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最近よく聞くな、と思いながら、グレンは竈の火起こしを終えて立ち上がった。
「やはり夜は怖いんです。昨夜は風の音で眠れませんでした」
「ならランプを灯しておこう」
「それよりも、温めてほしい」
「…………湯たんぽでも作ろうか?」
アニーは、違うときっぱりと言った。
「同衾してください」
「……じょ──」
「本気です」
冗談など、彼女が言うのを聞いたことがない。だから本気だと言われても、冗談だとしか思えなかった。
アニーは真っ直ぐグレンを見つめて来る。エイドスの元を去った頃は、子供のように癇癪を起こしていた彼女も、ここに来て二ヶ月の間にすっかり落ち着いて、最初に会った頃のような聡明さも伺えるようになったと思っていたのに。こんな突拍子も無いことを言い出して、どうしてしまったのか。
どう切り出そうかと考えあぐねていると、アニーが先に喋りだした。
「同衾を」
「ま、待て。娘がそう何度も言う言葉じゃない」
「何も仰っしゃらないから、聞こえていないのかと」
「驚いたんだ。貴女はそんなことを言う人じゃないから」
「私の何を知っているのですか」
何を知っている?何も知らないとも言えるし、知っているとも言えた。元王妃、エイドスの妻だった過去。三度死に至り蘇った女神の加護を持つ金の瞳。そんな来歴よりも、あの娼館でのアニーが、グレンにとって知る彼女の全てだった。いつも憂いを帯びて、思い詰めたような面持ちだった。今ならその理由を知れたが、当時は分からなかった。ただ、詩を読んでくれたあの声が、耳に残り続けている。知る者はもはやグレンしかいない。
グレンが黙っていると、アニーはエプロンを取った。胸のボタンに手をかけ始めたので、グレンは慌てて顔を背けた。
「止めてくれ!同衾はしない!マーサと寝てれば温かいだろ」
「マーサは私の体が冷たいのを嫌って、一緒に寝てくれなくなりました」
「だから湯たんぽを作ってやる」
「人肌がいいの」
まるで誘っているかのような言い方だ。だが娼婦のように媚びてはおらず、本人は至って真面目な調子で話してくる。実際そう思っているのだろう。
「俺とアニーは男と女だ。そういう関係で無い者同士は共寝をしないんだ」
言い聞かせるようにゆっくり言う。
「そういう関係とはなんですか」
全然分かってくれていない。いくら記憶を失っていると言っても、エイドスを慕っていたのだからそういう感情くらいはあるだろうに。もう少し本を増やした方がいいのかもしれない。
「……恋い慕う関係でないということだ」
「恋い慕う?」
「もういいだろ。竈に火は付けた。俺は薪を割ってくるから、後は頼む」
「待ってください。なら、私たちは何なのですか。私たちの関係は?」
「ただの同居人だ」
自分で言っていてしっくりこなかった。だがそれ以外に適当な言葉が見つからない。
「貴女は俺を恨んでいる。エイドスから引き離した張本人だから」
アニーは睨んでくる。グレンは自分の発言が当たっていると思った。
「では」彼女が言う。「外に出てください」
「何故」
「薪を割るのでしょう?外に出てください」
不審に思いながらも、外に出る。今日は曇で、いつもより肌寒く感じた。後から家から出てきたアニーも、寒いと思ったのか腕を擦っている。彼女は上着も着ていないから余計に寒く見えた。
「寒いだろう。小屋に戻ってろ」
「グレンはそこにいて」
そこ、と指定されたのは庭先だった。玄関を開けて直ぐに広がる庭にはハーブが植えられている。食事の保存や体調不良に役立つし、寒さに強く手間もかからない。むしろ生えすぎて、そろそろ抜こうかと思っていたほどだ。
庭先に立つと、アニーは庭を出て前を流れる小川へ向かって行った。何をするのだろうと見守っていると、彼女は駆け出して小川に身を投げた。
「アニー!」
グレンは直ぐに追いかけた。小川とはいえ、流れはそれなりにあり、冬であれば寒さからの死の危険もある。実際、彼女は飛び込んでそのまま流されていた。グレンも走って川に飛び込む。泳いで近づき、服を掴む。引き寄せて川の端に生えている草を掴む。なんとか引っかかって川から引き上げる。
アニーを抱き寄せると、体はすっかり冷たくなっていた。意識はあり、寒さから歯を鳴らしている。
「冬の川だぞ!死ぬ気だったのか!」
言いながら、早く温めようと抱き上げて小屋へ走る。その最中に、アニーの手がグレンの口元に触れた。
「これで…」
震える声。
「これで、温めてくれますよね…?」
グレンはハッとして見下ろした。思わず立ち止まる。彼女の表情は無く、ただ震えていた。
「まさか、その為に」
金の瞳が伏せられる。視線を合わせないのは、多少の罪悪感からか。
「どうしてそうまでして…」
「温めてくれるまで、何度でも同じことをします。お願いします、私と」
「言うな」
家に入り、取り敢えず竈に近い場所に座らせる。二階のベッドから毛布を持ってきて、アニーに被せた。
また二階に上がって、彼女の部屋から替えの服を取ってくる。アニーの元に戻ってテーブルに置く。
「着替えないと。服を脱いでくれ」
冷えた手でボタンを外せないのは分かっていた。アニーは訴えるようにこちらを見てくる。当惑と同時に怒りも湧いて、落ち着かせようと大きく息を吐いた。
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