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しおりを挟むルイーズは今日も代筆に勤しんでいた。顔馴染みとなった情報屋からこっそり特ダネを受け取ると、密かにシャツの下に隠した。
影が落ちる。次の客かとルイーズは顔を上げた。
「おい」
高圧的な声は、この間の貴族軍人だった。この前とは違い服装は平民のそれだったが、貴族的な雰囲気は何一つ隠しきれていなかった。
今日は従者はいないらしい。一人でこんなところまでよく来たものだ。
「旦那さま、この前はどうも」
「ショーデ侯爵には、」
「え?」
ルイーズは反応してしまってから慌てて無表情を装った。急になんでうちの名前が出てきたのか。青年はルイーズを冷たく見下ろしている。じっと見られて落ち着かない。
「…一人娘がいるらしいな」
「え、ええ。そうみたいですね」
「目に入れても痛くないほど溺愛していたとか」
そうだったかもしれない。あんな裏切りが無ければ、今もルイーズはそう断言できたのに。
「旦那さん、それが何か?」
「レイフ王太子の婚約者は、リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢に決まったそうだ」
シャルロットに?それもそうか。自分が逃げたのならもう一つの侯爵家に行くのは必然。彼女は王太子を慕っていたし、今頃は喜んでいることだろう。王太子も、まさか彼女に無体はしないだろうと思いたいが、男児を産まなかったらどうなるか。でもそこまでルイーズは気にしていられないし、未来は誰にも分からない。どうしようもない憂いを抱えても仕方ない。
「本命はショーデ侯爵家のルイーズだったが、彼女は王太子の性癖を知って逃げ出したそうだ」
「せいへき?」
「相手の首を締めながら事に及ぶそうだ」
まさか。でも、と思うのは、かつてルイーズに見せた冷たい顔だった。産んだ子が男児でなければ殺すとも言われた。王太子の残虐さを、既にルイーズは垣間見ていた。
「なぜ、そんなことを私に?」
ルイーズの問いかけは無視される。青年は前の席にようやく座った。前も思ったが見目麗しい金髪碧眼。その顔に、どこか既視感を覚える。
「代筆業とは、いいところに目をつけたな。金を稼ぐには困らないし、貴族の目に留まることもない。まさか侯爵家のご令嬢が、髪を切り男装しているなど、誰も思わないだろう」
青年は全てを知っている体で言い切る。この者が何者なのか。ルイーズは早急に知る必要があった。王太子の手の者ではないような気がする。父の手の者か、全く別の者か。
逃げ出したとしても、逃げ切れないのは分かりきっている。
膠着状態となったのを破ったのは、青年だった。
「私はエルデリ王国の第二王子レインだ」
既視感の正体を知る。彼の名乗りをルイーズはすんなり受け止めた。もちろん驚きもある。驚きが次々と起こりすぎて、なんだか逆に冷静になってしまった。
「お前の名は?」
「…………」
「取って食いやしない。怖がるな」
「ここではロニーです。殿下」
第二王子は小さく頷いた。
「先日の代筆は、兄上宛てだった。見覚えのある字を見た兄上が物凄い剣幕で俺に詰め寄ってきてな。あしらうのに苦労した」
言われなかったから宛て名を書かなかったが、食事会の断りの手紙が王太子宛てだったとは。恐ろしい偶然があるものだ。
「お前のことは国外に行くと言っておいた。しばらくもつだろう」
「助けていただいたと思ってよろしいので?」
「ショーデ侯爵には恩がある」
ルイーズは目を見開いた。彼もノックス編集長と同じことを言うなんて思いもしなかった。
「ここにいるのを父親は知らないようだな」
「父は…王太子殿下との結婚に賛成でしたから」
「侯爵も兄上の悪癖を知っていた。賛成したのは、何か裏があるからだ」
「…随分、父を買っているのですね。まさか父と貴方様の間に交流があるとは思いませんでした」
エルデリ王国の第二王子は側妃の子で、王妃と王太子だけでなく、国王からも冷遇されていた。王位継承権を保有しているのは、この国に跡継ぎが二人しかいないからだ。
愚鈍という噂の第二王子。こうして相対して、奇抜な行動はさておいて、とてもそうは見えなかった。
「冷遇されている王子と交流があると知れれば、侯爵も無事ではいられない。侯爵は密かに私を援助してくれた」
「父は、でも…」
「私でさえも侯爵の人となりを把握している。おかしいと思わなかったか?今までの父親の行動に違和感を覚えなかったか?」
そう言われても…。身近にいたからこそ、ルイーズは父の心無い言葉に打ちのめされた。王妃を輩出することは、我が家の悲願だとハッキリ言われた。あれが、嘘だったとは、ルイーズは到底思えなかった。
「にしてもお前も勇敢だな。髪を切るなど」
重い空気を変えようとしてか、レイン殿下が言う。ルイーズは曖昧に笑った。
「生きるためには手段を選んでいられませんから」
「そう。生きるためには、味方の死体を盾にするのも厭わない」
戦場での話だろう。散々な遠征に、王は大変憤慨しているとか。新聞でも王の意向に沿った批判的な記事が載っていた。
レイン殿下も恐らくはその批判が耳に入っているだろう。なのに全く暗い気持ちを見せていない。それどころか強い眼でもって、ルイーズを見据えている。
「兄上は冷酷だ。頭もキレる。兄のあらゆる陰謀に巻き込まれ、日々いつ殺されるか分からない恐怖の中で育ったが、幸いに人には恵まれた。ショーデ侯爵もその一人だ。生かされた私には、助けられた恩に報いる使命がある」
だから、と殿下は言う。
「お前のことは、ショーデ侯爵に伝える。一度会って、話をするといい」
殿下は銅貨を置く。貴族らしくゆっくりと立ち上がって、腕を組む。
「この間の飯代だ。腹が減ってたんでな。すまなかった」
言い様、背を向ける。何事もなかったのように去っていった。
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