とても優しい男性と、可愛らしい女の子でした。まるで、兄妹の様な、親子の様な不思議な、でも温かな関係性の2人でした」

 シエナは口を噤むことを選択した。その顔にはもう、先ほどまでシエナの胸に渦巻いていた不安や焦燥、罪悪感という負の感情は見て取れなくなっていた。互いに視線を切らさないまま、数秒が立ち、イセリアの発していた威圧感が消える。

「そうか。良い出会いに巡り合えたのだな。さて、少し冷えてきたので私は宿に戻ろうと思う。今日はゆっくり休みなさい」
「あ、は、はい!」

 シエナはびしっと敬礼をしながら、その背中が小さくなっていくのを見送った。

「お嬢様、良かったのですか?」
「なんのことだ、セバスチャン?」

 シエナの視界の先で、人混みの中にイセリアの背中が消えた瞬間、騒ぎを起こした男を連れて森に入っていったセバスチャンが、いつの間にかイセリアの後ろについて歩いていた。

「あのブレイグル、確実に『黒涙』とその契約者について知っていましたよ」
「ああ、そうだな」
「では、どうして!?」

 珍しくセバスチャンの語気が強くなる。それでもイセリアの様子は変わらない。

「どうしてだと?大切な部下の弔いに助力し、大切な部下とここまで行動をしてくれた恩人。その恩人について無粋にも詮索し、あまつさえ捕えることなど出来るわけが無いだろう」
「お、おおお、お嬢様ああああ」

 イセリアの慈愛に満ちた配慮に、行動にセバスチャンは感動で涙腺が崩壊した。両手を頬に当てて、歓喜の号哭を響かせる度に涙が目の両端からあふれ出す。良い大人、しかも男が人前で声を張り上げて泣く様に、辺りを通っていた人々の足が止まる。刺すような視線が集まっても、多幸感に包まれたセバスチャンは天を仰ぎ見ながら叫び、涙を流し続ける。目撃者からしたら不安にさえなる、異常な状況は、体感では果てしなく長かったが、時間にすればなんてことはない20秒ほどだった。

「ーーああ、昇った」

 「どこにだよ」という通行人たちの心の疑問は、感情の元栓を閉められたかのように瞬間的に泣き止み、正気を取り戻した男に届くことは無かった。セバスチャンは胸ポケットから、角に小さなバラの刺繍がほどこされた真っ白なハンカチを取り出して、自分の涙と鼻水と涎でべちょべちょになっている顔を拭いた。

「ところで、セバスチャンあの男はどうしたんだ?」

 イセリアの問いにセバスチャンは今度は醜く顔を歪めて笑う。

「全くもって実力も努力も足りておりませんでしたが、筋は良かったので森の中で心が折れるまで叩きのめして、関所の門番見習いの通う道場に放り込んでおきましたよ」
「ぷっ、くくく。お前は性根が腐りきって、ねじ曲がってはいるが、私と近しい考えをする時があるから面白いよ」

「おやおや、お褒めに預かり光栄至極でございます」
「さすがは、私の右腕だ」

 それはイセリアがセバスチャンを称える時の最高の誉め言葉だったが、その言葉を聞いたセバスチャンは否定する様に切り返すのだった。

「私如きがイセリア様の右腕などと烏滸がましい。
私はあくまでーーにございます」


 
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