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小旅行①
しおりを挟むマサ湖は遠い為、近いブロ湖へ行くことになった。王家の所有の屋敷が畔にあり、そこで二泊する。小旅行だった。
ブロ湖は小さな湖だ。ちょっとした屋敷が入るくらいの大きさで、小舟を浮かべても直ぐに対岸に着いてしまう。見る者によっては少し物足りないと思うかもしれない。
付き添いは、いつもの侍女二人だけ。良い機会だからと、ギルには休みを与えた。今頃は家族水入らずで過ごしているだろう。
先に降りたエイドスの手を取り、馬車から降りる。ソフィアは屋敷を見上げた。王家所有の屋敷にしては、あまり手入れされていないように見えた。二階建ての外壁には亀裂が走り、ツタが張っている。窓も曇っている。
家令の出迎えを受ける。初老の彼は、恭しく胸に手を当てた。
「トマス様がお待ちです」
それはソフィアの父だった。廃されてから、一度も会っていなかった。
「誰だ?」
エイドスが問うということは、この来訪を知らなかったのだ。
「アン前王妃様の父君でございます」
ソフィアよりも早く家令が答える。老人は緩慢な動きで案内を始めようとするので、ソフィアは慌てて引き止めた。
「お父さまは何の用で?」
「私めには分かりません」
家令は歩き出す。仕方なく後についていった。
外見が酷い割には内装は良かった。取り敢えずの修繕で使える部屋は少ないという。一階の小サロンに案内される。来客用の部屋で、中には小椅子やソファが片隅に追いやられるように集められていた。しばらく使用していない証拠だった。
暖炉近くに立っていたのは、紛れもなく父だった。父は葉巻を潰すと、ニコリともせずに礼を取った。
「トマス・ハンソンです。エイドス殿下」
「エイドス・エメットだ」
二人は握手を交わす。他愛のない会話を二三し終えると、父はソフィアにも礼を取りだしたので、狼狽えた。
「やめてください、お父さま」
「上位に礼をするのは当たり前だ」エイドスが代わりに答える。「礼を受けないと父君はいつまでも止めないぞ」
頭を下げたままの父に、ソフィアは裾を持ち上げて返礼する。父はようやく頭を上げた。
「元気そうだな」
「エイドス殿下のおかげです」
「ナタリアとブラッドが会いたがっていた。頃合いを見て王宮へ連れてこよう」
「ありがとうございます…」
二人の間に沈黙が落ちる。何の為にやって来たのか分からないから、ソフィアは父を警戒していた。
「で?何用だ」
直球でエイドスが聞く。こういう時、遠慮の無い物言いをしてくれるエイドスが頼もしかった。
「私は外務卿でしたが、レイナルド王に罷免されましてな。大人しく領地で隠居しておりましたら、レオン陛下にまた外務卿として招聘され、ご挨拶に」
「陛下には会ったのか」
「ええ。陛下より娘がこちらにお出でになるからと、久しぶりに顔を見に行くようにとお気遣いいただきました故、こうして参った次第でございます」
そんな経緯だったとは。勘繰り過ぎていたソフィアは胸を撫で下ろした。
「ナセル国の王族の縁者になれるとは誉れにございます」
「あまり白々しいと癇に障るな」
「こうして国を越えて次々と王族の妻となれるのですから、娘を大事に育てた甲斐があるというものです」
かつて父が、レイナルドとの結婚を心良く思っていなかったのを知っている。王族の中での諍いを目の当たりにしてきた父だからこそ、娘に災難が降りかかるであろうことを知り尽くしていた。婚前、父からは哀れなと、せめて早く子を産むようにとだけ言われた。父の危惧した通りとなった。
今回も何の因果かまた王族の妻となった娘への、父なりの哀れみだろう。父一人でどうにかなる問題では無かった。
父の物言いはエイドスの神経を逆撫したようだ。舌打ちを隠さない。
「外務卿ならば、ご機嫌でも取ったらどうだ」
「白々しいのでは?」
「嫌味もムカつく」
正直なエイドスに、父は流石に苦笑する。
「殿下にそう言っていただければ、私がお伺いした目的が果たせたというものです」
そこでソフィアは気づいた。何故このタイミングで父がやって来たのかを。
「あのガキ。嫌がらせしやがって」
エイドスも気づいたらしい。父の笑みが深くなる。
父はレオン陛下の命を受けて、この場へ来たという。エイドスが言う『新婚旅行』の時にわざわざやって来たのは、ただ自分たちの邪魔をしたかったのだろう。子供らしい純粋さで権力を行使するとは。今はまだ微笑ましいで終われる年頃だが、将来が心配になる。
エイドスは踵を鳴らす。アンと、あえて本来の名で呼ばれる。
「──積もる話もあるだろう。二人で話せ」
「え、でも」
「このまま追い返したら、陛下に何を言われるか。ねちねちうっとおしいんだよアイツ。──ロス、行くぞ」
扉の近くに控えているロスに声をかける。彼女と一緒に出て行ってしまった。
二人きりになった途端、父は口を開いた。
「暮らしはどうだ?」
「つつがなく」
「エイドス殿下は横暴だと聞くが」
「優しいお方です」
「しかしナセル国の王子だ。いずれは向こうへお前も行く日がやって来る。金の瞳を持つお前が、王位継承者の争いの火種になることは明白」
それは初めにエイドスに言われていた。クインツ国を蹂躙されない為に妻となるのを受け入れたのだから、今更言われてもどうしようもない。
「危険は覚悟の上です」
「ナセル国で骨肉の争いがあれば、我が国にも飛び火するだろう。そうなる前にソフィアという者が居なくなってくれたら、これほど安心出来ることはない」
「……私に死ねと?」
「辺境伯から打診があった。アン前王妃を養女として引き取っても良いそうだ」
ソフィアは服を掴んだ。おそらくは父が手引きしたのだろう。
「……いくら辺境伯でも、私を匿えるとは思えませんが」
「あそこの秘匿はお前も知っているだろう。私がナセル王と交渉してもいい。了承を取り付ければ、エイドス殿下も文句は言えまい」
エイドスを飛び越えて直接、ナセル王と交渉。外務卿で他国へ頻繁に行く父だからこそ出来る所業だろう。とはいえ、一介の敗戦国の伯爵ぶぜいが、第二王子との結婚に口出し出来るとは思えない。
辺境伯の養女というのは、あくまで交渉がうまく行かなった時の保険だろう。あそこなら確かに、身を隠せる場所だ。
「──有り難いお話ですが、穏便に行くとは思えません。このままの流れに乗っていこうかと思います」
「アン、」
「もう私は、何か変えるために動きたくないんです。…ごめんなさい」
戦争を止めるという目的は果たしている。その為に自分は二度も死の際に立った。ソフィアは疲れていた。
「それに、エイドス様には良くしていただいております。ここまで体が回復したのも殿下のおかげです。彼に従います」
「お前を手懐けておきたいだけだ」
「分かっております。でも…」
ソフィアは胸に手を当てる。
「今の父さまの言葉に反抗したいと思うくらいには、あの方に報いたいのです」
嘘偽りの無い言葉だった。ソフィアの中で、彼の存在が大きくなっていた。
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