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夜の女王 カサンドラ④

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 小屋に戻ると、小さな男の子が戸口に座り込んでいた。屋敷に子供はいないはず。質素な身なりで汚れていた。迷ったのだろうか。エリシアが声をかけると、その子は顔を上げた。顔も汚れていた。
「どうしたの?迷ったのかしら」
 男の子は小さく何かを答えた。その言葉はついこの間まで戦争していた敵国の物だった。エリシアは子供に目線を合わせるようにしゃがんだ。
『どうしたの?迷ったの?』
 敵国の言葉で話しかける。男の子は一瞬、目を見開いて、頷いた。そしてボロボロ泣き出した。エリシアは咄嗟に抱きしめた。背中を撫でる。男の子はぎゅっとエリシアの服を掴んで嗚咽した。
「エリシア様、その子は」
 ハンナが話しかける。屋敷から野菜を貰ってきて戻ってきた所だった。エリシアが説明しようとする前にハンナが言った。
「孤児だそうです。他にも何人か。マティアス様が連れて来られたみたいです」
「じゃあこの子も」
「はぐれたのか…逃げ出したのか。とにかくお屋敷に連れて行かないと」
「私も行きます」

 三人で屋敷へ。男の子はエリシアの手を握り続けていた。マティアスは外出しているらしく家令が代わりに状況を説明した。話を聞くと、里親を探して引き取ってもらうのだという。本来なら協会で預かって貰うのだが、数が多く、一時的に屋敷で預かるのだと言った。
「私…向こうの国の言葉喋れます。何かお役に立てるかも」
 家令は渋った。そうだろうと思った。エリシアは強く言わず、男の子を預けようとするがどうしても手を離さない。
 男の子はエリシアに助けを求めるように必死に抱きついている。お母さん、と言った。エリシアも離れがたくなり、取り敢えず小屋に戻った。ハンナは始終不安そうにしていた。マティアスが戻ってきたらどうなるか分からないからだろう。エリシアはそれまではと、出来る限りの事をしようと思った。
 身体を洗って、服を着替える。髪を整えて、身なりを整える。金髪に青い瞳。愛らしい顔をしていた。名前を聞くが、覚えていないらい。答えてくれなかった。ハンナが作った食事を用意する。ボロボロと零すのでエリシアは自らスプーンを口に運んで食べさせた。
 夜になると、家令自らが小屋にやって来た。後ろには何人か召使いが控えている。エリシアは全てを察して静かに招き入れた。声を落として言った。
「今、眠ってるんです。そっとお願いします」
 男の子はベットで眠っていた。召使いがそっと抱き上げる。余程深く眠っているらしい。全く起きなかった。
 エリシアはその子に何かしてあげたくて、小さな人形を握らせた。昔、母に作ってもらった女の子の人形。頬にキスをして見送った。
 

 しばらくは平穏に暮らした。マティアスは相変わらず贈り物をしてくるがエリシアはステージで突き返すのを止めて、マスターからそっと返すようにしてもらっていた。
 カサンドラは東方の踊りを主に踊ったが、このマクナイト領では男女ペアになって踊るダンスが主流だった。試しにリュート使いのニールと踊ってみる。すると客からはブーイングが。俺と踊れ!と叫んでいた。エリシアとしてなら暴動のような騒ぎに怖気づいていただろうが、カサンドラとしてならこれくらいでは動じない。カサンドラはステージから降りて騒いでいた男の手を取った。男は突然の事に狼狽する。カサンドラは意に介さずステージにあげると、男の手を取って踊りだした。踊りに慣れない男はヨタヨタと足をもつれさせ、盛大にステージ上に転ぶ。しん、と静まり返ったのは一瞬で、後はどっと男を笑う周囲の声がこだました。
 カサンドラは邪魔だとでも言うように足を払う。気の利くニールが男をステージから下ろした。その間に次の男を値踏みして、指を指す。ご指名を受けた男は周囲に囃し立てられ立ち上がった。手を取る。カサンドラの踊りについてこれずまた転ぶ。男たちが笑い出す。それを繰り返した。
 何人目かの男を転ばせたところでカサンドラはご指名を止めて引き上げた。さすがに体力が持たない。バックヤードに入るなりエリシアは座り込んでいた。荒い呼吸に汗がどっと吹き出る。ハンナが顔を拭いて水を持ってきてくれた。一気に飲み干して、エリシアは深く息をついた。
「…あー…疲れたわ」
「大丈夫ですか?。まだお水いりますか?」
「大丈夫、ありがとう」
「よくあんな余興思いつきましたね」
「咄嗟だったから…お客さん怒らせてしまったわ」
「とんでもない。お祭り騒ぎでしたよ」
 ハンナは甲斐甲斐しく世話を焼く。エリシアはされるがまま。服を着替え、化粧を落とし髪を布で隠してしまえば、すっかりカサンドラはいなくなって、ただの町娘となる。エリシアはホッとした。
 さっきまでの威勢はどこへやら。すっかり臆病になったエリシアは今日の反応が知りたくて、オリビアに訪ねに行った。店側で給仕をしている彼女が帰ってくるのを待っていると、先にニールがリュート演奏を終えて戻ってきた。
「や、カサンドラ、今日は物凄く面白かったな」
「そ、そうでしょうか」
「なんでだ。盛り上がってたじゃないか」
「お客さんを怒らせてないか心配で…」
「そんなみみっちいこと気にするような奴はここには来ないさ。次は俺も転ばされるかな」
「そんなこと、出来ません」
 ニールは弦を軽く撫でた後、フッと笑ってみせた。
「君は二面性があるな。ステージ上での君と、今の君とはとても同じ人とは思えない」
「…自分でも不思議なんですけど、そうなるみたいです」
「役者向きだな。今度演劇でも出たらどう?」
 エリシアは首を横に振った。本心から自信が無かった。
 ハンナが厨から顔を見せた。食事が出来たらしい。エリシアの視線を受けて、ニールもハンナを見る。
「今から飯なら、少し話さないか。ハンナも一緒に」
「え?」
「俺も腹減った。偶にはいいだろ?」

