上 下
39 / 49
三章

16

しおりを挟む

 メアリーは一人、塔に隔離されていた。元は見張り台だったそうだが、やがて監獄となり使われなくなったという。
 使用人の案内を受けて、塔に入る。光の閉ざされた螺旋階段を、手燭を頼りに上がっていく。

「このような所に。陛下の命令ですか?」
「そのようです」
「ダジュール候爵は抗議しなかったの?」
「ダジュール候爵様は既にご領地にお戻りになられました」

 慎ましい使用人は必要以上の話をしない。メアリーの世話一切をこの使用人がしているという。

 階段を上がりきって、扉の前に立つ。木の質素な扉だった。アンは部屋の中に入った。

 
 ベッドに横たわるメアリーは、アンを見るなり鼻で笑った。だから、アンも笑い返した。

「元気そうね」
「何よその言い方。私がめそめそ泣いてるとでも思ったの」

 窓は開けられ、真冬の風が吹き込んでいた。石造りの塔は、冷えきって暖炉も無かった。質素なベッドに粗末なブランケット。まるで囚人の扱いだ。
 よく見ればこちらを睨んでくるメアリーは、震えていた。寒さに震えているのか、怒りに震えているのか。両方だろう。

 とりあえずアンは窓を閉めた。ガタガタと音がうるさいが、風は防げる。

「換気の為に開けております」

 壁に立って待機していた使用人が口を挟む。アンは無視した。

 罹患したというメアリーには、流行り病の特徴の赤い斑点が無かった。まだ顔には現れていないらしい。代わりに手に包帯が巻かれていた。

「薬は塗ってもらったの?」

 手の事を言っているのだろうと気づいたメアリーは、見せつけるように包帯を取った。

「暖炉の火で焼いたの」

 現れたのは、酷い火傷の跡だった。皮膚がめくれ、下の赤い皮膚が露出している。

「焼けばはやり病スートラは広がらないわ。私は美しいままよ」
「焼いても身の内の病は消えないわ。薬を処方されなかったのね」
「当たり前でしょう。皇帝陛下に病を移したかもしれないのよ。散々暴言も吐いたわ。殺されたっておかしくなかった」
「なぜ、あんな事を言ったの。いくら私が憎いからと言って、自分の身が危うくなるような言い方までして、実際こんな所に閉じ込められて、まともな治療もさせてもらっていない。貴女はもっと賢かったのに」
「憎いからよ」

 メアリーは言い切った。

「憎くて仕方なかったの。それだけ」
「貴女は由緒正しきダジュール候爵夫人となって」
「何が由緒正しきよ!候爵夫人!?そんなのただの跡継ぎ産むだけの肩書きじゃない!」

 ブランケットを叩く。鈍い音が虚しかった。

「……どうしてアンタなのよ。醜いくせに。良き夫、良き子供に恵まれて、どうしてアンタばっかり」

 悔しさと怒りが混じり合った引きつったような声だった。その様子をアンは冷めた目で見下ろした。自分を棚に上げて、アンにしてきたおこないをすっかり忘れて、向けられる憎悪の感情など、お門違いも甚だしい。呆れてもいた。

「メアリー。話は分かりました。ブライトン次期女王として、貴女に最高の治療を受けさせるわ」

 予期しない言葉だったのだろう。メアリーは目を見開いた。
 アンは決してメアリーの為にここまで来たわけではなかった。この救いの手も決してメアリーの為ではなかった。

「何を企んでいるの」
「言葉通りの意味よ」
「治療?馬鹿にして。ぬか喜びさせて、アンタは不味い汁物を飲ませる気なんだ」
「覚えてたのね」

 かつてメアリーが、早く回復するようにと、黒くなるまで煮詰めたなつめの汁物を嫌がらせにアンに飲ませていた。

「あの汁物は本当に苦かったわ」
「馬鹿みたいに毎回飲んで。あんなに楽しい思い出は無いわ」
「私にはもう過ぎたことです。メアリー、こんな所にいては体を弱らせるばかりだわ。直ぐに暖かな部屋に移すようにします」
「余計なお世話よ!アンタなんなのよ!」

 焼けただれた手を掴む。メアリーは痛みに顔を歪ませた。

「意地を張らないで。メアリー、

 メアリーは弾かれたように顔を上げた。それから直ぐに下を向いた。 

「……………」
「分かるわよ。昨日の式典。あんなゆったりした服を着てたんだもの。…何ヶ月?」
「……………」
「薬を使わずに手を焼いたのは、薬が子に影響を与えるかもしれないからね?
「…しらないわよ」
「でもこんな牢獄に閉じ込められるとは思わなかった。貴女なら絶対に耐えられないこんな所に。こんな所にいるよりは死を選ぶような貴女が、それでも大人しくここにいるのは、子供の為ね?」
「子の為なら隠さずに打ち明けるわよ!子供なんかいないわ!だって!ウィレムは、もう」
「あの人の子供じゃないから、言えなかったのね?」

 メアリーはブランケットを強く握った。口を噛んで、目には涙を溜めて、零れ落ちそうになるのを必死に堪えていた。この姿を見せるのは相当の屈辱だろう。そんな敗者に対して、アンは表面上は何の感情も見せないで、淡々と包帯を巻き直した。

「本当は、こんな身体にした貴女を憎んでいるわ。憎んでも、憎みきれないけれど、子供に罪はない。ましてや二回も、子を死なせたくないでしょう?」
「……しらないわよ…!」

 とうとう涙が落ちる。ブランケットに染み込んで、黒くなって、まるで棗の汁物のような色になった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています

オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。 ◇◇◇◇◇◇◇ 「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。 14回恋愛大賞奨励賞受賞しました! これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。 ありがとうございました! ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。 この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

【完結】夫もメイドも嘘ばかり

横居花琉
恋愛
真夜中に使用人の部屋から男女の睦み合うような声が聞こえていた。 サブリナはそのことを気に留めないようにしたが、ふと夫が浮気していたのではないかという疑念に駆られる。 そしてメイドから衝撃的なことを打ち明けられた。 夫のアランが無理矢理関係を迫ったというものだった。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

処理中です...