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二章(アーネスト視点)

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 それから、どうやって会話したのか記憶がはっきりしない。覚えているのは、アンが兄をまだ愛しているということ、無理やり寝室を一つにすると言ったこと。それだけだった。拒絶された衝撃は大きく、アーネストは覚束おぼつかない足取りで、自室に戻っていた。

 兄に懸想しているなど、全く想定いなかった。会ったことは無く交わしたのは手紙だけと聞いていたのに。色恋沙汰には得意な兄のことだ。文字のやり取りだけでアンの心を奪うなど造作も無かったのだろう。

 なんとか部屋に戻る。椅子に座りそこねて床に尻もちをつく。立ち上がる気力も無かった。


 
 扉を叩く音。茫然自失していたアーネストは、はっとして立ち上がった。窓を見る。そんなに時間は経っていない。まだ昼過ぎだった。

 やって来たのは従者だった。仕事を放り出して屋敷に戻ってきていた為、抱えきれない程の書類の束を持って入ってきた。

「アーネスト様、どうしたんですか一体」
「なにが」
「酷い顔をしておられます」

 よく表情が無いと言われてきたが、今日に限って色々と言い当てられる。アーネストは息をついた。

「お前確か妻がいたな」

 従者は目を丸くした。

「ええ。幼馴染です」
「愛してると言ったことはあるか?」
「は…!?え?え、えっと…」

 顔を真っ赤にさせて、従者は頷いた。

「…ありますが、それがなにか?」
「妻は何て返した」
「…我が家のことですよ?」
「嘘と言われた」

 従者の反応を見ずに、アーネストは頬杖をつく。ありありと思い出せる。愛してる。嘘だ。これは…アンが愛されていると、自覚していない証拠だ。アンに、愛していると思ってもらえていないとも言える。

 従者に視線を向ける。トビアスの目はあちこちを彷徨って、気まずそうに両手を握っていた。

「あの…奥方に嘘だと言われたのですか?」
「忘れてくれ。気の迷いだ。お前に言うべきではなかった」
「……奥方は病の回復に努めておられて、とてもそこまで考えられないのだと思いますよ」

 長年、仕えている従者の慣れない慰めを受けて、アーネストも居心地が悪くなる。こんな話をするような主従ではなかった。気恥ずかしさを打ち消そうと、アーネストは咳払いした。
 

 寝室を一つにする、と言えたのは大きな成果だった。ショックを受けながらでもその約束を取り付けられた自分を褒めたいくらいだった。
 部屋を移す作業の邪魔にならないよう、アーネストは執務室に籠もって書類を捌くのに専念する。一息つこうと窓の外に目をやって、アンの姿が目に留まる。

 庭に出ていた。一人きりで。侍女を探すが見当たらない。体力をつけろと言った言いつけを守ろうと、庭に出てきたのだろう。キョロキョロと周りを見回した彼女は、こっそりと言った様子でベールから顔を出した。春の陽射しを受けて、彼女の姿が晒される。その美しさに心奪われて、食い入るように見入っていた。



 夜。もう寝ているだろうと寝室へ入る。アンはまだ起きて待っていた。

 そこでもまた一悶着あった。ベールは相変わらず被っているし、どうして愛していると言っただのと問われるし、しまいには容姿を褒めてきた。この顔が、兄と酷似した顔をアーネストが嫌っているのをアンは知らない。知らないとはいえ、いくらアンに褒められたとしても、アーネストの胸の内には嫌なものがくすぶる。

 しかも、やはりアンは兄に想いを寄せていた。だから似ている自分の顔を褒めた。愛していると言った言葉を信じてもらえず、他の女の元へ行けと言われる始末。元々気の長い方でないアーネストは、怒りのままに彼女の唇を奪った。自分のものだと、愛しているのだとの証として、噛みつくように口づけした。ぐちぐちと混じり合う音をわざと立てて聞かせる。気の済むまで蹂躙し終えた頃には、アンは意識を失っていた。

 
 

「なんてことをなさったんですか!」

 温厚なソニアに怒鳴られ、アーネストは何の弁明も出来なかった。アーネストは今、廊下に出ていて、思いっきりソニアに怒られ続けている。

 部屋では医師がアンの診察をしている。アンが失神して、直ぐに医師呼んだ。付きそうつもりだったが、ソニアに連れ出され、今に至る。

「……悪かった」
「本当ですよ!奥様は回復にひたすら努めていらっしゃったのに、旦那様が阻害してどうするんですか!」
「面目ない。反省している」
「…私も言い過ぎました。でもいくら夫婦とはいえ、まだ奥様と過剰な接触は避けるべきかと思いますよ」

 女性にこんなことを言わせてしまうとは。申し訳無くて、アーネストは深く頷く。もちろん一番はアンに対して、申し訳なく思っている。
 あれもこれもと求めるべきではなかった。夫婦となれただけで満足しなければならないのに、その先まで求めるべきではなかった。

「アンは、ここに居るのが苦痛なように見えるか?」

 ソニアは首をかしげる。

「まさか。いつも旦那様に感謝なさってます」
「アンから、他に何か聞いていないか?」
「何をですか?」

 自分が嫌いだとか、と聞こうとして、そうだと肯定されるのが怖く、聞けない。口をつぐんだアーネストに痺れを切らしてか、ソニアが答える。

「私から聞くよりも、本人とお言葉を交わされた方がよろしいかと」
「…うまく言えないし、伝わらない」
「でしたら、時間が解決するでしょう。お二人がご一緒する時間が少なかったのですから、これからいくらでもその機会はありますよ」

 なんでもないように、ソニアは普通の顔をしている。そんなものなのだろうか。分からない。誰かを愛するのも、誰かと仲を深めるのも初めてで勝手が分からない。

 だがアンが自分を愛していないのは明らかだった。この気持ちを、話してもいいのだろうか。話して伝えなければ、アンも本音を明かさないだろう。話をして、聞いて、お互いの落とし所を探して、出来るだけ彼女の願いに沿うように、していかなければ。たとえ離縁となっても、一度は夢が叶ったのだからと、自分を納得させるしかない。

 医師が部屋から出てくる。アーネストは報告に耳を傾けた。



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