 三人での食事。ニールはエリシアをまじまじと見た。
「な、なんでしょうか」
「いや、お上品に食べるなと思ってな。もしかしてお貴族様か?」
「…ハンナに、教えてもらいました…」
「ニールさん、わたし達のことは詮索しないようにとマスターから言われてますでしょ?」
「ただの感想だろ。いいよ。言わなくて」
 あのな、とニールは切り出した。
「秋に収穫祭が行われるんだ。火を焚いて、深夜から朝まで踊り明かす。大層な賑わいになる」
「春のとは違うんですか?」
「秋の方が盛大だ。広場に舞台を作って、色んな奴らが芸を披露する。俺は毎年このリュートを引いてるんだが」
 エリシアはその舞台に一緒に出てくれと誘われるのだと思った。しかしニールは少し首を傾げて目線を逸らしながら言った。
「…ウケが悪くてな。今年はもっぱら客として楽しもうかと思うんだ」
「はぁ…そうですか…」
「だから一緒に行かないか?収穫祭」
 ニールが気恥ずかしそうに目線を合わせる。エリシアは一瞬意味が分からず、それがデートの誘いであると気づいて、固まった。それからハンナに助けを求めた。ハンナは若い人を見守る仲人のような生ぬるい目で、何も助言してくれなかった。エリシアはすっかり困ってしまった。
「……あ、あの…」
「直ぐに決めなくていい。まだ一ヶ月もあるんだし。ただ、一緒に来てくれると嬉しい」
「お嬢さま、男性に恥をかかせてはなりませんよ」
「は、ハンナ…」
「ハンナも一緒に」
 とニール。ハンナは、ほほほ、と笑った。
「御冗談を。馬に蹴られて死にたくありません」
 人の恋路を邪魔する奴はなんとやら。エリシアは顔を赤らめた。

 帰り道。エリシアはハンナの腕を揺さぶった。
「ハンナ!何であんなこと言ったの!?」
「何を?」
「男性に恥をかかせてはいけないとか…馬に、とか…。ハンナ、まるで、ニールさんと」
「ニールさんとお付き合いなさってほしいと思っていますよ」
 ハンナは平然と言った。エリシアは青ざめて駄目よ、と返した。
「わたし…色んな事情があるもの…」
「お嬢さま、真面目に考えないでくださいまし。ただのお誘いですよ。お嬢さまはまだお若いのに、あんな小屋に追いやられて、夜こそは輝いてますが、このまま何も楽しいことをせずに一生を終えてしまいそうで、不憫なんですよ」
「今の生活で、十分楽しいわ。命の危険が無かったら、このままでいいと思うもの」
「普通の町娘でも何でもない日に着飾って街を歩きます。お嬢さまは顔を見られないように、こんな暑い日でも布を被って日陰者のように過ごしておられる。私は少しでも…」
 と言いかけて、ハンナは視線を逸らした。
「申し訳ありません。出過ぎた真似を」
「私のために尽くしてくれてありがたいわ。アンナを失ったのに私を見捨てずに助けてくれて感謝してます」
「勿体ないお言葉です」
「聞いて。だからもう、ハンナだけでいいの」
 ハンナはボンヤリとエリシアを見つめた。夏のぬるい風が吹き抜ける。月光が降り注いだ。
「ハンナだけでいい」
 もう一度言う。念を押して、自分に言い聞かせているようにも見えた。

 男転がしは大反響をいただいた。カサンドラは壇上に上がってくる男一人一人を律儀に相手にしては、どの男もついてこれず転んでいった。細身の女性が男を手玉に取っていく。痛快だった。
 マティアスはその男たちの中には入らなかった。来ない日もあったから、飽きてきたのか諦めてくれたのか、執務が忙しいのか、ともかく来てくれない方が良かった。

 ニールには断りを入れた。もしカサンドラだとバレたら大変な騒ぎとなるに違いない。何よりエリシアが嫌だった。ニールは気にした風でも無く分かった、とそれだけを言ってくれた。気軽そうに言ってくれて、エリシアの心持ちも軽くなった。良い人だと、本当にそう思う。だから余計、距離を置くようにした。
 
 カサンドラは今日も踊る。東方の衣装を纏い、散りばめられた宝石が舞う度に明かりに照らされ煌めいた。ブレスレットの鈴がシャンとリズムよく鳴る。目元しか見せない女王の、紫の瞳。実に蠱惑的な魅力でもって観客を魅了した。

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