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子供
しおりを挟む杖をつく。ミアの付き添いを断って、庭に出る。ローズが日課のように庭を訪れるようになって、花はますます咲き誇り見頃を迎えていた。
庭には、ローズが休みやすいようにベンチが所々置かれるようになった。その一つに腰掛ける。生温い風が吹いていた。昨日雨が降ったから、湿気を帯びていた。
花の上に蝶が舞う。ローズの足元にも黄色い蝶が飛び抜けていった。
昼下がりの長閑な陽射し。ウトウトしてくる。ローズは早めに切り上げて杖を持った。
穏やかな日々が続いていた。男とは、昼間に会うこともあったが、会わない時の方が多かった。夜になると必ず訪れには来たが、共に寝るだけで、それ以上のことはなかった。朝目覚めるといつもいなかった。
珍しく昼間に男がやって来た。ローズは礼を取った。男は手を振って座るように言った。
「ガキが来る」
聞き慣れない言葉に首をひねる。男は咳払いをした。
「子供だ。兄の子でな。今年、十歳になる。一週間だけだが、ここに滞在する」
「私、ここにいないほうが」
「子供は嫌いだ。変わりに相手しろ」
ローズは少し考えた。兄の子なら正統な貴族の後継者だろう。であれば、自分のようなものと引き合わせるのは外聞が悪いのではないだろうか。
「私は卑しい身分です。お相手出来ません」
「そんな堅苦しいもんじゃない。それにお前は公爵令嬢だろう」
「…知っておいででしたか」
男は足を組み直した。
「偶には役に立て」
「恐らくはもう、除籍されております」
「とっくにな。淑女名簿からも削除されているが、礼法までは忘れてないだろ」
子供の相手はしたくないから、代わりに相手しろということらしい。ナニーの経験は無いが、遅くに産まれた弟とはよく遊び相手をした。元気にしているといいが。全てを捨ててきた自分に、心配する資格は無い。ローズは胸を押さえた。
「…ご命令であれば、従います」
ローズの言葉を受けて、男は立ち上がった。ローズも立ち上がる。
「実はもう直ぐ到着する。来い」
「あ…お待ち下さい」
ローズの引き止めに男は怪訝な顔をした。ローズは自分の耳飾りを指でつまんだ。
「宝石を外させてください。子供が怪我をしたら大変ですから」
言いながら取り外す。指環、ネックレスも、全て男が用意した装飾品だ。石の質も非常に良い。相当高価な筈だが、男は惜しげもなくローズに与えていた。
小箱に納め、向き直る。既に長身の男は、扉を開けて待っていたので、早足で向かった。
ローズ達がエントランスに着いたのと、例の子供が到着したのは、ほぼ同時だった。馬車が止まるなり、ドアを開けて走り出して来た少年。一目散に駆け寄って、男に飛びつくように抱きついた。
「アル!会いたかった!」
子供らしい大声で名を呼んだ。アル。男の愛称だろう。
抱きつかれた男は、うっとおしそうな顔を隠しもせず、子供の襟を掴んで引き剥がした。
「この馬鹿者が。侍従がドアを開けるまで待ってろ」
「だって退屈だったんだもの」
「退屈でも待ってろ」
子供は男に実によく似ていた。金髪碧眼。十歳にしては背の高い。だが愛らしい人懐こい顔が、年相応に見せていた。
男は子供の背中を押して、ローズと引き合わせた。子供は不思議そうにローズを見上げた。
「ローズ、甥のダンフォースだ」
ローズは膝を曲げて深々と頭を下げた。ダンフォースと呼ばれた子供は、男にしがみついた。いきなり知らない女を紹介されたのだから、無理もない。
「ダン、挨拶しろ」
「……お姉さん、アルの愛人?」
すかさず男はダンフォースの頭に拳を落とした。
「いたーい!」
「そういうのはな、思ってても言わないのが長生きするコツだ。覚えとけ」
「でもアルは僕に嘘つかないでしょ。愛人なの?もしかして奥さんになる人?」
ダンフォースはめげずに腕を掴んで揺すった。男は追い払うように腕を振った。
「いつまでも子供ぶって。まだ人形ごっこでもしてるのか」
「人形で兵隊ごっこだよ。チェスもするよ。相手してね」
「挨拶したらな。…ローズ、手を出せ」
言われるまま、右手を差し出す。ダンフォースが手を取って、甲にキスした。顔を上げたダンフォースは、ローズに子供らしい笑みを向けた。
「えへへ。ダンフォース・エアハートだよ」
「…ローズです」
「名字は?」
「ありません。ただのローズです」
ダンフォースは少し驚いた顔をして、男へ顔を向けた。
「女性にあれこれ聞くのはマナー違反だ」
男の言いつけにダンフォースは頷いた。それからローズにまた笑みを向けた。
「家が無いんだ。…良いね。自由だ」
何も知らない無邪気な言葉に、ローズは微笑んで頷いてみせた。
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