71 / 90
解放の日①
しおりを挟むエイドスは教会にいた。三つの棺桶が並べられている地下室で、小椅子に座り顔を伏せていた。
地下室の扉が開く音、顔を上げる気力も無かった。
「──エイドス」
ダンカンの声だ。あの騒ぎの中、ソフィアによる拘束が解けたダンカンは、真っ先にエイドスの元へ駆け付け、指示を仰いだ。いつソフィアに殺されるかも分からない危険があったのにも関わらずだ。半ば放心状態だったエイドスを叱責したのもダンカンだ。彼がいなければ無様な姿を晒し続けていたかもしれない。ゆっくり体を起こすと、よほど酷い顔をしていたのだろう。ダンカンは肩をすくめた。
「陛下と呼ぶべきかな」
今となっては、全く望まなかった。兄の子供が王になるべきだが、まだ幼すぎる。エイドスが王にならざるを得ない状況だった。
「……彼女はどうしてる」
「大人しくしてる。ラジュリーの者といるから、怯えてた」
金の瞳の力を抑え込めるのは、同じ金の瞳のみ。ひとまずグレンがソフィアの傍にいて、二人は宮殿の奥深くの部屋に閉じ込められ、外部との中継ぎが出来るのは彼のみだった。
「…俺が愚かだった。彼女は沈んだまま、あのまま死なせてやるべきだった」
水の底で誰にも見つからずにいたら、目覚める事はなく、朽ちていけたかもしれない。そうすれば彼女は人を殺めることはなかった。殺させたのは、他ならぬ自分だ。
「エイドス、誰がどう言おうがお前しか王になれない。こんな所にいないで、早く即位するんだ」
「レイナルド王のように国を荒廃させるかもしれない」
「どんなに期待されようがされまいが、やるしかない。エイドス、切り替えろ。ほら立てよ」
少なくとも、仲間の言葉に耳を貸せる自分はレイナルドよりマシだろう。そして、エイドスの為に尽くしてくれる仲間がいることは、どんな黄金にも勝る。あの惨劇を一生引きずりながらでも、王を完遂しなければならない。でなければ彼女が殺した意味がなくなる。
ダンカンの手に助けられて立ち上がる。背中を叩かれ、地上へ上がった。
部屋に押し込められて、もう深夜になる。回廊で奇跡の再会を果たして半日経つ。こんな結果になるとは予想だにしなかった。
彼女は何もかも変質していた。変わり果てた姿に、ああなるまでに何があったのか、グレンが知る術は無い。ただ筆舌に尽くし難い経験を経たことは容易に想像出来た。
自分の金の瞳が、彼女の力を抑え込むこんな能力を秘めていたとは全く知らなかった。ただ視界がブレて見えるだけの、忌み嫌われるだけの、邪魔な物としか思っていなかった。
その彼女は、居心地悪そうに部屋の隅の小椅子に座っている。食事も手を付けず、休むように言っても座り続けている。グレンは監視の為に見張る必要があり、彼女から目を離せない。出来るだけ怯えさせないように、対角の椅子に座り距離を取る。仕方ない事とはいえ、この状況が一晩中続くのは、グレンにとっても居心地が悪かった。
「──もう一度言うが」
アニーはあからさまに体を震わせて、俯く。グレンも言いたくないが、言わなければならない。
「そろそろ休んでくれ。俺も休めない」
可哀想なほど肩を震わせる姿に、哀れみが増す。グレンは足を組み直した。
こういう時、芸の無い自分が嫌になる。面白味のある人間ならば、こんな状況でも、何かしらの技を披露して彼女の機嫌を取れたろうに。
あの娼館で、静かに本を読んだ日が懐かしい。記憶を失って、屋敷で詩の朗読をした日が、もう何年も前のことのように思えた。
「花が散る頃には、あなたと種を植えましょう──」
昔を思い出してボールロールの一節を呟いてしまう。ほとんど独り言で、聞かせるつもりはなかった。
声は届かなかったらしい。彼女の反応は無い。聞こえていたとしても、記憶のない彼女には理解出来ないだろう。もしかしたらという淡い思いが、グレンにらしくない行動をさせてしまったのかもしれない。沈黙が続く。長い夜になりそうだ。
監禁状態は三日続いた。初日は耐えていたアニーも、二日三日経つと座り続けていられず、気絶するように眠りについた。食事は相変わらず食べてくれず、そろそろ強制的に食べさせたほうがいいかもしれないが、時々エイドスの名を恋しそうに呼ばれると、こちらも傷ついてなかなか踏み切れなかった。
扉を叩く音。グレンは直ぐには開けずに、用件を聞いた。
声の主はエイドスだった。中に入れろと言う。グレンは直ぐに扉を開けた。
三日ぶりに会うエイドスは、目に隈があり、やつれていた。王と王妃、第一王子が死に、その混乱ぶりは手に取るように分かった。収拾の目処がついたのか、時間が取れたのか、少し扉を開けた途端に、押し入るように強引に入ってきた。急いでいるらしい。
「ソフィアは?」
「眠っている」
ソフィアという名前にどうしても慣れない。アンが本当の名だというのを聞いても、グレンの中ではアニーという名前が一番馴染んだ。
エイドスは大股で彼女が眠るベッドへ向う。席を外すべきなのかもしれないが、部屋から出ていいものかも分からない。取り敢えずベッドから離れた小椅子に腰掛けて二人を見守る。
眠るアニーの頬にエイドスが触れる。皮肉めいた顔をする彼も、この時ばかりは優しげに見下ろしていた。
「ソフィア、起きろ」
「…………エイドス様…?」
目を覚ましたアニーが腕を伸ばす。首に抱きついて、エイドスにキスするのを目撃してからは、グレンは壁に体を向けた。
「エイドス様…!お会いしたかった…!」
「やつれたな」
「エイドス様こそ、お痩せになりました」
