上 下
69 / 90

全てが終わるとき①

しおりを挟む

 謁見の間へと向かう途中、中庭の回廊で、男が柱に隠れるように立っていた。エイドスが通るのを待っていたのだろう。エイドスは後ろのソフィアを引き寄せてから、声をかけた。

「よぉ」

 呼びかけに、男が姿を見せる。いつものように前髪で目を隠して、口元を引き結んでいる。

「……エイドス殿下におかれましては、」
「くだらん口上はやめろ。…ほら」

 押し出されたソフィアは、見知らぬ男の前で戸惑っている。不安げに後ろを振り返る。

「エイドス様…?」
「この男はグレンという。ラジュリー王国の何番目かの王子だ」

 ソフィアはグレンに向き直る。男の風貌に怯えてか、怖怖と礼を取る。

「ソフィアと申します。グレン殿下」
「ソフィア…?」

 今度は男が戸惑う番だった。喜びの再会とはいかない理由を、エイドスだけが知っている。

「クインツで拾ってな、金の瞳だから私の妻とした」
「……金の…、祝福か」
「クインツでは悪魔と交わった者という意味らしいな。所変われば吉兆などすぐ変わる。面白いよな」

 挨拶を終えたソフィアはエイドスの腕に捕まる。いじらしさが今の状況では効果的だった。

「お前に頼まれていたアンという女は見つからなかった。残念だったな」
「彼女は、記憶が無いのか」
「ソフィアのことか?ああ、そうだ」

 部下が見つけて来たとうそぶく。

「お前は何の用でナセルに来た」
「ただの定期的な挨拶だ。これからナセル王へ謁見する」
「奇遇だな。俺たちも今から挨拶だ。一緒に行くか?」
「まさか。そんな無礼は許されない。遠慮する」

 エイドスも本気で誘ったわけではなかった。そもそも王族は入り口から場所が違う。

 グレンとしては、折角見つかった探し人がこんなことになって、さぞショックを受けているに違いない。恋に破れた男の心情など察するつもりはない。エイドスはわざと靴を鳴らした。

「また後で会おう。積もる話もある」

 手を差し出す。グレンも手を伸ばし、握手を交わす。そのまま別れる。

 背中に男の視線を感じた。エイドスでなくソフィアを見ているのだろう。振り返らなかった。





 謁見の間で、エイドスは片膝をつく。恭しく礼をしてやると、王から声がかかる。エイドスは顔を上げた。

 壇上には、座が三つ置かれていた。中央には王が座り、左座に王妃、右座に王太子である第一王子が座っている。場所一つでも、三人とエイドスの間には大きな隔たりがあった。

 この場にいたのは王族だけではなかった。聞いていない野次馬ギャラリーたちまで集まっているのは、金の瞳を確かめに来たのだろう。視線をやると、ダンカンの姿もあった。

 王が杖で床を叩くと、野次馬達の雑音が静まる。王は口を開いた。

「──エイドス、此度のクインツ国での統治、ご苦労だった。クインツではすべての奏上に目を通し差配したとか。視察した者が驚いていたぞ」
「は、恐縮です」
「そこで嫁まで見つけてくるのだから、任せた甲斐があった」

 ソフィアはエイドスの後ろで、カーテシーのまま顔を伏せている。声がけがあるまでは上げられない。王の言葉に同意してみせる。

「生涯の伴侶と思っております」
「ソフィアと言ったか。顔を見せてみよ」

 顔を上げたソフィアは、金の瞳をまたたかせた。金の髪に白い肌、整った相貌は、この世の者とは思えない程だ。幾度も死を超えて、既にこの世の者ではないのかもしれない。

 野次馬もざわめき出して、口々に金の瞳だと言い合っている。王は咳払いをして、また静める。

「外野がうるさくてすまんな。ナセルの民は正直者ばかりで、皆そなたの美しさに驚いているようだ」
「ナセル国王陛下のお招きに預かり感謝します」

 ソフィアはただ口上のみ述べた。無駄なことは喋らないようにと言いつけていた。

「可愛らしいお嬢さんでしょう?控え目で、私とっても気に入りましてよ」

 王妃が口を挟む。同意するように王は頷いた。

 母上、と言ったのは兄であるヘイデンだった。

「確かに可愛らしい人だ。堅物のエイドスが心奪われるのも分かる。味見させてほしいくらいだ」
「あら?味見だなんて言わずに、愛人にすれば?一人くらい産ませて、金の瞳の子供だったらこんなに幸多い事はないわ」

