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三章
7(アン視点)
しおりを挟む忙しい日々と、楽しい日々を送っていた。夏の終わりにコツコツと始めた縫い物は、必要となる冬になってやっと完成した。完成した物を広げて、窓からの光に晒す。縫い目が歪なのは、初めてなのだから許してほしい。アンは満足げに眺めた。
朝の湯浴みを終えて、服を纏う。寒くないようにと、アーネストがもっと服を着るようにと言うものだから、アンは綿入れの上着をいつも羽織っていた。
冬のユルール侯国は、アンが住んでいたランドリット侯国よりも南だから、それほど寒くはない。雪は降るが、稀だという。
それでも海に面しているから、毎日強い風が吹く。飛ばされるとでも思っているのだろうか。アーネストと庭に出るときは、いつも風に当たらないように守ってくれる。もうそんなに体も弱くないのに。彼から見たら、まだまだ頼りない存在なのだろう。
もう直ぐ、夫婦となって一年になる。夏の、あの別荘で本当の夫婦となって半年ほど。それから思いがけない出会いもあって、既にアンはかつての自分ではなくなっていた。
出来上がった縫い物は二つ。大きい物と小さい物。二人同時に送ろうと思っていたら出来上がるのが遅くなってしまった。今夜にでも渡そうと、一旦、衣装箱に隠しておく。
ソニアから、アーネストがやって来るという知らせを聞く。既にこちらに向かっているという。日中は政務にかかりきりで、アーネストと会うことはほとんど無い。そんな彼がわざわざ来るとしたら、政務に関することだろう。アンが表立って手伝えることは無いに等しい。出来るのはせいぜい話を聞くくらいだ。彼いわく、誰かに話すと整理が出来て、何かしらの結論が出るという。初めはアンに会う口実だと思っていたのだが(聞いてみたらそうらしいと本人は認めたのだが)行き詰まった時には誰かに話すと問題解決の糸口が掴めるのは確かだという。機密の問題があるから誰でも話せるわけではない。だから妻であるアンを頼るのだとも言った。
頼ってくれるのが素直に嬉しい。いくら恋しい愛していると言い合える仲でも、自分たちは侯国を任されている身。アーネストからの愛情に胡座をかいて、何もしないで毎日遊び呆けるなど、彼が許したとしても自分が許せなかった。回復した今では特に。
ただ、アンはまともな教育を受けてこなかった。勉強などもしてみるものの、今のところは役立っていない。ソニア含め周りが優秀な人たちばかりで、候爵夫人などという地位に居る自分が恥ずかしく思えてしまう。
そんな自分でも、アーネストの役に立てている。だからアンは、彼に相応しい人間になるべく、日々努力していた。
「──知っているとは思うが」
部屋にやって来るなり、何にでも率直に言うアーネストが、珍しく前置きした。
彼を迎えるために用意させた紅茶のカップから湯気が立ち上る。座りもせずに話を始めたから、アンも立ったままだ。
「来月、帝都でご即位の祝賀がある。晩餐会に出席するんだが」
「私も一緒に」
「嫌な思いをさせる。君は来なくていい」
彼が懸念するのも無理は無い。晩餐会には、異母妹夫婦も参加する。同じ帝国の一員ではあるものの、去年新たに出来たユルール侯国とは対称に、向こうは古くからある由緒正しきダジュール候爵だ。相対して、何も起こらないなど、あり得なかった。
嫌な思いをさせる。そんな理由で欠席させようとするアーネストに、アンは苦笑する。
「私は平気ですよ。貴方もいますし、あの子もいます。あの子の為にも私が同席しないと、周囲は納得しないでしょう」
アーネストの手をそっと握ろうとして、親指だけ掴んでみる。
「こうやって、よく握ってくれるんです。私みたいな小さな手でも、あの子にとっては大きな手なのでしょう」
「任せきりですまない。どうにも嫌われているようでな」
「慣れない土地のせいもあるのでしょう。向こうとは多少、顔つきも異なりますし、似た私の顔に安心しているだけかと」
病で顔が変わったとはいえ、面影は残っている。アンの大きな黒の瞳に小さな顎は、亡国ブライトンの王族の特徴だった。
その直系の子供も、アンと同じく黒髪黒目だった。走り回っては転んで泣いて、かと思えば直ぐに泣き止んでまた走り回って、元気な男の子だった。
「母上と呼んでくれます。レイモンドはかわいい。ずっと見ていたいわ」
「俺にも構ってくれ」
両手を握られる。うかがうように覗き込んでくる顔は眉根を寄せていて、彼は本気で言っているのだと気づく。
「嫉妬してるの?」
いたずらっぽく聞いてみる。アーネストは真面目に頷いた。
「まだ新婚だからな」
「一年経ちましたよ」
「まだ一年だ」
どちらともなく口を合わせる。アーネストに抱き上げられる。移動する隣の部屋は寝室だ。驚いたアンは彼の襟を引っ張った。
「アーネスト様、紅茶を用意しております」
「ソニアが淹れた紅茶は冷めても美味しい」
「まだ昼間ですよ。貴方も政務が残っております」
「待たせておけばいい」
胸を叩くが、聞き入れられない。寝台に降ろされて、また口を合わせて、彼は猫のように頬を寄せてきた。
「アーネスト様」
「本心を言うと、行きたくないのは俺だ」
囁くような小さな声だった。アンは耳を傾ける。
「帝都で君とあの子の存在が公となったら、今のようにはいかない。この生活も終わるだろう。君は一生、そこから逃げられなくなる」
常にない弱気な告白だった。いつも何もかも見透かしているかのような、冷静なアーネストでは無かった。アンも頬を這わせて、不安に寄り添う。
「私も怖いです。一人だったら耐えられなかったでしょう」
一人じゃない。だから怖くない。みなまで言わずとも、通じあえる。
アーネストはしばらく動かなかった。踏ん切りがついたのか落ち着いたのか、頬が離れる。アーネストの顔は、普段通りの無表情に見えた。でも頬は、くっつけていたせいか赤くなっていた。その歪さが面白くて、アンはくすりと笑う。アーネストも笑って、アンの頬の赤さを指摘した。
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