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三章
16
しおりを挟むメアリーは一人、塔に隔離されていた。元は見張り台だったそうだが、やがて監獄となり使われなくなったという。
使用人の案内を受けて、塔に入る。光の閉ざされた螺旋階段を、手燭を頼りに上がっていく。
「このような所に。陛下の命令ですか?」
「そのようです」
「ダジュール候爵は抗議しなかったの?」
「ダジュール候爵様は既にご領地にお戻りになられました」
慎ましい使用人は必要以上の話をしない。メアリーの世話一切をこの使用人がしているという。
階段を上がりきって、扉の前に立つ。木の質素な扉だった。アンは部屋の中に入った。
ベッドに横たわるメアリーは、アンを見るなり鼻で笑った。だから、アンも笑い返した。
「元気そうね」
「何よその言い方。私がめそめそ泣いてるとでも思ったの」
窓は開けられ、真冬の風が吹き込んでいた。石造りの塔は、冷えきって暖炉も無かった。質素なベッドに粗末なブランケット。まるで囚人の扱いだ。
よく見ればこちらを睨んでくるメアリーは、震えていた。寒さに震えているのか、怒りに震えているのか。両方だろう。
とりあえずアンは窓を閉めた。ガタガタと音がうるさいが、風は防げる。
「換気の為に開けております」
壁に立って待機していた使用人が口を挟む。アンは無視した。
罹患したというメアリーには、流行り病の特徴の赤い斑点が無かった。まだ顔には現れていないらしい。代わりに手に包帯が巻かれていた。
「薬は塗ってもらったの?」
手の事を言っているのだろうと気づいたメアリーは、見せつけるように包帯を取った。
「暖炉の火で焼いたの」
現れたのは、酷い火傷の跡だった。皮膚がめくれ、下の赤い皮膚が露出している。
「焼けばはやり病は広がらないわ。私は美しいままよ」
「焼いても身の内の病は消えないわ。薬を処方されなかったのね」
「当たり前でしょう。皇帝陛下に病を移したかもしれないのよ。散々暴言も吐いたわ。殺されたっておかしくなかった」
「なぜ、あんな事を言ったの。いくら私が憎いからと言って、自分の身が危うくなるような言い方までして、実際こんな所に閉じ込められて、まともな治療もさせてもらっていない。貴女はもっと賢かったのに」
「憎いからよ」
メアリーは言い切った。
「憎くて仕方なかったの。それだけ」
「貴女は由緒正しきダジュール候爵夫人となって」
「何が由緒正しきよ!候爵夫人!?そんなのただの跡継ぎ産むだけの肩書きじゃない!」
ブランケットを叩く。鈍い音が虚しかった。
「……どうしてアンタなのよ。醜いくせに。良き夫、良き子供に恵まれて、どうしてアンタばっかり」
悔しさと怒りが混じり合った引きつったような声だった。その様子をアンは冷めた目で見下ろした。自分を棚に上げて、アンにしてきた行いをすっかり忘れて、向けられる憎悪の感情など、お門違いも甚だしい。呆れてもいた。
「メアリー。話は分かりました。ブライトン次期女王として、貴女に最高の治療を受けさせるわ」
予期しない言葉だったのだろう。メアリーは目を見開いた。
アンは決してメアリーの為にここまで来たわけではなかった。この救いの手も決してメアリーの為ではなかった。
「何を企んでいるの」
「言葉通りの意味よ」
「治療?馬鹿にして。ぬか喜びさせて、アンタは不味い汁物を飲ませる気なんだ」
「覚えてたのね」
かつてメアリーが、早く回復するようにと、黒くなるまで煮詰めた棗の汁物を嫌がらせにアンに飲ませていた。
「あの汁物は本当に苦かったわ」
「馬鹿みたいに毎回飲んで。あんなに楽しい思い出は無いわ」
「私にはもう過ぎたことです。メアリー、こんな所にいては体を弱らせるばかりだわ。直ぐに暖かな部屋に移すようにします」
「余計なお世話よ!アンタなんなのよ!」
焼けただれた手を掴む。メアリーは痛みに顔を歪ませた。
「意地を張らないで。メアリー、お腹の子のためにも」
メアリーは弾かれたように顔を上げた。それから直ぐに下を向いた。
「……………」
「分かるわよ。昨日の式典。あんなゆったりした服を着てたんだもの。…何ヶ月?」
「……………」
「薬を使わずに手を焼いたのは、薬が子に影響を与えるかもしれないからね?
「…しらないわよ」
「でもこんな牢獄に閉じ込められるとは思わなかった。貴女なら絶対に耐えられないこんな所に。こんな所にいるよりは死を選ぶような貴女が、それでも大人しくここにいるのは、子供の為ね?」
「子の為なら隠さずに打ち明けるわよ!子供なんかいないわ!だって!ウィレムは、もう」
「あの人の子供じゃないから、言えなかったのね?」
メアリーはブランケットを強く握った。口を噛んで、目には涙を溜めて、零れ落ちそうになるのを必死に堪えていた。この姿を見せるのは相当の屈辱だろう。そんな敗者に対して、アンは表面上は何の感情も見せないで、淡々と包帯を巻き直した。
「本当は、こんな身体にした貴女を憎んでいるわ。憎んでも、憎みきれないけれど、子供に罪はない。ましてや二回も、子を死なせたくないでしょう?」
「……しらないわよ…!」
とうとう涙が落ちる。ブランケットに染み込んで、黒くなって、まるで棗の汁物のような色になった。
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