 くすくすと笑い合う声。下品な物言いに腹も立たない。エイドスは何の反応もしなかった。

「我が一族に金の瞳が加わるならば、栄華は約束されたものだ」

 と、王が言う。

「嫌ですわ陛下、既にナセルは陛下の御威光で栄華を極めております。ますますのご繁栄になるかと」
「耳障りの良い言葉ばかりがよく出るものだ」
「事実ですもの。エイドスがシェジェン戦役で勝利したのも、陛下の日頃からのご指導の賜物ですから」

 心にも無いことを。だが狙いは分かりやすい。ソフィアに兄の子を産ませる狙いがあるのをよく知れた。決して冗談ではない。兄は既に妻帯し子もいるが、仮に兄が即位し王太子を決める際には、母親が誰であろうが関係ない。王の一存でどうとでもなる。王権が強いナセル国ならではのだった。

 壇上の会話にエイドスは加わる事はない。声がけを待っていると、ふと、手に何か触れた。
 
 ソフィアの手だった。いつも少し冷たい。指先が絡まって、指の腹を撫でられる。彼女からこんなことをするのは珍しかった。

 彼女は微笑みをたたえて、壇上を見上げた。

「宣言します」

 よく澄んだ声だった。張り上げていないのに、この場にいる全ての者に届いていた。

「次期ナセル国王は、エイドス様です」

 思わぬ言葉に、エイドスは耳を疑う。こんな時に、こんな場で、なんて事を言い出すのか。

「ソフィア」
「エイドス様は、ナセル国王に相応ふさわしいお方です。陛下も、王妃も、王太子も、ナセルには不必要な方々です」
「ソフィア!黙れ!」

 ソフィアの口を手で塞ぐ。微笑みは止まらない。それどころか深まる。金の瞳が煌めいて、尋常ではない底知れなさに、初めてエイドスはこの女に恐れを抱いた。

 よく通る声は誰の耳にも届いた。壇上の三人が見逃すはずが無い。王妃などは怒りを露わにして、座っている椅子の肘掛けを叩いた。

「不敬にも程があるわ!いくら金の瞳でも見過ごせない!衛兵!あの女を捕らえなさい!」

 王も王太子も口々に同じことを騒ぎ出す。衛兵が近づいてくるのを、エイドスはどうする事も出来ない。なぜこんなことを言い出した?計画が台無しじゃないか。

 衛兵がソフィアを捕らえようと触れる寸前、伸びた手が震えだす。次の瞬間、衛兵が血を吐いて倒れた。一瞬の静寂の後に場内から悲鳴が上がる。

「エイドス様がナセル国王です」

 ソフィアがまた言い出す。塞いでいた筈なのに、衛兵の突然の昏倒に、いつの間にか離してしまっていたらしい。自分でも動揺しているのが分かった。

 倒れた衛兵を別の者が助け起こす。仰向けになった衛兵は、血を吐いたまま絶命しているように見えた。

「魔女の仕業よ!」王妃が叫ぶ。「エイドスが魔女を連れてきたのよ!殺しなさい!二人ともよ!」
 
 エイドスは王妃が言い出すまで、これがソフィアが引き起こしたとは全く思っていなかった。こんな触れもせずに人が死ぬような事、人に出来るわけが無い。

 人?この女はもうとっくに人間では───。

 木箱の死に顔が浮かぶ。エイドスはゾッとした。だが彼女をこうした自分が、彼女を突き放せるわけが無かった。

「あの娘の仕業なのか?」

 幾分か冷静な王が立ち上がる。運ばれていく衛兵を見送りながら、壇上から降りようとするのを、王妃と王太子が止める。

「危険です陛下!お下がりください!」

 王太子の言葉に、王は耳を貸さない。

「誰もが見た筈だ。あの娘は触れもせずに兵士を死なせおった。これこそ金の瞳が持つ力!あの力があれば、我が国は世界の覇者となれるぞ!」

 王太子がすかさず言う。

「お待ち下さい陛下!あの魔女は我らを名指しして必要無い者と言いました。エイドスに手懐けられている以上、私たちに危害が及ぶやもしれません」
「そうですわ陛下!私たちもあのように殺されたくはありません!早く処理してくださいまし!」
「──エイドス」

 王に呼ばれ、エイドスは顔を向ける。心臓は早鐘を打っていた。

「これはお前がけしかけたのだな?」
「いいえ。決して」
「お前が優秀で従順だから今回の戦で使ってみたが、よもやこうも手のひらを返されるとはな」
「謀反のつもりはありません。この娘は、何か勘違いをしているのです」
「で、あればだ」

 王は壇上を降りきる。エイドスよりも視線が低くなった王は、ただの老いた男に見えた。

「であればエイドス。この娘を譲ってくれ」

 何もかもの思考が停止する。何を言われたのか、理解できなかった。

 反応出来ないエイドスに代わり、王が重ねる。

「この娘に余に従うように言ってくれ。そうすれはお前を王太子とし、次期王として扱ってやろう」
「……ほ──」

 本気で言っているのかと疑う。だが、拾った言葉は、そうとしか取れなかった。

 兄の王太子が黙っている訳がない。我が身となった兄も、壇上を降り王へ詰め寄る。

「父上!気は確かですか!?長年の親子の情を忘れ、こんな簡単にエイドスに位を譲るなど!私は耐えられません」
「耐えられないなら耐えなければ良い。お前ごときが余に口出しするな!これ程の見事な金の瞳が今、目の前にいるのだぞ。余の物にするのが一番良き方法だ。さぁエイドス、お前をその娘を余に」
「父上!」
「乱心よ!」王妃が叫ぶ。「陛下をお守りして!このままではあの女に殺されてしまうわ!早く別室へお連れしなさい!」
「余は正気だ!ええい邪魔をするな!衛兵!王妃とヘイデンを捕らえろ!」

 もう誰も正気でなかった。混乱の渦の中、微笑を浮かべ続けるソフィアだけが、異質で美しかった。

「エイドス様がナセル国王です」

 光り輝く金の瞳が、全てを掌握する。



しおりを挟む
感想 110

あなたにおすすめの小説

【完結】彼の瞳に映るのは  

たろ
恋愛
 今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。  優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。  そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。  わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。 ★ 短編から長編へ変更しました。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。

やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。 落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。 毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。 様子がおかしい青年に気づく。 ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。 ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 最終話まで予約投稿済です。 次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。 ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。 楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。

完菜
恋愛
 王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。 そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。  ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。  その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。  しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

隠れ蓑婚約者 ~了解です。貴方が王女殿下に相応しい地位を得るまで、ご協力申し上げます~

夏笆(なつは)
恋愛
 ロブレス侯爵家のフィロメナの婚約者は、魔法騎士としてその名を馳せる公爵家の三男ベルトラン・カルビノ。  ふたりの婚約が整ってすぐ、フィロメナは王女マリルーより、自身とベルトランは昔からの恋仲だと打ち明けられる。 『ベルトランはね、あたくしに相応しい爵位を得ようと必死なのよ。でも時間がかかるでしょう?だからその間、隠れ蓑としての婚約者、よろしくね』  可愛い見た目に反するフィロメナを貶める言葉に衝撃を受けるも、フィロメナはベルトランにも確認をしようとして、機先を制するように『マリルー王女の警護があるので、君と夜会に行くことは出来ない。今後についても、マリルー王女の警護を優先する』と言われてしまう。  更に『俺が同行できない夜会には、出席しないでくれ』と言われ、その後に王女マリルーより『ベルトランがごめんなさいね。夜会で貴女と遭遇してしまったら、あたくしの気持ちが落ち着かないだろうって配慮なの』と聞かされ、自由にしようと決意する。 『俺が同行出来ない夜会には、出席しないでくれと言った』 『そんなのいつもじゃない!そんなことしていたら、若さが逃げちゃうわ!』  夜会の出席を巡ってベルトランと口論になるも、フィロメナにはどうしても夜会に行きたい理由があった。  それは、ベルトランと婚約破棄をしてもひとりで生きていけるよう、靴の事業を広めること。  そんな折、フィロメナは、ベルトランから、魔法騎士の特別訓練を受けることになったと聞かされる。  期間は一年。  厳しくはあるが、訓練を修了すればベルトランは伯爵位を得ることが出来、王女との婚姻も可能となる。  つまり、その時に婚約破棄されると理解したフィロメナは、会うことも出来ないと言われた訓練中の一年で、何とか自立しようと努力していくのだが、そもそもすべてがすれ違っていた・・・・・。  この物語は、互いにひと目で恋に落ちた筈のふたりが、言葉足らずや誤解、曲解を繰り返すうちに、とんでもないすれ違いを引き起こす、魔法騎士や魔獣も出て来るファンタジーです。  あらすじの内容と実際のお話では、順序が一致しない場合があります。    小説家になろうでも、掲載しています。 Hotランキング1位、ありがとうございます。

処理中です...