上 下
10 / 46
prologue:積まれた書籍とタバコケース

災難

しおりを挟む
「アニキ?」
「お前はちょっと離れてろ・・・・・・俺がやる」

 そう言うと、まるで子どもが広場で見つけた小さな虫を親に見せるかのように、ただ口が淋しくなったからタバコを取り出すかのように、躊躇いなど一切なく、手下の手から抜き取った拳銃の銃口を少女に向けた。男が躊躇わないこと、これから起こる未来はもう誰にも変えることができないこと、この男が人間を処分することが初めてではないこと、全てをそのたった一つの動作だけでまざまざと見せつけられる。これ以上は見ることも憚られ、シドが身を引こうとした瞬間。ふいに、地面にうなだれていた少女がまた顔を上げ、シドと再び目が合った。

 すると、シドの脳内にある記憶が突然にフラッシュバックした。それが何時で、何処だったかも分からないが、真っ白な空間、自分の手が前方に向けて必死で伸びきり、その先では二人の人物が涙を流し必死で叫びながら、自分に向かって手を伸ばす少女を抱え上げる様にして連れ去ろうとしているかのような光景。

「・・・・・・スアロ?」

 目の前にいる少女が別人物であることはあきらかだったが、愛しいその少女の名前が、自然と零れ出ていた。

「アニキ、今声が」
「誰だ!!」

 後方からの声に男2人は一斉に振り返る。少女に向けられていた銃口がそのまま、シドが潜んでいた壁に向けて向け直された。シドは声を漏らしてしまった瞬間に、すぐに駆けだしていた。しかし、相手は銃を所持しており、仮にこの場から逃げ切ることができたとしても、この現場を見て、2人の会話を聞いていたシドを易々と見逃すはずもない。ゴミ溜めの隅々まで調べ上げ、例え遠くへ逃げようとも何処までも追いかけられることは避けられない。

「逃がすなヤコフ!オレもコイツを連れて後を追う」

 シドは背中越しに、怒号のような声を聞いた。もう自分の未来に破滅しか待っていないと分かっていても、命を狙われれば必死で逃亡を図る以外にない。シドは泥に足を取られながらも必死で走る。ここまで来た道とは逆方向に走っていたのは、あの温かな光が強かった場所を無意識に目指したからでもあり、あるモノがその先に見えることを確認していたからでもあった。そこにさえ辿り着ければあるいは助かるかもしれないという打算だけが、もつれる足を必死で動かし続ける。

 少しでも速くしたい一心で強く地面を踏もうとするが、ぬかるみの強いこの場所では逆効果でしかなく、泥を跳ね上げながら何度も態勢を崩した。転んで足が止まってしまえば簡単に銃弾の的になる。前のめりに倒れ込みながらも必死で腕を着いて、無理矢理に体勢を整える。跳ねた泥が顔を汚し、大きな口を開けて必死で呼吸をして口の中に入ろうとも、地面に着いた手がべっとりと泥にまみれても、今はただ必死でその先を目指すしかなかった。

 しかし、それだけ動揺していれば普通の道であっても転倒していたかもしれず、早く走るには悪条件でしかないこの場所ではそれほど進むことも出来ずに、倒れ込んだのは無理もないことだった。

「観念するでやんす」

 背の高い男にヤコフと呼ばれていた男の声が、すぐ近くではっきりとシドに向かって発せられた。あまりにも短すぎる情けない逃走劇、泥に塗れながら地面に這いつくばり肩で息をしていた。ヤコフは反対の胸元から、あの命を散らす為だけに造られた鉄塊を取り出した。その手は、わずかに揺れていた。振り返ることなどできないシドだったが、その様子を見てしまっていただけにヤコフが何かを取り出した気配から、銃口が向けられていることを悟る。

「ゆっくり体を起こして両手を挙げるでやんす」

 そう促されてシドはゆっくりと体を起こしていく。お互いの浅い呼吸の中に、泥から手を離した滑稽な音が吸い込まれていった。もう助かる術は無いと理解していたためかシドの心臓はほとんど平常なリズムで脈を刻んでいた。逃走は不可能。命乞いも通じることはないだろう。特に人生に、この世界に未練などは無かったがたった二つだけの心残りが胸の奥でチクチクと棘を伸ばす。

 少女を見た時にフラッシュバックしたの鍵はルーザの手にある。これまでも数回その記憶が頭によぎったことがあり、無意識に零れ出た名前をシドは記憶に留めることが叶わなかった。連れ去られていく少女は自分の妹であると、根拠はない中で確証していた。妹を見つけ出すことだけがシドをこのゴミ溜めでも生かしてきたし、様々な見識を深めたのも妹を探す助けになると助言を受けてのことだった。その中でも医学に傾倒していたのは、妹を守ることができなかった自責の念が強く影響していたのかもしれない。

「おい、さっさと歩け」

 シドの耳に遠くで聞こえていた二つの足音が段々と大きくなって止まり、同時に何か大きな塊が地面に放り出される音が響く。背の高い男が少女を乱暴に引っ張りながら追い付いて、少女を地面に放り投げる様に突き出した音だった。少女が勢いよく泥に飛び込んだことで、跳ねた泥がヤコフのスーツのズボンに大きな染みをつける。

「お兄さん災難だったな。たまたま立ち寄ったオレらと同じタイミングでこんな所に来ちまったこと。これの処分の可能性も考えてヤコフが銃を2丁持っていたこと。いや、そもそもこんなゴミ溜めでしか生きることができなかった人生そのもの、つまるとこあんたの全て災難としか言えないね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。

salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。 6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。 *なろう・pixivにも掲載しています。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

愛する誰かがいるんなら私なんて捨てればいいじゃん

ヘロディア
恋愛
最近の恋人の様子がおかしいと思っている主人公。 ある日、和やかな食事の時間にいきなり切り込んでみることにする…

処理中です...