「何も食べていないと聞いた。水くらいは飲め…ほら」
用意されていた水差しを注いだのだろう。グレンも散々言ったが、頑なに飲もうとしてくれなかった。
「…ありがとうございます」
「話がある。聞いてくれ」
「勿論です」
とは言ったものの、エイドスは中々話し出さなかった。アニーが尋ねて、やっと口を開いた。
「俺は王になった。もうお前は必要ない。ここから出ていけ」
14
お気に入りに追加
2,279
あなたにおすすめの小説
【完結】彼の瞳に映るのは
たろ
恋愛
今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。
優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。
そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。
わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。
★ 短編から長編へ変更しました。
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。
やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。
落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。
毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。
様子がおかしい青年に気づく。
ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。
ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
最終話まで予約投稿済です。
次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。
ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。
楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。
完菜
恋愛
王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。
そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。
ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。
その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。
しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
隠れ蓑婚約者 ~了解です。貴方が王女殿下に相応しい地位を得るまで、ご協力申し上げます~
夏笆(なつは)
恋愛
ロブレス侯爵家のフィロメナの婚約者は、魔法騎士としてその名を馳せる公爵家の三男ベルトラン・カルビノ。
ふたりの婚約が整ってすぐ、フィロメナは王女マリルーより、自身とベルトランは昔からの恋仲だと打ち明けられる。
『ベルトランはね、あたくしに相応しい爵位を得ようと必死なのよ。でも時間がかかるでしょう?だからその間、隠れ蓑としての婚約者、よろしくね』
可愛い見た目に反するフィロメナを貶める言葉に衝撃を受けるも、フィロメナはベルトランにも確認をしようとして、機先を制するように『マリルー王女の警護があるので、君と夜会に行くことは出来ない。今後についても、マリルー王女の警護を優先する』と言われてしまう。
更に『俺が同行できない夜会には、出席しないでくれ』と言われ、その後に王女マリルーより『ベルトランがごめんなさいね。夜会で貴女と遭遇してしまったら、あたくしの気持ちが落ち着かないだろうって配慮なの』と聞かされ、自由にしようと決意する。
『俺が同行出来ない夜会には、出席しないでくれと言った』
『そんなのいつもじゃない!そんなことしていたら、若さが逃げちゃうわ!』
夜会の出席を巡ってベルトランと口論になるも、フィロメナにはどうしても夜会に行きたい理由があった。
それは、ベルトランと婚約破棄をしてもひとりで生きていけるよう、靴の事業を広めること。
そんな折、フィロメナは、ベルトランから、魔法騎士の特別訓練を受けることになったと聞かされる。
期間は一年。
厳しくはあるが、訓練を修了すればベルトランは伯爵位を得ることが出来、王女との婚姻も可能となる。
つまり、その時に婚約破棄されると理解したフィロメナは、会うことも出来ないと言われた訓練中の一年で、何とか自立しようと努力していくのだが、そもそもすべてがすれ違っていた・・・・・。
この物語は、互いにひと目で恋に落ちた筈のふたりが、言葉足らずや誤解、曲解を繰り返すうちに、とんでもないすれ違いを引き起こす、魔法騎士や魔獣も出て来るファンタジーです。
あらすじの内容と実際のお話では、順序が一致しない場合があります。
小説家になろうでも、掲載しています。
Hotランキング1位、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる