11 / 49
一章(アン視点)
11
しおりを挟む目覚めた時には、胸に重みがあった。体が動かない。動くのは眼球だけで視線を彷徨わせる。見たことのない天蓋の天井だった。そうか。新しい部屋に移ったのだった。明るいから朝は過ぎている。
「…………………」
鳥の声が聞こえる。心地よいさえずりの筈が、今は耳障りだった。その中に、僅かな息遣いが聞こえる。彼が、アンの胸に腕を置いて寝入っていた。
アーネストは静かな寝息だった。ほとんど息をしているのか分からないような小さな音は、身近にいるアンにしか届かなかった。先に起きたアンが身じろぎすると、その振動で彼は瞼を震わせた。
彼が顔を上げる。銀の髪から覗く黒目がこちらを捉えると、脱力したように目を閉じ、アンの首元に顔を埋めた。
「…アーネスト様」
「無体をした。許せ」
昨夜の性急な口づけ。息継ぎも出来ないほどで、それで意識を失ったのを思い出す。あんなに鮮烈な出来事を、アンは言われるまで何故かすっかり忘れていた。
「お前が、兄を忘れられないのなら無理強いはしない。兄を忘れろとは言わないが、今は俺が夫だ。少しくらいは俺にも、何でもいいから親愛を向けてほしい」
「え?」
「それが俺が出来る精一杯の誠意だ」
「お、お待ち下さい。私、全然そんなこと思ってません」
前にも、こんなやり取りがあった。兄を慕っているのかと問われて直ぐに否定したのに。アーネストはそうは思っていなかったのだ。
「ウィレム様は確かに婚約者でした。でももう何でもありません」
「だったら何故拒む。俺は愛していると言った」
「だって…こんな顔…無理に私を愛する必要は」
「まだそんなことを言う。俺がいつ、お前の顔を醜いと言ったんだ」
言われてはいなくとも、と反論しようとして押し黙る。彼は今まで一度も、異母妹や使用人が向けてきた蔑みや憐れみを見せてこなかった。そういう素振りすらも見せてこなかった。
言われていなければ、そう思われてもいなかった。この事実を、やっとアンは自覚した。
「…言われておりません」
「俺を嫌いでもない。兄に未練があるわけでもない。醜い醜いと自分で言い続けて、俺の言葉を聞きもしない」
「すみません…」
「もしお前が、お前の言う醜い姿でないとしたなら、俺の『愛している』を信用するか?」
愛している。もし、あんな病になどならなかったら、自分はこの人の言葉全てを、何の障害も無しに受け入れただろう。
もし、病にならなければ、この人の夫となることも無かった。病を得て、屈辱の年月を経て、この人と巡り合った。
こんなにも言葉を重ねてくれる方に、もし、と例え話をするなど、なんておこがましいことを言わせてしまったのだろう。彼は会ったときから、愛を示してくれていたのに。
「──本日は、お仕事はあるのでしょうか」
アーネストの腕から逃れて、起き上がる。彼は不思議そうな顔をしながらも、自らも上体を起こす。
「いや、何もない」
「貴方様の妻となって半年経ちました。妻としての役目を果たせておりません」
「子などいらないと言っただろう」
「夫婦の営みの話です」
無表情な顔が、驚きに見開かれる。アンは勇気を持って自分から彼の手を取り腹に当てた。
「私が間違っておりました。お許しください。私…馬鹿で…愛されてるなんて分からなくて」
「そう言うな。俺を信じてくれるのなら、それでいい」
「アーネスト様さえよければ、どうか」
アンは自分の胸に彼の手を当てようとした。先に気づいたらしいアーネストは手を引っ込めた。
「駄目だ」
「……………」
「嫌というわけでは無い。アン、まだお前は体力が戻っていない。今、身体を労らなければ、二度と回復が望めなくなる。養生してほしい」
「…医者の方は、診察だけして何も教えてくれません」
「俺が口止めしていた。悪いことを教えたくなくて。初めは、もう長くないとまで言われていた。それが今は、人並みに生きられるようになるとまで言われている。やっとそこまで回復したんだ」
そんなことを言われていたなんて全く知らなかった。生死の境を彷徨うまで、そんなに自分の体が衰えていた自覚も無かった。彼が嘘を言うわけがない。彼が命を助けてくれた事実に、アンは胸が張り裂けそうなほど、感極まっていた。
アーネストは、ふと笑った。屈託のない純粋な笑みに、アンは心奪われた。
「愛している」
彼の言葉を、素直に受け止める。身に沁みていくのを感じる。幸福感で満たされて、この瞬間を一生忘れない。そう決意した。
アーネストが居なくなってから、やって来たソニアに頼んで鏡を持ってきてもらった。何年ぶりかに見る自分の顔は、病を患ってやはり元の顔とは随分違っていた。とても人前に見せられるような顔ではなかった。でも、彼の前なら見せられる。彼にだけは自分を見せられる。決して消極的な意味ではない。彼の揺るぎない愛情を受けて、アンも彼に同じだけの愛情を向けられる。その自信から来る感情だった。
58
お気に入りに追加
1,420
あなたにおすすめの小説
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています
オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。
◇◇◇◇◇◇◇
「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。
14回恋愛大賞奨励賞受賞しました!
これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!
ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。
この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
【完結】夫もメイドも嘘ばかり
横居花琉
恋愛
真夜中に使用人の部屋から男女の睦み合うような声が聞こえていた。
サブリナはそのことを気に留めないようにしたが、ふと夫が浮気していたのではないかという疑念に駆られる。
そしてメイドから衝撃的なことを打ち明けられた。
夫のアランが無理矢理関係を迫ったというものだった。
【完結】悪女のなみだ
じじ
恋愛
「カリーナがまたカレンを泣かせてる」
双子の姉妹にも関わらず、私はいつも嫌われる側だった。
カレン、私の妹。
私とよく似た顔立ちなのに、彼女の目尻は優しげに下がり、微笑み一つで天使のようだともてはやされ、涙をこぼせば聖女のようだ崇められた。
一方の私は、切れ長の目でどう見ても性格がきつく見える。にこやかに笑ったつもりでも悪巧みをしていると謗られ、泣くと男を篭絡するつもりか、と非難された。
「ふふ。姉様って本当にかわいそう。気が弱いくせに、顔のせいで悪者になるんだもの。」
私が言い返せないのを知って、馬鹿にしてくる妹をどうすれば良かったのか。
「お前みたいな女が姉だなんてカレンがかわいそうだ」
罵ってくる男達にどう言えば真実が伝わったのか。
本当の自分を誰かに知ってもらおうなんて望みを捨てて、日々淡々と過ごしていた私を救ってくれたのは、あなただった。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語
ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ……
リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。
⭐︎2023.4.24完結⭐︎
※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。
→2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる