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終章

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 ベッドに入って待っていると、小さく扉が開いた。こちらの様子を伺ってから、アーネストは扉を全開にした。

「どうしたんですか?」
「寝てるかもしれないからな。寝てるんなら一人で寝ようかと」
「寝ませんってば。へそを曲げてないで早く来てください」

 大体、寝室は一つしか無い。ここしか寝る所が無いのに、何を言っているんだか。
 アーネストは上着を椅子の背に引っ掛けると、ベッドの隅に座った。背を向けて、こちらを見ない。

「アーネスト様?」
「……長旅で疲れたろう。休めたか?」
「馬車に乗っているだけですから特には。早く入ってきてください」
「……………」
「アーネスト?」

 うなだれて、なんだか元気が無さそう。アンは四つん這いになって、後ろから顔を覗き込もうとしたが、そっぽを向かれる。

「どうしたんですか?新薬の開発がうまく行っていないのですか?」
「いや」

 と、声だけは普通の調子で答える。

「まだ物にはなっていないが順調だ。ああいうシロモノは時間がかかるものだ」
「レイモンドに話せないのも分かりますが、もう少しまともな嘘がつけないのですか」
「いつの間にか誤解されてた。仕事だって言っても聞きやしない」

 浮気だと疑われて仕事だと答える。仕事は浮気の言い訳の常套句だが、アーネストはそのことに気づいていない。まぁもう自分が戻ったのだから、レイモンドの誤解も解けるだろう。

 アーネストが今携わっているのは、はやり病スートラを治す治療薬の開発だった。治療薬というよりは『予防薬』と言った方が適切か。予め病原菌を植え付け抗体を作り出すことで、免疫を付ける。病にかかりにくくなり、なったとしても軽症で済む。そんな夢のような薬を、アーネストは秘密裏に進めていた。
 何でもニッヒラビ攻略戦の折に、奇妙な医師と知り合い、その治療薬の構想を聞いたという。最初は眉唾ものだったが、実際に試薬を試して効果が得られた為、その医師に開発を依頼していたという。
 アーネスト自身も既に予防薬を接種済みで、だからメアリーが罹患した時も、伝染らないと豪語していたのだ。

「じゃあ何でベッドに入らないのですか?私、たくさん話したいことがあるんです」
「ああ、あんなに離れていたのは初めてだ」
「でしょう?手紙のやり取りはしてましたけど、やはり会えないというのは寂しいものですね」

 アーネストは黙ってしまった。やっと会えて近くにいるのに、何を遠慮してるのだろうか。聞いても答えてくれないし、アンは仕方なく隣に座った。
 彼が話し出すのを待つ。彼は、こちらも見もしないで器用にアンの手を探し当て握った。熱いくらいに汗ばんでいた。

「実は君の妹から手紙をもらっていてな」
「メアリーから?」
「子を産んだら、引き取ってもらえないかと」

 初耳だった。そんな素振り、少しも見せなかったのに。

「返事したんですか?」
「まだ続きが。それで、メアリーは修道院に入りたいそうだ」
「……私には何も言わなかった」
「言えないだろう。君に許されない事をした。許してもらう為に修道院に入るわけじゃないからな。一人で罪を負い続ける為に、修道女になりたいそうだ」

 罪を償うのではなく、負い続ける為に。許されるつもりなど無く、ただ罪に向き合い続ける為に。

「付き添いの侍女も献金も必要無いそうだ。ただ紹介だけして欲しいと。手紙見るか?」

 首を振って断る。手紙の通りにするのは容易い。けれど──

「母親から子を引き離すなんて真似はしたくないわ。それに、からも」

 庭師の情報を頼りに探してみると、直ぐに見つかった。密かに呼び寄せて、メアリーが静養している別邸の庭の手入れを頼んでいた。そろそろ外出許可も下りて、その庭師と再会している頃だろう。

 庭師の男は朴訥ぼくとつで、一見すると頼りなく見えた。だが心優しい青年だった。きっとメアリーを良い方向へ導いてくれるだろう。

「メアリーはダジュール候爵夫人ですから、皇帝が修道女になるのを許す筈が無いし、希望は通らないでしょう」
「なら断っておく」
「いえ、私から返事しておきます。抜け駆けして貴方へ手紙だなんて。良い気分じゃないもの」

 このうやむやとした中途半端な気持ちは嫉妬、と言えるかもしれない。アンがせっせと手紙を送っている間に、メアリーからも手紙を送っていたなど。しかもこんな寝室でそんな話をしだして。少し過剰かもしれないが、やはり良い気はしなかった。

 なのに、アーネストはまだうなだれている。メアリーの件でそうなっているのかと思ったが、どうやらまだあるらしい。アンは首をかしげた。

「アーネスト?まだなにか?」

 躊躇ためらっていて、何だかもどかしい。アンも痺れを切らして聞いてみたものの、アーネストとは目すら合わない。

「いい加減にしてくださいもう。貴方に会うのをどれだけ心待ちにしていたか」

 わざと先に寝てしまう動作をしてみる。引っかかったアーネストは腕を掴んできた。

「待ってくれ」
「待ちましたよ私は」
「もう少し待ってくれ」
「アーネスト」
「待ってくれ。頼む」

 頼むだなんて。珍しいことを言う。頼まれたら待つしか無い。アンはもう少しだけのつもりで、隣に座り直した。

 少しだけ顔を上げたアーネストは、ちらりとアンを見やって、直ぐに下を向いた。待てと言われたから、何も言わずに待った。

 窓を閉めているのに外の木々の擦れる音が聞こえる。それくらい静寂が続いた。

「──……くれ」
「え?」

 何かを言ったような、気のせいと思ってもおかしくないか細い声。アーネストが小さく呟いた声だった。

「目を、閉じてくれ」
「目?目ですか?」
「目だ」

 と言ったくせにアーネストの方が目を閉じた。その顔は、真っ赤だった。

「わかってくれ……君を見られないんだ」
「…………」
「久しぶりだから…明日には慣れるから」

 恥じらいたっぷりに告白したアーネストに、アンはこの人を可愛いと思った。と同時にこの人を愛して本当に良かったと思った。


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