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密談

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 密やかに雄弁に囁き合う声。とある夜会で、人々は噂話に花を咲かせた。
「ねぇ、今年の聖誕祭にも陛下は顔をお見せにならないのかしら」
「今年はダンフォース皇太子殿下がご出席なさるそうよ。杯の交換も自ら行うとか」
「まだ子供でしょう?あんなに大きな杯を持ち上げるなんて出来るのかしら」
「今年十一になられたとか」
「相変わらず陛下の弟君も姿を見せないし、秘せられた一家ね」
「こら、不敬よ。陛下と弟君は腹違いの兄弟だもの。冷遇されて当然よ」
「私が聞いた話では、その弟君が陛下を幽閉して、政務をされているそうよ」
「まさか」
「とっくの昔に亡くなられているとも」
 し、と誰かがたしなめる。一瞬、静かになってから、またひそひそ声が始まる。
「皇太子様がご出席なさるなら、式もそれなりのものになるでしょうね」
「例年は王妃様が代わりを務められていたから、お披露目の意味もあるでしょうね」
「いよいよご譲位…?」
「口が過ぎるわよ」
「声が大きくてよ」
「なら別の話題にしましょう。クロー公爵家の、ほら、どこぞの男爵の三男と駆け落ちした」
「もう半年以上も前の話でなくて?」
「あの時も随分大きな騒ぎになりましたけれど」
「それがね、見つかったのよ」
 どめよきが一気に広がる。格好のゴシップに人々は耳をそばだてた。
「どこで?いつ?」
「つい先日、植物園あるでしょう?水晶宮殿、あそこにいたらしいわ」
「まぁ大胆」
「灯台下暗しね」
「ローズさん、とてもお綺麗な方だったのに勿体無い。私の聞いた話では、さる大公爵の方から求婚されていたとか」
「私が聞いた所では、王族の方だと聞いていたわ」
「お相手の方、どんな方だったのかしら」
「それがね、とっても背が高くて、お顔立ちが良い方だったそうよ。ローズさんを気遣って、お優しそうな方だったとか」
「やけに詳しく知ってらっしゃるのね」
「実際に話をしたお方から聞いたの。誰とは言えませんけど」
「私たちに話題を提供してくださるなんて、奇特な方」
 一人が扇子で口を隠しながら、隣に耳打ちする。
「いくら見た目が良くても、ねぇ?」
「そうね、そんなに気に入ったのなら愛人にでもすればよかったのに」
「爵位も継げない下っ端の下っ端に貞操を捧げるなんておぞましい」
 隣の部屋からピアノの演奏が始まる。話をしていた淑女たちは、おもむろに立ち上がりながら、そちらへ向かった。
「ぜひお会いしたいものだわ。そのお方」
 くすくす笑いながら扇子を仰ぐ。人の居なくなったソファには、誰かのハンカチが無造作に置かれていた。

 
 ローズは刺繍をしていた。日当たりの良い窓辺に椅子を移動させて、ゆっくりと進めていた。シルク生地に白の糸を重ねれば、多少歪でも品の良い仕上がりとなる。隅だけに花をあしらおうと、下絵とにらめっこしながら、針を通す。
 アルバートにプレゼントするつもりだった。少しでも喜んでもらおうと、こっそり縫っているから、なかなか進まない。ローズはこの秘密の時間が、悪いことをしているようでなんだか楽しかった。
 ふと手を止めて外を眺める。くすんだ冬らしい空。そろそろ聖誕祭が始まる。それが終わったら年を越す。怒涛の一年だった。悲しみも喜びもすべて味わって、今、ここでこうして、愛する人の為に贈り物を密かに仕立てて、心は穏やかだった。
 こういうのを幸せというのだろう。ローズは手元に目を落として、縫い物を再開した。

 お屋敷を貸してくれた人は、とても優しい人らしい。花園を見てもいいと言ってくれた。冬薔薇がよく咲いていた。顔を近づけて匂いを嗅ぐ。薔薇の香りが、冷たい冬でも安らぎをくれる。顔を上げると、アルバートが手を取った。
「寒くないか」
 ローズは苦笑した。彼は部屋を出る前から何度も同じ質問を繰り返した。ローズは大丈夫と答えた。二人の白い息が重なる。ローズは目を閉じた。
 しばらくの沈黙の後、アルバートはローズの耳を引っ張った。
「耳が赤い。耳当てを持ってくればよかった」
「アルバート様、お花、見てください」
「見てる。これはナエマ、あれはアイスバーグ」
 指をさして名前を言う。どれも冬に咲く品種としてはよく知られた名だった。冬であれば害虫の被害を受けず、いつまでも美しく咲いてくれる。いつの時期でも美しく花だが、冬の薔薇がローズは一番好きだった。
 ここの花園は細長く、一番奥に東屋あずまやがあった。二人で座って入り口へ顔を向けると、一枚の絵画のように花で溢れた庭を一望できた。
 向かいに座るアルバートは静かにその様を眺めている、風が吹くと、ローズを見やってからまた視線を戻した。
「アルバート様、だいぶ前に、私に名前を書かせましたね。あれは、てっきり婚姻証明書だと思っていたのですが…」
「そうだ」
 アルバートは静かに答えた。
「出来れば、そうしたい」とも言った。
「私は四枚の書類に記名しました。二枚はそれだとして、残りは何だったのですか」
「結婚失効書だ」
 間髪入れず答えてから、アルバートは説明した。
「あの時は、モーリスとの婚姻証明書が無効な物だと知らなかった。だから、失効書を作成して、離婚させようと思っていた」
「…私が言うのもなんですが…とてもややこしいことでは?私で無くともよかったのでは?」
「買ったのがローズだった」
 それは、冷たい言葉だったかもしれない。だがローズには、それが誠意に聞こえた。
「あの売人の家で、ローズを見かけた。佇まいから直ぐに貴族の娘だと気づいた。もう買い手がついていると言われたが、なんだか目が離せなくてな。今思えば、一目惚れだったのかもしれない。あまり良い話ではないが」
「いいえ。アルバート様は、お優しかった」
「どうかな」アルバートは苦笑した。「貴女に冷たくした」
 ローズは首を横に振った。ローズにとっては、アルバートがいなければ今日まで生きていられなかった。命の恩人以上の、恩を感じていた。
「アルバート様がそのつもりであったのに安心しました。アルバート様のお考えに従います」
「…すまない」
「いいえ。幸せでございます」
 偽りの無い言葉を告げる。彼に伝わっただろうか。アルバートが手を重ねる。その繋がりを、ローズは噛み締めた。


 
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