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私は貴方を愛している
しおりを挟む「お前は俺の従者なんだぞ。俺の命令を優先しろ」
モリスはコクコク頷いて、お玉を洗いに外に出た。グレンがテーブルの椅子に座ったので、アニーも向かいの席に座った。
「仲睦まじい関係だったそうですよ」
「少なくとも恋人ではなかった」
「私が全て思い出せていないから、邪険にするのですか?」
「急にどうしたんだ。貴女はエイドスを愛していたじゃないか」
「それなんですけど、あの人と過ごした記憶が無いんです」
アニーは出来る限り、自分が覚えていること思い出したことを話した。エイドスへはただ恋しい感情だけがあって、でもどう過ごしてきたのか全く思い出せない。ボールロールの朗読や手を繋いで屋敷を歩いた相手は、グレンだと確信していた。
「幸せだった。違いますか?」
「貴女と過ごした日々は、そうだった。だがそれは本当に短い期間で、とある事情で別れてからは、貴女のことを何も知らない」
「薄情な女だとお思いですか?ここにいるのは貴方と私なのに」
グレンは直ぐに、いや、と言った。
「正直に言うと、嬉しい。貴女が愛していると、はっきり言ってくれて」
「それなら喜べばいいのに。笑いもしないなんて」
「軽薄な男だと思われたくない」
「私だけに言わせて、グレンからは言ってくれないのですか?」
「愛している」
彼は簡単に口にした。ごく自然に、当たり前のように。アニーはそれが物凄く嬉しかった。胸が温かくなって、指先まで熱を帯びる。
ガシャン、と音がした。見るとお玉を洗って戻ってきたモリスが、またお玉を落としていた。
「し、失礼しました」
「洗ってこい」
「え、ええ。丁寧に洗ってきます」
お玉を拾って慌てて出ていった。扉が閉まってから、グレンと顔を見合わせて、二人で笑った。
グレンが立ち上がる。髪を切ってから彼の顔がよく見えるようになったが、いつも無愛想で目線が合わなかった。でも今の彼は、憑き物が落ちたように柔らかな表情になっている。
「モリスは放っておいて食べようか。お玉は新しいのを使えばいい」
優しい笑みを向けられて、アニーも立ち上がる。鍋を覗くと、モリスはスープを作ってくれていた。
皿を取り出してグレンに渡す。スープを注ぐのを隣で見ていた。
夜、グレンの部屋の扉を叩く。中から声があり、アニーだと名乗ると、グレンは扉を開けないでこう言った。
「同衾はしない」
何の目的で来たのか当てられてしまった。アニーは開き直って扉を開けようとしたが、鍵がかかっていた。
「開けてください」
「懲りない人だな。もう少し慎みを持ってはどうだ」
「恋人だからいいでしょう。寒いんです。開けて」
直ぐに鍵を開ける音がして、扉が開く。グレンの視線が少し下に向けられる。
アニーは笑ってみせた。腕にはマーサを抱いていた。騙されたと知ったグレンは呆れた顔をした。
「俺は必要ないようだな」
「マーサもいればグレンも気後れしないでしょう」
アニーはさっさと部屋の中に入ってベットに座る。マーサを撫でると何故か嫌がって、アニーの腕から逃れて部屋を飛び出していってしまった。
「マーサ、行っちゃった」
「行っちゃったな」
合わせて言ってくれた言葉が可笑しくて、アニーはまた笑った。
「グレン、問答する気はないの」
「俺もする気はない」
「何故、同衾しないなんて言うの?」
「それは婚前だから…ちゃんとしておかないと…」
言っているうちに、グレンの声は小さくなる。自分で言っておいて恥ずかしくなったようだ。
「婚前?」
「…すまない。気が早いとは自覚しているんだが…」
「求婚されてません」
愛しているとは言われた。結婚してくださいとは言われていない。
グレンは真面目に頷いた。
「指輪も無いし、ドレスも無い。求婚出来ない」
「指輪?ドレス?」
「教会にも話をつけておかないと」
「別に私、結婚しなくても構いません」
と言うと、グレンは驚いた顔をした。
「結婚しなくても構わない?」
「ええ。ここで暮らしていくのなら、必要ないかと。私たちだけが知っていればいいでしょう」
「絶対に駄目だ。絶対に」
強く言われる。肩を掴まれ、アニーは見上げた。
「痛いです」
グレンは手を離した。どうしたらいいのか分からないかのように手が彷徨って、結局下ろされる。
「無責任な事はしたくない。大事にしたいんだ。それに、指輪をつけてドレスを着た貴女を見たい」
見たいと言われて、アニーも想像してみた。グレンが自分と同じ指輪をして 結婚用のスーツを着ている姿を。とても良く似合うと思った。
「見てみたいです」
「だろ?」
「でも一人で寝たくはありません。暗いのは怖い」
「なら前のようにランプをつけて、俺が火の番をしよう」
「それだとグレンはずっと起きてないといけないでしょう?体を壊します」
元々、一人で眠ると言ったのは、彼の体調を気遣ってだった。一晩中起きて、朝方眠りにつき昼前に起きてくる。そんな日々をさせては悪いと思ったからだった。
頑張ってマーサにくっついて寝ていたが、猫は気まぐれだ。気づけばいなくなる。いなくなってしまうともう眠れない。アニーはグレンとしか眠れなかった。
「結婚までなんて待てません。これ以外にワガママ言いませんから、一緒に寝てください」
下ろされた手を握る。やっぱり自分よりも温かい。アニーは頬を寄せた。
「大きな手。安心する…」
額を擦り付ける。筋張った手の甲の固さに男らしさを感じる。指を絡めると、彼からも握られる。指先だけ握り合って、もう少ししたら彼が抱きしめてくれる。そんな確かな予感があった。
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